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第80話 忘れ物

 三ヶ月が過ぎた。


 地面を覆っていた雪はすでに姿を消して春の訪れを予感させるそよ風が頬を撫でる。


 俺が転校するという話をクラスメイトに打ち明けたのは冬休み明けの始業式の日だった。ホームルームが終わったあと、健人に何気なく教えると、近くで聞いていた男子が驚きの声をあげ、それを聞きつけた周りの奴らも興味を示して俺に詰め寄った。


 そうして俺が転校するという事実を告げると、教室は一斉に騒がしくなった。


 転校!? 嘘だろ!? そんな! 佐保山!


 俺を案ずる声、理由を知りたがる者。せっかく仲良くなれたのにと落胆する者に、俺は囲まれていた。


 中には泣き出すやつもいて、なかなかどうして、情緒があるのか涙もろいのか、はたまた優しすぎるのか。


 楠木もその一人だった。


 俺がクラスメイトにもみくちゃにされてる中、楠木は教室の隅にいた。どうやら恵やその友人たちと談笑していたらしい。


 俺を見ながらほろりと涙を流すその姿に、何も感じないわけではなかった。


 やがて楠木は自分が泣いていることに気づいたのか目元を拭い、小さな声で「そうなの?」と聞いてきた。


 俺が頷けば目元に溜まった水はいとも簡単に溢れてしまうだろう。


 しかし嘘をつくわけにはいかない。嘘をつく理由がない。


 重い首を重力に任せるように振ると、楠木は再び泣き始めた。なにももう会えなくなるわけじゃないのにとも思ったが、苦しく鼓動する自分の胸にもまた、嘘はつけないのだった。


 祖母の葬式の日に俺は久しぶりに涙を流した。もう会えなくなること、それからこれまで過ごした日々を思い出しもっと話すことがあったんじゃないか、もっと一緒にいるべきだったんじゃないかという、後悔の涙が溢れてきた。


 だから楠木や、そのほかの涙もろい奴の涙を否定することはできなかった。


 俺は死ぬのだ。


 定義的には違うのかもしれない。だが、心の感じ方では、同じことだった。


 それからクラスの奴らとはいろいろな場所へ行った。


 カラオケ、ゲーセン、クラス一金持ちな奴の豪邸、喫茶店を経営している奴の家、カラオケ、またカラオケかよ。俺は笑った。笑い合った。


 写真もたくさん撮った。一番よくしてくれたのはニワトリ族の奴らで、昔、俺がこいつらのことをよく思っていなかったということは周知の事実だった。


 それでもニワトリ族の奴らはクラスにいまいち馴染めていない俺をずっと気にかけていたらしく、なんだかんだぼっちでなくなった最近の俺にホッとしていたらしい。


 そのお揃いのトサカも、今はとても格好良く見えた。


 俺がオタクであることをバラすと、思いのほかクラスの奴らの反応は薄いものだった。


 へー、そうなん? オタクってアニメとか見んの? そんなに面白いなら俺も見てみようかな。


 中には俺と同じような隠れオタクもいて、少しの間だったがクラス内で深夜アニメがブームになった時もあった。その時は誰もが寝不足の目をこすって学校に来るものだから担任にたるんでると怒られもした。


 だが、俺としてはようやく肩の力が抜けた気がした。ちなみに俺の巻き添えを食らい、楠木がアニメを大量に観ていることもクラスに知れ渡った。


 居心地のいい環境だった。


 担任も気を利かせてくれて、少し早い送迎会をしようということになった。場所はまたカラオケかと思ったが、市内にある高級そうな料亭だった。


 費用はすべて担任の自腹たった。そこで、どうして担任が教師を目指したのかという話を聞かされた。


 担任は自分が高校生だったころはすごく暗い人間で、まともに人と話さないまま高校を卒業したらしい。大人になると誰もが高校が一番楽しかったという。しかし担任には高校の記憶がいっさいなく、自分のような人間を増やしたくない。もしそういう奴がいたら助けてやりたい。そう思い、教師を志したという。


 教師ってのは勉強を教えることだけが仕事じゃない。


 それが担任の決まり文句だった。


 最後に集合写真を撮った。現像した写真を見せてもらうと、俺はクラスの真ん中で、笑っていた。


 そのとき食べたサザエの蒸し焼きの味も、交わした会話の楽しさも、いつもより饒舌になってしまった自分の恥ずかしさも、決して忘れることはないだろうと、俺は思う。


 今日もホームルームを終えると、誰かしらが一緒に帰ろうと誘ってくれる。


 交代で俺と帰る奴は変わり、どうも俺がクラス全員と帰れるように気を利かせてくれたようだった。


 純子と帰ったときは地獄だった。お互い喋ることもなく、にらみ合うような時間が続いた。


 ふいに俺が「純子」と口にすると「名前で呼ぶな」とキレられた。


 そうはいっても、こいつの名前なんて楠木がチラっと口にしていたのを横から聞いただけだ。すると純子は「永藤」と小さく口にした。


 なるほど、覚える気はなかったが、無益な時間ではなかったように思える。


 ちなみに恵にも同じような話をされた。苗字は「島垣」。俺がその名を呼ぶことはなかったが、恵、もとい島垣は満足気に笑い「色々と助かった」と残して去って行った。


 その翌日は杉菜と帰った。河川敷に行き星形の石が見つけるまで付き合わされた。しかもようやく見つかったその石を杉菜がどうしたかというと、思い切り川に向かって投げたのだ。


 何をしたかったのかはわからないが、夜空の下で川をはねるその石ころは、なかなか綺麗ではあった。


 健人と帰った日には『そういうDVD』を大量に渡された。熟女モノばかりだった。


 どこかへ寄ったわけでもないし、『そういうDVD』を受け取り次第まっすぐ家に帰った俺であったが、帰った奴らの中では一番学校で過ごす時間が長かった健人だ。最後に「変な友人を持った」と言ってやると、健人は笑いながら「お互い様だ」と言って軽い足取りのまま帰路に就いた。


「おまたせ」


 そうして今日、俺と一緒に帰る奴が席に座っている俺に声をかけてくる。


「じゃあ、帰ろっか」

「ああ」


 楠木は相変わらずのまぶしい笑顔を浮かべて手を差し伸べた。その手の意味に自分で気づいたのか、楠木は恥ずかしそうに引っ込めて、控えめに笑った。そうやっていろんな笑顔を使い分けるのがこの楠木という人間だった。


 俺の脳裏に最も焼き付いているのは楠木がよくする困ったような笑顔。しかし最近になってそれはあまり見なくなった。


「もう自分にウソはつかないんだ」

「・・・・・・いいことだな」


 同じようなことを思っていたのだろうか。妙に会話がかみ合ってしまう。


 楠木と一緒に下校するのは、ほかの奴らと比べて息の詰まるようなものもなければ気を遣うようなこともなかった。


 思えば、俺はこいつの弱い部分、強い部分、笑った顔に泣いた顔。様々なものを見てきた。学校で最も一緒にいた時間が長いのは健人だが、学校の外で一緒にいた時間が長いのは楠木かもしれない。


 これからは、違うかもしれないが。


「そっちってさ、どんなところなの?」

「俺の家のことか?」

「うん」

「田舎だよ。周りは田んぼしかないし、ここみたいに電車だけで移動もできない。土地だけが無駄に広くてさ、中学校なんて自転車で四十分くらいかかった」

「うわあ、それは大変だね」

「しかも雨ばっかり振る。いいところなんて全然ないさ。ここのほうがよっぽど過ごしやすかった」

「それは佐保山が、過ごしやすくなるように頑張ったからなんじゃない?」

「お前は本当に、俺を買いかぶりすぎだ」

「買い物好きだから」


 意味あってるのだろうか、それ。


「やー、でもさ。ちょっと大変かもね、これから新しい学校って」

「ああ。というか普通はあり得ないからな。本当にどうしようもない理由がない限り」

「佐保山だけがさ、残ってもいいんじゃない? それはだめなの?」

「もう決まったことだから」

「あと一年だよ? なんかさ、方法ないかな。あたしも一緒に考えるから」

「楠木、もう引っ越しと転校の手続きは終わってるんだ。今更変えることなんてできない」

「そ、そうだよね。あはは、そっか・・・・・・」


 楠木は悲しそうにその顔を伏せた。


「忘れ物、しないようにね?」

「うちの母親みたいなこと言うな」

「だって佐保山、たまにぼーっとしてるときあるし」

「そんなことあるか?」

「うん。考えごとしてるときとか」

「大丈夫だ。荷物は毎週ちょっとずつ送ってるし、あとは服とか、生活用品だけだから」


 準備は着実に進んでいた。


 この場所をお別れをするのも、あと一週間ほどだ。


「ウソ。まだ忘れ物あるでしょ。ぜったい忘れちゃだめなやつ」


 すると楠木は小走りで俺の前に立ちはだかった。


「紫苑ちゃんはどうするの?」


 その言葉に、俺も立ち止まらずにはいられなかった。 

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