第44話 つくしちゃん
さあ、審判の時だ。
暗い面持ちをした男たちは教壇に置かれた白い箱に手を入れていく。
そうして手にしたのはこれも白い、なんの変哲もない紙だ。
だが、そこに書かれているのは己の運命。
光か闇か、それとも別の何かなのか。それはあのパンドラの箱に触れた者のみが分かるものだ。
故に男たちは沈黙。固唾を飲んで、誰かの運命が奈落の底に堕ちていくのを願いつつ、己の保身だけを考えていた。
その光景はあまりにも醜い。
受け入れろ。これを望んだのは貴様らだ。
「次、サボテンの番だぞ」
寸でのところで危機を回避したらしい陽気な表情を浮かべた男が俺の肩に触れる。
俺はゆっくりと立ち上がり、臆することなく運命の待つ教壇へと向かった。
そして何人もの腕を飲み込んだ冷たい白の箱に手を入れる。
この世の事象というのは、そのほとんどが普段の行いや境遇といった日常的なパラメータの積み重ねで決まるものだ。
よって、俺があの残忍な運命の餌食になることは有り得ない。
何故なら俺は、一度たりとも望んだことなどないからだ。やりたい奴だけ勝手にやっていろ、俺はあくまで傍観者なのだから。
「じゃあ今年の体育祭委員は佐保山だな。よろしく」
手元にある白い紙に視線を落とすと、そこには『〇』と、俺を小馬鹿にしたかのようなちんけな記号が書かれていた。
次に視線を上げると無精髭を生やした担任が、不敵な笑みを浮かべていた。
「男子は佐保山、女子は杉菜で決まりだな。あとはリレーの出走順だが、それは各自で決めておいてくれ。先生は教務室に戻るから何かあったら聞きに来るように」
そんな無責任な言葉だけを残して、担任は教室を後にした。
終わった・・・・・・。
さよなら俺の放課後。
見事に俺はくじ引きという完全運任せな代物の犠牲になり、体育祭委員という奴隷の称号を手に入れてしまった、
それから少しして、教室内が騒がしくなる。
「リレーどうする?」
「俺真ん中あたりがいい!」
「アンカーは陸上部に任せようぜ」
各々でリレーの出走順を決める談義を始める中、俺は未だに絶望の淵の中を彷徨っていた。
だって、そうだろう。誰よりも体育祭というイベントを毛嫌いしているであろうこの俺がどうして体育祭をより良いものしていくための委員になど入らなければならないのだ。
さっきまでの重苦しい雰囲気はどこへやら意気揚々とリレーの話に華を咲かせているそこの野郎ども。いいのか? 俺で。俺なんかに任せていいのか? そう問いかけてやりたいところだ。
「サーボーテーンくんっ!」
そこで、気の抜けるような舌ったらずな声が後ろから聞こえてきた。
「くじ引き、負けちゃったね~。まぁこれも運命ってことだよ! これから体育祭までよろしくね!」
首だけそちらに向けると、目の前で栗色のアホ毛がぴょこりと跳ねた、
左右で結んだ髪が、尚更そのアホっぽさを強調している。
「あれっ!? ていうかつくしちゃん、もしかしてサボテンくんとお話するの初めてだっけ!? うわぁ、いきなりこんなテンションで話しかけちゃって引かれてないかなぁ。でもいつも寡黙なサボテンくんがどういう反応をするのか、つくしちゃん好奇心そそられちゃうなー!」
そして自分のことを「つくしちゃん」と名前でしかもちゃん付けで呼ぶこの女。
アホな女の数え役満。ロイヤルストレートフラッシュと言ったところだろうそいつの名は、
「私、杉菜つくし! つくしちゃんって呼んでね!」
赤子のようなっぷくりした小さな手でピースを作り、星が弾けたように錯覚してしまほうどの完璧なウィンク。
そいつこそ、もう一人の体育祭委員。短い間だが一緒に仕事を共にしなければいけないパートナーである。
「・・・・・・よろしく、杉菜」
「ほほー! なるほど、サボテンくんは女の子を基本的に名前呼びはしたくないタイプ、と。うんうん! いいね! 好奇心、満たされたよー!」
こっちがなにも話さなくても勝手に話が展開されていく。
「なんかみんなリレーの話始めちゃったし、つくしちゃんとサボテンくんは体育祭委員同士これからの活動について話合おうと思ったんだけど、どうかな!」
「話合うことなんてないだろ。どうせ放課後に会議とかあるんだし言いたいことがあればそこで言えばいい」
「そっかぁ・・・・・・じゃあさじゃあさっ! ここでつくしちゃんが『サボテンくんと仲良くなりたいから親交を深めるためにお話がしたい』って言ったらサボテンくんはどういう反応をするのかな! かな!」
「そうだな、多分無言でそっぽを向くな」
そう言いながらも、俺の視線はすでに何もない教室の壁へと向けられていた。
「なるほどー! わかった! ありがとう!」
なにが分かったのか、なにがありがとうなのか。杉菜との会話は何一つ俺の理解できるものではなかった。
そしてその当人と言えば、わざわざここまで自分の椅子を持ってきて、俺の机に勝手に頬杖をついていた。
「やる気充分なことで。さすが、自分から立候補しただけはあるな」
俺はそんな杉菜に半ば厭味のような言い方をしてしまう。
くじ引きで決まった男子に対して、女子の体育祭委員決めは一瞬で終わった。
杉菜がすぐに手を挙げて立候補したからだ。女子の間では「つくしちゃんいるから私達は安泰だね」なんて言われてたほど。
「まあ、つくしちゃんだからね!」
無い胸を一生懸命に張る杉菜。何が言いたいかは相変わらずよく分からない。
「去年も体育祭委員やってたから、分からないことがあったらつくしちゃんになんでも聞いていいからね! 経験済みだから! そう、経験済み。うふ♡」
そして無い胸をちっこい腕で挟んで色っぽくもなんともない声を出す杉菜であった。
「もの好きもいたもんだな」
体育祭委員に立候補、しかも二年連続だなんて俺からすれば信じられない愚行だ。
「だって、知りたくない?」
「なにが」
「もしもね? つくしちゃんがすっごく頑張って体育祭の運営に尽力して、それで本当により良いものになったとしたら、それって、たった一人が努力しただけで何百人の人達を笑顔にできるってことじゃない? だから知りたいの! 本当にそんなことが可能なのか!」
何をバカげたことを、そう思い杉菜の顔を見るが。
にへらと笑いながらもその目は真剣であり、冗談などではないことが見て取れた。
この世界には色んな人種がいるもんだ。
「つまり好奇心なのですよ好奇心。つくしちゃんは常に探求を怠らない天才なのです!」
「自分で自分のことを天才っていう天才を俺は見たことないがな」
「そしたら、天才と自分を評価してしまった時点でその人は天才でなくなってしまうのか、それとも先天性的にすでに天才に成り得ない人が心理学上そう言った発言をしてしまうのか、調べてみよう!」
「いや、いい」
「そっかー。気になるんだけどなー」
そんな好奇心お化けである杉菜は腕を組んで「うーん」と唸っていた。
「サボテンくん、顔にすっごい『乗り気じゃない』って書いてあるけど」
「そりゃな。だって放課後が潰れるんだぞ。なんで社会人でもない学生のうちから自由な時間を減らされなければいけないんだ」
「なんかおじさんみたいだね」
まじまじと、俺の顔を興味深そうにのぞき込む杉菜は長めのツインテールを揺らして前かがみになる。
「あ、でも。そんなサボテンくんに朗報があるよ?」
ドヤ顔のお手本のような表情をして、杉菜は言う。
「体育祭委員は本番も生徒たちの牽引とか、ポイント集計とか色々あるからリレーは出なくていいんだよ。勿論出たい場合はきちんと委員の人に言えば出してもらえるけど」
「マジか」
それは、本当に朗報だった。
俺が体育祭で最も嫌いな競技と言えばリレーだ。
俺は運動音痴だし足も遅い。個人戦なら俺が恥をかくだけで済むがリレーの団体戦ともなると話が違ってくる。
俺がバトンを受け取ればひとたび大勢の溜め息と罵詈雑言。
負けたらお前のせいだ、と走っている最中そんな視線を嫌というほど浴びることになる。
ちなみに一番好きな競技はパン食い競争だ。
その競技は、運動ができるできないに関わらず、上にぶら下がったパンを口のみでかじるという等しく皆平等に無様な行為だから俺一人が嗤われることにはならない。
それに、意外にあのあんぱんは美味いもんで昼飯代を節約することができる。
「ね? 朗報でしょ?」
「ああ。リレーは大嫌いだからな。それはありがたい」
「メリットがある場合、人はどれくらいのデメリットに耐えきれるのか」
「なんだそれ?」
顎に手を当て、難しい顔をする杉菜。
「今回の検証! だって、こんなに面白い人材が目の前にいるのになんの検証もしないのは勿体ないよ! 好奇心好奇心!」
「なんか、人生楽しそうだな」
「それは分からないよ。人生は長いんだから。今は楽しくても、死ぬその瞬間にもそう思ってるとは限らないもん」
「ほう」
その言葉に、俺は少しだけ杉菜という人間に興味が湧いた。
今の思想自体に共感できるというのもそうだし、なにより杉菜はその活舌の悪いバカみたいな喋り方とは裏腹に、話の内容自体はとても芯のあるもので。そこらの有象無象の人間が話す他愛もない無益なものとはかけ離れている気がしたのだ。
クラスに一人はいる悩みの無さそうなアホ面の元気な奴。その印象は覆り、なんとなく面白い奴だなと、多少上向きの印象へと変わっていた。
「まぁでも、その検証はすでに立証されているぞ」
「ほえ?」
首を傾げて、アホ毛が垂れる。
「何故なら俺はすでに耐えきれていないからな。体育祭委員なんてやはり死んでもごめんだし、今日のうちにでもバックるかそうでなくとも担任に行って辞退させてもらうつもりだ」
そもそもくじ引きだなんて運任せな方法で決めることがまずおかしいのだ。
運さえ良ければ、運が悪ければ。そんなのあまりにも平等すぎる。平等すぎるが故にそこに選択権はなく、人の意思も干渉しない。
つまり、体育祭をより良いものにしようとするのなら他薦でもいいからするべきなのだ。
すると杉菜は、
「ううん、まだだよ。メリットは他にもあるでしょ?」
「いや、リレーに出なくていい以外なんもないだろ」
その瞬間。ちゃちな杉菜の両腕が俺の肩を掴んだ。
「つくしちゃんと仲良くなれる!」
俺は溜め息をついて、早く帰らせてくれと切に願った。




