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第26話 大好きな物語

「えっ?」


 それはちょっとした秘密を暴露するなんてレベルのものではなくて。突然放たれた「死」という言葉に固まってしまう。


「あっ、でも本当に一瞬だけです。ちょっと死とか、人生だとか、そういうのをずっと考えてた時期があって」

「そうなのか」

「はい。昔の私は本当に誰とも喋る事が出来なくてずっと一人でした。家族ともあんまりで、それでなんで生きてるんだろう、なんで私は産まれてきたんだろうって思ったことがあって」


 俺は色識さんの話に集中する。何故だか、この話を聞き逃したらきっと後悔すると思ったから。


「ずっと、ずーっと考えて。色んな本を読んで、生きる意味を探して、誰かの持論を借りて、助けを求めてました」

「ああ」

「でも結局見つかりませんでした。今でも私は、相変わらず一人ぼっちで、学校でも浮いちゃってます。えへへ」


 そう自嘲気味に笑う色識さんに俺はかける言葉がなかった。


「でも、ほんの少し。ほんの少しだけですけど、人生の、生きる意味の片鱗を、最近掴むことができたんです」

「そうなのか」


 気の利かない相槌をする俺に、色識さんも「はい」と言う。相槌に気を遣えるほど、俺は他のことを考えている余裕はなかったのだ。


 色識さんの紡ぐそよ風にも連れていかれてしまいそうな小さな声を必死に捕まえる。


 そこで色識さんは下げていた顔をあげて、


「桜、もうすぐで散ってしまいますね」

「あぁ、そうだな」


 その独り言にも近い色識さんの呟きに俺は頷く。


「佐保山くんは、桜はどうして。なんのために咲くんだと思いますか?」

「難しいな」

「ですよね。多分、桜本人に聞いてみても『わからない』って言うと思います。分からないまま咲いて、分からないまま散っていくんです」


 それはどこか、先程見た映画に通ずるものがある気がした。


「でも」


 今までで一番、力のこもった声。


「私は知っています」

「え?」

「私は、何度も何度も桜に救われてきました。毎年この季節になると、必ずここへ来て桜を見ていました。どうせ、一カ月もしないうちに散るのに、あんなに力強く、美しく、凛として咲いていて。そんな健気で儚い、だけど誇り高いその桜に私は何度も癒されて勇気を貰いました」


 そう言って色識さんは困ったように笑う。


「それなのに、桜はそんなこと梅雨知らずで、まさか自分が誰かの役に立って、誰かを救っているなんて思ってもみないんでしょうね」

「つまり、桜自身は生まれてきた意味なんて知らなくても」

「はい、私は知っています」


 その女神のような慈愛溢れる表情は、散っていく桜に対して「生まれてきてくれてありがとう」とそう言っているようだった。


「だからです」


 色識さんは言う。


「だから、私はさっきの映画を悲しい作品だなんて思いません。確かに主人公は死んでしまったけど、恋人の彼は彼女のおかげで前を向いて生きていけるようになりました。それは彼女がいなければきっと起こり得ないことなんです。彼女は最期までそのことを知らないまま息を引き取りましたけど、彼は知っています。だから言えたんです、最後にありがとう、と」


 その言葉には確かな重みがあって、俺の心にズシンと音を立ててのしかかった。


「それに、人が死んだことで泣きたくないんです。だって、生き物はいつかは必ず死ぬものですから。それよりも、その人と過ごした日々をいつか思い出して。そういえば、あんなことがあったなって。幸せな時間だったなって、その人が生きていた頃のことを思い出して、そこで笑って、泣きたいんです」


 人の死に対して感動を覚えたくない。その人が今まで作り上げてきたものをしっかりと自分の中で噛みしめ、その幸せの中で笑って泣きたいと、色識さんはそう言うのだ。


 色識さんがそんな思想を持っていたことがあまりにも意外で、俺はこの人のことを全然知らなかっただと思い知らされる。


「あの、佐保山くん」


 そして色識さんは体ごとこちらに向け、飴色の瞳で俺の目を見て離さない。俺も目を逸らすことはできずにその普段は隠された綺麗な瞳を見続けた。


「佐保山くんのとっての、桜って誰ですか?」

「俺にとっての、桜?」


 それは先程色識さんが言った、桜には何度も救われて、勇気を貰っているという話のことだと思う。


 俺にとって、そんな人・・・・・・。


 そう考えると、俺の中で色々な記憶が蘇ってくる。


 言い淀む俺を見兼ねてか、再び色識さんのほうが口を開く。


「私にとっての桜は」


 そうして俺を見る瞳が一瞬揺れて、唇が締まる。


 ひらひらと、散った桜が上から降り注ぐ。春の風がそれをどこか遠くに飛ばして見えなくなる。


 色識さんは言った。


「私にとっての桜は、佐保山くん。あなたなんです」


 淀みなく言い放たれたその言葉。迷いなんてなくて、繕いもなくて、心の底からそう思っていると。真っ直ぐな視線が訴えかけてくる。


「お、れが・・・・・・桜?」

「はい」


 やはり迷いはない。いつも背中を丸めて遠慮がちに振舞う色識さんは今だけは背筋を伸ばし、強い意志を込めて一つ一つの言葉を紡いでいく。


「まさか、だって、それは。俺が色識さんを癒して、勇気を与えたって、そういうことだろう?」


 色識さんは力強く頷く。


「いや、そんなことした覚えはないぞ」

「ふふ、そうですよね。だって、桜ですから」


 俺に自覚がなくても、と。そういうことなのだろうか。


「佐保山くんはいっぱいのものを私にくれました。勇気も、元気も、癒しも、安らぎも。本当に代え難い貴重なものを私にくれたんです」

「でも、俺は・・・・・・」


 それは、やっぱり違う。


 だって、俺は色識さんを突き放したんだぞ?


 告白を、何も考えずただ一時の優越感で受け入れて。それで自分は恋愛など興味ないと、一方的に否定して。何度も話しかけてくれた色識さんを無視して。そんな最低野郎がくれてやったものなど最悪な思い出しかないはずだ。


「高校入学の初日」


 眉間に手を当てて考え込む俺をよそに色識さんは話を再開した。


「私が校門で本を落としてしまったんです。それはもう、たくさん。カバンのチャックが壊れてしまって中のものが全部。前日雨が降ったせいで地面が湿っていて本は汚れてしまいましたし、他の人の邪魔になると思って急いで拾おうとしたんですけど」


 俺は思い出そうにも、そんな記憶はまるでない。


 だが、それは当然な気もした。何故なら高校入学の初日といえば俺が一生懸命『仮面』を被っていた頃の話だ。そんな虚像の自分、覚えているわけがない。取り繕ったその行動に意味なんて一つもありはしなかったのだから。


「全然、他の人達は私を気にした様子もなくて、むしろ避けるようにしていました。でも。私はその頃世界はこんなもの、人生なんてこんなものと思っていましたから、別に気にはしていませんでした」


 そんな卑屈な考えに、俺は思い当たる節があり胸がズキリと痛んだ。


「そんな時なんです。佐保山くんが現れて、泥で汚れた私の本を新調したばかりの綺麗な制服の裾で拭って、手渡してくれました」

「そう、だったか」

「はい。その時佐保山くんはなんて言ったと思います?」

「いや、覚えてない」

「こう言ったんです。『大丈夫? よかったら俺も手伝うよ』って私に手を差し伸べて笑いかけてくれたんです」


 その人間のフリをしたかのような言い回しに怖気が走った。今の俺には想像もできない、なんと気色の悪い真似をしているのだろうと。


「なんて素敵な人がいるんだろう、そう思いました。口下手な私は結局何も言えずにぺこぺこと頭を下げるばかりで」

「じゃあ、それが理由で、その。俺を・・・・・・?」


 そんな些細なことがきっかけで色識さんは、俺を好きになったと、浅はかな考察をしてしまうが、


「いえ、違います」


 キッパリと否定されてしまった。


「その時は感謝をするばかりで、特に他に思うところはありませんでした」

「なら、いつ・・・・・・」


 それ以降色識さんと話した記憶などない。あとは二年になって、突然屋上に呼ばれて告白されたあの日だけ。


「それは・・・・・・」


 ここまで迷いなく自分の言うことに自信を持っていた色識さんが、一瞬だけ目を泳がせた。言うか言わないか、迷っているようで、しかしすぐに色識さんは意を決したように言う。


「佐保山くんの『仮面』を見た時です」

「・・・・・・っ」


 息が詰まる。冷汗が背中を垂れていったのが分かった。


「あの時は笑っていましたけど、佐保山くんは・・・・・・その、人と関わるのを、避けていますよね?」

「ああ」

「やっぱり」


 そう言うと色識さんはニコりと笑い、どこか胸のつっかえが取れたような表情を見せた。


「私はその時、思ったんです。佐保山くんは、自分を変えようとあの時きっと頑張っていたんだって。だから不慣れな口調で、不出来な笑顔で、私に一生懸命歪んだ善意を向けてくれたんだって。それから私は佐保山くんを目で追うようになりました。体育の時間に嫌々走る姿も、昼休みになるといつも購買のパンを持って一人で校舎裏に行くところも。人と関わるのが嫌いで、それと同時に怖くって、怯えるように人を避けているその姿を、ずっと見てました」

「なん・・・・・・で・・・・・・」


 今までずっと思っていた。色識さんは本当の俺を知らないから、醜い俺を知らないから。恋に汚れた使い物にならないフィルターを通しているから、盲目になったその瞳は俺を正当な評価で見ていないと。偶像の俺に恋い焦がれて、告白したのだと。


 でも、違った。


 色識さんは俺の全てを分かっていた。ずる賢いところも、意地汚いところも、性根の腐っているところも、何もかも卑屈な俺のことなど全部お見通しで、その上で俺に言ったのだ「好きです」と。


 困惑する俺の顔を見て、色識さんは安心させるような笑顔を俺に見せてくる。


「私はいつも逃げていました。この世界が嫌で、だからいつも本を読んでそのモノクロな物語の中に入り込んで、現実から目を逸らしていたんです。でも、今は違います」


 すぅ、と息を吸って。


「私の目の前には、もっと素敵な物語があったから」

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