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第22話 切り結ぶ

「はあぁ~~~!?」


 そうして今に至るわけである。


 集合住宅ということも忘れ素っ頓狂な大声をあげる百合は窓際に置かれた花の前で崩れ落ちていた。


 あの日楠木に貰ったリナリアは、一応順調に育ってはいた。とは言っても元々咲いてはいたので現状維持をしていると言ったほうが正しいかもしれないが。


「そんな、そんなバカな・・・・・・!」


 百合はものすごい速さでこちらに振り返りキッと人を殺さんばかりに睨みつけてくる。


「なんで先輩のくせに! は!? 嘘じゃなかったんですか!? なんで先輩のくせに嘘ついてないんですか!? みっともなく見栄張ってたんじゃないんですか!?」

「お前の中で俺はどういう人物像なんだよ・・・・・・」

「屑ですね」


 できたらそこまでに至る経緯も教えて欲しい。


「いや、まだ造花の可能性も・・・・・・!」


 そう言って葉を手で撫でる。だが造花特有の硬い感触ではない。当然、それは本物なのだから柔らかい感触が返ってくるはずだ。百合もそれに気づいたらしく、


「わ、分かった! 買ったんだ! 貰ったんじゃなくて、買ったんじゃないすか!?」


 だから貰ったと言っているのに。だがそれを証明する手段は無いのでもうそういうことでいいよと半ば諦め気味な俺だったが、


「いや、でも・・・・・・すんすん。柚子先輩の匂いがする・・・・・・」


 え、なんだこいつ。キモ。


「なんすかその目は」

「いやキモいなと」

「ここで私が叫び声をあげたら先輩どうなるんでしょうね」


 だってキモいじゃん。匂いで人物を判断するタイプの人間って十中八九キモいと相場は決まっているのだ。


「あぁもう最悪です。なんで私より先に先輩が花貰ってんすかマジでありえないんですけど」

「なんだよ。そんなに欲しいなら頼めばいいだろ。楠木のことだから断るなんてしないだろ」

「分かってないですね先輩」


 百合は息を吐いてやれやれと分かりやすく首を振った。


「いいですか、柚子先輩は優しいです。だから頼めばそりゃくれますよ。でもそれじゃ意味ないんです。私は、私は柚子先輩の特別になりたいんですよ。だから柚子先輩のほうからくれるのを待ってたんですよ・・・・・・なのに」


 そんな百合の目は、少し潤んでいるようにも見えた。


「きっと柚子先輩にとっての特別は私じゃなくて、先輩だったんですね」


 自嘲気味に話す百合は、今までの高圧的な態度とは違って年相応の儚い女子だった。俺はそんな百合にかけてやる言葉を探すも、見つけ出すことはついぞできなかった。


 だから代わりに、


「もういいだろ」


 いい加減、自分の部屋に女子。しかも年下の、口は悪いが顔は可愛い後輩が居ることに心地悪さを覚えて話を切り上ようとした。


「先輩最低ですね、乙女が今にも泣きだしそうなのに」

「自分のことを乙女とか言う奴は大抵のことじゃ泣かないから大丈夫だ」

「なんなんですかそれ、先輩の癖に偉そうに」


 そう言う百合だが、爪を噛み、何かを考えるように眉をひそませていた。


 そして、艶やかなピンクの唇がマニキュアの塗られた長い爪から離れて一度閉じられる。


「じゃあ――」


 その後、少し間を置いてから舌で上唇を舐め、十分に潤ったその口が開いたときにはすでに俺にとって最も都合の悪い一手が投じられていた。


色識いろしき先輩は?」

「・・・・・・ッ」


 どうして百合の口から色識さんの名前が出てくるのか。どうしてこのタイミングで色識さんの名前が出てくるのか。その二つの疑問が頭の中を駆け回り、ようやく喉を通った俺の言葉。


「な、なにが」


 自分でも分かるほどに動揺していた。


「先輩、前に駅前で色識先輩と歩いてましたよね? すっごい仲良さげに」


 駅前と言うと、おそらくアニメイキングの一件の後だ。


 百合は俺の様子を面白がるように見つめ、小悪魔のような笑みを浮かべながら距離を詰めてくる。


「好き、なんじゃないですか? 色識先輩のこと」


 こいつもか・・・・・・。どいつもこいつも。


「違う。そもそも俺達はもう」

「別れたんですよね?」


 俺が発しようとした言葉を先回りされてしまい。俺の口はただ開いただけになってしまった。


「知ってますよそんなこと。調べましたから」

「調べた?」

「えぇ。柚子先輩に近づく不埒者がどんな輩なのかと思って」


 そう言って百合は思い出すように視線を上に向けて、


「別れ方が自然消滅ってことも当然知ってます」

「そこまで知っているなら分かるだろ。俺は別に色識さんのことは」

「好きじゃない?」

「・・・・・あぁ」


 またもや先回りで言われてしまう。妖艶に笑う百合はまるで俺の心を見透かしているようだった。


「はぁ、先輩。いい加減それ、やめたほうがいいですよ。見ててイライラするんで」

「やめるもなにもこれが本心だ。もし俺が仮に色識さんのことが好きであるのだとしたら、別れてなんていない」

「あー違う。違う違う違いますよ先輩」


 百合は呆れたように首を横に振る。


「確かに両手に華状態の今を維持したいのは分かります。さぞいい気分でしょうね。ですけどね先輩。いい加減、どっちか選んだほうがいいですよ」

「選ぶ権利も根拠も俺にはない。そういう色恋沙汰はうんざりなんだ。そんなに恋愛が好きなら自作の物語でも書いてネットに投稿でもしてるんだな」


 百合も呆れているが、俺だってほとほと呆れ果てている。そもそも人の感情を根掘り葉掘り聞きまわり、挙句の果てに思い通りの返答が得られないからと言ってねつ造するのはあまりにも自分勝手すぎる。


 俺が好きではないと言ったら好きではない。感情なんて所詮本人しか知り得ないのだから、それについて憶測や考察を重ねるのはあまりにも滑稽。だから言うのだ。恋愛などくだらないと。


「もしかして先輩、気づいてないんですか?」

「何がだ」

「先輩、色識先輩といる時」


 百合は勿体ぶるように少し間を開けて、


「笑ってましたよ?」


 ――俺が・・・・・・笑ってた? 


 バカを言え。別にあの日、面白いことなど一つもなかった。笑う理由など見当たらない。


 だが、笑顔というのは難解で、仕組の未だ解明されていない人間の最も複雑な表情であることは俺は知っている。


 ならばもし、俺が本当に笑っていたのだとしたら。それは・・・・・・なんのための笑顔だ? 愛想笑いならまだいい。もしも俺が、俺の知らないなにかを隠すため、誤魔化すために『仮面』を被ったのだとしたら。


 視界がぐにゃりと歪む。チリチリと悪い電波のようなものが俺の脳内に流れ込み汚染されていく感覚に陥る。俺が誰かと居る映像が俯瞰で表示される。まるで人間みたいに、言葉を交わしてお互いを認識しあって。関わり合って。


 そんな俺の顔は、まるで赤子がクレヨンで塗り潰したかのようにひどく黒に塗れていた。


「先輩?」

「あ、あぁ」 


 百合の言葉でふと我に返る。


「そもそも、そんなの百合には関係ないだろう」

「ありますよ!」


 話を終わらせようとした俺だったが、食い気味に言う百合に阻害されてしまう。


「だって考えてみてください? 先輩と色識先輩がくっつけば、私と柚子先輩がくっつける。誰も損しない、みんながハッピーになれる最高のエンドじゃないですか!」

「はぁ・・・・・・」


 蓋を開けてみればこの有様である。結局百合は自分の都合しか考えておらず、自分の利益になる話を持ち出しただけだったのだ。


 だが俺は、別にそういうのは嫌いじゃない。むしろ人間らしくて好感が持てる。何の意味もなくただただ親切にしてくる変りものに比べたらな。


「そしたらぁ、まぁダブルデートくらいはしてあげてもいいですよ? 色識先輩、意外に隠れ美人だし。私達美少女三人が歩けば道行く人の視線も釘付けってもんですよ。あ、先輩は五メートルほど離れてもらいますけど」

「妄想は自分の家でやれ」

「妄想じゃないですよ! 先輩が協力してくれれば私と柚子先輩の未来はウハウハなんですよ! だから早く色識先輩とくっついてください! そうすれば私の邪魔者はいなくなるんですから!」

「誰も邪魔しないから、明日にでも楠木に話してこい。応援してるよ。じゃあな」


 このままじゃ埒が明かない。もう本来の目的も果たしたわけだし百合にはそろそろ退散してもらおうと俺は腰を上げた。


「先輩のくせに余裕ぶらないでください。その顔ほんと気味悪いんで。もっと陰キャらしくキョドってくださいよ」

「へいへい」


 後輩とは思えない百合の高慢ちきな言葉は全て聞き流して家を出るように催促する。


「あぁ、もう。分かりましたから触らないでください。菌が移ります」


 そう言って百合は置いてあったキーホルダーだらけのスクールバッグを担いだ。かと思うと、再び座り込んで窓際のリナリアを覗き込んだ。


「ねぇ、先輩」

「・・・・・・んだよ」


 ちょっと真面目なトーンの百合に、俺は怪訝に思いながら不愛想な相槌を打つ。


「枝、めっちゃ伸びてますよ。切らないんですか?」

「あ? あぁ、切り方も分からんしな。別にそのままでも大丈夫だろ」


 いきなりなんだと思ったが、百合はただ伸びきった枝が気になっていただけのようだ。


 楠木に貰った鉢は三十センチほどで、順調に成長を続けるリナリアは横に枝を広げてしまって鉢から飛び出してしまっていた。


「そうですかね」

「なんだよ」


 リナリアの方を向いているため百合の表情は見えないが、小さく丸まった背中は何か言いたげに見えた。


「確かに、今はまだ切らなくても大丈夫かもしれないです。切るのってなんか可哀そうですし、失敗するのも怖いですよね」

「そうだな」

「でも――」


 百合の担いだスクールバッグ。それについた、黄色い果物のキーホルダーが、鈴を鳴らして揺れる。まつ毛の長い、薄いアイシャドウが塗られた猫のような視線が俺を射貫く。


「放っておくと伸びて伸びて、いつか自重に耐え切れなくなって。一人でにポッキリ折れちゃいますよ」

「・・・・・・」


 言葉を発した後。百合の視線は俺の目から一向に離れようとしない。


 近くを通る電車の音だけが部屋に響き、その音はいつもよりも長く感じた。やがてさっていく電車の音。遅れて鳴りやむ線路の信号音。


 別に百合は大したことは言っていない。ただ植物を育てる上でのアドバイスをしただけだ。それは分かっている。だがどうしてか、妙に重苦しいこの空気に俺は言葉を発すことが出来ずただただ立ち尽くしてしまっていた。


 チリンと、もう一度鈴が鳴る。


「さてと、そろそろ帰りますか。こんなところ長居したら変な病気になるんで」

「ああ」


 百合はそのままスタスタと出口へと向かっていった。俺もその後を付いて行く。


「そんじゃ、お邪魔しました」

「気を付けて帰れよ」

「なんですかそれ、心配してくれてんですか? でも似合ってないんでやめたほうがいいですよ。それ仏頂面で言うセリフじゃないんで」

「じゃあとっとと帰れ」

「あー合う」


 百合はケラケラとギャルのお手本のように下品に嗤う。


「じゃあ先輩、色識先輩の件、よろしく」

「気が向いたらな」


 俺が返事をするころにはすでに百合は錆びた階段の音を鳴らしながら降っていた。


 それを見送って俺は扉を閉めた。


「なんだったんだ」


 最後の百合の、あの言葉。


『放っておくと伸びて伸びて、いつか自重に耐え切れなくなって。一人でにポッキリ折れちゃいますよ』


 ただの助言。花を育てる際の知識。そのはずなのだが、その言葉は俺の胸にいつまでも引っかかり、扉を閉めた手はドアノブを掴んだまま動いてくれなかった。


「まぁいいか」


 しかし、今の俺には百合の言葉は理解できるものではなく、その日は結局リナリアに水だけやっていつもどおり。普段通りの当たり障りのない世話だけして床についた。


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