第21話 生意気な後輩
最近、あることに気付いた。
人はよく笑う。
例えば何か言葉を発した後、その発言に他の意味を付随させるため笑う。誰かの言葉に対して、返答の代わりに笑うこともある。気まずい雰囲気になった時や言葉に詰まった時に笑うケースも見たことがある。
笑顔というのは何か楽しい時や面白いことがあった時にするものだと思っていたのだが、実はそうではないらしい。
しかも笑顔には様々な種類があって本当に面白い時に使うもの、困った時に使うものや照れた時に使うものがある。そして最も頻度の多い笑顔が、『仮面』の笑顔だ。
使う場面は、よく分からない。本当によく分からない、そこで笑う必要があるのかという場面で人は突然『仮面』を被るのだ。その『仮面』は非常にクオリティが高くて本当の素顔と全く見分けがつかない。だが、ごく稀に分かるときがあるのだ。洗練された造形の『仮面』が一瞬だけ、ぐにゃりと気味悪く歪む時が。
それを悪いとは思わない。何故なら人間は本音と建前を使い分けて生きる賢い生物だからだ。しかもそのことを人間の大半は相互理解しつつ、暗黙の了解として合法的に『仮面』を被っている。
俺が悪く言いたいのは、このどれでもない不可解な笑顔があることなのだ。いや、具体的に言うと、それは笑顔ではない。口角は上がらないし目も細めていない。だが顔は無表情というわけではなくこちらを見るその視線には多分俺の知らない『感情』が含まれている。そしてこの顔をした後、必ずと言っていいほど『仮面』を被るのだ。まるでその『感情』を誤魔化すように。
あれだけは分からない。一体何なのだろう。一体、俺にどんな『感情』を抱き、何を伝えたがっているのだろう。
彼女は俺に何を――。
いや、いいか。
笑顔の使い方を知らない俺に人の笑顔を非難する資格などない。不愛想に不器用に、不寛容に生きている俺なんかに。
まぁ、そんな俺でも。
「ちょっと先輩、なにぼーっとしてんですか。もたもたしてないで早く鍵開けてくださいよ」
こうしてあからさまに敵意を剥き出しにして常にむすっとしているはた迷惑な輩に比べたらよっぽどマシな部類だ。
「なんですか? その顔。悪いのは先輩なんすからさっさとしてください。こんなオンボロアパートの廊下に突っ立ってんのマジで恥ずいんですけど」
「わかったよ・・・・・・」
腕を組んでこちらを睨みつける俺の二回りほど小さい茶髪のロングボブ。腰に上着をこれ見よがしに巻いていて腕にはブレスレッドを付けている。どこぞの花屋のギャルのような服装をしたそいつはくるりと内側に巻いた髪を指で弄って偉そうに言う。
「てか先輩、マジで一人暮らしなんですね。まさかこの家に柚子先輩のこと連れ込んだリしてませんよね」
「するわけないだろ」
「ふぅん。そうですか。ま、してたらただじゃ済まさないですけどね」
そのチビギャルこと鬼灯百合は鋭い眼光を俺にこれでもかというくらいに向けている。そんな人を殺すような視線に若干ビビリながらも俺は部屋の鍵を開けた。
「あのな鬼灯」
「その呼び方やめてくださいって言いましたよね。名前で呼んでください」
「わかったよ、あのな百合」
「うわ先輩に名前で呼ばれると鳥肌立ちますね。やっぱ名前もやめてください私のこと呼ばないでください」
心底嫌そうに腕を擦る百合に俺は若干の苛立ちを覚えつつ言ってやる。
「言っとくが、中見るだけからな。それが済んだらさっさと帰れよ」
「こっちだって先輩の家に長居なんてするつもりありませんよ。なに、もしかして期待しちゃってんですか? もしそうなら勘違いも甚だしいですね。私はあくまで取り調べに来てんですから」
「さいですか」
開けた扉の取っ手に「うわ錆びてるし」と悪態をつく失礼な後輩は、遠慮もなしに俺よりも先にずけずけと家の中へと入っていった。
「はぁ・・・・・・」
どうしてこんなことになったのかというのは数時間前まで遡ることになる。
今日の授業も、いつもと変わらず何一つ頭に入ってこないまま一日が終わった。多分、今後の人生に役に立つ授業というのは小学生辺りで終わりなのではないだろうか。別に頭のいい大学に行きたいわけでもなく学歴を積んで優良な企業に就きたいわけでもないので高校ではもはや英語くらいしか実用的なものがないように思える。つまり、俺は現在進行形のダメ人間ということだ。
じゃあね。バイバイ。とクラスメイト達が互いに挨拶を交わして教室を出て行く。
それに便乗して俺も人の群れに紛れて帰ることにした。
「また明日ね」
人込みの中、確かに俺の耳元で囁かれた声があった。その後、俺の目の前を黄色の髪が通っていく。
「あぁ」
多分俺の声は聞こえていないんだろうが、楠木は大して気にも留めた様子もないまま一方的に俺に挨拶をして人込みの向こうへと消えていった。
楠木の家に行ってから、一週間ほど経った。楠木は相変わらずこうしてこっそり挨拶をしくるし昼飯も毎日一緒に食べている。色識さんとは一度だけ一緒に帰ったが、いまだに俺は気持ちを整理できないでいた。
いい感じ、と楠木は言うが。一度別れた俺達だ。なんとなく気負う部分もある。
LIMEのほうも色識さんのあのメッセージで止まっているしあっちも気を使っているののかもしれない。
とりあえず今日は何もないので真っすぐ帰ろう。色識さんは図書委員の仕事があるみたいだし、楠木は友達らしきギャルとさっき帰っていったし。
・・・・・・って、これじゃまるで友達だ。別に一人で帰ることくらいどうってことない。寂しいなんてあるわけがない。
俺は自分に纏わりつく迷惑で前向きな要らない思考を振り払って校門を抜けようとした。
「あ?」
目が合った。いや、目なんてもんじゃない。体全体を使って、俺に用があるとそこに立っている小さい女子生徒は主張していた。
念のため後ろを見てみるが、誰もいない。標的は俺で決まりのようだ。
「佐保山先輩、ですよね」
低いようで高い。高い声が無理にドスを利かせているようなそんな声。近くに寄ると思った以上に身長差のあるその女子生徒を見下ろして俺は、
「人違いですね」
そう言ってそそくさと帰ろうとした。
「は? ちょ、ちょっと! 待ってくださいよ!」
むんずと鞄を掴まれ進行を妨げられた。
「何が人違いですか。そのやる気のなさそうな顔は佐保山先輩に違いないです」
じゃあ何故確認したのか。あとさらっとひどいことを言うな。それが事実であったとしても。
「何か用か?」
「何も用がないのに先輩に話しかける人なんていませんよ。用があるから仕方なく声をかけたんすよ」
その女子生徒は辛辣なことを当たり前のように言ってのけた。
はぁ、と怠そうに息をついて、話を切り出す。
「先輩、先週柚子先輩の家行きましたよね」
「はあ?」
思いもよらぬ内容に素で「はあ?」と言ってしまった。人によっては威圧とも取れる俺の言葉に意を介した様子もなくそいつは話を続ける。
「単刀直入に言います。先輩、柚子先輩のなんなんですか?」
「クラスメイトだが」
「嘘ですよね。だってあの日、店閉まってたのに入っていったし、その後柚子先輩の部屋に人影が二つあるし、電気が消えたかと思ったらなんかいい匂いがして、その三十分くらいあとに家から出てきて。絶ッ対、柚子先輩の家でご飯ご馳走になってましたよね」
張り込みでもしてたのか? 一字一句大当たりだ。
「それがなんだと言うんだストーカー」
「ストーカーじゃないです」
「じゃあなんだよ」
俺がそう言うと女子生徒はポケットから生徒手帳を取り出して俺に見せてきた。別に名前を聞きたかったわけでもないのだが。それにわざわざ生徒手帳を見せなくても口頭で伝えればいいのでは。
「わざわざ口を動かす労力が勿体ないんですよ」
「そうか」
息をするように悪態をついてくるそいつを適当にスルーして目の前に突き出された生徒手帳に目を通した。
『鬼灯 百合』
「鬼灯」
珍しい苗字だな、とつい口に出してしまった。
「殺しますよ」
そしていきなり殺害予告をされてしまった。
「てかなんで先輩の癖に読めてんすかこんな難しい漢字。気色悪いからやめてください」
鬼灯。確か赤くて提灯みたいな花だった気がする。前に楠木の家。もとい花屋スワローで一度見て中々インパクトのある名前と見た目だったので未だに覚えていた。ていうか気色悪いってなんだよ。
「ところで鬼灯」
「苗字で呼ばないでください。埋めますよ」
どうも鬼灯という苗字が気になるらしい。まぁ女の子らしくはないしちょっとしたコンプレックスなのかもしれない。
「まぁ確かに百合が言ってることは当たってるが、それがどうしたんだ」
「やっぱり・・・・・・!」
華奢な肩をぷるぷると震わせる百合。
「確かに柚子先輩は超オシャレで髪も綺麗で肌もつやつやで声も可愛くってスタイルもいいしすれ違うとなんかいい匂いするし、誰にでも優しくするから勘違いしちゃう気持ちも分かりますけど。それ、本当にただの勘違いですから柚子先輩には今後一切近づかないでください」
「いや、別に俺は」
「なんですか? 柚子先輩の家にまで押しかけておいて、なんか言い訳でもあるんですか?」
「あれは押しかけたんじゃなくて、楠木に呼ばれたんだよ。渡したいものがあるからウチに来てくれって」
そう説明すると、百合は心底呆れたという様子で溜め息をつき、
「先輩、嘘が下手ですね。柚子先輩が渡したいもの? そんなのあるわけないじゃないですか。ま、私はこの前チョコ貰いましたけどね」
ふん、と何故か張り合う百合だった。あ、そうですか。
「まぁ、ただの友チョコだったんですけど・・・・・・」
そして今度は落ち込む百合。コロコロと表情が変わって面白い。
「ってそんなことより。どうなんすか。まさかホントになんか貰ったなんて言うんじゃないっすよね」
「花」
俺のその言葉に百合は首を傾げた。
「だから花、貰ったんだよ楠木に」
「はぁ~?」
よほど驚いたのかドスを利かせたような声ではなく、幼い子供のような高い声だった。多分、こっちが素の声なんだろう。と、冷静に分析してると、
「先輩、いい加減にしてくださいよ。私、先輩の下等な一人漫才に付き合うほど暇人じゃないんで」
「本当だってのに」
「だって、え? 花っすか? 私ですら・・・・・・ううん、まだ誰も貰ったことなんてないはずなのに・・・・・・」
「そうなのか? 別にくれって言えばくれるだろ」
楠木のことだから余った花は友達にばら撒いたりしてるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「・・・・・・す」
「え?」
「嘘です! そんなの絶対! 嘘です!」
そんなにムキにならなくても・・・・・・。
「先輩の家って、どこですか」
「商店街抜けたとこだけど」
「じゃあ、今から行きます」
そういう百合だが、顔にはハッキリ「先輩の家とか死んでも行きたくないです」と書いてあった。
「親御さんに迷惑がかかるなら、今日はやめておきますけど」
なんだかんだで最低限のモラルは持っているらしい。
「俺は一人暮らしだから別に来るぐらいなら構わないが・・・・・・」
だが、女子を家に連れ込むというのはどうにも気が引ける。それこそ誰かの目に留まって噂でも立てられようものならただでさえ過ごしにくい学校生活がほぼほぼ崩壊してしまう。
「決まりですね」
そんなことを思っている間にも勝手に決定してしまっていた。ギャルという生き物はどうしてこうも好き勝手に話を進めるのか。
「絶対、先輩が花貰ったなんて嘘ですから。ありえないですから」
どうやら俺の家まで来て本当に花があるか確かめに来るらしい。そんなに俺が楠木から花を貰ったのが気にくわないのか。
「なに突っ立ってんですか。早く行きましょうよ。あ、別に私は先輩の家とか死んでも行きたくないですけど。仕方なくですから」
「わざわざ言わなくてもさっき顔に書いてあったぞ」
「無断で私の顔見ないでくれますか。気味が悪いです。石になります」
軽口を叩くとそれが何倍にもなって跳ね返ってくることが分かったので俺はもう百合がいないものだと思って無言で帰路につくことにした。




