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9話

 次の日、メグミを呼びだして居酒屋に行く。カイくんに言われた事をそのまま報告すると、

「うん。いいじゃん。一緒に住めば?」とあっさり。

「でもどうなのかな、これって。ずるずる流れに任せてる感じが、なんか好きじゃない。どこかで一度、きっちり線引きしたいよ」

「真面目なの? それとも融通がきかないの?」

 メグミは笑って焼酎のお湯割りを飲み干した。

「違うか。はっきり聞きたいんでしょ、カイくんの気持ち。でもね、一緒に暮らそうって言葉で察してあげて。付き合い長いからわかるけど、あの子は好きとかそういうの、恥ずかしくて言えないタイプだと思うよ」

「……うん」

 メグミの言う通り、線を引きたいというのは建前で、私は単に彼の気持ちを確認したいだけなのかも。

 カイくんがどういう意味で発した言葉なのか。一緒に暮らすその先に、結婚があるなら――まだそこに踏み込む勇気はない。

「終わってないのに、始められないよね」

 虎ちゃんに会わなきゃ。まずはそれからだ。

「それにしても、ようやく言えたんだね。カイくんってそういうとこ、本当に不器用なんだなあ」

 やれやれとメグミは笑う。

「気づいてたの?」

「んー。前から怪しいとは思ってたけど、確信に変わったのは和泉さんに雪路を紹介した時ね」

「あ、それ」

 同じようなことを和泉さんにも言われたんだっけ。あの時も意味がわからなかったんだけど。メグミに話すと彼女も首を捻った。

「どんな会話だったか、思い出せない? 確か、紹介するよってカイくんが言って」

「そう。同居人の桐沢雪路って。それから和泉さんがへえって驚いた。雪路が初めましてってお辞儀をして、また和泉さんがドストライクって。あれは雪路が、カイくんのタイプって意味に受け取ったんだけど」

「私もそうかなって思った。でもね、和泉さんはカイくんのタイプを知らない筈なの。前の彼女に会わせてくれなかったって、和泉さんが言ってたから」

「んん?」

 メグミがまた首を捻る。

「私の印象は、俺の彼女だよって和泉さんに紹介したって感じなんだけど。でも和泉さんの方はそうじゃなくて、自分に女を紹介したと思った訳?」

「どっちなんだろ……カイくんは私の事、どう思ってるのかな」

 急に不安になってきた。セフレとして一緒に暮らすって意味なら、早めに気持ちの整理を付けなきゃならない。

「ていうか、雪路こそどうなのよ。カイくんの事、好きなんでしょ? なのに一緒に住むのを渋ってるなんて誤解されちゃうよ」

「好きだけど、付き合うってなると二の足を踏む感じなの。虎ちゃんの事をちゃんと終わらせて、それからまた考える」

 やっぱり虎ちゃんに会おう。そして物件も本気で探さなきゃ。


 それから数日後、やっと捕まえた虎ちゃんとホテルのラウンジで会う。

 ミルクティーを頼んで庭を見ていたら、虎ちゃんはジャケット姿で現れた。

「久しぶり。今日は普通の恰好だろ?」

 そう言って微笑む。離婚話をするというのに、なんでそんなに平和そうな顔が出来るのか。

「虎ちゃん、お願い」

 私は頭を下げる。

「そろそろ本当に決心してよ。これ以上延ばしても、結果は変わらないんだよ」

「わかってる。ごめんね」

 自分でも呆れてるんだと、彼は苦笑いを浮かべた。

「雪路の事、どうしても諦められないんだ。出来ればこのまま、紙の上だけでもいいから繋がっていたくて」

 ウェイトレスが近づいて、飲み物をテーブルに置いていく。一旦落ち着いてから、正直に話すねと前置きする。

「好きな人が出来たの。それでもう、一緒に住んでるの」

 ショックを受けるかなと思って顔を見る。でも虎ちゃんは笑ったままだ。

「嘘だよね」

「本当だよ」

「じゃあ会わせて」

 虎ちゃんはようやく真顔になった。

「その人をここに連れてきてよ。そしたら諦めて区役所に行くから」

「そんなの無理よ。彼だって仕事してるし」

 いつもの虎ちゃんとは思えない言い方に、少し戸惑う。そういえば七年間も一緒にいて、一度も喧嘩した事なかったんだっけ。

 どちらかが、ううん、きっとどちらもわがままを言わなかったんだ。

「あれ? 雪ちゃん?」

 その声に顔を上げると、微笑んでこっちを見る和泉さんがいた。

「ごめん。声掛けちゃまずい感じ?」

「和泉秀勝?」

 虎ちゃんが驚く。そうだ。この人って有名だったんだ。

「雪路の彼氏ってまさか」

「違うって」

 なるべく小声を出したつもりだった。変に目立って和泉さんに迷惑は掛けられない。でも虎ちゃんは立ち上がった。

「雪路は俺の妻です」

「ああ、そうなんですね」

 何かを察したようで、良かったら部屋で話しませんかと言って二人で歩き出した。私も慌てて付いて行く。

 エレベーター前で和泉さんは振り返り、

「雪ちゃんはロビーで待ってて」と笑顔で肩に手を置いた。

「でも……」

「こういうのは二人がいいんだ。男同士で話してくるよ」

 ウインクをしてエレベーターに乗った。虎ちゃんは黙ったまま、彼に付いて行く。それから数十分が経ち、ようやく虎ちゃんがロビーに現れた。

「待たせてごめんね。ちゃんとけじめを付けるよ。今から一緒に区役所へ行こう」

「え? 和泉さんは?」

「仕事があるって、先に帰った」

 虎ちゃんに背中を押され、私は歩き出す。そして本当に区役所に行き、離婚届を出した。

 帰り際、虎ちゃんは私に軽くキスをした。

「今までありがとう。雪路と一緒にいた時間は、俺の宝物だよ」

 にっこり笑って握手を求めた。その手を強く握って、私もお礼を言う。

 彼と別れた後、すぐに和泉さんに電話を掛けた。でも繋がらなかったのでメールでお礼をする。まだ実感が湧かないけど、ようやく前に一歩進んだのだ。和泉さんは虎ちゃんに、どんな魔法を掛けたんだろう。そこがすごく気になった。


 その数日後、私は和泉さんのマンションにいた。

「それにしても雪ちゃんのだんなさん、いい男だったね」

 私が持ってきたカヌレを食べて、彼は満足そうに微笑んだ。午後三時、テーブルの上にはティーセットが置かれている。有名なブランドの食器、背の低い花瓶と三段トレイに乗ったスコーン。イギリス風アフタヌーンティーの時間は、虎ちゃんママも大好きだったっけ。

「一発ぐらいは殴られるかなって思ってたのに、部屋に入ったら丁寧に頭を下げて、雪路をどうぞよろしくお願いしますって男泣き。あれには感動したよ」

 まさか。あの後、そんな事があったとは。

「和泉さんは何をお話されたんですか?」

「一通りは話したよ。俺と雪ちゃんの関係と平助の事。早速本屋に行って、平助の本を買うって仰ってた」

「そうですか」

 紅茶を一口飲んだけど、何の味もしない。本当はとても美味しい紅茶なんだろう。でも涙が勝手にぽろぽろ流れて、私は両手で顔を覆った。

「とてもいいご夫婦だね」

「ごめんなさい。和泉さんを巻き込んでしまって」

 ハンカチで涙を拭い、もう一度紅茶を飲む。

「大好きでした。もし子供が無事に生まれていたら、一生そばにいたんでしょうね」

 和泉さんは真顔になり、よく知らないけどさと前置きして、

「自分たちの子供がどうしても欲しかったら代理母とか、もしくは子供だけ必要なら養子とか、色々な方法があるでしょう? 代理母の案は病院の経営をなさってるから、倫理的に受け付けないとかあるかもしれない。でも養子なら良くない? そういう話し合いを、ちゃんと家族でする機会を設けなかったのが、今の結果に繋がってるよね」

「言葉にする前に、察しなさい。そういう事だったと思います。虎ちゃんはご両親の期待に添いたいと思う優しい人だから」

「でもそれって、雪ちゃんには優しくない」

「……はい」

 虎ちゃんの選んだ答えは間違っていない。そう思う反面、私は傷ついた。そして悲しかった。

「ところで、平助の家はいつ出るの?」

「来週の日曜です。カイくんにも手伝ってもらうので、彼が休みの日にしました」

「ふうん。解せないな」

 スコーンを手に取ってジャムを塗りながら、気のない顔でテーブルを見つめている。

「何がですか?」

「平助を振った事に決まってる。あんなに一途な男を振るなんて、本当に雪ちゃんは謎だらけだよ」

 振ってません。そう言おうとして口をつぐむ。ただもうしばらくは、誰かと付き合う事をしたくないだけだ。

「おまけに俺からの誘いも断るなんて」

「有り得ないでしょう? 和泉さんはカイくんのご友人です。しかも私の雇い主ですよ」

「君が望むなら、結婚しても良かったのに」

 軽口だろうと踏んで、私はにっこりと微笑む。少しずつだけど、和泉さんの事がわかってきた。彼は誰よりもきっと、カイくんの事が大好きなのだ。もちろん、友人として。

「そうやって試すのは、もう止めてくださいね。和泉さんが私に好意がない事、わかってますから」

「それは違うなあ。好意は持ってるよ、平助が好きな人を、嫌いになる訳ないし」

 彼はにやっと笑って、

「それはそうと、平助から連絡あったよ。いい女を紹介しろって」

「それ絶対に嘘です」

「まあ今のはね。でもわかんないぜ。雪ちゃんが出て行ったら、すぐに女を連れ込むんじゃないかな。あいつって元はそういう奴だもん。彼女いない時期はかなり遊んでたし」

「そんな風に揺さぶるのも、止めてください」

 冷静になろうと思って、また紅茶を飲む。テーブルの上にある花の匂いがきついせいか、少し気分が悪い。

「それじゃあ最後に一言だけ」

 もう一度、平助の本を読んでごらん。

 澄ました顔で和泉さんは紅茶を飲んだ。私の事を謎だと言うけど、あなたの方がよっぽど意味不明なのでは。


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