表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

戯れ

 初音が秀麗な顔に見とれているうちに、章継はにやりと口の端を歪めた。


「それでこそ、いじめ甲斐がある」


 冗談か本気かわからない発言にぎょっとする。


「っいい加減、手をどけてください」

「警戒してるのか。うん、賢いな」


 話をそらそうとするけれど、章継はまったく反省する様子がない。力強く髪をかき混ぜられて、初音の首はぐらぐらと前後に振られた。


「もう、子供扱いはやめてくださいっ」


 唇をとがらせ、上背のある章継を見上げる。きっとまだ笑っているのだろうと思ったが、目が合った彼のまなざしが思いの外真剣で、初音は小さく息を呑んだ。


「子供扱いをやめれば、困るのはお前だぞ」


 頭上に置かれた手が後頭部にまわり、あっという間に首の後ろを引き寄せられる。


「戦帰りの男とふたりきりなんて、危険だと思わないか」


 低く艶やかな声で囁かれ、初音はびくりと背中を揺らした。


(や、なんて……っ?)


 逃れようとして身じろぐけれど、いつの間にか腰に腕を回されていてかなわない。ふう、と温かい息が耳元にかかる。


「っ、ゃ……!」


 初音が身体を硬直させていると、章継はおかしそうに笑った。


「抵抗しないってことは、同意と見なすぞ」


 余裕めいた口調で耳に直接囁き込まれ、心拍が上がっていく。しなやかな指先にうなじを撫でられて、くすぐったさだけではない刺激に腰が砕けそうになった。


「ほら、俺が誘惑してやっているんだから、何か言ったらどうだ」


 尊大な物言いに屈しそうになる自分自身を叱咤して、やっとの思いで腕を持ち上げた。


「いやっ……!」


 手を突っ張って、章継を背後へ押しのける。章継は振りほどかれた手を宙に浮かせたまま、目を丸くして初音を見た。彼の腕から逃れられてほっとしたのもつかの間、今の行動の結果に思い当たり、初音は不安に駆られた。


(怒った、かな)


 これまでの相手の不遜な言動を振り返り、次に何をされるかと固唾を飲んで待つ。嫌味を言われたり、怒鳴られるくらいならまだいい。力づくでこられたら、勝ち目はない。


「……ふ」


 章継の口からかすかな吐息が漏れる。次の動きを見逃すまいと、初音は目を大きく見開いた。肩に力が入る。しかし、章継はこらえきれないというように笑い声を漏らした。初音は混乱しきりだ。


「そうか、嫌だったか」


 ひとしきり笑い終え、ようやく言葉を発した章継の表情は、予想に反して穏やかだった。


「そんな必死な顔をされるとはな。怖がらせて悪かった」


 謝られて、かえって恐縮する。


「いえ……その、私も過剰な反応をしてしまってごめんなさい」

「ああ、まさか振りほどかれるとは思わなかった」

「すっかり振られてしまったな」


 自嘲と言うにはあまりに軽く、どこか他人事のような口ぶりだ。真意がわからず、呆然としてしまう。初音の視線に気づいたのだろう、章継は彼女の方を一瞥してひょいと片眉を上げた。


「どうした」

「……怒ってないんですか?」


 おそるおそる尋ねると、彼はどうして、と首を傾げた。


「今のは驚かせた俺が悪い。お前こそ、怒ってもいいんじゃないか」

「私は……」


 不思議なことに、怒りは感じていなかった。彼があまりに自由だから、困惑はしているけれど。なんと答えていいかわからなくて、考え込む。


「嫌なことは嫌と言っていい。ちゃんと意思表示をする人間の方が、信用できる」

「そういうものですか?」

「そうだ。それに、簡単に思い通りになるよりも多少抵抗された方が楽しい」


 にやりと人の悪い笑みを向けられ、頭の中に警鐘が鳴り響く。


「私、そろそろ失礼しますっ」


 初音は勢いよく頭を下げると、一目散に逃げ出した。呼び止める間もなく、どんどん小さくなる背中を見つめ、章継は独りごちた。


「結局どこの誰だか聞けなかった」


 その口元はゆるく持ち上がっている。


「まあいい。屋敷で生活しているのなら、そのうち会うこともあるだろう」


 初音が消えていった方向をちらりと一瞥して、踵を返す。章継は足取りも軽くその場を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ