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5章『セピアの父、モノクロの上司』 その2

 誰もが今の状況を異常と思わなかったのは、決して五人が揃って空腹状態だったためではない。


「では」

「いただきます」


 全員が声を合わせて唱え、五人の少し遅い夕食が始まった。

 序列も何もなく、それぞれ自由に手を伸ばし、ぐるりと海苔が巻かれた三角形のおにぎりを掴んで口に運ぶ。

 この時ばかりはグリも、赤里に絡んだりはせず、手と口を黙々と動かし続けている。

 赤里は梅干し、グリは高菜、青依はサバ、翠佳は昆布、茶禅は鰹の具がそれぞれ入っていた。


「どうだ、味は」

「懐かしい味がします。子どもの時を思い出しました」


 翠佳が、口元を隠して感想を述べる。


「茶禅さんの作ってくれる食事、最近は全然食べる機会がなかったからな」

「デカくなってからは自然と無くなっちまったもんなあ。ガキの頃は俺らと茶禅さんでたまに出かけたりしたっけ。で、こうやって昼飯食ったよな」

「ああ、端数になったおかずをよく取り合ったもんだ」

「ほんと、あんたたちって当時からバカだったわね」


 三人は、幼い頃に茶禅が訓練の合間、色々な場所へ連れていってくれたことを思い出していた。

 遊園地、自然公園、動物園……一般的な児童が家族や学校で行くような場所へは一通り足を運んだ。

 年齢が二桁に達した頃には自然とそのような機会もなくなったが、温かな思い出として、未だ三人の胸には大切な記憶として刻み込まれたままであった。


「これはまた、懐かしい話を持ち出してくれる」


 茶禅が目を閉じているのは、鮮明に過去の映像を描くためだろうか。


「うっ……梅干しってこんなに酸っぱいのね」


 唯一共通の思い出がないグリだったが、別段疎外感もなく、マイペースに二個目のおにぎりをぱくつきながら、時折言葉を挟む。


「あなたたちにとって茶禅さんは、いい父親役だったのね。羨ましいわ」

「羨ましい?」


 翠佳は、聞いていいものか少し迷ったが、話から置いてけぼりにしすぎるのも何だと思い、グリに水を向ける。


「私には特にそういう存在がいなかったから。これは多分あなたたちも似たようなものでしょうけど、実の両親も難ありだったし。……あ、別に同情はいらないわ。今は幸せだから、過去がどうであろうと関係ないの」


 グリは涼しい顔で言い、茶を一啜りした。


「そう……私が余計なことを言う余地はなさそうね」

「聡くて助かるわ」


 女二人のやり取りを、茶禅は無言で見澄ましていた。


「青依、食べるのは一回につき一種類だけにしろ。赤里も、噛む回数が足りないぞ」

「す、すいません」

「俺は胃腸が強いから平気です」

「口答えをするな」


 同時に、不行儀への注意も怠らない。

 叱られる大の男たちを見て、グリと翠佳がくすりと笑った。


 少々の緊張感はあったものの、各々の立場を考慮すれば異常なほど和やかな夕餉だった。

 だが、全ての食べ物が胃に収まり、温くなり始めた茶だけが残る頃合いになると、口数も減り、少しずつ空気が重くなっていく。

 五人の誰もが、この先に待つ運命を漠然とながらも予見していた。


「……お前たち三人のことは今も変わらず、息子や娘のように思っている。脱色した今となってもそれは変わらんよ、青依、翠佳」


 張り詰めた空気、沈黙を最初に破ったのは、最年長の茶禅だった。


「ありがとうございます。私たち、今でも茶禅さんには本当に感謝しています。嘘ではありません」

「ですが、謝罪はしませんよ」


 青依がきっぱりと言う。


「構わん」


 茶禅に、怒りはなかった。


「二人、いや三人で普通の家族になりたかったのだろう。こんな私とてその程度は解るつもりだ。だが、一言くらい相談してもらいたかったな」

「相談すれば何とかしてくれたんですか!?」


 青依がやにわに立ち上がり、声を荒げる。


「俺達以外にも逃げたがっていた人間はこれまで何人もいましたよね? そんな連中にあんたら組織はどんな対応をしてきました? あいつらの末路を見たら、黙って逃げるしかないじゃないですか!」

「落ち着きなさい、青依」

「だけどよ!」

「いいから。大丈夫よ。ね」


 温かく柔らかな感触に、震えるほど固く握った拳をそっと包み込まれると、青依の中で燃え盛っている怒りの炎も徐々に鎮まりだす。

 見開いた目、激しい呼吸も、筋肉の脱力と共に収まっていく。 


「…………悪い」

「ううん」


 青依がまともに話を聞ける精神状態に戻るまで、茶禅は微動だにせず待ち続けていた。


「……お前の真剣さは伝わった。私が軽率だったようだ」

「いえ、俺の方もついカッとなってしまいました。すみません」

「謝る必要はない。むしろ私の方から先に詫びておく。今から私が言うことは、更にお前たちの心を千々に乱すことになるだろう」


 コン、と小さな音が鳴る。

 グリが湯呑みを茶托に置いた音だった。


「私はお前たち三人を幼い頃に引き取り、人殺しの世界に誘った。知識や技を教えた。私を恨んでいるか。青依、翠佳」

「いえ、そのことについては全く。最終的に選んだのは自分ですから」

「私も彼と同じ考えです」


 聞かれなかった赤里は、茶禅の手首につけられている、タイガーアイの数珠を見つめていた。


「お前たちのことは、私の持ちうる全てを注いで育ててきたつもりだ。闇に堕ちぬよう、修羅になり切らぬよう……実際、お前たちは期待によく応えてくれた。現状も含めてな。お前たちの脱色を、ある意味では嬉しく思っているのが正直な所でもある」


 仕事について常に厳格だった茶禅の思わぬ言葉に、青依と翠佳は心を揺らされた。

 平常心を奪うために言っているのか。

 邪推しながらも、恩師を信じずにはいられない。


 が、茶禅はここで明言した。


「しかし同時に私は組織の人間、お前たちの上役だ。完全な父親役にはなれん。だからこそ、ボスからの命令を確実に伝達し、実行せねばならんのだ」


 あっけなく突き放された青依と翠佳は落胆の色を表したが、赤里は傷付きはしなかった。

 茶禅はよく『我が息子』と口にするが、単なる比喩でしかないことを前々からよく分かっていたからだ。


「掟に照らし合わせると、お前たち二人の脱色はまだ認められていない。ゆえに命令権は私にある。いいな」


 居住まいを正した茶禅が放つ重厚なプレッシャーに、誰も口を挟めはしなかった。


「――お前たち"四人"に命じる」


 上司の無機質な声が、部下に降りかかる。


「赤里、グリよ。明日"脱色者"青依・翠佳と決闘をしろ。生かしてはならん。必ず止めを刺せ」


 どくん、と赤里の心臓が跳ねた。


「そして、青依、翠佳よ。最後の任務だ。……赤里とグリを殺せ。この任務を果たしたならば、お前たちの"脱色"を特例として認めよう」

「そんな……!」


 三人は、顔を見合わせる。

 電光のように走る戦慄と緊張感。

 最悪のケースとして想定はできたし、そもそも元の木阿弥になっただけなのだが、こうして再度改めて近しい存在の抹殺命令を宣告されるのは、精神的なダメージが二倍どころの話ではない。

 期待させておきながら再度絶望へ落とされると辛いのは、訓練された"殺り手"も変わらないのだ。


「承服しかねます」


 そんな中、真っ先に異を唱えたのは赤里だった。

 ここまで黙して動向を観察していたが、度重なる命令の反復運動には物申さずにいられなかった。


「何故わざわざ我々を呼び戻したのですか。決着をつけるならばあの場所で済ませられたはずです。揃って食事をさせてからこのようなことを言うなんて、とんだ悪趣味のために何度命令を変更すれば……」

「拒否権は無い」


 やはり抵抗は無駄で、取り付く島もない。

 赤里は、こっそり横目で青依と翠佳を窺う。

 意外なことに、怒っている様子は感じられなかった。

 戸惑ってはいるものの、やけに落ち着いているようにも見える。

 いや、怒りがまだ追いついていないのだろう。


「……信用できるんですか」


 青依が、睨むような暗い上目遣いで茶禅を見、押し殺した声で問う。


「ボスが全権限を行使して、今後お前たちには一切関知しないし、他勢力からも干渉させない。また必要ならばあらゆる支援を行うとの約束をしている。無論、誓約書もある」


 何故ボスはそこまで自分たちにこだわるのか。

 しかも充実のアフターケアまでつけるなどと。

 まさかこれも期待を持たせるための罠では……

 黙考している青依と翠佳をよそに、赤里は突拍子もない計画を考え始めていた。


 ――この場で茶禅さんとグリを始末するのはどうだろうか。


 容易に消せる相手でないのは考えるまでもない。

 前線には立たないが、茶禅自身、戦闘においても相当な実力者なのは散々痛感している。

 訓練時代、三対一にも関わらず、何度も捻られてしまった苦い記憶が蘇る。


 しかし今は五十代も後半という高齢になり、衰えは否めない。

 対する三人は今が心技体共に最も充実している時期で、積み上げた経験値もあの時とは段違いだ。

 三人でかかれば殺害は容易だろう。恩義による精神的な鈍りを無視しても、である。

 合図をせずとも、自分が襲いかかるだけで二人は一瞬で意図を察し、追従するだろう。


 同じく強大な戦闘能力を誇るグリについても、無傷は無理だろうが、三人ならば何とかなる。


 ……だが、今回の件はボスが絡んでいる。そこが最大のネックだった。

 それに抜け目のない茶禅のこと、自分が教え子に反逆され、殺された時の対策も用意してあるだろう。


 やはり無理がある。赤里は意識の奥底へ棄却した。

 元々、あくまでも計画だけに留めるつもりで、可能と判断しても実行に移すつもりはなかったのだが。


「受け入れようぜ、青依、翠佳」


 代わりに、二人へ言い放つ。


「赤里!?」 

「俺はもう諦めたよ。無駄なことをさせられても、理不尽を強いられても、やっぱり組織には逆らえない。遅かれ早かれ、結局俺達はこうなる運命だったってことだ。いや、むしろお墨付きをもらえて安心しただろう? 俺達と戦えよ。戦って、屍を超えて逃げてみせろよ」

「あんた……」

「友達殺しぐらいできなきゃ、この先何も守っていけないぜ」

「いいこと言うわね、赤里。流石は私のパートナー。私も異存はありませんわ」


 赤里と腕を絡め、グリも承諾する。


 残る一組の方は、血の気の引いた顔で、小刻みに震えていた。

 が、どちらともなく手を握り合い、静かに深呼吸を繰り返し、怒りとも悲しみともしれない感情を統合していく。


 青依は、赤里、グリ、茶禅を順々に睨み付け、呟いた。


「……やってやるよ、クソ野郎共」

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