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中学四年生の放課後2

 クラス発表。


 それは俺達新入生にとって、高校生活最初の一大イベントである。


 今現在あの掲示板を凝視し一喜一憂している生徒達に、『人生における大切なものランキング』というものがあったのならば、『クラス発表の結果』という項目を『命』の次ぐらいにランクインさせているに違いない。自分がどのクラスで誰と同じになるか、というのはそれほど重要だということだ。


 だが俺にとってはそんなこと、『今日の昼飯』の項目よりも順位が低い。


 なので俺は新入生の群集には紛れず、少し離れた、まだ何も植えられていない花壇に、今朝卸したばかりの制服が汚れるのも気にせず腰を掛け、今日の昼飯をどうするかを考えていた。


 駅前に新しく開店したハンバーガー屋にしようか、いや、あそこはえらく込んでいると評判だ。なら近所のコンビニで何か買うか、でもあそこは品揃えが悪いし、コンビニエンスと言えるほど便利でもない。そしてそもそもお金が無い。


 思案を巡らせていると、一人の男子生徒が新入生の群集の中から抜け出し、こちらへ駆け寄ってくる姿が目に入った。


 入学初日だというのにズボンを腰付近まで下げ、ブレザーの前ボタンを全開にし、ワイシャツをさらけ出して、見事に着崩している。


 そんな格好をしている一年は、もれなく先輩方から校舎裏への招待状が届くはずなのだが、スラリと伸びた肢体、端正な容姿、大人びた雰囲気を持つコイツには一つや二つの年の違いなどあって無いようなものなので心配はいらないだろう。


 明らかに異彩を放つその男子生徒は、わき目も振らずにこちらへ近づいてくると、満面の笑みを浮かべながら開口する。


「おい( しゅん)、お前もうクラス発表見たか? 俺はもう見たぜ、ほら二組の出席番号七番『大村智宏( おおむらともひろ)』って記念に写メまで撮ってきた」


「あっそ。俺はまだ――」


 意気揚々と自らの携帯を三つ葉葵が刻まれた印籠のように掲げる大村は、その大声で俺の返答をかき消し、続ける。


「お前何組になったんだよ、言ってみろって」


 思い出した。この男は、昔からこうだった。一カ月にも及ぶ長い長い春休みのせいですっかり忘れていた。


 コイツはとにかく人の話を聞かない、というより自分の得になることしか聞かないという非常に都合の良い耳を持っている。そのせいで、他人の色恋沙汰や、トラブル、事件などに対しては人一倍の地獄耳ぶりを発揮するくせに、自分に都合の悪いことや、どうでもいいことなどはことごとく遮ってしまうのだ。そんなご都合主義の申し子がこの男、大村智宏である。


 つまり、この男にとって俺がどのクラスになろうが知ったこっちゃ無いわけで、コイツはただ自分のクラスを自慢しに来ただけのジコチュー野郎で、そんな幸運な自分に酔いしれたいナルシスト野郎だということである。春休みの一カ月ちょっとじゃ人は変わらないのだと実感する。


 ただ、その地獄耳で入手した情報で男子を釣り、その恵まれたルックスで女子を騙くらかしているために人気と人望は厚い。その証拠に、


「あの、大村君、おはよう」


 こんな風にわざわざ女子のほうから挨拶しに来るほどだ。俺だってすぐ横に座っているというのに、この女子はどうやら都合の良い眼の持ち主のようだ。


「あぁおはよう、違うクラスになっちゃったけど、高校三年間またよろしくね」


 こうやって、俺には一度も見せたことの無いさわやかスマイルを返すことだって、コイツにとっては朝飯前といったところだ。実際に朝飯を食っていないのかどうかは不問とする。


「う、うん、よろしくね!」と、頬を赤らめ走り去って行く女子。


 その背中に「君は騙されてる。この男だけはやめておきなさい」と諭してやろうとも思ったが、どうせ聞いてくれないし、聞いてくれたとしても証拠が掴めていないので今は堪える。いつかこの男の本性を白日の下へ晒し出してやろうと中学時代より画策するも、未だその成果は日の目を見ていない。


「で、何組だった? お前」


 さわやかスマイルをにやけ面へと戻し、さっきの質問を繰り返す。俺の話を聞こうとしないお前が悪い、と一蹴してやってもよかったが、俺の心はそこまで狭くは無いので、


 「まだ見てないよ」と、素直に教えてやることにする。


 大村の言動全てに腹が立つが、新学期早々イライラすることも無かろう。


「なーんだ。こんなとこで一人不貞腐れてるから、てっきりカスの寄せ集めみたいなクラスにでも決まったのかと思ったのに」


 大村の表情がつまらなそうなそれへと変わる。素直になんてなるんじゃなかった。


 もうひとつ思い出した。そういえばこの男、人の不幸という極上に甘ったるい蜜でトースト五枚は平気で平らげるような男だった。ようやく魂胆が見えてきた。


 一人寂しくぽつんと佇んでいる俺の落ち込んだ表情を見て、仕事熱心な働き蜂が如く甘い蜜をちゅうちゅう吸いにやってきたのだろう。ご苦労なことである。


「残念だったな。あんな暑苦しい人だかりに、わざわざ自分から飛び込むかよ。馬鹿らしい。急いで見に行ったところで結果が変わるわけでもあるまいに」


「そうか? お前が行けばきっと『不幸を移されるぅ』とか『変なクラスになっちゃう~』とか言って、皆、道を譲ってくれそうだけどな」


 大村はケラケラと笑いながら軽口を叩いた。


「……あのなぁ、その原因を創ったお前が、よくもまぁそんな口が聞けたもんだな」


 奥歯を噛み締め、怒りを抑える。この男はその無駄に溢れるカリスマ性を駆使し、俺を不幸の病原体に仕立て上げた張本人なのだ。著しい名誉棄損である。小学一年生の時に創り上げられたその根も葉も無い噂は、十年近く経った今では、トイレに行ったら手を洗いましょうくらい当たり前の常識のように浸透してしまっている。


「別に、俺だってこんなに拡まるなんて思ってなかったし」


 耳の穴をほじくりながら、全く悪びれる様子の無い大村に、さらに文句を重ねてやろうと口を尖らせた。が、それよりも早く、耳の穴から引っこ抜いた人指し指で俺の顔をさして、


「大金でも盗られたような顔してるから、てっきり何かあったのかと思ったんだけどな」


 アテが外れたギャンブラーのような台詞を吐くのであった。なるほど、この男の嗅覚を侮っていた。確かに、不幸という名の蜜は、ここにあった。


「な、何で分かんだよ!」


 思わず声がうわずる。これが失言だと気付くのにそう時間は掛からなかった。


「んー? おいおい、図星か? 藪を突いたら蛇が出てきたな」


 大村の口角がニタリとつり上がる。


「冬休みに行った初詣の時と全く同じ顔してるから、まさかとは思ったが」


 確かに三か月前、俺は大村に誘われ、半ば無理矢理に連れて行かれた神社で財布を落とした。あの時消え去った五千円に想いを馳せ、涙がこぼれそうになる。せっかく忘れようと努力をしていたというのに全くこの男は、嫌なことを思い出させてくれたものだ。どう償ってもらおうか。


「ま、どうせ部屋に閉じこもってパソコンばっかりやってるお前のことだ、ネットオークションだとかネット通販だとかでいいように騙されたんだろ」


 腕を組み、一人納得するようにウンウンと頷く大村。俺はあまりにも的確すぎる推理に、恐怖心すら覚えた。


 お前は将来、探偵にでもなればいい。きっとイケメンすぎる探偵とか囃したてられてメディアに注目されること請け合いだ。性格の悪さも、写真やテレビカメラ越しになら伝わらずに済むだろう。


「騙されたなんて人聞きの悪い言い方するなよ。人生勉強代ってとこだ」


 俺は口を尖らせて言った。


 思い返せば出会ってこのかた、どういうわけか大村に隠し事をできた試しは、数えるほどしかない。もしや犯罪ギリギリのストーキング行為でもしているのかと疑ったこともあったが、コイツが男の尻を追いかけるような変態ではない事は長い付き合いで理解している。


「やっぱネット関係か、恐ろしいなIT社会は。だから俺はお前を救い出してやろうと、春休みも色々と外の遊びに誘ってやったというのに。人の好意を無駄にするからこうなる」


「お前と出歩くとまた金を落としそうな気がしてな」


「部屋に籠ってたって、結果は同じだったじゃねぇか」


 それを言われてしまうと俺は「ぐぬぬ」と唸ることしかできない。そんな俺を見て、大村は一つ浅く溜息をついた。


「お前いつもそうだよな。財布はスラれたんじゃなくて落とした、で、今回は詐欺じゃなくて人生勉強代ってか? アホな言い訳にも限界があるぞ」


 そんなことは百も承知だ。が、せめてもの強がり。俺のプライド。自分でも無理があるのは十分理解しているが、こうやって物事を肯定的に捉えていかなければ、きっと俺はとっくの昔に精神が病み、不登校のひきこもりになっていたに違いないのだ。


 今もこうやって憎たらしい野郎の相手をしていられるのは、自らのポジティブシンキングのおかげであると胸を張って言えるが、あえて声高らかに宣言するほどのことでもないので、胸の奥にそっとしまっておく。


 俺が胸を張ったり、その張った胸に秘め事をしていると、さっきとは別の女子の群れが大村のもとへやって来て声を掛ける。


「おはよ、大村君」


「おはよ、また三年間よろしくね」


「うん! こちらこそ!」


 大村は再びさわやかスマイルのお面を顔にひっつける。その仮の面に満足した女子達は、笑顔でキャッキャ言いながら去って行く。やっぱり探偵ではく怪人にでもなればいい。その表情早変えの特技を駆使すれば二十面相だって夢じゃない。


「俺はお前のそういう切り替えの早さを見習って、嫌なことがあってもすぐに切り替えるようにしてんだ」


 まださわやかスマイルの抜けきっていない大村を見ながら、ぽつりと呟くように言った。


「こんなもん、見習うなって」


 大村もぽつりと返答した。


「てか、マジで警察行ったほうがよくね?」


「別にいいよ、もう割り切るから」


「口ではそんなこと言っても、全然割り切れて無い顔してるけどな」


 大村は俺の顔を指差し、ギャハハと下品な声を出して笑った。


「ほっとけ」


 最悪な高校生活は予想していたが、この男と同じクラスになるのだけは勘弁してもらいたいなと思った。

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