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20/22

「イルセは、どれくらい旦那様に仕えているんだったっけ?」


「もう、かれこれ十年以上ですね。

 初めて会った時、旦那様はまだ十二歳でいらっしゃいました」


 私がドレスを脱ぐのを手伝いながら話すイルセの声は、どこまでも柔らかい。

 彼女は旦那様に親愛の情を持って仕えているのだ。


「あの当時の旦那様は、心身共にとても傷ついていらっしゃいました。

 そんな状況でも、私たちに辛く当たったり我儘を言って困らせるようなことは一度もなく、逆に私たちを気遣ってくださいました。

 あのように変わったところはおありですが、旦那様はお優しい方なのです。

 そんな旦那様だからこそ、私も夫も心からお仕えしているのですよ。

 でなければ、年齢を理由にとっくに引退しておりました」


 私は、パウエルのこともイルセのことも大好きだし、頼れる大人として信頼している。


 イルセがここまで言うのだから、きっと旦那様は本当に優しい方なのだと思う。

 アルくんも、私に無理を言うようなことは一度もなかった。

 あ、お菓子を食べさせろって言われたことを除いてね。


「旦那様のお話を聞いてあげてください。

 ソフィー様のお話も、旦那様はちゃんと聞いてくださいます。

 なにもすぐに分かり合えなくてもいいのです。

 時間はたくさんありますから、ゆっくりでいいんですよ」


「……そうね。そうするわ。

 ゆっくり時間をかけて、話をしてみるわ」 


 ドレスを脱いで窮屈なコルセットも取り払い、厚化粧も落としてすっかりいつもの姿になってから、また先ほどの応接室に戻った。


「ソフィー!」


 成人男性になった旦那様が、嬉しそうな顔でカウチから立ち上がった。

 私と同じように着替えたらしく、簡素なシャツとトラウザーズ姿になっている。


「旦那様、いけませんよ」


 アルくんの時のノリで私に抱き着こうとする旦那様を、パウエルが止めた。


「許可があるまで、ソフィー様に触れてはいけません。

 フローリス様にもそう注意されたばかりではありませんか」


「う……わかった……」


 渋々とカウチに座りなおす旦那様の向かい側に、私も腰を下ろした。


 すかさずパウエルは私たちの前にかぼちゃプリンが盛られた皿とお茶のカップを置き、さっさと応接室を出て行ってしまった。


 二人だけにされ、私は戸惑った。

 今さらだが、なにを話していいのかわからない。


 どう言葉を切り出そうかと悩みながら旦那様を見ると、彼は二人きりになったことよりもかぼちゃプリンの方が気になるようで、私の顔とかぼちゃプリンを交互に見ている。


「……かぼちゃプリン、食べましょうか」


「うん!」


 私が促すと、彼はパッと輝くような笑顔になって皿を手に取った。


「美味しい! すごく美味しいよ、ソフィー」


 かぼちゃプリンを食べる嬉しそうなその顔は、そう思ってみれば大きくなっただけでアルくんそのままだ。


 旦那様と可愛いアルくんは、同一人物なのだ


 それが改めて腑に落ちると、緊張が解けて肩の力が抜けていくのを感じた。


 私もかぼちゃプリンを口に運んだ。 

 うん、我ながら美味しくできている。


 口の中に広がる甘味と、大きくなっても可愛い旦那様の笑顔に私も自然と頬が緩んだ。


「だ、旦那様……」


 しばらく迷ってそう呼びかけてみると、二色の瞳が瞬いて私を見た。


「アルくんって呼んでくれないの?」


「そう、お呼びしたほうがよろしいのでしょうか」


「しかも、敬語?

 やっぱりこの姿だと、今までみたいにしてくれないの……?」


 悲しそうな顔をされ、私はうっと言葉につまった。


 だって、彼は公爵閣下で、この国で彼より身分が上の人なんて数えるくらいしかいないくらいの、やんごとなきお方なのだ。

 

 それに……長い前髪を後ろに流して顔を隠すのをやめた彼を直視すると、ドキドキしてしまう。

 

 だって彼は……切れ長の瞼に二色の瞳が神秘的で、まるで小説の挿絵に描かれたヒーローのような美丈夫なのだ。

 

 旦那様はぼさぼさで身だしなみが整っていないという印象しかなかったのに、まさかこんな顔を隠していたなんて予想外すぎる。


 ヨランダは常々、「小説はあくまでフィクションだ。ヒロインだけに一途で浮気しないイケメンなんて現実には存在しない。普通レベルの顔であれば十分」と言っていて、私も同意見だった。

 私の理想の男性は熊みたいだったお父ちゃんなのに、無理やり結婚させられた旦那様がこんな顔をしていたなんて。


「ソフィー?

 この姿でも、僕はアルくんなんだよ?」

  

「それは、わかっていますけど……」


「ソフィーには、これまでと同じようにアルくんって呼んでほしいんだ。

 ダメかな?」


 瞳をうるうるさせながらお願いする旦那様。

 成人男性なのにそんな表情も様になってしまうのだから、顔がいいというのは得だ。


「わかりました……あ、アルくん……?」


 そう言うと、彼はまたパッと笑顔になった。


 これはもう、開き直るしかなさそうだ。

 公爵閣下本人に直々に命じられたのだから、しかたがないのだ。

 断じて、私のせいではない。


「あのね、アルくん。

 私たちは、お互いに誤解していたところがあるみたいだから、ちゃんと話し合ったほうがいいと思うんだけど」


「うん、僕もそのつもりだよ。

 フローリスとパウエルもそう言ってたしね」


 彼はかぼちゃプリンを食べ終わって空になった皿をテーブルに戻し、私の顔をじっと見た。


「ソフィー。

 この顔を見ても、やっぱり僕のことを怖いって思わないの?」


「思わないわよ。

 どこにも怖い要素なんてないじゃない」


 しいて言えば、整いすぎていてい怖い。

 だが、そんなのはしばらくすれば慣れると思うし、となるとやっぱり怖いところなどどこにもない。


「僕が、悪魔公って呼ばれてるのは知ってるよね?」


「ええ、それは知ってるけど、なんでそんな二つ名になったの?

 どのあたりが悪魔なのか、さっぱりわからないわ」


 マリーナは、強すぎる魔力のせいで悪魔のような恐ろしい容姿になったと言っていた。

 角か牙でも生えているのかもしれないと少し期待していたのに、と少しだけがっかりしたのはいい思い出だ。


「この国の言い伝えみたいな、古いおとぎ話があるんだ。

 悪魔が王様を騙して悪いことをしようとして、その企みを見抜いた王子様が悪魔を撃退する、みたいな内容のね。

 僕は見たことないけど、王城のどこかにそれをモチーフにした有名な絵画が飾られてるんだって。

 その絵画の中で、悪魔は赤い目として描かれているんだよ」


「……もしかして、そんなことが原因なの?

 私は王都で育ったけど、そんなおとぎ話聞いたこともないわよ?」

 

「そうなの?

 僕にもよくわからないけど、王族と高位貴族はだいたい知ってるらしいよ」


 彼はパウエルが淹れてくれたお茶を一口飲んだ。


「僕の右目は、元は左目と同じ金色だったんだよ。

 金色の瞳というのは、生まれつき飛びぬけて豊富な魔力を有していることの証なんだ。

 本来なら歓迎されることなんだけど、僕の母は僕を生んでから体を壊してしまって、僕が二歳になる前に亡くなってしまった。

 父はそれを僕のせいだということにして、僕を地下牢に閉じ込めた」


「ち、地下牢に?」


 先ほどまでと変わらない軽い口調ながら突然の陰惨な話に、私はぎょっとした。 


「父は母を愛していたから、僕が憎かったんだってさ。

 僕は七歳で地下牢から出されるまで、暗い石造りの牢の中しか知らずに育った」


 そんなの、どう考えても彼のせいではないのに!

 なんて酷いことを!


「七歳で地下牢から出たのは、フェルデン公爵家がパトロンになってた魔術研究者レフィの弟子になったからだ。

 レフィは、金色の瞳の子供が地下牢にいると聞いて、もったいないから有効活用することにしたって言ってた。

 地下牢しか知らなかった僕に、レフィとメイドがたくさんのことを教えてくれた。

 今の僕があるのは、あの二人のおかげなんだよね」


 どうやら、彼が魔術研究をしているのは、そのレフィというひとの影響によるものらしい。

 

「僕が十二歳くらいのころに、レフィとメイドが亡くなった。

 それからしばらく僕はひとりで研究していたんだけど、ちょうどその頃に会ったこともない兄が事故死した。

 それで、兄を一人息子として溺愛していた父は、僕を生贄にして兄を生き返らせようとしたんだ」


「え、えぇ⁉」


「もちろん、そんなデタラメな魔術が上手くいくはずもなくて、結果としては吸いだされた僕の魔力が暴走して大爆発を起こして、フェルデン公爵の屋敷は跡形もなく消し飛んだ。

 当然ながら、父も亡くなった。

 僕の右目が赤くなったのは、あの時に無理な魔術をかけられた影響によるものなんだよ」


「……」


 あまりに壮絶な彼の身の上話に、どんな顔をしていいかすらわからない。

 壮絶すぎて、まるで小説の設定かなにかを聞いていたような気分だ。

 

 いっそ、本当に小説であってほしいと祈りたくなった。

 そうだったなら、彼は苦しむことなどなかったのに……


 私の人生もそれなりに波乱万丈だと思っていたが、上には上がいるものだ。

 

「他にも理由はあるんだけど、片目が悪魔と同じ色というのと、父である前フェルデン公爵が起こした前代未聞の大事件に僕も深く関わってるってこともあって、悪魔公っていう二つ名になったんだ。

 納得してくれた?」


 私は頷いた。

 とりあえず、その点については納得できた。


 フェルデン公爵家を潰したいほど憎んでいるというのも、そういうことが原因なのだろう。


「せっかく美味しいかぼちゃプリンを食べていたところなのに、こんな面白くもない話をしてごめんね。

 ただ、これはとても大事なことだから、僕から最初に伝えておかないといけないってフローリスたちが言ってたんだ。

 もう全て過去のことだから、きみが気に病むことはないよ」


 それはわかるが、気に病むなというのは無理がある。


「ソフィー。

 きみには、僕の過去を知った上で、僕との未来を考えてほしい。

 きみのことをなにも知ろうともせず、稀代の悪女だと決めつけて、ずっとほったらかしにしていたような僕だけど……

 本当に、バカなことをしたと思って反省しているんだ」


「最初にあんなこと言われて、驚きはしたけど、私は楽しく暮らしているわ。

 それこそ、あなたが気に病むようなことはないのよ?」


「そうだとしても、僕が酷いことをしたという事実は動かない。

 だから、僕はその償いとして、きみをこの世の誰よりも幸せにしたいと思っている」


 アルくんは蕩けるような甘い笑顔で、とんでもない爆弾発言をした。


「ソフィー、僕はきみに恋をしているんだ」


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