次期宰相殿の横恋慕
相変わらず仕事は忙しい。王の末姫の結婚式が決まったからだ。宰相補佐として、他の人魚の国に連絡したり、自国の貴族たちへの気配りや監視に手がいっぱいだった。
イカのように手が10本もいらないが、タコのように8本なら欲しいかもしれない・・・
普段の自分なら言わないであろう冗談がふと思いつくくらい、現実逃避したかったのかもしれない。
ふぅ・・・今日逢いにいこう
ため息が波紋となった。シエルはリシェラの花婿には選ばれなかった。だが諦めたわけではない。要は最後の男になればよいのだから。
リシェラはセカンドルームに向かっていた。自室のコーディネートには合わないが、気に入った家具などを置いている部屋である。1人になりない時や、楽器の練習をしたい時などに使用している。
アンティークの古くて大きなソファに浅く腰掛け、水瓶のかたちの小さなハープを弾き始める。大きな音は鳴らないが、心を癒す音色がなる。
人魚の中では悲恋の曲が人気だ。派手に遊んでいるようでも、好きな人のひと時にしかなれないことも多い。たくさんの恋をして、たくさんの恋が打ち砕かれているのだ。
「音が以前と変わりましたね」
はっと入り口の方を見ると、シエルがいる。
「えぇ。自分の心が分かったの」
「なんの、心ですか?」
シエルが部屋に入ってくる。またドアはシエルの後ろ側にある。リシェラは毅然とした態度を取らねばと思った。
「自分の意思に従うということです」
ほらっしっかり言えた!しかもツンとした態度ができたわ!
シエルが手にキスをした。女王のように受け取る。しかしシエルは中々唇を話してくれない。動揺で手がわずかに震える。
シエルの長いまつ毛が白い頬に影をつくっていた。まつ毛がふるふると震えている。リシェラの震えが伝わったのだろうか?それともこの深海の水のように冷たそうな男性が震えているのだろうか?ゆっくりと瞼が開かれる。
そう・・・この瞳・・・
ゆっくりとあげられた顔は美しい。かつての女王がつけていた青金のサーキュレットを思い出した。強くて魅惑的で品格がある。
「僕を拒みますか?」
ここでYesと言えるだけの強さはリシェラにはまだなかった。ずっとこの瞳に見守られてきたのだ。この真っ直ぐな男性に。シエルの瞳の端に、確かな揺れを感じた。
この人は私に見捨てられるのではないかと不安なのでは?
シエルの気持ちを確かめるために、じっと瞳を見つめ返す。
「そのような可憐な表情をしても、僕は止まりませんよ」
なぜこのタイミングで笑っているのだろう。いや、泣いているのか。
握られたままの手と反対側の手が伸びてくる。リシェラは受け入れることにした。心はNoではないからだ。
楽器は何本もの弦を鳴らしながら手から滑り落ちた。