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賢者サマのおふね◇キオウのこと  作者: 神代きい


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終章◆単調な平穏

 ゆったりとした時間が流れるサロンに、優しいピアノの音色が響いている。

「…まぁ、本当…。ここを余裕を持たせてゆったりと弾くと、こんなに優しく聴こえるのね」

 鍵盤から指を離した彼に近寄ったティカが、わずかに頬を紅潮させてふんわりと微笑む。

「楽譜どおりに弾くのもいいが、このくらいの遊び心を持っても罰は当たらないさ」

 そう言って静かに立ったのは――、宮廷魔術師の中で最も権限を持つ者が纏う絹のローブをナチュラルに着こなしているキオウだった。

 ティカと入れ替わりでピアノから退いた従兄を、左右から無邪気につかまえるティナとテイル。

「キオウお兄さま! またアレやって下さいっ」

「やってくださーいっ」

「またかぁ…?」

「だってお兄さま、『1日1回までなら』ってお約束しましたよねっ?」

「今日はまだでーすっ」

「…はいはい」

 全身で喜びを表すティナとテイル。ため息混じりに失笑する従兄の手を、それぞれに引っ張ってサロンを後にする。

 父王アグナルは国の立て直しのために連日多忙。父にかまってもらえないティナ達にとって、キオウの存在はかなり大きなものであった。

 渡り廊下で額をフワリと撫でた風に、キオウは無意識に目を細めて小さく笑む。

 ――ショウカの精霊達を保護した際、キオウはショウカの《気脈》へ直に触れた。その結果、それまでアレルギーのように拒絶していた《気脈》が馴染み、今ではこうして心地良さすら感じるまでになった。

 キオウは賢者として国と契約を交わした。つまり城には『王族』としてではなく『賢者』としている。弟王を手伝い多忙な父と過ごせる時間は限られたものだが…、それでも毎日会えるその喜びは大きい。

 従妹弟達に手をひかれ、キオウは裏庭へとやってきた。お望みを叶えてやらねば気が済まないだろう…。

「いいと言うまでは近寄るなよ」

「「はーいっ」」

 行儀のよい返事に笑い、杖の先で魔法陣を描き始めるキオウ。こちらに気がついた宮廷魔術師の何人かが、2階のバルコニーから興味深げに観察をしている。

 キオウならば地面に直接描かずとも、想像するだけで完成する程度の魔法陣だ。

 でも――…こんなことで実力を出しても、全然面白くない…。

 キオウは従妹弟に顔を向けた。

「もういいぞ」

 告げられた瞬間、魔法陣へと飛び込むティナ達。その体がふわ…っと宙に浮かんでいく。

 このふたりの望みとは、空中遊泳。その可愛い望みを「魔法陣の中だけなら」という条件でキオウは承諾していた。

「気が済んだら言えよー」

「「はーいっ」」

 元気いっぱいの返事に笑み、キオウは魔法陣が見えるベンチに座った。ティナ達のはしゃぎ声が聞こえてくるだけの、とても静かな庭――。

 キオウはぼんやりと空を眺めた。

 ――…10年近く親しんできた潮風も潮騒もない世界だ。

「…」

 ため息が出る。

 …不満があるわけではない。長年離れ離れだった父と故郷で過ごせる幸せ。あたたかく迎えてくれた叔父と従妹弟達。案の定と言うべきか、家臣の中には自分に取り入るべく媚びる者もいるが…、さすがに賢者が相手ではおっかなびっくりで、その反応がキオウには面白い。好奇ではなく純粋な眼差しを向けてくる宮廷魔術師の卵達への講義も楽しい。

 そう、ここはあまりにも居心地が良過ぎて――…。


 …だからこそ、嫌だった。


「――おや? 何を考えているんだ? んん?」

 後ろからの聞き慣れた声と、ポンと頭に置かれた温かい手。キオウは口元に笑みを浮かべ「別に」と応える。

 身分相応の服装をサラリと着こなした父アゼルス。…叔父と大叔父には悪いが、やはり今のショウカ王家で最もカリスマ性があるのは父だと思う。

「少し空けてくれるかな?」

「どーぞ」

 隣に座った父の顔を見て…、キオウはわずかに眉をひそめる。あの父が自分の前で疲労の色を隠しきれていないのだ。

 助力をしている父がこれならば、王である叔父はもっと悲惨だろう。

「キオウ?」

「んー?」

「…元気がないね」

「それは父上の方だろ?」

「…まぁ、ちょっと疲れているからね」

 力のない笑みに、キオウはその肩へと手を置いた。一瞬の間を置き、やわらかく微笑むアゼルス。

「あぁ…、ありがとう。かなり楽になったよ」

 昔と同じように頭を撫でられ、キオウはくすぐったい気持ちから素直に笑った。

 ティナ達の無邪気なはしゃぎ声が聞こえる。それから微かに、ピアノの音色。

「…キオウ、退屈かい?」

 ぼんやりと雲を見つめる我が子に、アゼルスが優しく問いかけた。

「んー…、どうだろうな。でも、ああいうのは見ていて飽きないよ」

 キオウが指差した先には、王家の姉弟が遊ぶ魔法陣をスケッチしている宮廷魔術師の卵達の姿。

「勉強熱心なのは感心する。でも、あんなのを学んだって役に立たないよ。適当に術を応用しただけだし」

「…その『適当に応用する』ことに、彼らは興味があるんじゃないかな」

 まだまだ若い賢者に、アゼルスは苦笑しつつ少し言葉を選んで応えた。

「俺にしてみれば、中庭の脱出路の方がよっぽど興味があると思うんだけどなぁ」

「お前でなければ正体がわからなかった賢者の遺物だ。学ぶにはまだ早いんだろうな」

「ティナ達が遊んでいる魔法陣だって、一応は賢者が創ったモノですけどねー」

「おや、機嫌を損ねたかい?」

「別にぃ…」

 遊び疲れたティナ達が術の解除を頼んできた。

 手順を踏むのも面倒だったので、あっさりと魔法陣を崩すキオウ。それまで熱心に魔法陣をスケッチしていた卵達が「あっ、若様ひどい…」とフリーズしたが、知ったこっちゃない。

 そのガッカリ顔に、やれやれと苦笑するアゼルス。

「お前は素直じゃないね、キオウ」

「お褒めにあずかり光栄です」

 すまして言う我が子に、アゼルスは再び笑った。

 中庭を吹き抜けていく風。庭に植えられた木々のざわめき。風に乗って聞こてきたのは、離れた場所にある噴水と水路の水音だ。

 ――…アゼルスは相変わらず空を見上げている隣の我が子に、小さくため息をつく。

「…キオウ。お前が嫌なら、(ここ)に留まる必要はないんだぞ?」

「その話、18回目」

「言わずにいられない顔をしているからね。

 憂うつで、退屈で…、窮屈でたまらないという顔だ」


 ――…お前に無理強いはしたくない。

 自分を殺すことは、絶対にしてほしくないんだ――。


 アゼルスは真剣な目で我が子の目を見据える。

「お前はここが窮屈だと感じないのか?」

「……ん…」

「正直に答えなさい。怒らないから」

「――…ま…、多少はね」

「なら、お行き。国との契約など破棄して。

 私はな、お前にはお前らしく生きてほしいんだ」

「………」

「キオウ」

 アゼルスはその名を大切に呼んだ。

 顔を向けると…、慈愛に満ちた優しい笑みと出くわす。

「もっと賢者として成長しなければならない。もっと賢者らしく振る舞おう。

 ――…お前が背伸びをしていることなど、私はわかっているよ」

「…」

「でもなキオウ…、お前はまだ幼い。賢者としてだけではなく、人としてな。

 (ここ)にいれば、確かに周囲はお前を賢者(おとな)として扱う。それに応えるべく、お前は成長しようとする。――それはそれで、確かにいいことだろう。

 だが…、お前は人としてまだ幼い。もっとたくさんのものと出会って、たくさんの経験をして――…。

 お前が背伸びしようとしているものは、その中で成長し得るべきではないかな?」

「父上…」

「――いいか、キオウ」

 その一段低い声音に注意を向けると、父はまっすぐと自分の瞳をとらえた。

「お前に必要な場所は、ここじゃない。

 お前に応える場所は、ここじゃない」

「………」


 ――師がカイに自分を預けた理由。

 それを改めて、理解した気がする…。


「キオウ、お行きなさい。

 ――仲間の元へ」

「…父上…」

「ま…、大臣達や宮廷魔術師達は納得しないだろうけどね」

 アゼルスは苦笑した後に「でもな…」と続ける。

「彼らのそんな期待や願望は、お前には不要なものだよ。少なくとも、今のお前にはね。お前の成長を助けるものではなく、むしろ成長を妨げるものだ。私はそんなことは許さない。

 それに――お前のチカラならば、いつどんな場所からでもここに来られるのだろう? なら、ここに留まる必要などない。気が向いたら戻ってくればいい、それだけのことだ」

「………」


 ――…それでも、いいのか…?


 怖くて言えなかった言葉がわかったかのように、アゼルスはやわらかく笑んで、頷く。

「この12年、お前は素晴らしい時間の中で成長してきた。お前は再びその時間の中で成長してきなさい。この国だって大丈夫。私も…、もう大丈夫さ。

 さぁ、お行き。こうしている間にも、仲間達はどんどん遠くへと向かってしまうぞ?」

「父上…」

「いいからお行き。お前が便りのひとつやふたつ寄越してくれれば、私はそれだけで充分だから」

 アゼルスはキオウを優しく抱きしめた。


 ――…またこうすることができなくなると思うと…、やはり少し寂しい。

 それでも私は、お前にはお前らしく生きてほしい…。


 …キオウは静かに頷いた。

「よし…、それでいいんだよ。

 ――元気で。体には気をつけなさい」

「…それは俺のセリフ。父上ももう若くないんだから」

「おや、酷いなぁ。私はまだ若いつもりだよ…!」

 体を離し、アゼルスは我が子に心からの笑みを贈った。

「さぁ、お行き」

「…ん。行ってきます」

 キオウは父に心からの笑みを贈った。優しい父の想いに応えて。

 その体が徐々に空気に溶けるように薄れていって…。


 そして――。


 そこには、キラキラと光るチカラの名残だけが残った。

 やがてはそれも、消えていく…――。



 ――…アゼルスはゆっくりと深呼吸をした。

 自分が相当な親馬鹿であることなど重々承知済み。あの子がいなかった12年を、再びあの子と埋めて直したいとさえ思う。

 だが――。失った時間は、決して元には戻らない。

 そして何よりも――…あの子はもう9歳の子供ではない。もうじき21歳になる、賢者だ。

 私が子離れしなければ…、私はあの子の成長を阻害し苦しませる障壁にしかならない。

「…なに、別段に難しいことではない」

 青い空に目を閉じる。

 寂しくないわけではない。辛くないわけではない。だが…今は、幸せな気持ちだ。

 あの子の目に生き生きとした光が帰るのだと思うと、嬉しくて仕方がない。


 また元気になってくれる。

 あの笑顔に戻ってくれる。

 あの子は自由だ。


 私は、それだけでいい――。


 城の何処からか大臣達の突拍子のない悲鳴が聞こえた。

 ――…確かに『契約を破棄しろ』とは言ったが…。やれやれ、一体どのように破棄したのやら…。

「さて…、小言を戴きにいくとするか」

 ため息混じりの苦笑をしつつ、アゼルスは歩き始めた。


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