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「人,、なのか?」
非日常に浸り過ぎたせいか、すぐには断定できなかった。しかし黒いローブを羽織ったその影は背丈も、肩幅も普通。ローブから少し除く足も特に違和感はなく、少なくともあの赤鬼よりは断然人に近い。そんなことを考えていると目の前の黒い影がこちらを振り向いた。
「っ...よかった...ご無事ですね」
驚いた。それはその影が透き通るような声をしていたことでも、フードのうちにある顔がテレビでみるようなレベルの美少女だったからでもない。俺の顔を見た彼女の顔が一瞬驚きに染まった後、ほっとしたような、でもどこか苦しそうに歪んだからだ。今にも泣きだしそうな彼女の顔に、人に会えたという安心感はどこかへ吹き飛んでしまった。
「あの」
かけようとした声は今日何度も聞いた甲高い叫びに遮られる。
そうだった。こいつがいることをすっかり忘れていた。
「すいません、少しそこで待っててください」
先ほどまでの泣きそうな顔が鋭い目つきへと変わる。思わずびくりと肩が跳ねた。少女からまるで狩人のような表情へと変貌した彼女は、赤鬼へと振り向き向かっていく。そしてその手には先ほどまではなかったものが握られていた。
「鎌?」
草刈りに使うような小さなものではない。フィクションの世界でしか見たことのないようなでかいでかい鎌。下手すると持ち手の長さだけで彼女の背丈と同じぐらいありそうだ。そんな持ち手から生える少し湾曲した刃も普通の長さではなく、目測で1メートルはありそうだ。そしてそれらすべては、まるで夜に溶けるような漆黒で塗られていた。
のし、と重い足音を響かせ赤鬼が一歩後ずさった。マジか。あの化け物が気圧されている。しかし確かに後ろから見る彼女は、まるで本物の死神かのような重い雰囲気をひしひしと感じる。後ろからみてそうなんだ。正面から対峙している赤鬼は気圧されてもしかたない。正直最初は、あいつのもとへ向かおうとする彼女を制止しようと思ったが、今はそんな気更々ない。流石に分かる。彼女も非日常側だ。
そこから数歩の間、彼女が歩く、逃げるように赤鬼が後退する、といった光景が続いた。しかしさすがにしびれをきらしたのか、それとも化け物としての矜持ゆえか、咆哮を上げながら赤鬼が彼女へと襲い掛かる。遠目に見て倍近くある巨体が、彼女に覆いかぶさるように突進する。
危ない、と思わず声を上げようとしたその瞬間、黒い線が横に走ったのが見えた。
グ、ガ...
それが遺言だった。彼女に襲い掛かろうとした巨体が急に勢いを失い彼女の前で倒れこむ。瞬殺とはまさにこのことだった。目の前の信じられない出来事に呆然と立ち尽くす俺の足になにかが当たる。
「うわっ」
足元へと転がってきたそれ、赤鬼の首に思わず飛び跳ねる。虚空を見つめ、大きく開いたままの口、今にも動き出しそうなそれは気味が悪く、できるだけ距離を取った。ふと少女の方へと目を向けると、その足元の巨体へと目が行く。その死体?には当たり前だが、さっきまで甲高い声を上げていた首はなく、その切断面からは赤い液体がどくどくと流れていた。あれは血...なのか?
「桐崎、静示さん?」
唐突に呼ばれた名前に、赤い液体への思考を遮られる。声の元へと視線を向けるとそこには黒いローブの少女がこちらを向いていた。いつの間にか彼女の手に握られていたはずの鎌がどこかに消えていたが、今気になるのはそんなことではない。
「どうして、俺の名前を」
こちらへ声をかけた少女は、俺の返答に悲しげな表情をする。さっきからそうだ。彼女が俺を見る目は常に愁いを帯びていた。しかしそんな表情をされる理由が分からない。どこかで会ったことがあるのだろうか。それで忘れられて悲しんでいるとか。いやこんな美少女会ったらまず忘れないだろうし、もしそうだったとして、この表情の理由はそんなことではない気がする。
「どこかで会ったことありましたっけ?」
「いえ...初めましてです」
問いに答えない彼女にもう一度尋ねるが、今度は否定されてしまう。ではなぜ俺の名前を?、再度そう尋ねようとした瞬間、視界がぐらりと揺れる。
「なん」
体の力が抜け、思わず地面に膝から崩れ落ちる。なんだこれは。眠気とも違う、誰かが無理やり意識を落とそうとしてきている、そんな感覚を感じる。例えるならきちんとした電源ボタンを長押ししてパソコンを強制終了した時のような。
「始まりましたね」
まだかろうじて残っていた聴覚がそんな声を拾う。彼女がなにかしたのだろうか。しかしそれを聞くための力はもう残ってない。
「どうか、どうかもう二度と、お会いすることがありませんように」
懇願にもにた彼女の言葉を最後に、俺の意識はブツリと閉じた。




