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「お疲れっした〜」
「おう、お疲れ」
店長の返事を背に外に出る。店内とは打って変わった冷たい空気に思わず体が震えた。
「寒すぎるだろ」
思わず溢れた言葉は、誰もいない店の駐車場に消えていく。11月も終わりの真夜中、気温は優に10度を切っていた。早く帰ろう、なんとなしに呟き足早にその場を離れる。
バイト先である焼肉店から家までは、歩いて15分ほどだ。近くてとても助かっているのだが、通り道が静かな住宅街というのがたまに傷だった。夕方から始まるバイトは毎回日付が変わる前後に終わる。そうなると帰り道は人気もほとんどなくなり、道を照らすのは何メートルかおきに置かれている街灯と月明かりのみ。つまり何が言いたいかというと暗くて怖い。想像力というか、妄想力が無駄に豊かなので暗闇を見ると色々想像してしまう。もちろんホラーは苦手だ。
両耳に付けたイヤホンから流れる音楽に合わせ、鼻歌を歌う。暗いのが怖いのは変わらないけれど、こういったことができるのはこの時間に帰る特権だった。なにせ人っ子一人いない。などと考えていたからか前から歩いてくる人影が見えて慌てて口を閉ざす。
聞こえていないだろうか?あくまで鼻歌だがなにせここは閑散とした住宅街だ、聞かれていてもおかしくない。なるべく早くこの場を去ろう。そう思い歩く速さを早める。同時に、なるべく目線が合わないよう顔を伏せようとしたその時、ある違和感に気づく。背、高すぎないか?
住宅街を点々と照らす街灯は当然だが俺の身長では届かないほど上に備え付けられている。目測だが、170ある自分の優に3倍の高さはあるだろう。そう、それが普通だ。しかし前から歩いてくる人影は街灯には届かないまでも地面から街灯までの高さの半分はあった。それもまだ街灯の手前にいるのに。
おいおい、どこのバスケットボールプレイヤーだ。ぼそっと軽口を叩くが、心の中は目の前の違和感にパニックだった。目測で自分の2倍近くある身長。そんなのギネス記録保持者でもなきゃありえない。いや、まて。ただ親子がおんぶして歩いているだけでは?それで3メートルってどんだけ親の身長でかいん?パニックのあまり一人ツッコミまでし始めた。
そんな自分のキャパシティーを超えた現実に早めていた歩きはすっかり止まり、目線は前からくる人影から動かせない。街灯の向こう側、異様な高さの暗い影はゆっくりとこちらに向かってくる。ごくり、と唾をのむ音がやけに大きく聞こえた。反対に、イヤホンから流れていたはずの音楽がとても遠くに聞こえる。
なんだろうかこの感覚。ぼうっと立ち尽くす全身を普段の生活では感じたことのない感覚が包む。さっきまで寒かったはずなのに、今はダウンが邪魔に感じるぐらいに暑い。だというのに全身の毛が逆立っているのがわかる。そんな慣れない感覚に戸惑っている中、異様な高さの人影が光の下に姿を現す。
「おいおい、嘘だろ」
思わずそうこぼした俺の視線の先には、赤い........鬼が立っていた。
それは人が纏う服の代わりに、全身を赤い肌で覆っていた。しかもただの肌ではない。鈍い光沢を放ちながら、遠目に見ても分かるほどゴツゴツと盛り上がった、まるで岩のような肌。さながら全身が赤い鉱石でできているようだ。そしてそんな肌を持つ人影の顔は当然の如く人のものではなく、人と同じ位置にあるのに白目も黒目もなくただ黄色く光る両目、顔の端から端まで伸びた口の中にはまるで図鑑で見たサメのようにびっしりと歯が並んでいた。そして極めつけは額の真ん中から伸びる一本の角。俺が初見のそれを鬼と称したのはこれが理由だ。
信じられない光景を前に頭の中は目の前のそれをじっくり観察するぐらいには冷静だった。どうやらあまりの出来事に一周回って落ち着いたらしい。しかし一方で俺の体はピクリとも動かなかった、いや動かせなかった。まるで自分の体ではないように手足の感覚がない。喉が張り付いたのか声すらもでない。それでもさっきから感じていた暑いような寒いような感覚はまだ感じる、いやより強くなっていた。まるで蛇ににらまれた蛙だな、と体と違い働く思考からやっと今感じている感覚を理解する。
ああ、これは恐怖だ。しかもホラー映画を見た時のそれとは全く違う「死の恐怖」。つまり俺の人として、生物としての本能が目の前の現実が本物であると、命に関わる危機だと直感で認識していた。
そしてついに目の前のそれと目が合った。びしっ、とまるで全身が縛り付けられるような感覚に襲われた。逃げろ逃げろ逃げろ!さっきまで冷静だった頭の中がそんな警告でいっぱいになる。しかしそんな警告を無視して俺の体は凍り付いたように動かない。なんとか体を動かそうとする俺の視線の先で、それは急に空気を震わせる甲高い声を上げる。イヤホンを簡単に貫通したそれは、もちろん人のものとはかけ離れていて、目の前の現実の異常さをより鮮明にした。
あ、動く。叫びによるショックからか、頭と腕の感覚が戻ってきた。動け動け動け!腕を動かしまだ凍り付いたままの足を必死に殴る。
のし、動かない足を睨みつける俺の耳にわずかに聞こえたのは足音。視線を上げるとそれがまっすぐこちらに歩き出していた。やばいやばいやばいやばい、頭の中で今すぐそこから逃げろと警告が鳴る。動かない足を両腕で何度も殴る。動いてくれ、頼む。
そんなことをしている間に、それはどんどん近づいてくる。10メートル、5メートル、3メートル。
これは死ぬ、そんなことを考えたその時、頭の中で何かがぷつんと切れた。
「動けっつってんだろ!」
思いっ切り両足を殴った勢いで思わずよろける。あ、足が!
気づいた時には来た道を翻り、半分こけながら駆け出していた。
後ろであの鬼がまた甲高い声を上げるのを聞きながら全速力でその場から逃げる。
さっきまで殴っていた痛みがぶり返してきたが無視して走る。
こうして俺と赤鬼の鬼ごっこが始まった。




