4-45:最後の道
ラシャの槍を、サンティが防ぐ。モノの短剣を、槍が防ぐ。
一合、二合。
山猫と狼は打ち合った。
もうオットーは、戦いに関しては何も言わない。全てをモノに委ねた。
体重でいえばモノがラシャに勝てる道理はない。だが島育ちの素早さと、精霊術師の力量はモノが勝っている。
(強いっ)
烈風のような猛攻を、かろうじてしのぐ。
足下の水を操って体勢を崩そうとするが、敵はそれを察知し、いつも半歩先へ逃げる。
困難なもののもう一つは、これだ。
ラシャは大陸でずっとずっと戦い続けた。その感覚は超人的に研ぎすまされている。
(槍だ)
モノがラシャに抱いた印象は、それ自体が一本の槍ということだ。焼け付く切っ先を叩きつけるため、彼自身が武具のようになっている。
「サンティ、行こう!」
振り回される槍を、モノは背中で飛び越えた。宙返りして、水の上に着地。
水は波となって、精霊術師を素早く移動させる。
ラシャの右横へと。
「ほう」
ラシャの矛先は、紐で結ばれたように、モノにぴたりと合わせられている。
一対一で不利。
ならば、二つの方向から攻めるまでだ。
「グオオ」
サンティが跳んだ。モノも踏み込む。
上と下。右と左。
二つの標的に、一本の槍が初めて惑う。
(いける)
だが、ラシャは逆に踏み込んでいた。
爪をかいくぐり、矛先で虎の脇腹をえぐる。モノの頬には、槍の柄が迫った。辛うじて避けるが、頬に弾けるような痛み。
「取り損ねたな」
ラシャもまた、右腕とこめかみから、血を流していた。
モノの頬も熱い。裂けたのだ。
「もう少し踏み込まれていれば、お前が勝っていた」
再び、打ち合いが始まった。
息が切れる。おそらく数分も戦っていないというのに。
突き出された槍を、短剣で跳ね上げる。ラシャはサンティの爪を足捌きで回避し、壁の出っ張りや、天井の照明まで、縦横に使う。
猫の目は素早い動きでも見逃さない。大きな敵と戦う時は、まずは体勢を崩すことだ。
(今だっ)
サンティが爪を、水面に振り下ろす。飛沫は小さなつぶてとなって、ラシャを襲った。
「やるな」
水の弾を避け、褐色の戦士が低空を泳ぐ。モノは突き出された槍を、短剣を逆手にして逸らす。
次第に、モノは奇妙な感覚を得た。
ラシャとモノ。
二人の肉体が、互いの武器を通して、絡み合い、結びついてしまったような。
敵は、次はこう打ち込む。モノはこう受ける。
相手の次の動きが、手に取るように分かってしまう。まるで、自分の体であるように。
(これって)
モノは、気づいた。
流れを断ち切るように、後ろへ飛ぶ。手を振って、サンティにも同じ合図をした。
ラシャは追ってこない。
疑念は、確信となった。
「あなた」
モノは言った。
「……あなたも本当は、殺す気なんてないでしょう」
宮廷の外から、増援の到着を知らせる勝ちどきが起こった。
亜人を倒せ。亜人を追い出せ。
恐怖が憎しみへと反転し、帝都中に満ちている。
「お前はどうだ」
「私も……!」
私も、もう戦いをやめたい。
モノは自分の心をはっきりと自覚した。
「私も、戦いは、やめたい!」
モノはラシャを見詰めた。言葉がラシャの胸に染み込むように。
しかし不安に囚われているのは、むしろモノの方だ。
(どうやって、攻撃をやめさせればいいの?)
亜人への追撃は、モノ達が生み出した流れ。
地下の遺構へも、すでに追っ手が放たれている。誰がそれを止められるというのだろう。今すぐに動いて、アクセルに進言し、復讐に逸る騎士や貴族にそれを伝えていく――とても間に合わない。
戦いとは、一種の波のようなものだ。
モノはもう、その波を起こしてしまったのだ。
胸が杭を打ち込まれたように痛んだ。
(最初に、みんなを止めていれば……!)
モノは、騎士達が戦いに逸っていたのを分かっていた。悪い予感がありながら、結局は流されるように戦いを続けてしまった。
あの時は、地下の亜人にもう戦意がないとは知らなかった。モノもまた、地下の亜人達が怖かったのだ。
――亜人を倒せ。帝都を取り戻せ。
外の声は続いていく。
モノの迷いに、ラシャに気づいたのだろう。彼は微かに笑った。言葉にできない、壮絶な微笑だ。
「お前達が俺を追っている間だけ、俺の仲間は遠くへ行ける」
強力な精霊術師。これを放置して、地下へ侵攻することはできない。
ラシャは呻いた。口を押さえると、血がこぼれ落ちてくる。肩から、微かに黒いもやが見えた。
(堕精霊……!)
彼に力を貸しているのは、死んでいった亜人の憎悪だ。
憎悪こそが、精霊を堕精霊へと貶めるのだ。
「見殺せ。それが、情けだ」
ラシャの目に戦意が閃いた。
廊下の先で、水をかき分ける音がした。騎士達だろう。
ラシャは身を翻す。水のない二階へ、身を隠すつもりだ。
「公女様!」
宮廷に増援が入ってきた。
水をかき分けて、長兄の騎士団も現れる。彼らも閃光と稲妻の衝撃から回復したのだろう。
「あなた達は、一階で待っていてください!」
「公女様はっ」
「あの人は、なんとかしてみますっ。あと宮廷に、これ以上兵を入れないで!」
「な、『なんとか』と申されましても……! 一度決まった方針は、そう簡単には!」
モノはラシャを追った。獣の体で、飛ぶように駆ける。
「モノ」
オットーが、肩で言ってくれた。
「お兄様、私……!」
「彼は堕精霊に憑かれている。止めると言っても、力を使い果たすか、精霊から引きはがさないと、止まらないぞ。ギギを思い出せ」
モノは顎を引いた。
彼から槍を手放させるのは、とても難しいと思える。彼自身が、槍と一体化したような相手なのだ。
「ありがとう、お兄様」
兄の助言が嬉しかった。諦めろ、無理だ、とオットーは言わない。
最後の最後まで、一緒に頑張ってくれる。
一人じゃない。
最後の勇気は、いつも他の誰かからやってくる。
「いた!」
モノは二階の廊下で、ラシャを見つけた。
肩の辺りに、うっすらと黒いもや。矛先に宿る光も、だんだんと強くなっている。
(急がないと)
ラシャが背負う心の力が、増えていく。今にも膨れて、弾けてしまいそうに。
止めるどころか、このままじゃ、モノ達も危ない。
「に!」
猫耳を揺らして、モノは床を蹴った。
◆
ヘルマンは足を止めた。
ぶつかった亜人の一団は、ヘルマン達を見るとすぐに引き返した。
捨て身で来られるよりありがたい。彼らは地下の中枢へ、逃げ戻っていくようだ。
戦いを終えたばかりの騎士が、兜の面防を上げる。
「罠かも知れません」
ヘルマンは頷いた。
「警戒を怠らないように」
それだけを返す。内心では、亜人の多くに戦意がないことに気づいていた。
(降伏を勧めるべきか?)
そんな思いを抱くが、いまさら、実現する手立てはない。
地下の亜人は油断がならない。一時的に恭順したとしても、それが心の底からの恭順なのか、それともゲール人の油断を誘うための一時的な擬態なのか、見破る術がないからだ。
降伏の勧告にも、まずは対話の場が必要だ。
ふいに、風を感じた。ヘルマンは眉をひそめる。あり得ない、聞こえないはずの声。
「公女様?」
公女の悲痛な声が、聞こえた気がした。
地下は心の力が集まる場所だという。ヘルマンのような、マナを操る素養がない者でも、心の力を感得できるのだろうか。
(あるいは、単なる幻聴か)
ヘルマンは首を振った。やるべきことは無数にあるのだ。
折れた腕をだましだましにほぐしながら、ヘルマンは剣の血を払う。
抵抗した僅かな亜人が、通路の端々に倒れていた。彼らを弔う作法を知らないことが、少し悲しい。
「ヘルマン卿」
地鼠族のテオドールが、素早く近づいてきた。
「後ろを。急いだ方がよさそうですぞ」
振り向くと、来た方向がどんどん暗くなっていく。光っていたはずの天井や床が、急速に明るさを失っていくのだ。
「マナに反応して光る材質のはずです。これが光らなくなるということは――」
ヘルマンは気づいた。
「どこかで、マナが吸い上げられている?」
「おそらくは。地上に、強力な精霊の気配を感じます」
迫る闇から逃げるように、ヘルマン達は前進した。
「宮廷の敵は、白狼族……?」
フリューゲル家長女、イザベラは眉をひそめた。男装の足を組みかえ、手袋の指を額に当てる。
宮廷の外の陣地に、大鷹族ギギの情報がもたらされていた。情報はまず、フリューゲル家の姉妹に送られる。
「ラシャか。ウォレス自治区の相手ね」
長女は不思議な因縁を感じたようだった。フランシスカが片眼がねを外し、地図から顔を上げた。
「危険な敵なのですか?」
「馬車にまで飛び乗ってきたわ。最後まで戦うタイプね」
イザベラは避難の区切りを、商会の長に引き継いだ。
帝都は皇帝が治める街であり、都市の長官などという役割は存在しない。ために、街の顔役を、商会が担っていた。
フランシスカが錫杖を取る。
「素早い相手であるならば、目視の方が奇跡は正確ですね」
姉妹は視線を交わし合った。
胸中は同じだ。何か、とても悪い予感がする。
復讐に燃えた兵士達は、今も続々と宮廷に近づいていた。
「お姉様。予定変更です。私達も、モノリスのところへ向かいましょう」
姉達は頷き、末っ子の元へ向かった。
「ぬおおおおあ!!」
一方。
感電し、殴打されたアクセルは、身を起こした。
鎧に彫り込まれた文様は、毒を抜き、体を癒やすための仕掛けでもある。
「その傷では無茶です!」
聖堂の戦いで生まれた左肩の傷が、完全に開いていた。溶岩のように、燃える血液が肩から脇へ伝って流れている。
「ふん!」
炎が、噴いた。左肩の傷は焼け付き、流血を止める。絶叫するような激痛のはずだが、アクセルは立ち上がった。
「無茶は血筋だ! 公女を、助けるのだ!」
次回は、10月23日(火)投稿予定です。
完結まで、連日投稿いたします。




