4-46:激発
西日が差していた。
「待って、ラシャ!」
モノとラシャは打ち合った。
戦士はいたずらに槍を合わせるばかりで、モノを斬ろうともしない。
長引かせるだけで、彼は十分なのだ。だから、皇帝も殺さなかった。
短剣を握る手が震える。武器を手放せないことが、悲しかった。
「もうやめよう!」
考えていることは同じなのに、どちらも戦いを止められない。
停戦の作法が決まっていた亜人同士とは、何もかもが違う。
ここで何か、ラシャに言えればいいのだ。こうすれば戦いが止まると、具体的な何かを。だが、ない。ないのだ。
仕返しを望むゲール人を、止める言葉が浮かばない。
「ラシャ!」
オットーが叫んだ。
「まずは、君から、槍を納めろ! 地下にはすでに、追っ手が放たれてる!」
ラシャの動きは止まらなかった。言葉が聞こえているのかどうかさえ、判然としない。目がどんどん虚ろになっていく。
「モノ」
オットーが合図する。
「まずいぞ。槍のマナが、どんどん強くなっている。黒い、もやも……!」
おお、とラシャが叫びを上げた。背中を反らし、まるで体の芯から天井へ何かを吐き出すみたいだ。
感じるマナが、膨れあがった。地面が揺れる。
「な、なにっ?」
「地下からだ。ラシャに心の力が、もっと集まってきてる!」
憤怒だ。憎悪だ。
ラシャに力が集中する。
ある種の植物が地下水を根こそぎ吸い上げてしまうように。
再び、あの光の精霊が作られようとしている。
(堕精霊って――こうやってできるんだっ)
ラシャはよろめいた。
黒いもやが、光と交じりあって噴出する。
衝撃が来た。ガラスや鏡、壺が割れる。剥がれた天井と壁が、竜巻のように舞っていた。
サンティが守ってくれなければ、モノは壁に叩きつけられていただろう。
――オオオ。
不気味な声に、肌が粟立つ。
(堕精霊の声だ!)
ラシャが呻いた。
「ここまでか」
槍を短く持ち替え、矛先を、己の胸に向けた。
自刃だ。
モノは息をのむ。
だがラシャの動きは、止まった。全身に黒いもやがへばりついている。黒い煙は泥のような塊となって、ラシャの動きを封じていた。
穢れた物体がうごめき、彼の体を覆い出す。
「公女よ、追うな!」
言い残し、ラシャは割れた窓から飛び降りた。
宮廷の庭が見えた。
正門の方角だ。大通りに面し、布陣した増援で満ちていた。
(すごい数っ)
兵士は五百人はいるだろうか。宮廷から伸びる大通りには、避難する人が列をなしている。
黒いもやをまといながら、ラシャは宮廷の長い階段を駆け下りた。
ラシャが進むと、まるで触れてはならないものに触れたように、ゲール人の陣が崩れていく。
槍捌きからは、流麗さが消えていた。何かが、ラシャの身に宿り、代わりに体を動かしている。
「サンティ、お兄様!」
モノも、窓からひさしの上へ出た。
軍勢は、現れた亜人に混乱を来していた。きっと大通りからも、もくもくと沸き上がるもやが見えるのだろう。猫耳に、人々の悲鳴が聞こえる。
(ここで、光の槍が撃たれたら……!)
ぞっとした。
ラシャの力は膨れあがるばかりだ。あの光の柱が、今度はこの人口のど真ん中で、地上で、出現する。
どれだけの人が犠牲になるだろう。
空を白い鳥が過ぎった。聖教府の白い鳥。巨大な奇跡が落ちる時に、事前観測をするという使い魔だ。
(お姉様っ)
閃光。
雷が、ラシャを撃った。
もやが消えたのは一瞬だ。再び噴火のように沸き上がり、空を覆い尽くさんばかり。
黒煙の中から、次第に光が漏れた。空へと昇る一本の筋が、できあがってしまう。
「止めないと」
モノは駆け出そうとした。でも、足が動いてくれない。
(どうやって? ……どっちを?)
騎士の伝統となる角笛が響いた。軍勢はラシャを囲う。宮廷の庭に、ラシャを中心とする陣が敷かれていた。
弓矢に魔法の炎、そして雷。
攻撃は、全てもやに阻まれる。光は強くなる。沸き上がる黒煙が、少しずつ光に変わっていく。
(時間だけが、経ってく)
ラシャが死ねば、光の精霊は、術者を失う。大通りの人は助かる。
ラシャを助けようとすれば、また光の精霊が出てしまうかも知れない。
いずれにしても、亜人とゲール人の争いは燃え上がる。モノ達家族は、再び引き裂かれてしまう。今こんなことを心配するなんて、公女として失格だろうか。
冷静な部分は、ラシャを見捨てろと叫んでいる。そうすべきだと。それが正しいのだと。
マクシミリアンの暗殺を勧めたヘルマンが、脳裏を過ぎった。
――残酷な決断をすることも、我々の役目です。
モノは立ちすくんだ。
決断。
これこそ、大きな、決断だった。己の希望を、殺さねばならない。
「モノ……!」
オットーが言った。サンティが遠吠えを放つ。
家族にも、誰にも、決められない。決定的な力は、モノだけにあるのだから。
「オネ」
知恵者の母なら、どうするだろう。
軍勢に動きがあった。
サンティの遠吠えで、モノのことに気づいたらしい。
大勢が、立ち尽くすモノを見つける。
避難する人混みに、男装の長女、イザベラが見えた。信徒を引き連れて、奇跡を放ちにフランシスカもいた。
アクセルが肩を貸されて、正門へ出てくる。増援の近くには、王太子マティアスも見えた。
――もう、子供じゃないのよ。
オネの言葉が蘇る。
――私に、何ができるんだろう。
島をでる時の、最初の一歩。
何をしたいのか。何をするべきか。
踏み出して声を上げた時、モノは気づいた。もう、ただの島娘ではない。
公女になると決めたのは、道を切り拓くためだ。
「みんな、待って!」
声を張った。思いの外よく響くのは、オットーが音の魔術を使ったからだ。
頭をぷるぷる振って、庇の上で踏ん張る。
目をそらさず、庭園を見詰めた。
「やってみます」
モノは、オットーに告げた。
「お兄様、あの光にできること、なにか考えて!」
「えぇっ」
驚きの声を余所に置き、モノは駆け出す。地面に着地して、跳ぶように駆けた。
「水です。精霊術同士なら、水の力で防げるかも!」
「そんな……いや」
「それでも、考えて!」
オットーが口ごもる。モノは続けた。
「ラシャに宮廷の方を向いてもらえば、失敗しても、そんなに被害は……」
「あれと話すつもりかっ?」
走りながら、モノは精霊術を起き上がらせた。
噴水が再び水を吹き出す。
そこから、次々と水の動物が飛び出した。蛇に犬、馬に羊、それに鳥。次々と生き物がやってくる。
公女の指示と、思わぬ状況に、ラシャへの攻撃は確かに止まった。
「馬鹿な」
ラシャが言った。
地下から沸き上がるように、光の柱が伸びている。
巨大な狼。
今この瞬間にも、地下の亜人は減っていく。新たな憎悪を吸い上げて、ラシャに宿る精霊は、どんどん歪に膨れあがっていく。
「ラシャ、大通りではなく、こっちを向いて」
「なにをやっている」
ラシャは唸った。目が血走り、口から血が漏れている。
「そこをどけ!」
モノは首を振った。
――やれ。
――やってしまえ。
激発する直前のマナが、ラシャの精霊から感じ取れる。
「どきません! あなたが抵抗をやめれば、地下の亜人に対する追撃も、取りやめます!」
周りがどよめいた。
これだけの人数の前で宣言したのだ。フリューゲル家としても、きっと言葉を翻すことはできない。
モノは自分の経験を総動員した。
「戦意のある亜人は、あなたが最後! あなたが槍を放せば、戦いはおしまいです!」
激しいラシャの抵抗を、亜人学派の最後の力と位置づけた。
これで敵の代表者に対する、停戦の勧告となる。
「それでも戦うなら、あなたを殺します!」
ひと言を添えたのが、モノの覚悟だ。
「……ああ、もう! モノ、水を平らにするんだ」
オットーの指示が始まった。
アクセルは軍団を采配し、イザベラは商会と共に避難を急がせ、フランシスカは神官をすでに備えている。
一人で全てをやるわけではない。
モノがやること。
それは、やるべきことを示すことだ。
「モノリス……!」
ラシャは呆然とモノを見詰める。体はすでに、半ば光に飲まれていた。
「本気か」
「はいっ」
水の小動物がモノの周りでたむろしていた。リスに犬、そして小鳥。平和な光景に、ラシャが愕然とした。
「やる気があるのか」
「あ、ありますよっ」
光が強まる。
「だって」
喉から声がはしった。従える生き物達と共に、ラシャへ吠える。
涙はこぼれる先から、すさまじい熱で蒸発した。
「みんなと、一緒に、いたいもの!」
光の狼が、ついに巨大な牙をむき出しにした。
――オオオ!
咆哮。激発。
光が、モノに殺到した。
守るは、精霊術。宮廷内、地下の洞窟。ありとあらゆる場所にあった水が、モノを守りに集積する。
何枚もの鱗を、重ね合わせるように。
「鏡だ、モノ!」
やがて生まれたのは、水でできた巨大な一枚の板。
水の鏡。
平らかな水が、光を照り返す。
こんなに巨大なそれを作ったのは、初めてだ。
音に負けないよう、オットーの言葉はほとんど叫びだった。
「鏡あわせで、光を空へ帰すんだ!」
マナに満ちた水は、ラシャからの光を受け止めた。鏡は光を一瞬だけ宿し、天へと送り出す。
耳が変になってしまいそうな轟音と、衝撃がやってきた。
よろめき、膝を突く。支えてくれたのは、大きな手だ。長兄アクセルがモノを支えてくれていた。
「公女に、祈れぇ!」
轟音の中、果たして長兄の胴間声は届いたか。
――公女の猫耳にかけて!
微かな声が聞こえた。久しくなかった、亜人を憎む以外のかけ声。
モノは、光を受け止め、空へ逃がす。誰も傷つけないために。
――どうして。
声が聞こえた。地下の亜人達の、遺志のひとひら。
――お前も亜人なのに。
はためく猫耳を押さえ、モノは言う。
「私は、私」
眩しい光にも、足を踏ん張って、立ち向かった。
「受け止めて、逃げないから……!」
わずか数秒だったのだろうか。あるいは、数分だったのだろうか。
モノには何時間にも、何ヶ月にも感じた。五十年分の思いを受け継いだ、亜人達の声なのだ。
視界が霞む。
しゃらん、と涼しげな錫杖の音が聞こえた。モノは赤い空に、大柄な神官の、手を振って別れる姿を見た気がした。
「はぁ、はっ」
口があえいだ。
身を起こすと、周りが不自然に暗い。
あまりにも眩しいものを見たせいで、周りが暗く見える。
無音だ。耳がきーんと鳴っている。
ラシャへの攻撃も、かけ声も、ありとあらゆる動きさえも、宮廷の庭からは消えていた。
からん、とラシャの体から折れた槍が離れた。
「お、おしまいです!」
モノは言った。声がわんと響く。
「地上も、地下も――! 戦いは、これでおしまいにします!」
モノは声を張って、停戦を全軍に伝える。
地下の亜人も、帝国へ侵入した亜人も。もはや戦意ない者に対する追撃は、公女の名において認めない。
アクセルが囁いた。
「公女よ」
「お兄様、戦いを止めるなら、今しか……!」
アクセルは目を閉じた。凄まじい勢いで、何かと何かを秤にかけている。
「敵を、信じるか。そうせねば、共存など始まらぬか」
やがて、根負けしたように首を振った。ぎらりと瞳が輝き、有無を言わせぬ迫力で指示を飛ばした。
「聞こえたか! 騎士達よ、復唱せよぉ!」
言葉はざわめきを起こし、波のように広がっていく。
このタイミングが勝負だ。みんながモノに注目し、聞く耳を持っている間に、停戦を全軍へ届けねばならない。
「――ラシャ」
ラシャは地面に膝をついていた。
もう黒いもやを発することはない。石になってしまったように微動だにしなかった。
「これで、いいですよね?」
声をかけた時だ。
地面が、揺れた。
「じ、地震か?」
オットーが声を震わせた。魔の島は火山の近くにあるため、モノは地震には慣れっこだった。
(なにか、違う)
耳には石が崩れる音が届いている。音は、地の底からだった。
「これは……地下からだぞ!」
ネズミの声は震えていた。
「宮廷から離れてっ」
イザベラだ。避難をさらに急がせるのだろう。思い切りの良さは、さすがだった。
(宮廷の、裏から?)
モノは身を低くし、手のひらを地面に当てた。
揺れと音は、宮廷の裏側からやってくる。皇帝と初めて会った聖堂があった場所だ。地下遺構の中枢も、そこにある。
「いかん! まさか地下が、崩れておるのか」
世界の終わりのような揺れと、崩落音。宮廷の西の棟が揺らぎ、建物ごと地面にめり込んだ。
地下の天井が壊れたとすれば、それはモノ達にとって大地が崩れることだ。
「光の精霊の揺れが、致命打になったんだ」
オットーが冷静に分析する。モノが光の精霊にのまれた時から、地下の天井は崩れていた。ラシャの精鋭術による揺れが、恐らくは決定打になったのだろう。
モノははっと気づいた。
「ヘルマン、テオドール……!」
地下にいった仲間がいる。遺構が崩壊しているのだとすれば、彼らが危ない。
庭園はまるで混沌だった。
訓練された騎士達さえ、慌てて正門の方へ駆けだす。アクセルの声も彼らには聞こえていないらしい。
「公女よ!」
「お兄様、待って!」
モノも逃げだそうとしたが、足を止めた。
ラシャがよろめきながらも、立ち上がっていた。宮廷へ戻るつもりのようだ。
「……ラシャ?」
問いかけに、ラシャは何も言わなかった。
輝く狼が、彼の足下にいる。消えかけで、弱々しい姿だ。
揺れの中、狼は遠吠えを放つ。別れのように。
「礼を言う」
ラシャの姿が、土煙に消えた。直後、より激しい揺れが来た。
モノはサンティとアクセルに引きずられるようにして、宮廷を離れた。
「ラシャ!」
地盤が揺れ、崩れていく。
歴史の重みに耐えかねたかのように、モノには見えた。
◆
崩落は、主に宮廷の裏庭を崩して終わった。
数時間後、地下へ入った戦士達は、無事に別の出口から脱出した。ヘルマンやテオドールも、その中に含まれている。
「光る狼が、見えました。それが崩落のない道を、案内してくれたのです」
ヘルマンは脱出の理由をそう語った。彼はモノの停戦を知り、少し目を見張ったが、やがて小さく肯いた。
「フリューゲル公女の、ご随意のままに」
地下の亜人達も、同様に狼に案内されて地上に脱出した。彼らはほどなく、待ち受けた騎士達に捕らわれる。
停戦の大方針の下、降伏の勧告が行われた。大方の予想に反して、ほとんどの亜人が抵抗をやめた。白狼族のラシャとの取り決めであることを告げると、二名の白狼族が他の亜人達に恭順を説得したという。
しかし、土煙に消えたラシャの行方は、知れぬままだった。
これにて、本編は終了です。
次回からエピローグとなります。
次話は10月24日(水)投稿予定です。
あと少しのお付き合いとなりますが、
物語の最後をどの場所でモノが迎えるか、想像をしていただければ幸いです。
答え合わせは二日後に。




