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亜人公女物語 ~猫耳の公女、モノリス~  作者: mafork(真安 一)『目覚まし』書籍化&コミカライズ!
第4章 帝都ヴィエナ

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4-44:鏡合わせ

 サンティと共に飛び込んだのは、玉座の間だった。モノは、恐ろしい光景を目にする。


「お兄様!」


 ラシャが、白銀の鎧に槍を振り上げていた。

 サンティを失った情景と、重なる。

 彼は振り下ろす。今。

 悲鳴を抑えて、モノは力を総動員した。


「だめ!」


 槍を、水の塊が受け止めた。


「ラシャ!」


 褐色の顔に、モノは息を呑む。頬がこけた、精悍な顔つきだ。

 氏族の仮面を外したラシャは、ウォレス自治区で対面して以来だ。

 でもあの時よりもずっと、悲壮な顔をしている。どれだけのものを見たら、こんな顔になるのだろう。


(目が――)


 モノはぞっとした。まるで、死人の目だ。

 砂漠のように乾いて、そのくせ恐ろしい熱を発している。


(押されちゃ、だめだ)


 モノは、ラシャをにらみ返した。


「そこを、どいて!」


 続けざまに、水の弾を放つ。

 ラシャは槍で切り払った。矛先に触れた水が、たちどころに蒸発していく。


「すごい熱だ」


 オットーが舌を巻いた。

 飛び込もうとしていたサンティも、恐れたように距離を取る。


「ググゥ」

「な、なにあれ」


 ラシャの槍、その矛先は白熱したように光っている。時折、目を刺すように輝いて、精霊の気配を感じさせた。


精霊術師(イファ・ルグエ)になったんだ)


 思考を、オットーの観察が裏付けた。


「矛先からマナを感じる。あそこに宿った光が、彼の精霊だ!」

「は、はい!」


 モノは水筒から、短剣に水をまとわせる。


「騎士達よ、何をしとる!」


 アクセルが叫んだ。手負いにむち打って、(げき)を飛ばした。


「公女に、続けぇ!」


 騎士達がラシャへ殺到する。鎧と虎が、ラシャを取り囲んだ。


「我ら騎士の後ろに、公女様」


 ラシャは素早く動いた。白熱する槍で包囲をこじ開ける。一歩、二歩、弾むような動きだ。後を追うように、矢が壁に突き立っていく。

 モノの背中を、アクセルの声が追いかけてきた。


「気をつけるのだ。あいつ、奇跡も使うぞ!」


 瞬間、ラシャの動きが変わった。

 まだ人が倒れたままの玉座で、槍の石突きを地面に当てる。目を閉じて、つかの間、祈ったようだ。

 厳かさは、錫杖を揺らす神官の姿を思わせた。


(奇跡――!)


 戦慄が駆け抜けた。


「サンティ、壁!」


 水の虎が、体から水を吐き出した。

 水を薄い膜にし、モノはその後ろに飛び込む。全ての騎士を守りたいが、とても間に合わない。

 閃光、轟音。

 猫耳が伏せる。目が慣れると、騎士の半数以上が倒れていた。水の膜で守れたのは、近くにいた三人だけだ。


「これほどの、奇跡――」


 オットーのネズミは、震えていた。

 ラシャの右腕には、青い布が巻かれていた。島の時からずっとそうしている、聖教への改宗の証である。


「神官の祈りは、そもそもマナを集めるためのものだ。光の精霊を操るくらい、膨大なマナがあるなら、確かに奇跡を使えても不思議じゃない」


 でも、とオットーの言葉は続く。

 モノは慎重に出方をうかがった。


「どうやって、心の力を得ているんだ? 誰が彼に祈っている?」


 モノは精霊術師の感覚を広げた。彼に宿った精霊に、語りかける。

 やがて一頭の獣が見えた。


(狼だ)


 ラシャについているのは、狼の精霊だった。モノが祖先の穴で、置き去りにしてしまった精霊に違いない。

 モノは精霊術師の感覚を、さらに広げていく。狼の、さらに後ろ。彼らに力を与えている、心の力の源へと。

 ひっ、と悲鳴が漏れた。


(祈ってるのは、生きてる人じゃない……!)


 ラシャの後ろに、大柄な神官が見えた。精霊術師、エゼノの影が見えた。そのほか、何百人もの、亜人が見える。

 強い憎悪を感じた。

 地下は心の力――マナが集う場所だ。そこに残されたマナに、戦いで死んだばかりの亜人の魂が加わっている。


「氏族の憎悪を、力に変えているのか。神官やモノが、祈りを力に変えるように」


 オットーはモノと同じ結論に辿り着いたようだ。


「追わせるものか」


 ラシャはうわごとのように言った。

 亜人を追い出せ。帝都を取り戻せ。外からの声が、束の間の静けさに聞こえ出す。


(追わせる?)


 モノは、ふと違和感を覚えた。彼自身からは、戦意を感じないのだ。

 ラシャに向けて放っていた、精霊術師の共感の力。

 荒れ狂う憎しみに混じって、ある情景が浮かぶ。

 絶望し、逃げ出す、地下の亜人達だ。白狼族の姿もある。

 ラシャの記憶の断片だろうか。


(ラシャは、誰かを逃がそうと……?)


 だとすれば、激しい戦いなど必要ない。

 停戦。

 その選択肢が頭を過ぎった。


「公女様、あなたは後ろに」

「水で、援護を願います」


 騎士がクロスボウを装填、ラシャに向けた。ラシャは足を使う。よろめきながらだというのに、見事な回避だった。

 戦士の動きが、体に染みついている。


(止めないと)


 停戦の考えはモノを勇気づけた。

 戦闘が踏みとどまらない限り、きっと亜人との戦いは繰り返しになる。帝都の亜人を滅ぼした後は、次は帝国の中に侵入してきた軍勢へと、戦いは続いていくだろう。

 モノと家族は、また離れ離れになってしまう。


「お兄様、ちょっと無茶しますっ」


 涙を払って、モノは地を蹴った。絨毯を踏みしめ、加速。光の槍が耳を過ぎる。

 ラシャの手元で、またもマナが膨れあがった。


「次が来る!」


 オットーが肩にしがみつく。


「当たりません!」


 ラシャが槍を突き出した。横に転がる。

 光の槍が、今度は肩をかすめる。

 モノは目の前に水の膜を生み出した。

 次の光の槍は、モノを大きく逸れて壁に当たった。


「これは」


 ラシャが目を見開いた。

 モノは水の壁を、まっすぐではなく、弓なりに歪めて立ち上げていた。


「いいぞ。光の、屈折(、、)か。ラシャが見たのは、水で歪められた君の位置だ」


 海上の幻、蜃気楼と同じ原理だった。

 水に入る時、光は歪む。ラシャが放つのが光そのものであるなら、水で進む先を歪められるはずだ。


「山猫めっ」


 次いで、電撃。槍を錫杖のように地面に突くと、矛先から電撃が生まれる。

 静止した槍に、サンティが噛みついた。


「退いて、ラシャ!」


 ラシャは止まらなかった。喉から、遠吠えのような叫び。白熱する切っ先を、水の虎ごと振り回す。

 光と電撃が嵐のように乱舞し、モノ達を遠ざけた。


「私も、戦いは、やめたいのっ」


 呼びかけにも応じない。まばゆい光が起こり、視界が回復すると、そこにもうラシャの姿はなかった。

 猫耳を立てる。遠ざかる足音は、すぐに消えた。


「公女様。増援の、包囲を待ちましょう」


 騎士の一人が進言した。モノは首を振る。


「いいえ。追いかけて、彼を止めます」


 騎士が驚きに目を見張る。新しい決意が、強く胸に宿っていた。


「地下への進軍を、宮廷で止めさせてください」



     ◆



 なめらかな壁と床が、延々と奥まで伸びていた。天井は高く、所々で石材が青く光るおかげで、松明も不要だ。

 言われなければ、ここが地下だとは気づかないだろう。


「これが、中枢か」


 フリューゲル家の家令、ヘルマンは呟いた。

 地下では、ゲール人の部隊が着々と制圧を続けていた。ヘルマンは左腕の怪我を押して、隊の一つを指揮していた。

 左右には洞窟と一体化した建物がある。見上げれば、建物同士を二、三階でつなぐ橋が各所に渡されていた。往事は、この場所に何百人という亜人が住んでいたのかも知れない。


「これほどの技術を持ちながら、ずっと、地下にいたとは」


 ヘルマンが呟くと、隣で白塗りの顔が肯いた。地鼠族のテオドールだ。


「私もここに来るのは初めてです。噂通り……いえ、それ以上です」


 彼もまた視線をあちこちに向けて、珍しく上の空だった。

 ひょうと涼しい風が吹いた。微かに草の匂いがする。


「風が出ていますな」


 白塗りの顔がしかめられた。


「地下ではそうあることではありません。公女様が開けた穴と、関係があると思われます」

「とすれば……」

「ええ。やはり、落盤の懸念が」


 実際に、来た道の一部では天井が崩れ、道がふさがっていた。手負いのヘルマンが志願したのは、老いぼれにこそ相応しい任務だと感じたからだ。

 五十年帝都を支え続けた遺構だ。それも、世界中にマナをまき散らす光の柱のせいで、耐力は限界に近づいているようだ。

 ヘルマンは後ろを確認した。はぐれた者がいれば、命に関わる。


「おのおの、隊を乱さず。逸りませぬよう」


 騎士達は頷いた。

 逸るな、という指示は土台無理かもしれなかった。

 騎士達は、兜の奥でぎらぎらとした戦意を目に宿している。総勢、百名と少し。同じ規模の隊が、あと二つ別ルートで侵攻しているはずである。

 考え得る逃げ道の全てに、ゲール人は兵士を差し向けた。


「……ヘルマン卿。地下の亜人は、根絶やしになりますな」


 テオドールは言った。ヘルマンは首肯する。


「やむをえません」


 テオドールには地下の同胞意識があるだろうが、ヘルマンの考えは別にある。

 公女は迷っていたようだ。

 しかしこればかりは、断固やらねばならない。


「地下の亜人は、生きながらえても、永遠に敵のままでしょう」


 冷酷な判断だ。だからこそ確信がある。


「誰かがやらねばなりません。たとえフリューゲル公女の、ご随意に沿わなくとも」


 言った時、ヘルマンは眉をひそめた。

 水の音がする。風に湿り気が混じり始めた。


「……地下から、水がくみ上げられている?」


 答えはすぐにやってきた。周囲の壁を、逆流する滝のように、水が昇り始めたのだ。


「公女様……!」


 呻いた時、遠くに人影が見えた。地下の亜人達に違いない。


「重装兵、前へ」


 狭い逃げ道を塞ぎながら、騎士達は敗残の亜人へ迫る。



     ◆



 水の精気を感じた。

 ラシャは呼吸を整えることを、己の体に許す。

 公女は強い。単なる娘でありながら、比類ない精霊術師であり、虎を使う狩人でもある。

 彼女を止めることが、一つの目的だ。地下空間に水を流し込まれれば、それだけで仲間達は全滅する。


(モノリスの様子は、少し違ったな)


 もしかすると、彼女は地下の亜人をも助けようとするのかもしれない。これほど戦った後に、馬鹿げた想像だが。


 ――逃げるだけでいいのか?


 頭に不気味な声が響いた。

 狼の精霊を通して、無分別に、声が頭に押し込まれる。


 ――時間を稼ぐとは、ゲール人を殺し続けることだ。

 ――戦え、戦え。


 消えかけた戦意が蘇る。ラシャは己が戦っているのか、それとも誰かが己の体を戦わせているのか、もはや分からなくなっていた。

 確かなのは、一つだけだ。

 白狼族の仲間だけは、故郷に送り帰す。

 そのために、ラシャはあえて皇帝を殺さなかった。囮でいいのだ。ゲール人の憎しみを刺激することはない。


(なんだ)


 ラシャは足を止めた。音もなく踵を返し、近くの部屋に身を潜めた。

 床が、きらりと輝いて見えたからだ。

 きらめきは徐々に範囲を広げ、ラシャの方に近づいてくる。


(水、だ!)


 驚きが走った。


(宮廷に、水が走っているっ)


 廊下の先から、波が押し寄せた。

 窓から見える噴水が、勢いよく水を吐き出している。そのまま水の架け橋を描き、宮廷へ殺到した。


「地下の水を、これほどくみ上げたのか」


 逃げようとして、ラシャは表情を歪めた。

 水の中、どうしても足音がしてしまうのだ。裸足になっても、水をかき分ける音は消しようがない。公女の猫耳は、きっとすぐにラシャを見つけ出してしまうだろう。ラシャの頭の横で潰れた耳と違い、彼女のそれは大きい。


(計算高いな)


 ぱしゃり。

 不意に、水音がした。入った部屋の、すぐ側からだ。


(公女か、あるいは、騎士か)


 鼻を鳴らす。

 生き物の気配だ。矛先に宿った光の狼が、輝きを発し始めた。


 ――そうだ、やれ!


 制御不能の衝動が膨れ上がる。敵を殺せと、耳に声が押し寄せる。

 刺突は、空を切った。

 いや――水で象られた、ウサギがいた。矛先はウサギの遙か頭上、人の喉がある位置に空しく突き出されていた。

 公女は体の中に、無数の精霊を住まわせているらしい。その一匹が、勝手に出てきたのだろう。

 ウサギはラシャの攻撃に驚いたようだ。

 やがて、ぴょんと跳ねる。のんびりと遠ざかっていく。

 ラシャは廊下に立ち尽くした。

 なぜか、故郷の島のことを思い出した。あの島も今のように、水の精気と生き物に満ちていた。


「ラシャ」


 名を呼ばれた。

 廊下の先に、公女が立っていた。銀髪の猫耳が窓を背負って、毛先に光を宿している。眩しいほどに。


 ――公女の猫耳にかけて!


 帝都の路地から、気の抜けるかけ声がする。

 ラシャは溜息をついた。

 獣の耳があるゲール人と、獣の耳がない亜人が向かい合う。

 ずっと逃げていたものにようやく捕まったような、不思議な安堵と諦観を覚えた。

 公女が何かを言いかける。ラシャはそれに、あえて被せた。


「俺とお前は、まるで鏡あわせだな」


 ラシャは苦笑した。


「ほとんど同じなはずなのに、いつも戦ってばかりいる」


 公女に言わせなかったのは、彼女の提案が不可能だと知っているからだ。

 ゲール人は止まるまい。

 地下の亜人にも、完全に無抵抗となる者はいないだろう。

 戦いは続く。

 だからラシャも止まらない。

 一分でも、一秒でも。

 ゲール人にとって危険な存在であり続ければ、仲間は遠くへ行けるのだ。

 荒涼とした事実を、今になって強く感じる。

 二つの種族は、うまくやれない。なぜなら、そのようにできていないからだ。


我らの父君に(ンナーイィ)


 ラシャは白熱する切っ先を、少女に向けた。


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