4-43:背に負うもの
宮廷に近づくにつれ、モノは奇妙な点に気づいた。
静寂だ。
大きな、強い精霊が現れた。
それは確かなのに、宮廷からはなんの物音も聞こえない。運河の開けた視界から見える白亜の建物は、ひっそりとしている。まるで、遺跡になってしまったようだ。
「……光の柱は、見えないな」
オットーが言った。
モノは同意する。運河を進むモノ達は、もう宮廷の柵が見分けられるところまで迫っていた。
「公女よ、西の門がある。そこから入るのはどうだ?」
アクセルの言葉に頷いた。
猫耳を立てて、警戒を継続する。
「皆さん、回り込みましょう」
言った時、モノは上空からの声を聞いた。
「モノ!」
猫耳がピンと立つ。
大鷹族のギギが、グライダーで追いついてきた。水上を駆ける一団に、さっと黒い影が落ちる。
「ギギ!」
「上から偵察してくる!」
「あ、危ないよっ」
「今さら、何言ってるのよ」
グライダーがふわりと舞い上がる。同時に寒気がした。
運河から見える、宮廷。視線を感じる。窓の一つに、人影が見えた。
薄闇で腰を落とし、何かをこちらに構えている。
(槍だ)
戦慄が全身を駆け抜けた。
「散って!」
サンティが吠えた。モノは反射的に身をかがめる。
どん、と水が爆ぜる。柱のようにそそり立ち、雨のように降り注ぐ。
「敵だ!」
モノ達は運河の横幅いっぱいに広がる。流れの合流地点だったので、少し幅があったのが幸いした。
が、それは物陰のない水上にいるということでもある。
衝撃が続けざまに襲う。
水しぶきが乱舞し、軍馬が暴れる。落馬する騎士がいなかったのは奇跡だ。
「隠れるぞ!」
アクセルが声で鞭を入れた。
モノ達は運河を駆け抜けた。
「モノ、攻撃されてるよっ」
「お兄様、み、耳掴まないで!」
水の壁を立ち上げるが、衝撃は次々と抜けてくる。
水面が爆ぜ、モノ達を追い詰めた。
オットーを頭に乗せながら、宮廷を盗み見る。
(光だっ)
宮廷の窓が、きらりと光る。次の瞬間には、水が爆発している。
「光が飛んできてる!」
水の壁で、光を防ぐことはできない。
衝撃がかすめて、モノはバランスを崩した。
「モノ!」
次は、避けられない。
目を閉じた時、大きな影がモノを庇ってくれた。ギギだ。グライダーの翼が、光を受け止める。
はじけ飛ぶ骨組み。裂けた翼が冗談のように飛んでいく。
「ギギ!」
運河にはね飛ばされたギギを、モノは水の塊で受け止めた。アクセルが馬を飛ばして、拾い上げる。
水面に赤いものが混じっていた。
長兄が、左肩から血を流している。傷が開いたのだ。
「公女よ、水の上ではいい的だ!」
「……あそこから、上がりましょう!」
モノ達は針路を変更した。橋をくぐり、敵の視界から消える。
陰を移動し、運河から道に上がった。
「光の、槍か」
アクセルは言った。同じ馬上で、ギギが咳き込んでいた。
「公女よ、お前は知らぬかもしれんが、光の柱も同じものを撃っていたのだ」
モノは感じた怨念を思い出し、暗い気持ちになる。
「はい。でも、なんだか……これは違います」
闇雲な破壊ではない。怨念のまま暴れていた、堕精霊とは明らかに違う。
気配を殺し、淡々と攻撃してきた。
まるで、狩人のように。
「モノ、心当たりがあるのかい?」
オットーに、モノは顎を引いた。
「相手は、ラシャという亜人かもしれません」
ギギがはっと息を呑んだ。
「ラシャ、あいつ……」
「手強い男だった」
アクセルは難しい声を出した。
「公女よ。だとすれば、手負いの獣ということになるぞ」
脳裏に、白狼族の亜人のことが過ぎった。
魔の島を襲い、サンティを殺した亜人達だ。
「グウウ」
サンティがうなる。
「お前……怖い?」
虎は否定するように、体を揺らした。モノはぎゅっと口を結ぶ。
装備を確かめた。短剣、それに水筒。
「敵は、光か」
肩でオットーが言った。
「水の性質で、何か対抗できるものがないか、僕も見ておこう」
「はい。今は、近づきましょう」
ギギを安全な場所で降ろし、モノ達は宮廷へ向かった。
「仲間を呼んでくる。無事でね」
別れ際、大鷹族の精霊術師はそう約束した。
先ほどとは打って変わった、音を押さえた静かな行軍になった。
「止まれ」
アクセルが合図した。
モノは隠れたまま、宮廷の様子を偵察する。水の板を作って、鏡のようにしたのだ。
白亜の建物には、とりたてて壊れた場所はない。美しい庭園も、かつてのままだ。それがいっそう、不気味だった。
「モノ、噴水が……」
オットーに言われて、気づいた。
噴水は、すでに水を噴くのをやめていた。地下の異変と関係があるのかもしれない。
「斥候を送るべきだ」
アクセルは騎士を一人、斥候に向かわせた。
馬を蹴立てて、正門に近づく。衛兵もおらず、門は開け放たれていた。
「……異常ありません」
どうする、と長兄に問われた。
「公女よ。二択だ。援軍を待つか、それとも、我々だけで進むか」
モノは迷った。
援軍を待っていれば、敵は姿をくらましてしまうかも知れない。あれほど強力な敵を逃がすのは、危険が大きすぎる気がした。
「敵の目的は、何でしょう?」
「さてな。単純な足止めか、それとも、本当に復讐を狙っておるのか」
宮廷は静まりかえり、敵の意図を読むことはできない。
足止めならば、援軍を待つのも選択肢の一つだろう。危険な敵を逃がしてしまう可能性は、高まるが。
「閣下」
アクセルに、騎士の一人が囁いた。
「宮廷には、皇帝陛下がお戻りのはずでは」
「……そうであったな」
アクセルは苦々しく言った。モノは驚いたが、あの状況でも皇帝は宮へ戻ったらしい。
モノは決断した。
「宮廷へ入りましょう。ただし、二手に分かれて」
できるだけ早く、この精霊術師と対峙した方がいい。
アクセルが尋ねた。
「だが、分かれると分散になるぞ」
「相手は一人だと思います。精霊の気配は、一つだけですから」
モノは翡翠色の瞳をきらめかせた。狩人というなら、モノだって島では狩人だったのだ。
「私と、お兄様。二方向から宮廷に近づけば、敵は混乱すると思うんです」
モノ達は馬と虎で、素早く位置についた。
王太子マティアスがつけてくれた宮廷の親衛隊が、細かい道筋を采配してくれた。
アクセルは正門から、モノはサンティで塀を乗り越えて、宮廷へ入る。どの窓からも狙われにくい道筋だ。
(お願い)
精霊術師の力を、立ち上げる。
モノは祈った。
水の力を借りて、庭園に霧を漂わせる。霧はみるみる濃さを増し、建物が霞むほどになった。
オットーによれば、霧は雷や光を弱めるらしい。
今日は力を使いすぎたせいか、頭にじんわりと痛みが広がる。
「モノ?」
「平気です、お兄様」
笑って、合図をする。ギギから笛を借りていた。
「行きましょう!」
サンティと一緒に塀をよじ登り、越えた。一瞬ひやりとしたが、すぐに霧の中に紛れ込む。
敵は撃ってこない。
一人と一頭は、霧の中で息を殺した。
「サンティ、身を低く」
「グウ」
生け垣や花壇の合間を縫う。霧で視界が効かないが、これは仕方がない。
どん、どん、と正門の方で音がした。
(お兄様の方に、敵は行ったんだ)
壁に当たったと思ったら、そこに開いたままの窓があった。
乗り越えて、中に入る。廊下は、ロッソウ大臣と面会するために、モノも通った場所だった。
「急ごう」
いつの間にか、攻撃の音も止まっている。兄達も宮廷に辿り着いたと信じるしかない。
(ラシャ……! やっと、終わりそうなのに……!)
いつまでも続く戦いに、心細くて、涙が滲んだ。
◆
宮廷に辿り着いたのは、騎兵の三分の二ほどだった。二十名になる。残りは庭で、光の直撃を受けたり、暴れた馬に振り落とされたりして、脱落していた。
(恐ろしい敵だ)
アクセルは思った。
他に選択肢がなかったとはいえ、入り組んだ場所に巧妙に誘導された感覚がある。
多勢を相手にした経験が豊富なのだろう。
「閣下」
「静かに。まずは、陛下の御身だ」
進むと、アクセルは不思議なものを見つけた。
剣や、槍、それに兜。まるで目印のように、武具が落とされている。
奥へ、奥へ、と。
アクセルは兜を外し、しばらく自分の耳と鼻で気配を探った。どんな物音もしない。巨大な建造物を、風が駆け抜けていくだけだ。
「誘い込むつもりか」
「おとぎ話では、この先にウサギがいるはずですが」
「無駄口はよせ。閣下、私が前に」
アクセルの副官が、先頭に立った。
背後に注意しながら進む。どこから、あの光が撃ってくるかは分からない。
(当たれば――)
アクセルは想定した。
光の柱が放った槍は、天井を崩したり、水を爆ぜさせたりした。アクセルの印象は、巨大な槌だ。
騎士といえど、まともに食らえば、甲冑の中で骨身を砕かれてしまうだろう。
「音と気配に注意せよ」
アクセルは兜同士を触れあうようにして、騎士達へ警告した。
弩兵は、すでにクロスボウに矢を番えている。二十名ほどの騎士が、弩兵を守るような陣形で前進した。
「まず、敵の位置を特定するのだ」
玉座の間に辿り着いた。
モノが公女として、認められた場所でもある。
鏡が割れ、調度が散乱し、荒れ果てた雰囲気だ。そのくせ、美しい大理石の床は白々しい輝きを放っている。
奥に、十名ほどの兵士が崩れていた。彼らに守られるようにして、一人の老人が仰向けになっている。
「……皇帝、陛下」
アクセルは呟いた。
慎重に駆け寄り、容態を確かめる。
痩せていた顔は、血の気が失せ、すでに完全な死人だ。しかし――
(生きている?)
かつては大きな体で、騎士達を睥睨した。帝国を最盛期に導いた皇帝でもある。皇帝の青春は、亜人との戦いに捧げられた。
老いと病に蝕まれるよりも、激発した憎しみに身を委ねることをよしとして、宮廷へ戻ったのだろうか。
だが、死はこの老人を避けて行った。
(ラシャ)
これほどの機会がありながら。
臣下として無事を喜びつつ、アクセルはラシャという亜人に計り知れない意図を感じた。
「う」
声がした。兵士の一人が、うめく。
(まさか……誰一人、殺していないのか)
部下が、兵士を抱き起こす。
「うしろ、だ」
体をひねったのは、ほとんど勘だ。
頭がある位置を、光の槍が駆け抜ける。一瞬、狼の目が見えた。
(光の――大狼か)
騎士のクロスボウが、狙点に向かって放たれる。敵は避けさえもせず、槍で切り払った。
「ラシャか」
アクセルは兜の中から睨みつけた。極彩色の仮面は、すでにない。
短槍の先端が、白熱したように輝いている。
熱に浮かされたような、異様な眼光だった。まるで心の中で、何かがせめぎ合っているような。
(精霊が、宿っているのか?)
光の柱の、最後のかけらといえるかもしれない。
ラシャがよろめく。咳き込み、それでもなおアクセルを睨みつけた。
「……ここでやめるわけには、いかぬのか?」
アクセルは問うた。最後の問答になるだろう。
「黙って闘え」
ラシャが槍を構える。アクセルは身を低くした。
敵の動作が読めた。光は、槍から放たれる。ならばその動作は、おそらくは通常の突きと変わるまい。
「閣下!」
「囲め」
指示を出し、アクセルは踏み込んだ。
一歩目。ラシャが次の突きを繰り出す。
光は、アクセルの肩をかすめた。
近づけ! 近づけ!
本能が叫んでいた。敵は苦しんでいる。己の分を越えた力は、短く振り回そうとするほど、手に余って暴れるはずだ。
「ぐっ」
二歩目。
頭を、光がかすめる。アクセルは兜の隙間から、ラシャを見上げた。
限界まで体勢を低くして踏み込んだため、見上げる形になった。
上半身が低空を横切る。踏み出した足で耐えて、アクセルはラシャの顎に頭突きを見舞った。
「がっ」
敵の上半身が泳いだ。
たたらを践んだ敵を、追い立てる。構えた剣で、突く。
ラシャはかろうじて、槍で剣先を逸らした。頬に赤い筋が生まれる。
「終わりだ」
アクセルは力を込めた。
燃える血液。双頭の鷲、フリューゲル家の血統。
容赦なくラシャを焼こうとした瞬間、体に衝撃が走った。
目が眩み、今度はアクセルがよろめいた。
「これは」
まばゆい光が、アクセルを撃っていた。
(電撃っ)
喫驚した。
「奇跡だとっ!」
騎士達が悲鳴を上げた。金属鎧では、奇跡の電撃は防げない。
ゲール人は、同胞の奇跡を受けたことがほとんどなかった。奇跡とは、神官に特有のものなのだ。
「精霊術も、奇跡も、マナを使う点では同じだ。巨大な力を放てるなら、奇跡と同じように、雷を放つこともできよう」
血を吐くように、ラシャは言った。揺らぐ視界。アクセルはラシャの背後に、大柄な男が立っているように思えた。
笑みとも悲しみともつかぬ顔で首を振り、男は姿を消す。
しゃらん、という錫杖の金属音は幻聴だろうか。
「もう、たくさんだ」
ラシャが槍を振り上げた。




