4-31:力を合わせて
ひっと、モノは息を吐いた。
感じたのは、恨み、怒り、そして激発の悦び。
大勢の人の記憶が、モノの心を突風のように吹き抜けた。
草原に雷が落ちる。騎士が並んで行進し、亜人達を追い立てる。勇敢に戦う戦士達。子供達はその姿を覚えている。
二度と語らぬ背中が、彼らを復讐に駆り立てるのだ。
先祖の先祖、そのまた先祖。連綿と続く物語が、氏族を高ぶらせる限り。
――敵を倒せ。
――俺達の敵を殺してくれ。
悲しみも、怒りも、痛いほど理解できてしまう。
結果を想像する気力は、とうにモノから取り上げられていた。
彼らが望むまま、モノは精霊術師の力を振るった。遠くで、悲鳴が聞こえた気がした。
(だめだ)
拒む気持ちも、もはやぼんやりとしたものだ。
地下に封じられてきた、無数の動物たちの意思。今を生きる、復讐に燃える亜人達の意思。二つの意思が、共感という力を通して、モノに流れ込んでくる。
◆
「エゼノ師」
マクシミリアンは呻いていた。
洞窟は、光に満たされている。目はとっくに潰れ、声と、手の感覚だけが頼りだ。どうやら土に横たわっているようだったが、それさえも判然としない。
手足を伸ばし、周囲を探る力さえ、神官には残されていなかった。
――エゼノ?
音なき声がした。
マクシミリアンは、気づいた。
「ああ、元に戻ったのですね」
柔和な笑みが深まったはずだが、それを視認できる者はいないだろう。光の中では、何もかもが白く塗りつぶされている。
もはや、エゼノからの応えはない。
マクシミリアンは長く息を吐いた。
「私も、じきにこの場を墓所とするでしょう」
ここは『祖先の穴』と呼ばれる帝都の地下空間の、中枢である。大陸に残った精霊術師達は、この場に集まり、探求を始めた。
「あるいは、私も導かれるのでしょうか。こことは違う、別の場所へ……」
聖教府も、宮廷魔術師も、亜人の神話も、もう一つの世界を暗黙に認めている。光の神も、精霊も、こことは違うどこからかやってくる、と。
であればこの座こそ、もう一つの世界に最も近しい場所だった。
マナを水に例えるとするなら、渦のようなものだ。帝都や、草原、遠くの島――ありとあらゆる場所で使われたマナが、最後にはここに流れ着く。
亜人学派が、常人では気が狂うほど長く、地下暮らしをできた理由はこの場にある。
自他の境も、時の経過も、あいまいになる。この場で探求を行う内に、精霊術師達は自分が元々誰であったかも、どれほど時が経ったのかも、忘れ始めた。
モノやマクシミリアンが話していた、エゼノという名の男は存在しない。
エゼノとは、亜人の言葉で『悪霊』を意味する。文字通り、誰でもない悪霊なのだ。
数多くの精霊術師の心が、混じり合い、生み出された影に過ぎない。
「エゼノ師。すでに、どこかへ帰ったのですね……」
恐らく、エゼノが使った山猫族の体も、役目を終えたのだろう。ほど近い場所に転がっているはずだ。
そして、マクシミリアンも後を追う。
「役割は終わりました」
マクシミリアンは喉を震わせた。
「光の精霊。これは、人種も氏族も、なにも問いません。願いがあれば、それを聞き届け、実現させるでしょう」
マクシミリアンが願ったのは、神話の再現だった。
光の神は、願いを聞き届ける。それをどのように使うかは、後々の亜人と、ゲール人が決めればいい。
二つの民の間に、もはや力の差はない。どちらも、己の未来を自分で選び取る力を得た。
どんな祈りも、願った瞬間に成就しているのだから。
後は互いの意志が、見えざる手として世界をよい方向へ導いていくだろう。
(争いは、なくなるだろうか?)
結末は、分からない。
神は現れた。しかして世界は、人々の意思に委ねられたのだ。
正しいことをしたという確信が、神官にはある。
(ああ、終わりだ)
視界が暗くなっていく。
行軍を続けた上、己の体に堕精霊を封じ込めるという無理さえ冒した。体が壊れるというのは、もはや仕方の無いことだ。
(終わりなのだ――)
マクシミリアンは目を閉じる。
心に、鈍い痛みが差す。
この計画も、マクシミリアンが望んでいた世界も、仲間に話したことはない。死の淵で抱えるこの孤独が、あるいは先駆者の代償だ。
「公女モノリス――辛い役目を、申し訳ないことをした」
看取る者のいない死の淵で、マクシミリアンは今まで自分が使った者の名を口ずさんだ。
多くを殺め、多くを苦しめ、狂わせた。
正しいという確信はある。
宣教の土地で、光に対して得た気づきを、人々に伝えなければならない。言葉ではダメなのだ。
マクシミリアンは『九九条の提言』を共著もしたが、結局聖教府は変わらなかったではないか。
「精霊術師ギギよ――」
神官の懺悔を聞きとる者はいない。ぽつり、ぽつり、と神官は名を唱えていく。
「――ラシャ」
その言葉が、神官の最期となった。
耳のない亜人。虐げられた亜人の中で、さらに差別されていた槍使いの若者だ。
臨終の秘蹟を己に向かって唱えながら、マクシミリアンは察する。彼を重用したことこそ、マクシミリアンの心の弱さだったのだろう。
あの亜人の中に、自分と同じ孤独を見たのだ。
「許したまえ」
光の中で、神官は役目を終えた。
◆
フリューゲル家が帝都に敷いた陣には、緊張が満ちていた。
長兄アクセルは、髭が浮いた顎をなでる。
陣といっても、運河の中州に浮かぶ聖教府の島、その一部に兵士を立たせたり、荷車を置いたりして区切っただけだ。広場の中央に大机を持ち出して、一応は軍議ができる体にはしてある。
「住民の、疎開は目処がつきました」
部下の報告に、アクセルは頷きを返す。
避難してきた住民らは、市街の各地へ疎開させていた。城壁の外が安全とも思えず、とりあえずは遮蔽物のある場所に分散して逃がすという、苦肉の策である。
「聖堂は?」
「膠着です。鐘楼は、聖教府の象徴。死守しようとする兵らと、我らの援軍で敵を二方面から睨んでいる形です」
報告に、アクセルは聖堂が鍵になるという確信を強めた。敵が強引な攻勢に出ないのは、状況を動かしたくないからだろう。
慎重にならざるをえない何かが、聖堂にあるのだ。
「諸将よ。状況は、知っての――いや、見ての通り」
アクセルは、机に手をつき、左右を睥睨した。
机を囲う者には、微妙な温度差があった。
フリューゲル家や、大鷹族のギギ一派、地鼠族のテオドール一派は、さすがに覚悟を決めた顔をしている。
「帝都に、光が現れた。宮廷の、直下からだ。我らはこれを攻撃だと考えている」
しかし、机を遠巻きに眺める人々は、互いに目線を交わし、牽制するばかりだ。
いずれも宮廷や聖堂から焼き出されてきた、魔術師や神官達である。王太子の求めに応じて、集められた者達だ。
アクセルの話が終わっても、彼らはなかなか言葉を発しようとしない。
(無理も、あるまいか)
集められた神官も、魔術師も、血の気が失せた顔だ。
どちらかいえば若い顔が目だつのは、年配者は亜人との同席を拒否したからだ。宮廷には、まだ亜人を嫌う人間が多い。
王太子もまた、神官らの側に立っている。それでも、これが動員力の限界だった。
「その前に、我らには語らなければならないことがある。にわかには、信じがたいだろうが」
言いかけるアクセルを、震える声が遮った。
「……なぜ、地下から、亜人が?」
恐れる面々の、本心はそこだろう。アクセルは深く頷く。が、落ち着いた雰囲気を醸しても、懸念が晴れるわけではない。
「それについては、余から述べる」
引き取ったのは、意外にも王太子マティアスだった。
繊細そうな顔立ちは、続きに迷ったようだ。しかし、アクセルが見詰め返すと、王太子もまた覚悟を決めた。
貴族も王族も、隠してきた歴史に向きあう時だ。
「多くは、今まで地下にいた亜人達だ。我らは、それを知っていた。亜人が地下に隠れていることを」
陣内にどよめきが起きた。
「……殿下、それは」
「よい。しかし、一つだけ分かれ。その……余も確信が持てないことだが」
マティアスは続ける。
よほど勇気がいることだったようだ。少し話す毎に、何度か唇を震わせる。聖教府のしるしにあやかった、二つの太陽が刺繍された法衣を、片手がぎゅっと掴んだ。
「亜人は、二ついるのだと思うようにしている。神官らが余に教えてきた亜人もまた、正しい。それが、これから我らが戦う相手だ」
アクセルは少し驚いた。細面だが、目に力がある。
意外な胆力だ。
「しかし、そう悪くない亜人もいる。それが今、この陣にいる者達なのだ」
宮廷の知識人は、探るようにギギやテオドール達を見据える。
亜人とゲール人の視線が交じりあう。褐色の肌と、白い肌が机を挟んで向かい合っていた。
「余も、正直を言えば、怖い。だが少なくとも、帝都を破壊する連中よりも、よほどマシな亜人がいるのも確かなのだ」
王太子は熱心な聖教徒で通っている。亜人を差別してきた歴史を見れば、衝撃的な発言だろう。
「余は、公女からそれを教わった」
王族の血は、頭を下げさえした。
「彼らを、今は仲間だと思ってほしい」
陣に、涼しい風が吹いた。初夏の熱を冷ます、心地のよい風だ。
機がやってきた。アクセルは腕を振った。
「軍議に入る」
ヘルマンが机に大聖堂の見取り図を広げる。離れていた者も、机へ一歩近づいた。
「状況は、もはや一刻の猶予もない」
空に轟音が起こった。輝きの槍がまた撃ち放たれ、遠くへと飛んでいく。
絶大な速度と重さで、空を裂いていくかのようだ。
「……この通りだ。ふむ、夜になっても、灯りの心配はなさそうだがな」
さすがに、誰も笑わなかった。妹からの視線が痛い。イザベラは嘆息するだけだが、フランシスカは真面目にやれときつい目なのだ。
アクセルは咳払いをする。
「と、とにかく。現状を解明し、手を打たねばならん。手がかりは」
アクセルは聖教府の聖堂を示した。
「奇蹟だ!」
軍議には聖職者も多く参加している。帝都の英知を集めて、現状を打開するしかない。
「敵が聖堂を占拠したのは、理由がある。何かを恐れたからこそ、そのように行動したのだ」
アクセルは続けた。
「聖堂を占拠するとすれば、真っ先に思い浮かぶのが、聖教府の鐘だ。恐らく、いずれかの奇蹟を行使することを、敵は恐れている」
どよめきが陣に広がる。
「人を集めたのは、そこだ。これから、我ら、剣を持つ者は聖堂の戦いへ向かう。その間、知恵者は鐘で唱えるべき奇蹟を探してもらいたい」
アクセルは周囲を見詰め、結ぶ。
やがて、おずおずとした応えがあった。神官からである。
「……我々も、状況は、原初の神話に似通っているように、思えますな。恐らく奇蹟に頼る判断は、正しいかと」
「ふむ。光の神が現れ、闇を払った、というものか」
「はい。しかし、なんと申しますか」
神官は言いよどんだ。泳ぐ視線に亜人への恐れがまだへばりついていたが、意を決したようだ。
「我々には、にわかに信じがたい。確かに、神話に似ています。むしろ、それをなぞるようです。ですが……」
声は震えていた。
「あれに祈る気は起きない。なぜ、我々を攻撃するのでしょう」
それが、彼らの実感だったろう。
光の柱は、壮麗な輝きをたたえて帝都を見下ろしている。敬虔な信徒であれば、跪き、祈ってしまいそうな偉観なのだ。
そうできないのは、光の柱が無類の悪行を働いているからだ。
神殿を破壊し、きっと同じ威力を持った光の槍を、四方へ放っている。まるで災害だった。
「中に、術者がいるのかもしれません」
宮廷魔術師が発言の許可を求めた。宮廷をいくための黒いローブには、金糸が施され、優美な装束となっている。
「術者とは?」
「心の力を使ったすべてには、行使する人物が必要です。それがあの光の柱を操っている可能性があります」
「ふむ……」
アクセルは腕を組む。
一瞬、モノのことが脳裏を過ぎった。考えることは、どの家族でも同じらしい。
「モノの可能性が、あると思う」
男装の長女、イザベラが囁いた。
あの娘が、こんな異常な術の術者など、考えられなかった。しかしサザンを救ったあの能力と、敵が彼女を求め続けたことを結びつければ、光の柱と無関係とは言えないだろう。
「……敵に、我らはむざむざと最後の鍵を差し出したわけか」
身を焼くほどの悔いだった。
「閣下?」
「む。いや……術者とは、そんなに重要なものか」
「重要です。いわば、奇蹟や精霊と、この世界をつなぐ窓になるのです」
フランシスカが、はっと顔を上げた。
「……奇蹟と、世界をつなぐ、窓……」
「でも!」
悲鳴のような声が、あがった。大鷹族のギギは、鋭い目に涙をためていた。
「ちょっと待ってよ。あの子が、こんな精霊を出すなんて思えない」
精霊、という言葉が、一同の耳を打った。
「……あれが精霊、だと?」
神官が呻く。
ギギは不思議そうな顔だったが、言葉を変えることはなかった。
「私には、精霊に見えるけど」
亜人とゲール人の、認識の違いかもしれなかった。
不可思議なものを見た時、ゲール人は奇蹟や魔術を思い出す。モノと共に、多くの精霊を見てきたアクセル達でさえ、そうだった。
一方、亜人である大鷹族のギギは、まず精霊だと直感したのだろう。
「なるほど、精霊か……」
「私達が見てきた、どんな精霊よりも大きいけれど」
イザベラとアクセルは、目配せを交わし合った。
あの巨大な光の柱が、精霊である。
その中に、モノリスがいる。
すべての事情が、それで説明できる気がした。なんといっても、モノリスは精霊術師なのだ。
「奇蹟に見えても、実は、あれ自体が、精霊……?」
フランシスカが頭を押さえる。話についていけたフランシスカはまだマシな方だ。集められた神官の多くは、目を白黒させるばかりである。
「だとして、どう助ける?」
その問いが、最大の難問だった。
(公女よ……!)
その時、陣を不思議な風が渡った。アクセルは空を仰ぐ。光の柱が微かに揺らぎ、アクセル達に応えたような気がした。
(今のは)
すべては、一瞬のことだ。
ばかげている、と首を振る。思いだけで通じるなど、命を預かる者としてあるまじき考えだ。
「……鍵は、やはり鐘だと思います」
フランシスカが錫杖を揺らした。
「あれが精霊で、その精霊術師がモノなのだとしても」
聖女の声は、陣の中を渡った。
「彼女は大勢の人の心を感得した上で、精霊術を使います。彼女の強大な精霊術は、大勢の祈りを集めて行使する、奇跡に近いものなのです」
陣の視線が、次女に集中する。
本来なら次兄がやるような分析だった。次女も次女で、必死にネズミの兄の穴を埋めようとしていた。
「つまり……モノリスの精霊術の強力さは、彼女自身の、多くの人の意思を感得する才能に支えられています」
フランシスカは、数度、自信が無さそうに周りを見た。
アクセルは促す。
「聖女よ、続けよ」
「鐘は、信徒の祈りを促します。聖教府は、信徒をそのように育てていますから。なら、私達が鐘を鳴らし、モノリスに呼びかけをすれば、彼女が応えてくれる可能性があります」
陣の中で、困惑したような声が上がる。
「……フランシスカ様。応える、とは。具体的に、どうなるというのです?」
神官らは、フランシスカに問うた。
「具体的に、何が起こるかは、分かりません。ですが、少なくとも、光による攻撃はなくなるでしょう」
聖女は錫杖を揺らした。
「モノリスがあの光の柱を操っているとすれば、まずは彼女を正気に戻さなければなりません」
多くは顔を見合わせた。
アクセルをもってしても、即断ができない問題だ。
「全てが、雲を掴むような話だ。霧の中で、星も見えんようなものか」
「ちょっといいかしら」
イザベラが口を開いた。手袋の指を、台座の地図へ滑らせる。
「敵の動きに照らせば、まずはどの道、聖教府の鐘を取り戻すのよね?」
「うむ、そうだ」
「今の作戦に、鐘は必要なの?」
長女の視線に、フランシスカは頷いた。
「……大勢の人の意思を集めるためには、聖教府の鐘が必要です。祈りを喚起するためのものですから」
「なるほど。敵は人々に祈りを集めさせないため、鐘を占拠したとも取れるわけか」
アクセルの呟きに、宮廷魔術師が付け足した。
「確証はない。ですが、反証もない、というところでしょうか?」
アクセルが周囲を見ても、反論は出そうにない。というより、誰もが手探りで、明確なことなど言いようがないのだ。
「一度で決めるとすれば、帝都中にモノを呼び戻す声を響かせるような、それほどの祈りが必要です。失敗は、許されません」
宮廷魔術師や、神官らがさっそく検討を始めた。
地鼠族も、その中に入る。精霊術であれば、確かに地下の亜人の方が精通しているだろう。
「それなら、町中に呼びかけた方がいいわね?」
長女は腹案があるらしい。元々、宣伝や演出は派手好きの得意とするところだ。
「うん、まだ残ってたわ」
やがて表に出た荷車の中から、目的のものを探し出し、目を細める。
「祈りを、帝都中に響かせる、か」
動き始めた陣の中で、アクセルは頭をかいた。
「では、皆。ここは一つ、合図は例のやつをやろうではないか」
長兄はにやりと笑う。
「俺は聖堂で鐘を鳴らす。フランシスカは奇跡を備え、イザベラは時期を見計らい、思い切り宣伝せよ」
公女の奪還に向けて、聖堂への進軍が始まった。
「妹を取り戻すぞ」




