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第七話

 爆音が轟いた。背中を預けている書き割りが振動する。

 舞台でリハーサルが行われているのだろう。

 僕はと言えば、運動着の袖に腕を通すこともせずに、舞台裏の暗がりに座り込んでいた。

 手には、『魔王』用の衣装。漆黒のローブを抱えて。

 少し、遠くに目をやれば、甲冑を着た生徒達が互いにゼッケンを付け合っていた。その中に蓮の姿も見えた。蓮は前回の経験者だから、早々に出番を迎えるのだろう。

 蓮は、僕と教官がどんな話をしたのか、詳しくは知らない。込み入った事情になっていそうだと察したのか、僕と教官が話している間にいつの間にか姿を消していた。

 僕はそれを薄情なのではないと知っている。

 着替えることも無くへたり込んだ僕に、蓮は声をかけてこない。

 もう一度、『魔王』のローブに目を遣り、悩む。

 なぜ、教官は僕にこんなことを言いつけたのか。この事を担任は知っているのか。だとすれば、何を考えているのだろう。

『魔王』は『勇者』が討つべき存在だ。諸悪の根源にして、支配を企む厄災そのものの体現。生きとし生けるすべての者を魂を掌握せんとする恐怖。それが『魔王』だ。

 どんなに勇壮な戦士をも恐怖と畏怖の念に囚えるその巨悪に、立ち向かえるのはこの世にただ一人。『勇者』をおいて他は無い。

 その、勇猛さ。揺ぎ無さ。圧倒的な支配の圧力にあってなお、孤高に輝く聖賢の煌めき。それこそが僕の憧れだった。

 その輝きの遥けさこそが、『勇者』が『勇者』であることの証であり、そして、同時に僕の可能性を押しつぶす不撓ふとうの剛壁だ。僕の魂ではたどり着けない高み。

 僕は立ち上がり。運動着をリュックから取り出すと、着替えを始める。

 制服を簡単に畳み、リュックの上に乗せ、それからローブを羽織った。禍々しい光沢を放つ宝石を戴く指輪を嵌め、数多のしゅが象嵌された腕甲を付ける。

 いくつものりんを連ねた錫杖しゃくじょうを取ると、一斉に鈴が鳴った。野望渦巻く者の傍らにあるには似合わぬ様な、涼やかで美しい音色だった。

 教官や担任の心中は察するに難い。

 ただ、この衣装を纏う意義を、自分の中でなら見出すことが出来た。

 決してたどり着けない頂きを見続けていては、自分の足元を見ることは出来ない。『勇者』の対極にある存在としての『魔王』を道化(どうけ)る事で、今まで培ってきた『勇者』への憧憬を断ち切る事が出来るかもしれない。

 諦めが悪いのも格好が付かないじゃないか。そう、決心し、僕は舞台裏の暗がりから、光を求めて歩き出した。自棄(やけ)かもしれないと我ながら思うが、それでも構わなかった。

 舞台袖には、すでに甲冑が居並んでいた。準備を終えた生徒達だ。

 その中に一際光と存在感を放つ姿が一つ。あの『勇者』だった。

「おぅ、着替えたのか? やるんだな?」

 いつの間にか、脇に立っていた教官に声を掛けられる。

 やるから着替えたに決まっている。どこか僕が逃げ出すのではないかと思っていた節があるかの様な口調だった。面白くは無い。 

「えぇ、やります」

 僕は教官を振り返らず、舞台を見据えたまま言った。

 やってやろうじゃないか。

「まぁ、頑張れ」

 そう、言いながら僕の肩を叩いた教官は、甲冑を掻き分け舞台の上に出て行った。舞台上の教官は、僕達を軽く見回して口を開く。

「よーし、大体準備できたな。じゃあ、これから、一度模範を見せる。九条っ!」

「はい」

 教官の声に呼応して、涼やかで伸びのある声が、居並ぶ甲冑の群れを割って後方から挙げられた。

 九条と呼ばれた件の『勇者』は兜を小脇に抱え、舞台上へ向かう。その挙動からは、整然とした英気が溢れ、生徒達は自然と身を引き九条先輩の道を開けた。

 九条先輩が舞台に上がるのを待って、教官が説明を続ける。

「九条はすでに『勇者』として転生を控える身だ。最上級生。キャラクターとしての『魂』を極めた存在がどういうものか、しっかり目に焼き付けとけ」

「よろしく」

 九条先輩は舞台上から、そう一言告げ、僕達を睥睨した。

 謙遜も驕りも無い。

 上から見下ろされていると感じるが、しかしそこに嫌な感情は浮かばない。眼前に立つ存在は紛れもない英傑であり、超然とした存在なのであると、相対する人に信じて疑わせない。そんな佇まいだ。

「あくまで、手本じゃない。真似なんて出来るもんでもないしな。自分達の思う『勇者』像でかまわん。九条の模範はそのイメージを膨らませるきっかけみたいなもんだと思え。

 よし、じゃあ、始めるか。ゼッケン1から3番までのやつは舞台袖で準備をしておけ。それ以外の奴は下だ。前回実習を受けてない奴は、他の奴の演技もいいが、台本にもしっかり目を通しておけよ!」

 そう言い放ち教官は、パンパンと二回強く手拍子を叩く。その音を合図に、生徒達は散り散りになり、舞台上のセッティングをする教官補佐の人たちが慌しくセットを確認し始めた。

 今のうちに台本にもう一度目を通しておこう。そう思いながら、舞台袖へと足を伸ばそうとすると、教官の声を背中に受けた。

「おい、能見!!」

 また、嫌味の一つでも言われるのだろうか。そんなことを思いながら嫌々振り返ると、そこにはきょとんとした表情を浮かべている教官の顔があった。

「どこ行くんだ?」

 不思議そうな顔を浮かべ、教官は僕に聞く。

 僕は僕で教官に聞く。

「どこってなんですか?」

「いや、出番だろ。聞いてなかったのか? 話?」

 眉を寄せいっそう怪訝さを露にする教官は続けてこう言った。

「九条が模範を見せる。独り芝居じゃないんだ、『魔王』が要るだろ」

「はぁっ?」

 間抜けな声が漏れた。

 でも、それも仕方の無いことではないだろうか。憧れの『勇者』に対峙する『魔王』役を務めるなんて、僕は聞いていなかったのだから。

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