第五話
僕の夢が潰えて、一週間。新たな目標がすぐに見つかるはずも無く、授業にも身が入らない日が続いた。
蓮には詳しいことを話していなかったが、ミスを犯した実習を傍で見て、その後生徒指導に呼ばれ、そして気落ちして帰って来た事から何かを察してくれたのかもしれない。蓮自身、進路希望を出さねばならないはずだったが、そういった話は話題に上らなかった。
あるいは、本当に『何のとりえも無い高校生』で行くのかもしれないし、僕も、それはそれで悪くないかなぁと思っていた。実際、何のとりえも無いのだから。
実習の授業がある朝、HRはその話題で賑わっていた。
担任が、ひとりずつ名前を読んで、実習が行われる教室を告げていく。先週の実習と、それと今日の実習を踏まえた上で、今週末には最終的な進路希望を出さなければいけない。クラスメイトが意気込んでいるのが、空気で伝わってきた。
「能見!」
「はい」
僕は、名前を呼ばれて教壇へと席を立つ。
「お前は、五号館の第六演習場だ」
「はい、わかりました」
「能見にとって得るもののある実習だと俺は思う。頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」
「次、えー、橋本!」
担任が次の名前を呼んだのを聞き、僕は教壇を離れた。
その後、僕の頭には担任の声が木霊していた。
頑張る。
何をだろう。
『勇者』になることは諦めたのに。
そんな自問自答を繰り返していると、実習までの授業はあっという間に過ぎていった。授業の内容は当然頭に入ってこなかった。
リンゴーン リンゴーン リンゴーン
時の鐘が響く。
午前中に二つの授業を上の空でこなすと、実習の時間が控えていた。
ジャージと筆記用具をリュックに詰め移動の準備をしていると、そういえば、何の実習かを聞くのを忘れていたなと気づく。
正直、なんの実習かには別に興味が無かった。だからこそ、聞くのを忘れていたのだ。
なんにしたって、やる気が湧いてくる気はしない。
気になったのは実習の用意だった。実習によっては、何か特別なものを用意しなければいけない場合もある。実習に意気込みは無いが、不手際で教官に怒られるのも嫌だった。
しかし、よくよく考えれば担任に告げられたのは、実習の場所だけだ。用意しなければいけないものがあれば、それも伝えるはずだろう。
五号館の第六演習場。
クラスメイト達も慌しげに、教室を出て行く。僕も行かなければ。
五号館に行くのはと、ルートを考えながら、僕はリュックを担いだ。
教室を出て、校舎を出て。角や階段毎に同時に教室を後にしたクラスメイトの数が減っていく。
各々の実習が行われる教室へ。
それは各々が、自ら目指す未来へ行くことと同義だ。それぞれの曲がり角は、皆にとって運命の分岐点でもある。
僕は、いくつもの道を違えるクラスメイトの背中を見送った。僕のだけ、どこにも繋がっていないと知っている道を歩きながら。
程なくして、僕は実習の教室の前まで辿り着いた。
周りを見渡しても、あまり人気が無かい。腕の時計に目をやると、かなりギリギリの時間だった。
大方の生徒は、すでに教室に入って準備をしているのだろう。慌てて教室の扉をくぐる。
教室の中は薄暗かった。
暗さに目が慣れてくると眼前に見えてきたのは大きなカキワリの裏側だった。縦横に組まれた木材で出来た壁。
教室が薄暗いのは廊下に面している窓が暗幕で遮られて居る為らしい。
右手の奥。書き割りの壁の切れ目から光が漏れた。人の声も聞こえてくる。どうやら皆そこに集まっているらしい。
僕は、薄暗い足元に気を配り、斜交いに組まれた書き割りの支柱を跨ぎ越えて、光と音の元へと急ぐ。
「すいません、遅くなりました!」
そう声を掛けながら、書き割りの切れ目を曲がると、すでに集まっていた生徒達の視線が僕に集まった。
大勢の視線を向けられて、一瞬たじろぐが、よくよく見れば、皆着替えてるわけでもなければ、まだ筆記具等を詰めてる様なバッグを手にしてるものも居る。
「まだ、始まってない?」
僕は、一番近くに居た女の子に声を掛けてみた。すると、「えぇ、まだ担当の教官が来てないみたいだから」と女の子は教えてくれた。
やはり、まだ始まる前でなんとなくたむろしている、と言う事らしい。
遅刻でなくて良かった。そう安堵して、僕はリュックを肩から床へと下ろす。
「よう」
僕が、この書き割りはどんな舞台なんだろうと覗き込もうとしているところに、突然声を掛けられた。
声の主を振り返れば、そこには蓮が居た。
「蓮っ!? どうして、ここに!?」
蓮も怪訝な顔を浮かべて聴いてくる。
「それはこっちの台詞だ。お前、なんか別の実習受けることになったって言ってなかったっけ?」
「いや、だから、こ……」
言いかけた言葉が半ばで途切れた。おかしい。
蓮は実習の希望を出す際、お前と一緒でいいよ適当に言ってのけ僕の実習希望に合わせたはずだ。つまり、二回とも『勇者』の実習。
その蓮が居ると言う事は。
――別に俺は能見が『勇者』を目指すことを止めるつもりもないしな。
生徒指導室での、担任の言葉が頭を過ぎった。
騙された。頭の中はそんな気持ちで一杯だった。
簡単に諦めるな、とでも言いたいのだろうか。
一瞬にして落ち込んでいく気分をよそに、新たな声が響いた。
「待たせたな! すまんすまん!」
教官らしき声だった。
反射的に顔を上げ、僕は再び驚愕した。
生徒達の前に立つ、教官の脇。一歩引いた位置に立つその姿に目を奪われたからだ。
そこに立っていたのは、あの日、僕の瞳を光で埋めた存在。
正義の体現。
白銀の夢。
通用口ですれ違い、僕が夢を折った、勇者。その人だった。