第4話 青との再会
「ジャンナ! お前の娘が私をぶったわ!」
お嬢様の大声に、母は動揺したようだった。
魔法のコントロールが外れ、ひときわ強い風が巻き起こる。
「お母さん……!」
罰するといった夫人の顔がやけに思い出され、これから待ち受ける母への仕打ちを考えるといてもたってもいられなくなった。
私を掴むお嬢様の手を振り切ると、半ば無意識に両手をかざした。
その瞬間迸る、青い光。
静寂が部屋を包み込む。
あれほど巻き起こっていた母の魔法は、まるでなかったかのように消えていた。
「魔法が、消えた、ですって……!?」
お嬢様の言葉を皮切りに、ざわめきは大きくなっていく。
何かを察した母は、青ざめた顔で私に近づくと、勢いよく頭を下げさせた。
「奥様、申し訳ございません。罰はわたくしが……!」
「……ええ、ええそうね! この小娘が私の娘をぶったんですもの。それにお前の娘の使う魔法は、聖なる力とされる魔法を打ち消す恐ろしい魔法だわ! これが知れたら大問題よ!」
「決して、決してこのことは公にはいたしません……!」
母の謝罪にざわめきが静まる。その一瞬の静けさの間に我に返った夫人は、とってつけたように母を怒鳴りつけた。
公にしない。そのことに夫人は安心したようだった。
結局、私が使った魔法のことでお嬢様にかけられた濡れ衣もなかったことになり、密かに楽しみにしていたサッカレー家の訪問は、母の頭を下げる姿が焼き付く形で終わった。
「……お母さん、ごめんなさい」
屋敷からの帰り道、手を繋いで歩きながら、下を向いて小さな声で言う。
私のせいで、事態はさらにめんどくさい方向へとねじれてしまった。
「なぜ謝るの? エイダ。あなたのおかげで私は罰を免れたわ」
「……でも」
「いい? エイダ。魔法は使えるということで満足してはだめなの。なんのために使うのか、使う者の意思が大事なのよ」
母の手は温かい。
優しい言葉が心に染みわたる反面、母はいつもあの冷たい環境で働いているのだと思うと心がぎゅっと苦しくなった。
「あなたは本当に心優しい子。お母さんの自慢の娘。でも、あなたの魔法は、あなたを知らない人にとって、とても恐ろしい魔法でもある」
「……」
「だから、使い方を考えて。魔法は、なりふり構わず使うものではないのだから」
「うん」
夕暮れ、影が伸びる。
母が私の魔法について何かを言ったのは、これが最後だった。
◇ ◇ ◇
「どこに行ってたの!? 本当に使えないわね!」
「も、申し訳ありません……!」
「あんたみたいな小娘、本当だったらこんなところに来れやしないのに……!」
いつもは響き渡るほど大きいお嬢様の怒鳴り声も、今日は心なしか小さい。
それもそのはず、今私たちがいるのは、私たちとは縁も程遠い王族の暮らす場所、王城であるからだ。
サッカレー商会は数々の国との貿易事業のおかげで、貴重なものを取り扱うことが増えてきた。
そのことを知った王妃様が、品を見てみたいと旦那様を王城に呼ぶ手紙が届いたのがつい三日前のこと。
この際だから運が良ければ王子に目を付けてもらおうという旦那様の邪な思いで、お嬢様も同行することになったこの商談。
どうしても人手が足りず、使い勝手のいい私も一緒にお嬢様についてきたのはいいものの、王城は広くどうしても迷ってしまう。
きらびやかな装飾、屋敷とは比べ物にならないほどの高い天井、そして手入れされた庭園——。あまりにも別世界で、思わず辺りを見回していると、お嬢様はバカにしたように笑った。
「あんたみたいなぼろ雑巾、二度とここには来られないでしょうから、貧民のようにその脳裏に焼き付けるといいわ」
「デイジー、来なさい」
「はい、お父さま。フン、あんたはそこに突っ立っといて」
背丈の何倍もある扉の中に、旦那様とお嬢様が入っていく。
きっと中には王妃様がいらっしゃるのだろう。
結局私がここに来てやったことは、お嬢様の悪態の相手だけだったのだが、これでいいのだろうか。
商談はきっと長く続く。また迷わないためにも、本当にここにずっと立っている方がよさそうだ。
このようなことには嫌でも慣れてしまっている自分が情けない。
渡り廊下から覗く庭園は、バラが見ごろを迎えているのか華やかで美しい。
噂ではここで、王子様たちの妃探しも兼ねたお茶会が開かれているらしい。
「殿下、王妃様はただいま商談中とのことで……」
「そうか、では先にエイヴォリー公爵のとこへ行くとしよう」
ぼんやりとした意識を呼び戻したのは、複数名の足音だった。
王城はたくさんの使用人や貴族、騎士たちが仕える場所。むしろ今まで静かだったのがおかしいくらいだろう。
(殿下……。殿下!?)
一気に思考がハッキリとした。
そう呼ばれるのは王族の血をひく者だけだ。慌てて頭を深く下げるが、通り過ぎるはずの足音が、私の前で止まる。
何か粗相をしてしまったのだろうか。こっそり視線を上に向け、盗み見ると、青くきらめく瞳と目が合った。
その表情は驚きに染まっていて、どうやら本当に何かしてしまったのだと悟る。
(あれ、この瞳……どこかで)
印象的な青い瞳に、ハッキリとしていた思考が流されていく。
そして思い出した。あの日裏道で助けたローブの青年もまた、この青く澄んだ瞳をしていたのだ。
(でもあの人は黒髪だったし……。違う人だよね?)
「王太子殿下、お時間が」
「……あ、あぁ。すまない」
「エイダ! 何を部屋の外でぼさっとしている! 手伝え!」
「旦那さま! 申し訳ございません……!」
がちゃりと大きな扉が開かれ、旦那様が私を呼ぶ。
お嬢様に立っていろと言われたなどと言うわけにもいかず、必死に謝って後に続く。
部屋に入る前に、もう一度殿下に頭を下げると、大きな扉を閉めた。
その青い瞳が、じっと私を見据えていたことにも気づかずに。