第3話 冷たい声
辺りは濃い魔力が充満しており、息が詰まるようだった。
そのような中でも、私の視線は吸い寄せられるように彼の青い瞳から動かない。
「なんでこんなところに来た!」
青年の声に、はっと意識が戻ってくる。
手元を見れば、先ほど令息に貰った花がボロボロになっていた。恐らく、漏れ出る魔力に耐えることができなかったのだろう。
(もしかして、魔法を制御できていない……?)
青年は手首の何かを必死に抑えている。それはどうやら魔道具のようで、今にも爆発しそうな魔力をギリギリのところで封じ込めているのが分かった。
「俺に、関わるな……!」
突き放す冷たい声。
だが、美しい顔には冷や汗が垂れており、その顔色は青白かった。息も荒く、呼吸をするのも苦しそうな様子だ。
(私は魔法のことはよく分からないけれど、この状態がよくないことくらいは分かる)
頭が急速に回っていく。
どうすればいいか、結論は出ている。それでも躊躇ってしまうのは、私自身が使う《《呪われた魔法》》に理由があった。
(この魔法がバレたら、私の居場所はとうとう無くなってしまうかもしれない)
——でも。
頭を埋め尽くす不安をさらに塗りつぶすように、目の前の彼を救いたい気持ちが勝っていく。
大体、この裏道に入ってきた時点で、私に見ないふりをするなんてことができないことなど分かりきったことではないか。
「……ッ!」
意を決して、両手を青年にかざした。
使うことを辞めていた、久々に流れる自分の魔力が、形作られていくのが分かる。
青白い光が迸り、薄暗い裏道が太陽に照らされたように明るくなった。
そしてその光が、青年を取り巻く魔力を打ち消していく。
「……!?」
ザンッ! と強い風が吹いた。
その瞬間、今まで青年の周りを取り巻いていた濃い魔力が霧散する。
「……よかっ、た……」
「君は——」
呆然とした顔の青年と目が合う。
やはり青い瞳が印象的で、でも整った顔はもう苦痛で歪んではいない。
力が抜けたように挙げていた両手を下ろす。
久しぶりに使った魔法の感覚は、じわじわと両腕を温めていた。
「セオ! 大丈夫か!?」
「!?」
その時反対側から近づいてくるテノールの声に、びくりと体を震わせる。
何をのんびりしていたのだろう、ここにいては私が魔法を使ったことがバレてしまう。
(そのうち嫌でもバレちゃうかもしれないけれど)
勢い良く立ち上がると、その勢いのまま何も言わずに頭を下げる。
失礼なのは承知だが、一応助けたのだからこれくらいの無礼は許してほしい。
「待ってくれ!」
そう言われて立ち止まっては意味がない。
何より私には、お嬢様にスコーンを買っていくという役目がまだ残っている。
一目散に逃げながら頭に残ったのは、あの澄んだ青い瞳だった。
◆ ◆ ◆
「セオ! 魔力がまた暴走したんだろ!」
少女が走り消えていった、その反対側からやってきた青年は、座り込む、ローブに身を包んだ青年の傍らに片足をついた。
短髪の黒髪が風に揺れる。その身なりは、ローブの青年とは正反対の、剣を携えた高貴な騎士のものだった。
心配そうに肩を掴み、顔を覗き込む騎士の青年に、ローブの青年はようやく口を開いた。
「…………んだ」
「え?」
「止められたんだ。俺の魔法を」
ぱさり、とローブのフードが滑り落る。
さらけ出されたその顔は、すれ違った誰しもが息を飲み、振り返るほどの美しさだった。
セオと呼ばれた青年は、傍に落ちていた、ボロボロになった花を拾い上げると、思いにふけりながらその花をくるくると回した。
「止められた!? ルチウス様の魔道具でも制御できなくなってきたお前の魔法を!?」
「……彼女こそが、手掛かりになるかもしれない」
驚き立ち上がった騎士の青年の瞳は、疑念に溢れながらもどこか期待で輝いている。
名前も分からない、おそらく平民の少女。
それでも、彼女こそが。
◆ ◆ ◆
「いつまで待たせるの!? この出来損ない!」
「申し訳ございません」
「それで、買ってこられたんでしょうね?」
「はい、こちらに」
屋敷に戻れば、一番にそんな怒鳴り声が響き渡る。
周りのメイドも慣れたことのように、冷めた視線で私を見るだけだった。
あの心優しい婦人のおかげで買うことのできたスコーンを差し出すと、お嬢様は驚いたように目を見開いた。やはり買えなかった私をさらにいびる予定だったのだろう。
思うように私に嫌がらせができず、お嬢様はさらにいらついたようだったが、それ以上私を咎める内容もない。「さっさと出て行って!」と追い出され早々に部屋を出ることができた。
「またあの子、お嬢様に怒鳴られてたの?」
「仕方ないわよ。あの子の母親、すごく美人で旦那様に言い寄られてたって話だし、奥様も毛嫌いしてるから」
「ええ!? あの子は全然冴えないじゃない!」
「だからなおさらいびられるのよ」
メイドたちは噂話が大好きだ。私の知らない母の話も、彼女たちはたくさん知っている。
そんな彼女たちも、じっと自分たちを見つめている私に気づくと、顔をそらしパタパタと自分の業務に戻っていった。
そんなに話すことが好きならば、私に話しかけてくれてもいいのに。
……そうはいかないのが、使用人社会の難しいところなのだろう。
窓の外は夕暮れで赤く染まっていた。
人通りが少なくなってきた通りを眺めながら、ふと、あのローブの美青年のことを思い出す。
……初めてだった。私の使う、禁断の魔法が誰かを救うことができたのは。
シーウェル王国では、歴代最強の剣士であり、魔法師の始祖、サデウスを神として祀っている。
サデウスは弱小国だったシーウェル王国の貧しい民たちのために、どうにかして助けたいという強い願いから、突如として生み出された魔法という力を使って国を豊かにしていった。
そのため、この国では、魔法は国を豊かにし、人々を救う聖なる力として尊ばれてきたのだ。
そんな私もまた、魔法が使えると分かったのは10歳の時だった。
母が働く屋敷へ、挨拶として顔を出したその日は、特にサッカレー夫人の機嫌が悪い日だった。
◇ ◇ ◇
「ジャンナ! まったく、お前のせいでドレスが濡れてしまったわ!」
「奥様、申し訳ございません」
夫人がどうしてもと言って、雨の降りそうな天気の中に出かけた帰り。
母が言ったように大雨に巻き込まれてびしょぬれになった夫人は、そばにあった机を大きな音をたてて叩いた。
初めて見る母の仕事姿は、あまりにも惨めで、屈辱的なものだった。
だが子供ながらに、自分がしゃしゃり出てはもっと母がひどい目に合うと分かり、何も言うことができなかった。
「いいからお前の魔法で乾かしてちょうだい」
「……奥様、わたくしは魔法の使い方を習ってはおりません。もし失敗したら……」
「その時はお前を罰するだけよ!」
母は魔法が使えた。だが、なぜか国に申し出ることはせず、こうして商人の屋敷でいびられることを自ら選んでいた。
そのことがなおさら、夫人は気に入らないようだった。自分が喉から手が出るほど望んだ力を、夫が言い寄るほどの美しい母が持っていて、しかもつつましく使用人などという身分におさまっていたからだ。
きつく言い続ける夫人に、母は諦めたように魔法を使った。風の魔法だった。
風の魔法はコントロールすることが難しく、扱う際に多くの集中力を要する。
母は必死に制御していた。その甲斐あってか、順調にドレスが渇いていく。
だが、夫人の嫌がらせはそこで終わりではなかった。
意地悪く笑うお嬢様が私のそばへとやってくる。そして何のことか分からずにいた私の手首を掴み高々と掲げると、お嬢様は大声で叫んだのだ。
「ジャンナ! お前の娘が私をぶったわ!」




