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第九話 変化を恐れるのは現状に満足してるからじゃなくむしろその逆だったりして

長らくお待たせいたしました。

「未生、帰ろう」

「は?」

「いいから」

 ぐい、と腕を引っ張られて、立ち上がった祐太につられて腰を浮かせる。通路側に座っていたのは私だから、私がどかないと祐太は帰れない。そう思って、私は立ち上がりいったん席を抜けると横にずれる。

「……未生、なんのつもり?」

「帰りたいんでしょ? どうぞ」

 祐太が立ち上がって通路に出たのと同時に、私はもういちど席に着いた。それを目で追った祐太の顔が鋭くなる。けれどかまわない。私はまだここを立ち去りたくはないのだ。

「未生も帰るんだよ」

「なんでよ。私は帰りたくないんだから、あんたが帰ればいいじゃん」

 ストローに口をつける私をむっとした表情でしばらく見つめていたけれど、結局は千円札をテーブルへ置いて足早に立ち去った。

 背中をしばらく眺めていた和泉とさつきは、そろっていいの? と視線で訴えてくる。私は、肩を竦めて見せた。

「すねるのはよくあることだし、いちいち気にしてたらきりないよ」

 言い放つ私に、そう? と首を傾げるさつきに頷くと、やがて納得したのかそれ以上さつきは何も言わなかった。

「でも松原って……まさか一切自覚してないってこと?」

「まさかも何も。自覚しないことがあいつの保険なんじゃないの?」

 訳知り顔で話すふたりの会話のわからなさに混乱しながらも、去って行った祐太の背中を思い出す。

 どうして怒ったんだろう。どうして驚いたんだろう。祐太にとって私は、恋をするような人間ではないということなんだろうか。祐太にとって私は、きっと女じゃない。わかっていたつもりでも、ああも反応されてしまうと、なんだかなあ、と思う。

 母親になりたいの? 私は。いいや、彼の母親になんてなりたくない。それなら何になりたいの? 幼馴染み? 姉? 妹? いいや、そうじゃなくて。

「――ごめん。やっぱり私も帰るね」

「……そう?」

 うん、と頷いて、私も自分の食べた分を出そうとしたら、いいよ、と和泉が首を振る。

「結果的に色々と引っかきまわしたみたいだから。松原の置いてった金だけでいいよ」

 祐太が置いていった千円札をしばし見つめて、私はありがとう、と頷いた。まあ、ふたり分にしてはちょっと足りないけれど、恐らく百円や二百円ばかしだろう。ここはびっくりするくらい色んなものが安いから。

「ねえ、未生も?」

「え?」

 しまった、という顔をさつきがした。とっさに口をついてしまったのだと察したけれど、首を傾げた私がその場を立ち去らないからか、迷いながらも、結局さつきは口を開いた。

「思考停止、してたりする?」

 和泉が息を呑むのがわかった。さつきは、私を真っ直ぐ見つめているからきっと気づいていないだろう。

「なんのこと?」

 ふふ、と微笑んで、私は別れのあいさつを落としてその場を後にした。

「ずいぶんとまた大胆だな」

「言わないで。さすがに踏み込みすぎた」

 残されたふたりがそんな会話をしていたことを、私は知らない。


 今日は晩ごはんを食べられそうもないかもしれない。調子に乗ってポテトを食べ過ぎたし、炭酸も飲みすぎた。お腹が重いのは、だから、そのせいだ。胸に何かがつまっているかのように思えるのは、そのせいだ。

 鍵をして、鎖でぐるぐる巻きにして、そうして奥底に沈み込めた何かは、きっと誰にでも存在するんじゃないかって思う。私は今日、それをこじ開けられそうになったのだろう。きっと、祐太も。でもだからって、動揺はしてやらない。最後の最後まですっとぼけて、笑ってみせる。わざとらしかろうが、そうしてみせる。だってそうじゃないと、私は。私と祐太は――。

「未生」

 聞き馴染みのある声。当たり前だ。何歳から呼ばれているかわからない。途中声変わりをしても、彼が私を呼ぶその響きはまったく変わらない。私も、祐太も、ずっと何ひとつ変わらないのだ。

「――祐太」

 ふう、と短く息を吐いて、ずっとここに居たの? と問えば、祐太がうつむく。

 最寄りの駅前。改札口はひとつじゃないけれど、お店から出て普通に歩いてくればここから入ると思ったのだろう。まったく、素直じゃない奴。

「帰ったんじゃなかったの?」

「――未生もいっしょに、て、言った」

「あんたが勝手に言ったんでしょうが」

 呆れた、と口に出して言ってやると、顔を上げた祐太の瞳が揺れていた。

 あーあ、なんだかなあ。私も、とことん甘いと自覚してしまう。

 今度は長めに息を吐くと、祐太の肩がびくん、と震える。そんな幼馴染みにやっぱり呆れの視線を向けながらも、私はす、と右手を差し出した。

「? 未生」

「帰るんでしょ――いっしょに」

 違うの? と祐太を覗き込んで言ってやれば、現金なもので、祐太はその瞳を輝かせ私の手を取った。

「今日は家に泊まって」

「……おばさんいないの?」

「いるけど」

「いるのに?」

「…………嫌?」

 捨てられた子犬みたいな目でみるの本当やめてほしい。こっちが悪いことをしてるみたいじゃないか。

「家に一度寄ってからね」

 またも瞳を輝かせる男になんだか負けた気分になりながら、私は祐太の横顔を見ていればまあいいかという気分になっていく。昔から、私は結局、何も変わっていない。変われていない。祐太と同様、足踏みしているのだ。馬鹿を馬鹿だと呼びながら、本当に馬鹿なのは誰なのか、とうに気づいているというのに。

「未生。俺と母さんの分のごはん作ってよ」

「はいはい」

 浮かれる祐太の顔に苦笑いを返して、私たちは並んで歩き出す。後ろ姿はもう、あの頃とは全然違うというのに。言葉の端々にそれをちらしてみせても、祐太はしらんぷりをする。だから私も、馬鹿だからしょうがないと笑って返す。茶番劇だと、わかっているのに。

 あの日から、何もかも止まってしまった。夕焼けを浴びて真っ赤に染まる横顔と、伸びていく影を交互に眺めながら、泣きそうな祐太の手をぎゅっと握った。握り返された強さにおののきながらも、わきあがる感情。

 ああ、ああ、本当に。

 あの日から――私はゆがんでしまったのだ。


「あらあ、いらっしゃい」

 嬉しそうに笑うおばさんに、お邪魔します、と声をかけると、一瞬は口をとがらせて不満そうな顔をするけれど、私がおばさんをおばさんだと呼ぶ理由を、このひとはきっとどこかではわかっているんじゃないかと勝手に思っている。根拠としては弱いかもしれないけど、他のひとが彼女をおばさんと呼ぶと泣くのだ。私はそうされたことがない。ていうか、泣くなよ。

「晩ごはん、リクエストある?」

「えー、未生ちゃん作ってくれるの!?」

「うん。何がいい?」

 勝手知ったる他人の家だ。お母さんも、祐太の家に泊まってくると告げても、粗相のないように、なんてことは言わない。しっかり面倒を見てあげるのよ、とは言われるが。

 ――それってどうなの。

「未生―、たまご作って」

 二階から服を着替えて下りてきた祐太に、いやたまごを一からは作れないけどな、と脳内で思いつつも是と返事をする。私は家で着替えとしたくを終えてきたので、当然のようにエプロンをつけて冷蔵庫の中身をのぞいている。

「たまご焼きだけじゃ足りないしねえ……おばさん、この大量のじゃがいもどうしたの? 芽がそろそろ出てきちゃうよ」

 呆れた声で訊ねれば、おばさんがてへぺろな顔をしていた。おい、かわいくねーぞ。

「こりゃ決まりね。リクエストはたまご焼きでしめきりね。祐太、おばさん、手伝って」

 大量のじゃがいもを取り出して、洗う。祐太とおばさんはお手伝いという名目だと妙に楽しそうに参加をするのだが、あなた達は一体いくつなのだと問いたい。

 じゃがいもを茹でている間に玉ねぎをみじん切りにして炒める。豚挽きも同じく。キャベツはないようなのでレタスとキュウリとトマトでごくごく普通のサラダを作ろう。

「未生―、いもが茹だった」

「じゃあ取り出して皮むいて潰して」

 祐太に指示を出すとおとなしく従う。こういうときは妙に素直なんだよなあ。おばさんはボウルと、潰すのに最適な道具を探して持ってきた。すりこぎか……まあ、なかなか良いかも。この家にはなんかあの、じゃがいもを潰すあれがないからね。我が家には確かあったような気がする。なんて名前だっけあの用具……。

「未生、潰せたー」

「はいはい、じゃあちょっとどいてて」

 炒めて味付けした挽き肉とたまねぎを加えて混ぜ合わせる。さて、あとはそれぞれ好きな形に作って衣をつけて揚げるだけ。今晩のメインはなんの変哲もないコロッケです。

「おばさん、何その形」

「ハート! かわいいでしょう?」

 うふふ、と笑うおばさんに冷ややかな視線を寄越しながら、私はなんの面白みもないコロッケを作る。

「祐太のそれは……」

「猫」

「……たぶん、耳の部分は取れちゃうんじゃない?」

 道で見るといつも触りたそうにしてたな、そういえば。猫は色々と病気をもらう可能性があるから触ったらいけないと昔おじさんに注意されてから、祐太は室内猫にしか触らなくなった――いかんいかん。

 どうもさっきから湿っぽいな。ちょっと昔の記憶に引きずられているのかもしれない。悲劇のヒーローを支えるヒロインにでもなっているつもりなのか。そんなのは認めたくない。

 シリアスを演じるには、向き不向きがあるだろうと個人的に考えていて、私はおそらく向いていないのだ。ちょっとしたところですぐ横道にそれるし、まあいいか、と済ますし。祐太だって、そうだ。馬鹿だから、シリアスなんて向いていない。だから、やめよう。あれこれと思いを馳せるのは。

「じゃあ、揚げる間にふたりは食器とか出しておいてね」

 気を取り直して私が言うと、おばさんと祐太は同じような表情で頷いた。ひょっとしたら祐太はおばさんを恨んでいるだろうかなんて一時期考えたこともあったけれど、こうも仕草が似ているとあまり可能性はないかなあ、なんて思い直す。親として慕っている……とまではいかずとも、まあ、好きなのだろうと思えるくらいには、ふたりは仲が良い。まあ、本当のところなんてわからないけど――いかんいかんいかん。

「ええい、シリアス禁止!」

 油の温度を測ろうと勢い良く菜箸を天ぷら鍋へとつっこむ。気泡の具合からみてちょうどよい。うむ。

「母さんも未生くらい料理できればいいのにね」

「そうよねえ。母さんていう名称を持ってしてなおだめなのよねえ」

 背後から聞こえるのほほんとした会話はしかしどこかおかしい。思わずふきだして、浮かんだコロッケの見極めが遅くなるところだった。きつね色通り越して焦げなくてよかった。

 まあそもそも、私がここで料理作ってること自体が普通という型にはめようとするとおかしいわけだし。そこらへんを気にしていたらきりがない。

「祐太、奇跡的に猫が無事だったよ」

 耳が取れることなく揚がった猫型コロッケを見せると、祐太は目を丸くして、やがて嬉しそうに微笑んだ。

「それにしても、今日は揚げいも祭りになっちゃったわね」

 作り始めてからポテトを食べてきたんだったと気づいたのだけれど、すっかり失念してたし大量のいもがあったものだから量が食べられてなおかつ消費できるものがそれしか思い浮かばなかった。みんなでわいわい作業しながらできるし。

「ポテトとコロッケは別物の料理だよ」

「…………うん、まあ、そうね」

 首を傾げて言う祐太に、私は無理やり頷いた。うん、そうだ、きっとそうだ。大丈夫。かぶってなんかいない。

 私と祐太に不思議そうな目を向けるおばさんになんでもないと首を振って、何かをごまかすように食べようと声をかけた。


「ごめん!」

 突然の謝罪に、私は目を丸くする。

 祐太と並んで登校して、また少し好奇の目にさらされながらも無表情をつらぬいていた。その状態のまま名前を呼ばれて振り返ったものだから、振り返った先にいた彼女の表情が一瞬、強張った。それから、突然の謝罪だ。どうしたものか、としばらく棒立ちしていたら、第三者の声が聞こえた。

「相良」

「――あ、丹下先輩。おはようございます」

 ぽん、と肩を叩かれて、反射的にあいさつをすれば、先輩からもおはよう、という返事がある。

「目立ってる。まだ話すんなら、場所変えな」

 すわ、修羅場か! という周囲の目に気づいたのは、先輩の言葉があったからだ。

 昇降口で分かれて、祐太はもういないけれど、電車の君と呼ばれたさつきと、幼馴染みでずっと祐太の隣にいる私。そんな私が、さつきに謝罪されている。目立たないはずがなかった。

 さつきも今気がついたようで、あ、と短く声をあげた。

「さつき、例の場所、行かない?」

「未生」

「うん、もういいかもしれない」

 言外の意味をどことなく察知してくれたのか、目を丸くするさつきの手を取って、歩き出す。丹下先輩に小さく礼を告げると、先輩は悪役みたいな笑顔で軽く手を振った。女ボスはいつだってかっこいい。

「あのさ、私、好奇心とかもちろんあるけど」

 無言でしばらく階段を上っていたけれど、その沈黙を破ったさつきの言葉に、私は肩を揺らす。

「いいね。あなたの力になりたいとか言われるよりもよっぽど信頼して話せる」

「いや真面目な話。別に暴きたいわけじゃないから! 昨日はその、場の空気でいいかなと思っちゃって調子に乗ったというか」

「わかってる。話したいから話すんだよ。……聞いてくれる?」

 屋上の扉を前に、私はさつきを振り返って見つめる。さつきは、しばらく私の瞳をじっと見ていたかと思うと、無言でポケットに手をつっこんだ。前に進んで、ドアノブに手をかける。

 がちゃん、と扉が開く音が静かすぎる廊下に響く。

「――朝のホームルームも、授業も、さぼる心の準備はできた」

 いたずらっぽく笑うさつきに、私は苦笑した。


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