第一章「彼」1/2
紅臣市の市街地。ビルがたくさん連なる街並みに夕焼けが差し込む。その路地裏。
黒髪のロングストレート、大きな二重まぶたが特徴的な少女がブレザーの制服を着ている。
少女は火バサミで空き缶を掴み、半透明のビニール袋にゴミを入れる。
「桃里、ここらへんは、あらかた片付いたね」
同じブレザーを着たライムグリーンにショートヘアの少女が桃里に話しかけた。
ライムグリーンの少女の目はキリッとした目が印象的だ。
「帰りましょう。琴音ちゃん」
桃里は空き缶がぎっしり詰まったゴミ袋を持ち、琴音はペットボトルがたくさん入ったゴミ袋を持ったまま歩道を歩いている。
桃里は信号持ちしながら、ビルの壁に取り付けられた大型テレビを眺める。
テレビにはニュースが流れていた。女性のニュースキャスターが原稿を読む。
「今日、東陽グループが量子パソコンの一般普及化を目指すと発表がありました」
「桃里の叔父さんだ。よく働くよね」
琴音が楽しそうに話しかける。反対に桃里の態度はうかない顔をしている。
『TOYO』と書かれた背景の前に恰幅のいい男が微笑みながら立っている。
突然、ニュースの画面からキャスターの画面に挿し変わり、注意を促す音が鳴る。
「緊急ニュースです。アメリカ、ニューヨーク・タイムズスクエアに牛のような人間が現れました」
ビルだらけの町並みが映し出されると、横に大きく広がった角を生やす牛を髣髴とさせる頭。全身は黒い体毛に覆われ、筋肉粒々の体躯に下着の様な服を纏った牛人間が大斧を振り回しながら、人を紙切れの様になぎ倒していく。
「ロゴスを出せーッ」
牛人間は大声で叫んだ。
「こちら現場の古田です。現在、牛の様な人間が意味不明な言葉を叫びながら、街で大暴れをしています」
リポーターの古田が牛人間から離れた位置に立っている。
「オイ、お前、何してんだよ」
画面外から野太い声が聞こえてきた。すると、見えていた画面がフリーフォールの様に落下し、古田の足元を映している。
「カ、カメラマンが……」
何かが潰された音がすると共に画面が暗くなり、動揺を隠しきれないキャスターの表情が映る。
「ひ、引き続き速報が入り次第、お伝えします」
キャスターを斜上から映し、CMに変わる。
「きっと警察が何とかしてくれるよね」
琴音が桃里の肩に触れながら言った。
「うん……」
桃里は不安を隠しきれない。もし、あんな怪人に襲われたら自分は生き延びる事ができるのだろうかと不安になる。
「いざとなったら、アタシが桃里を守るからね」
琴音は桃里の顔を覗き込むように見る。桃里は苦笑いをした。
「サッ、片付けちゃいましょ」
「そうだね」
桃里と琴音が歩き出した瞬間、道路の真ん中に小さな気流の乱れのような空間の歪みが発生する。
歪みが大きな旋風を巻き起こす。その後亀裂が走って歪みは崩壊する。そこからニュースで見た牛人間が思い思いの武器を持ち、多色な印象の異次元を背景にして三体ほど現れる。
「ここが人間界か」
「空気が汚いぜ」
「デケェ建物ばかりで壊し概があるぜ」
人々は牛人間を唖然と見ていた。だが、それが己の寿命を縮める事だとさっきのニュースで知った。だから、人々はすぐさま牛人間達から逃げ出した。
桃里も逃げ出そうと彼らに背中を向けると、琴音は牛人間達を一瞥し、すぐに桃里の耳元に囁く。
「桃里、アタシは使命を果たすから、家に帰って」
桃里は静かに頷くとゴミ袋を道路に置き、逃げる人々と共に走った。
彼女の家は、ちょうど牛人間達が現れた場所を通らなければならなかった。
街は悲鳴で溢れかえっていた。逃げなければ自身が殺されてしまう。
だが、その足は止まってしまった。人通りの無い道路にたどり着く。そこに泣きじゃくる子供と、血まみれなお母さんだろう人が倒れているのだ。それを、大剣を背中に担いだ牛人間が見下ろしているのが見えた。
(残念だけど、お母さんは助からないでしょう……)
牛人間は顎に手を当てながら、首を傾げている。
「どう殺そうかな。なぶり殺すか、瞬殺するか、それが問題だ」
子供は泣くのが精一杯で逃げようとしない。
「下等種がどれだけ悲鳴をあげられるか試すとするか」
子供の首根っこを持ち上げた。
(お爺様なら、きっと助けるでしょうね)
「その子を離してください」
桃里は堂々と歩き、子供を一瞥し、牛人間の前に立った。
「なんだぁ、テメェ」
2mを超える巨躯に怯えながら、桃里は必死に虚勢を張る。
「その子を離してください」
牛人間は鼻で笑う。
「このギュマ兵団のフォルが下等種の言う事を聞くと思うか?」
桃里は一歩だけ下がり、左腕を前に構え、右腕を腰の位置まで持っていき、掌打ができるように準備をする。
「私がその子の代わりになります」
「やるっていうのか? この俺と」
フォルの背後にカーテンのように空間が揺らめく。
「あ」
桃里が間の抜けた声をあげる。揺らめきのカーテンが右から左へと開く。そこから競泳用水着の様な服に、黄黒のコントラストに針が生えた尻尾を生やし、虫の様な四枚羽を背中に生やした女性が現われる。
「私が相手です」
フォルはようやく気配に気づいたのか子供を離し、後ろに振り返る。
「おもしれぇ」
その言葉と共に戦いが始まった。
「ハッ」
女性は低空に飛び退きながら、フォルに向かって尻尾をしなるように伸ばす。
「舐めんなッ」
針の付いた尻尾が桃里の前に飛んできた。
「ウワァッ」
子供が叫んでしまうと、桃里は子供を一瞥した。
「先に逃げて下さい」
「エッ?」
その声は恐怖に怯えていた。
「私があの女性と一緒に時間を稼ぎます」
フォルが女性に大きく踏み込み大剣を振り下ろす。それを刹那で回避し、彼の肩当てを引っかいた。
「クゥッ」
女性が高い所でホバリングしながら悔しそうにする。左脇から正八角形の黒い小さな装置を取り出す。
「何の真似だぁッ?」
女性が三人に分身し、フォルに向かって一斉に特攻する。だが、それは大剣で防御されて無意味に終わった。
「どうして?」
心配そうにする子供に桃里は真摯に答える。
「あの女性が負けた時、私が貴方の逃げる時間を稼ぐからです」
子供は桃里の言いたい事を理解したのか、すぐにこの場から逃げ去った。
「危ねぇ」
フォルがそう呟くと女性は三角形を描くように上空にいる。それを見たフォルは懐から肉を取り出す。
「この状況で食事なんて余裕じゃない」
「腹が減ってちゃ戦はできねぇ」
女性はフォルに襲いかかる。
「ブワッ」
フォルの口から溶けかかった肉の塊が勢いよく飛び、女性の一人に命中する。その女性は霧散してしまう。
残り二人がフォルに襲いかかる。彼は大剣を思い切り振りかぶって、一回転に振り回した。
女性の一人が霧散し、本物の女性は横一閃に切られていた。
「ハッハッハッハッハッ」
フォルが高らかに笑いながら、大剣を肩に担ぐ。
桃里はフォルに向かって中段に構える。ちょうど、お腹が狙える位置だ。
「気にいった。俺に一発かましてみろよ」
桃里は動かない。さっきの子供が少しでもこの場から離れられる様に時間を稼ぐ。
「来いって、言ってんだろうがよォッ」
フォルは桃里に怒声を上げた。
その迫力に桃里は萎縮し、へたれこんでしまう。
「センスねぇな」
ふいに男の声がした。
「なんだ」
桃里とフォルは声のした方を見る。
「可愛い娘に、そんなナンパをするか? 普通」
赤髪に、濃いグレーの下地に金色のボタンや肩当てが装飾されたトレンチコートの様なものを身に付けた自分と同い年位の少年がいる。
「俺だったら、彼女に花屋の場所を一緒に案内してもらおうと努力するね」
桃里が見た印象は格好良かった。そして、こんな状況にもかかわらず、よくそんな軽口を言えると感心する。
「そして、君に花をプレゼントしよう。何がいいかな?」
「ごちゃごちゃ、うるせえんだよガキが」
フォルはイラついている。それに対して少年は態度が軽い。
「オーケー。なら、俺が相手だ」
少年がそう言うと、左腕に腕時計とは違う黒い機械を桃里達に示す。そして、機械に付いている丸く縁取られた一番左側のスイッチを押す。
「チェンジ・ザ・ダイバー」
黒い機械から、発音の良い男の音声が桃里達に伝わった。同時に少年の周囲を数式の羅列が覆い、やがて、白く発光する。
発光し終えると。
「コンプリート」
再び、電子音声が聞こえる。
少年は全身に黒い装甲を纏い、胸部や関節部分には銀色に輝くプロテクターが備わる。
腹部の中央には赤い丸と同色でトランプのダイヤを描くように三角形が配置されたデザインのエンブレムが施されていた。
顔は人をモチーフにしており、とても勇ましい印象だ。
桃里はこの先どうなるんだろうと心配になりながら、彼らの戦いが見られる位置に移動をする。
変身した少年は人差し指でフォルを指しながら。
「三十秒だ。三十秒でテメーを倒す」
「上等だ」
フォルは少年に大剣を振り下ろす。
桃里は驚きを隠せなかった。少年が直立のまま地面に消える様に潜ったのだ。
突然、少年はフォルの懐に現われて肘鉄をかました。
「グベシッ」
強靭な肉体を誇るだろうフォルがダメージを負いながら後退した。
桃里は何が起きているのか分からなかった。
「こんなもんじゃないからな」
少年は人差し指を立てながら、左右に振る。
「ヤローッ、調子に乗りやがって」
大剣が横から少年に迫る。すると、少年は再び地面に消えるように潜った。
そして、少年が地上に現われると同時に拳を放つ。
「あ?」
フォルは戸惑っていた。見ている桃里も何が起きたのか分からなかった。
少年の右拳はフォルのお腹に潜り込んでいたのである。
「行くぜ」
少年は不敵に笑った様に感じた。
「オラッ」
右拳が抜かれると、すぐさま左拳をフォルに潜り込ませた。
「オラオラオラオラオラオラッ」
少年はフォルの体に次々と連続突きを放った。その全ての拳が潜っていたのである。
「調子にのるなッ」
フォルが少年に反撃の蹴りを喰らわせる。潜り込んでいた右拳が水面から引き上げられたように抜ける。少年は呻き声を上げながら吹き飛ばされ、地面に仰向けに倒れる。
「俺のシナリオが崩れちまったぜ」
そう言いながら少年はすぐに立ち上がる。
「ヘャァッ」
少年に大剣が振り下ろされる。今度は地面に潜らずギリギリで回避する。
「ナッ」
フォルは驚きを隠せなかった。
少年はその隙にフォルの懐に飛び込み、体当たりをしたと思ったら、消えたのである。
フォルは己の腹を見る。
すると、フォルの背中から少年が何気なく現われる。
気配に気づいたフォルは肩越しに少年を見る。
少年はおかまいなしに右肘でフォルの背中に肘鉄を喰らわせる。
「ガバッ」
フォルは苦悶の表情と共に前のめりに倒れる。
少年はフォルが事切れたのを悟ったのか、時計の様な装置を見る。
「二十四秒、まぁいいか。ロスタイムがあったからな」
変身が解け、元の赤髪の少年の姿に戻った。桃里は少年と目が合う。
その時、頭痛が走る。嫌な感情が桃里の中に入り込む。
「大丈夫か。桃里?」
どうして、初対面の筈の彼が名前を知っているのだろうか。
桃里は戸惑った表情をする。
「ああ、覚えてないか。俺、中学からは別になったからな」
桃里は怖かった。それが何故だか理由が分からなかった。
「鍵――」
洗面所の鏡の前に立っている少女の姿があった。
桃里の思考に、何故かイメージが流れ込んできた。たったそれだけの出来事なのに、とても怖かった。
少年は自己紹介をしていたようだが、全く聞き取れなかった。
「何を怯えているんだ?」
桃里は少年に言われて気づいた。今、自分は道路にへたれこんでいる事を。
「あんな、イカツイのに襲われたんだ。無理もないさ」
少年はゆっくりと桃里に近づく。次第に言い知れぬ恐怖が増す。
「いや」
桃里は必死に拒絶の言葉を搾り出した。
「ここは危険だ」
「……」
少年は桃里に近づく。
「さぁ、俺の手を掴むんだ」
桃里の前に少年の手が差し出される。
「逃げよう」
少年が更に距離を詰める。
「イヤーーーーーーッ」
桃里は叫びながら、無我夢中で少年に正拳突きをする。
少年の呻き声が聞こえた。
目を開くと、目の前には大の字に倒れている少年の姿があった。
それでも桃里の震えは止まらなかった。




