第一章「彼」2/2
8畳間程の部屋。そこには黄色の壁紙、エアコン。頭の位置が窓の方にあるシングルベッド。部屋の中央に年代物の木製テーブルがあり、座布団が対面する様な位置にある。
そのシングルベッドの上に少年が眠っていた。そして、目が覚める。
「桃里!!」
少年はすぐに動こうと上体を起こす。そのせいで布団が乱れた。
「アイツ……大きくなったな」
少年は桃里に殴られたのにも関わらず、ニヤけている。
「Eカップはある。俺の目はその点に関しては、透視以上だからな」
自分しかいない部屋で自信満々に言った。
部屋をジロジロと見渡す。テーブルの上に紙切れが置いてある。
少年は緑色のパジャマ姿で立ち上がり、紙切れを拾い上げる。
「鍵崎智春さんへ、洋服の刺繍でお名前を拝見しました。お荷物と着ていたお洋服は、勝手ながら叔母さんに預けせて頂きました。叔母さんは一階のキッチンにいますので会って下さい。最後になりますが、助けてくださったのに殴ってしまってすいません」
鍵崎は紙切れを丁寧にテーブルの上に置いた。
「俺の事、忘れちまったか……」
落胆した声で小さく呟いた。
「あら、大きくなったわねぇ智ちゃん」
「お、お久しぶりです」
鍵崎は叔母さんに軽く会釈する。
彼女は四十代だが痩せているし、肌もつやつやな美人である。
「一回しかお会いしていないのに、よく覚えていらっしゃいますね」
叔母さんは、軽く左手を撫でながら言う。
「覚えているわよ。桃里を笑顔にしてくれた人ならね」
「あの」
鍵崎が困惑するように話しかけた。
「洋服は良いのを使っているのね。ドライクリーニングさせてもらったわ。明日の朝には着れるようになるから」
「すいません」
叔母さんは笑顔で見ている。対照的に鍵崎はソワソワしている。
「あの、お、ぼくの時計は?」
「それならリビングのテーブルの上に置いてあるわ」
鍵崎が軽く頷き、ドアの方まで歩く。そして、叔母さんの方に振り返る。
「あの、桃里は?」
「お風呂に入っているわ。あの娘、長いから、先にご飯にしましょう」
「いえ、ぼく。お風呂に入りたい気分なので、ご飯は後にします」
叔母さんは納得したように笑顔で。
「そうね。桃里が上がったらご飯にしましょう」
「すいません。わがまま言って」
鍵崎は再び会釈する。
「いいのよ。智ちゃんも色々大変だったでしょう」
叔母さんにそう言われると鍵崎はキッチンから出て行った。
リビングは二十畳程あって明るい印象だ。そこには壁一面を覆うほどのウッド系のウォールラックがあり、中央には六十インチのハイビジョンテレビが設置されていた。部屋の中央には、クリーム系のゆったりと座れそうな三人がけのソファが一つと、一人がけのソファが二つある。その下には薄いピンク色の絨毯が敷かれている。カーテンは黄色を使用している。当然、エアコンも完備している。
鍵崎が少し歩くと、部屋に相応しいサイズのウッド調のローテーブルが見えた。そこに鍵崎が探していた物があった。
安堵のため息をしながら、鍵崎は時計を少し引き伸ばしたようなデザインの物を左手首に付ける。
「これが無いと、俺は無能だ」
鍵崎が身に付けているのは、正確に言うと時計ではない。
「そう言えば、桃里の奴お風呂に入っているんだよな……」
鍵崎は妄想した。黒髪の艶っぽいロングストレートに可愛らしい顔立ち。きっと鎖骨美人でもあるだろう。胸はEカップと言うダイナマイトクラス。お腹は、もし空手を続けているのなら締まっているだろうし、やってなくても少しぽっちゃりしている程度かもしれない。まぁどちらでも許容範囲内だ。お尻も締まっているだろうし、脚は空手をやっている名残で太すぎず、細すぎずの中間だ。
さて、想像しよう。そんなパーフェクトボディがシャワーを浴びている。まずは黒髪のロングストレートをシャンプーで洗うだろう。きっと、いい艶だ。次に胸の大きさに本人は戸惑いつつ、そこをスポンジで洗う筈だ。後、殴られて分かったのだが桃里は力持ちである。その二の腕はきっと締まっているだろう。程よく体のラインに合わせた後に泡が付いている所をシャワーで洗い流す。
もしくは、体をゆったりと伸ばしながら湯船に入っているかもしれないし、体を維持する為に半身浴をしているだろう。火照った汗が首筋を伝うのが想像できる。
鍵崎は鼻の下が伸びきっていた。こんなのを誰かに見られたら、きっと通報される。
「ヘッヘッヘ」
鍵崎は下卑た笑い声を漏らす。そして、リビングを出て行った。
秋の陽気のせいかパジャマにサンダル姿ではとても寒い。鍵崎は体を震わせながら庭を通り、角を曲がる。
「俺は桃里の護衛だ。俺は護衛だ」
自分がこれから犯そうとする罪を正当化しようと呟く。
すると、桃里の鼻歌が聞こえてくる。鍵崎は鼻歌のする方へと向かう。恐らくバスルームであろう曇りガラスが見える。ここから直接、桃里の生まれたままの姿を見る事はできない。見たら通報されるからだ。
「頼むぜ。ダイバー・チェンジャー」
鍵崎はダイバー・チェンジャーの小さなボタンを押す。液晶には「Full」と表示されている。
ダイバー・チェンジャーは使用すると牛人間と戦った姿ダイバー・クォークに変身できる。ダイバー・クォークは人工的に超能力を内蔵しており、能力は、全ての物質に潜行できることである。これを使用して、お風呂場の壁と窓に体を一体化させ、目だけは壁の表層に出す。そうする事で桃里の生まれたままの姿が拝めるはずであると計算する。
「ただなぁ……短時間なのがな」
だが、鍵崎は引くことができなかった。殴られた事へのささやかな仕返しが一割、桃里の生まれたままの姿を想像ではなく実際に拝みたいと言う願望が九割である。
「ここで引いたら男が廃る」
鍵崎はダイバー・チェンジャーを作動させる。
「チェンジ・ザ・ダイバー」
電子音と共に白く発光し、ダイバー・クォークに変身する。
「コンプリート」
鍵崎がおもむろに壁に入ろうとすると壁にぶつかる。
「何?」
桃里が警戒する。
(何故だ。ダイバー・クォークならこれ位、余裕なはずだ)
動揺する鍵崎。もう一度挑戦しようと一歩踏み出した瞬間。
「動くな。両手を組んで頭に付けろ」
その声は少女の声だった。鍵崎は言う通りにした。
「アタシの方に向きなさい」
鍵崎が振り返ると、手首から闇夜でもメタリックグリーンに輝くブレードを生やした少女がいた。
「オマッ、ぶ、武器が、は、生えている?」
琴音は表情一つ変えない。
「町一つに一体のバイオドロイドが普通でしょ」
鍵崎は心の中で納得する。なるほど、確か、あの日から人間世界では対超能力テロの為に対超能力者用バイオドロイドを開発し、パトロールさせていると、人間世界社会学で習った。
バイオドロイドとは、植物生態型のナノマシンを人型に生成し、食事の摂取によってナノマシンが増植する増殖コアと人工ナノマシンAIを内蔵している。
そのうえで超能力を封じるアンチサイコパルス発生装置を内蔵している。
主に戦闘用でしか普及していない。それは一体のコストが高いからである。
「こんな所でこんな格好して、何してんの?」
鍵崎は答えに困窮した。二人の間に若干の間が訪れる。
「だんまり? 連行するわよ」
「さ、散歩ッス」
怖い形相で睨まれ、首筋にブレードの切っ先が迫る。
「不法侵入罪で現行犯逮捕よ」
「だから、散歩ですってマジ。歌が聞こえてきたので、つい」
鍵崎は慌てながら言った。
「問答無用!!」
琴音が恫喝するような声で言った。
すると、ガラリと窓が開く。同時に鍵崎の変身が解ける。
「ど、どうしたの?」
琴音が人差し指で鍵崎を指す。
「コイツ、不法侵入者だよ」
鍵崎は目を見開いた。窓から無防備な状態で桃里の綺麗な色の裸とたわわなEカップの乳が見えたからだ。しかも、少しだけ揺れていたような気さえする。
「って、アンタ、に、人間だったの?」
琴音は鍵崎がダイバー・クォークの姿から、人間の姿になった事に驚いてしまう。
鍵崎は桃里の裸姿を自分の脳味噌に焼き付ける。彼女は自分がどんな姿で彼に見られているか、今気づいた。そして、彼女の白い肌が一気に紅潮する。
鍵崎は桃里にウィンクしながら、右親指を立てて突き出し。
「ナイス。乳」
桃里の頭から煙が噴出しそうに見えた。
「はわあっ」
桃里が奇声をあげたその瞬間、窓から姿を消し、代わりに大きく水が飛び跳ねる音がした。
「どうしたの?」
叔母さんの驚いた声が聞こえると、鍵崎の表情に焦りが出た。
「と、桃里?」
琴音が激しく動揺する。
「ア、アンタのせいで、と、桃里が……」
鍵崎は琴音に、今にも泣き出しそうな表情で見られる。
「し、死んじゃった」
切っ先が一気に引かれた。
「アンタのせいだァッ」
琴音は鍵崎の首筋をブレードで突き刺そうとする。
「死んでない」
鍵崎は言葉で、琴音のブレードから自分の命を守った。切っ先は後少しで首筋を突き刺すところで止まっていた。
「死んでない?」
「のぼせて倒れたんだよ」
鍵崎は呆れる様に言った。
「生きてるの?」
「ああ、でも早く助けないとな」
動きたかった。このままでは桃里が危ない。だが、ブレードが邪魔である。
「じゃあ、急がないと」
「そうだな。頼む」
そう言うとブレードの切っ先が鍵崎の首筋から離れる。思わず、安堵のため息が出る。
琴音は塀まで後ろに下がり、勢いよく鍵崎に迫る。
「なっ」
鍵崎は防御体勢を取ってしまう。その瞬間、琴音の姿が消えた。
いや、頭上にいた。鍵崎は彼女が飛んだ事よりもスカートの中の絶対領域たるアレに目がいった。
白地に緑の縞々パンツが……。それは、ハイスピードカメラで撮った映像を見ているようだった。
「ゴチです」
鍵崎は悟ったように呟いた。
何故か着水音や衝撃音がしなかった。
風呂から桃里を引っ張り出す水音がする。「桃里!!」と叫び声がしたと思ったら、急に静まり返った。
鍵崎の心に不安がよぎる。もしかしたら桃里を殺してしまったのだろうかと。
激しい動悸が、吐き気が鍵崎を襲う。そして、両膝の感覚が無くなる。やがて地面に着く。
「大丈夫。良くある事よ」
叔母さんの微笑ましい声がする。
激しい動悸が、吐き気が、不安が鍵崎から消えていく。
「エッ、本当ですか?」
「十五分に一度は見ているのよ」
鍵崎は片膝を着きながら立ち上がった。その表情に安堵は見られない。
「大体アンタのせいよ。アンタのせいで桃里が倒れたんだから」
鍵崎は自分が寝ていた部屋にいる。そこで正座しながら琴音と桃里からお説教を聞いている。ちなみに叔母さんからは「後は当事者同士で納得のいく話し合いをしなさい」と三人に言っただけで何も無かった。
「アンタは、何が目的であそこにいたの?」
「護衛ですから」
鍵崎は自信たっぷりに言って見せた。
「SPは叔父さんが、外出する時の警護でしか雇っていませんよ」
「嘘をついたのね」
琴音の声のトーンが若干低い。鍵崎は己の寿命が縮むような気がした。
テーブルに琴音の振り上げた拳の衝撃音がする。
「白状しなさい。殺すわよ。言ったって殺すけど」
選択肢は無かった。だが、言えないのが現実である。
「琴音ちゃん。穏便にして下さい。鍵崎さんは、その、命の恩人でもありますから」
琴音は桃里を一瞥した後、鍵崎の方を見て、人指し指で指しながら言う。
「だって、コイツが」
桃里は小さく咳払いをした。鍵崎は息を呑む。そして、真剣な目で見られる。
「本当の事を仰ってください」
鍵崎は大真面目な表情で桃里を見た。
「見たかったんだ。桃里の生まれたままの姿を」
「ハヒィ」
桃里は言葉にできない言葉を発し、顔を真っ赤にし、今にも床に倒れそうにする。
「軽犯罪法違反で現行犯逮捕よ」
琴音が立ち上がり、鍵崎の手を引っ張る。
「マジか」
鍵崎は捕まるまいと自分の腕を引っ張る。琴音は本気になる。バイオドロイド相手に生身の人間が腕力で勝てるはずが無い。勢い余って鍵崎の頭は琴音の胸にぶつかる。
「オオ、Bか。まあまだな」
鍵崎はつい呟いた。
「セクハラで訴えてやるぅ」
琴音は涙目だった。この状況に嫌気がさしたのか桃里は再び咳払いをする。
「もういいです。琴音ちゃんに引き渡すのは、またこんな事をしたらでいいと思います」
桃里は静かに立ち上がり、琴音を見た。彼女は鍵崎の腕を離す。桃里はドアを開け、廊下に出る。ドアを閉める間際、鍵崎を睨んだ。
「叔母さんには、鍵崎さんはご飯はいらないと仰っていたと伝えます」
「桃里……」
鍵崎はうなだれる。もう一度ドアを見ると琴音が立っていた。
「ベーッだ」
琴音は鍵崎に、憎たらしいアッカンベーをしてドアを閉める。
「助かった。コイツの事は聞かないんだな」
鍵崎はダイバー・チェンジャーを眺めて、安堵のため息をする。
紅臣市を襲撃した牛人間は、バイオドロイド宇野琴音と同様に次元の歪みから現われた蜂人間によって撃退された。
本来、市は市民に避難を勧告する筈だったが、現在は警戒態勢のまま市民の社会活動を制限する事なく、通常通り営まれている。ただし、学校等は生徒の安全を考慮して次の日を臨時休校にした。桃里は私立高校に通っているが同様の理由で休校になる。
「いつ決めたんですか?」
桃里は驚愕を隠せないでいた。
昼の三時頃、桃里がお風呂掃除を終えて、ちょうど着替えたところだ。
リビングにいた叔母さんと、我が物顔でソファに座る鍵崎が、互いに互いを見て微笑んでいる。
「さっきよ。桃里の命の恩人を死なせる訳にはいかないでしょう」
「でも、素性の知れない人を住まわせるなんておかしいでしょ?」
叔母さんはお茶を啜った後。
「お父さんも良いって言ったわ。それにお爺さんからも構わないと仰っていたわよ」
お爺さんと言う単語を聞いた瞬間、桃里は軽く眩暈を引き起こした。
「だ、大丈夫か?」
桃里に眩暈を引き起こさせている張本人が心配そうに立ち上がる。だが、彼女はなんとか踏みとどまった。
「そうね、桃里はこの街の案内を兼ねて、智ちゃんに新しい洋服を買ってあげること」
桃里は力なく頷く。鍵崎はすでにリビングを出ようとしている。
「さぁ、そうと決まれば、膳は急げ」
「勝手に行こうとしないで下さい」
桃里は鍵崎の行動に翻弄されるだけだった。
まだ明るい四時頃の紅臣市駅。駅自体も綺麗で流線型のデザインをしている。だが、目立つのは塔のようにそびえ立つ五十階立ての駅ビルである。もちろん、駅の周囲にもビルはあるが平均七階位である。
高級で落ち着いた雰囲気のテナントだらけの三十階。桃里と鍵崎の前には、お店がある。ディスプレイには黄色がかった照明がマネキンを下から照らしている。入るには木製の両開きの扉がある。そこから垣間見えるのはしっかりとしたスーツから遊びのあるスーツ、休日に家族と買い物に着るとカッコ良く見える服がある。
「あの、桃里?」
鍵崎が恐る恐るヒソヒソ声で話しかけてくる。
「なんですか?」
桃里は不思議そうに鍵崎を見る。
「ここ、俺ら入れねぇだろ」
「そうでしょうか? 叔父さんはよく行くそうですよ」
「これ、金持ちのお父さんがターゲットだろ。俺、たぶん似合わない」
桃里は何で鍵崎が呆れているのか分からなかった。
「きっと似合いますよ。品行方正になれますし」
「後、買ってもらう俺が言うのもアレだけど、絶対、一着しか買えないよね?」
桃里はバッグから財布を取り出し、チラリと見た。黒いカードが見えたが、これは使わない。
「この場合、質より量だと思うんだ」
「そ、そうですね。下へ行きましょう」
桃里は踵を返す。鍵崎も後から付いて行く。
薄暗い照明、そこにはカジュアルな服やロックな服等が並び、若者が歩き、ショップの店員が活気良く呼び込んでいる。
桃里は売られている服より、歩いている高校生に目がいく。ブレザー、学ラン、どれも似たり寄ったりだが、色やボタン等細々に差異がある。だが、鍵崎の着ている服は違った。制服の様だが桃里は見たことがない。金色のボタンをよく見ると鍵崎が変身した時のエンブレムがあしらわれ、金色の肩章は軍服を連想させる。
「どうしたんだ?」
「やっぱり、浮いていますよね。その服」
「そうか、そうだな」
鍵崎は何も気にしていない素振りだった。桃里は鍵崎と一緒にいるのが恥ずかしかった。
桃里は鍵崎を死角に追い込む。押せば、顔と顔がぶつかる距離である。顔が赤くなる。
「積極的だな、桃里。俺からしようか?」
桃里は軽薄な言葉を聞いて、顔を更に真っ赤にして、思わず突きを放つ。
「ウッ」
「ご、ごめんなさい。その……ごめんなさい」
鍵崎は軽く笑顔を作る。
「この程度、よくあることさ」
「今度からは気をつけますから」
桃里は鍵崎から二歩下がり、財布を取り出す。
「あっ、これで間に合うと思いますので、一人でゆっくり見ていてください」
鍵崎は何故か呆けている。
「じゃあ、六時にここに集合でよろしくお願いしますね」
桃里がそう言うとエレベーターの扉が開き、それに乗る。
鍵崎の右手には十万円が握られていた。
「一緒にいたほうが守りやすいのにな」
鍵崎はそう呟くと、寂しそうに手近な服屋に入っていった。
太陽が沈もうとしている。
サニーガーデン。ガラスで囲われ、草原と茂みが部屋一面を覆っている。ベンチやチェアと傘付きのテーブルが随所に置かれている。
桃里はペットボトルの紅茶を飲むとベンチに座り、ペットボトルを傍に置く。ここにはゴミ箱はなく、下か上のどちらかの階で捨てる事が暗黙の了解である。
桃里は鍵崎との出会いを振り返ると、頭が混乱に陥りそうになる。
鍵崎智春。彼は何者だろうかと考えた。桃里の命を救ったのも彼だし、それには恩義を感じる。だけど、彼は謎だらけだ。何処から来て、どうして桃里を助けたのか。何がしたいのか分からない。
叔母さん達は知っているようだが、何故か教えてくれない。
桃里は嘆息する。まるで宇宙人といるみたいだ。彼女は男性との交友関係は少ない。
気が付くと太陽が沈み、薄暗い照明が点灯している。
「もう、六時ですね」
桃里はペットボトルを持って立ち上がる。サニーガーデンを出ようとすると。
「鈴辺さん」
紺色のフワッとしたセミロングに、切れ長な二重まぶたに高い鼻梁が特徴的な印象の少女が立っていた。
「あっ、橋本さん」
桃里はお辞儀をする。橋本も遅れてお辞儀をする。
「お買い物ですか?」
桃里が話しかけた。
「あんな事の後だけど、せっかく学校が休みなんだから、家にいるのはもったいないかなってね」
橋本が薄く笑う。
「そうですね」
桃里は少し笑う。
「そういえば、意外ね。文化祭の出し物に出てくれるなんて」
「私も橋本さんが参加するなんて思いもしませんでした」
お互いに笑みを見せ合う。
「学園長であるお爺様の強権で参加させられるなんて、大変ですよね」
橋本は心配そうに言った。
「仕方ないんです。お爺さんに『お前は人前に出ようとしない、そんなんじゃ社会に通用しない』と仰って、私に人前へ出る機会を与えてくださったんです」
桃里は笑顔で言った。
橋本は納得するように頷く。今度は桃里が質問する。
「橋本さんは、そう言うのに参加しないイメージがあるから、驚きました」
「ええ、気乗りはしないけど、参加者無しじゃ、期待している男子が可愛そうでしょ」
橋本の笑みはどこか余裕を醸し出している。
「ねぇ、お互いがんばりましょう」
橋本は桃里に右手を差し出す。
「そうですね」
桃里は橋本と握手する。
「橋本さんって、手が冷たいんですね」
「よく言われるわ」
「でも、冷たい人は心優しい人だと言いわれていますよね」
それは三秒間の出来事だった。二人は手を離す。
橋本は携帯電話を取り出し、それを見る。
「もっと、お話したいけど、時間だから」
そう言って橋本はそそくさとエレベーターの方へ向かう。
「あっ、さようなら」
桃里はまだ手を伸ばしたままだった。
「思っていたより、買えたんですね」
鍵崎と合流する場所で桃里は彼と合流する。そして、驚愕していた。彼の手にたくさんの買い物袋が抱えられているからである。
「ま、まぁな」
鍵崎は大荷物のせいか辛そうにしている。
「持ちましょうか?」
鍵崎は首を横に振る。
「女の子に労働をさせるのは趣味じゃない」
鍵崎はそういって歩き出そうとするが、呼吸が荒い。
「持ちます」
「いや、いいんだ。買ってもらってるし」
その後も、桃里の申し出を鍵崎は頑なに断り続けた。
バスの中でも鍵崎は桃里に空いた席を譲ろうとしていたが、桃里はそれを断り、別の人に席を譲ったりしていた。
お風呂の中でも彼女は彼の事を考えていた。家に帰って彼はお金を返してくれた。七万円程返ってきた。彼女の金銭感覚では全額使われるのではないかと思っていたが、彼は節約してくれた。
叔母さんや叔父さんは彼の事を知っているが教えてくれなかった。本人に聞き出すのが一番だが、教えてくれそうに無い。
お爺さんの行動力は凄まじく、明日には鍵崎を自分の通っている箔麗学園に入学できるようにしてある。
桃里は不安だった。鍵崎の学園での行動が全く予想できないからだ。
パジャマに着替え、リビングに入ると鍵崎は叔母さんと仲良くテレビを見て、笑っていた。どうして家族は得体の知れない鍵崎を迎え入れられるのか理解できなかった。




