第37話 『奇跡の一枚』
山崎が朝目を覚ますと、廊下から良い匂いがしているのが分かった。母親が張りきって朝食の準備をしている。いつもには無いことだ。いつもなら精々目玉焼きがある程度で、ひどい時は何も用意がされていない。自分で朝食を用意することもしばしばあったのにも関わらず、今日はなんだか豪勢な感じがする。一体何があったのだろうか? 部屋を降りていくと確かに朝食がいつもより豪勢に作られていた。目玉焼き、ベーコン、サラダの盛り合わせ、焼き鮭、炊き立てのご飯。一体何の騒ぎだろうか。母親に尋ねてみる。
「おはよー母さん。今日……何かあるの?」
「あら慎一。今日は一人で起きられたのね」
「いつも一人で起きてるよ。そんなことより、今日に限ってなんでこんなに朝食が豪華なの?」
そう言うと、部屋の奥から声が聞こえてきた。普段あまり耳にしない声なので少し違和感があったが、声の主はすぐにわかった。
「私が帰ってきたら、お母さん張りきってご飯作るって言いだしちゃってねー」
山崎の姉、山崎千晴がソファーに堂々と腰掛けているのが確認できた。山崎は驚いた、と言ってもそれはそのはずだった。海外へ旅行を転々と繰り返している姉はいつ帰ってくるかわからない。今日だって朝に帰ってきている程だからだ。しかし最初のテスト以来、つまり3か月ほど会っていなかったわけだ。それはいきなり家にいたら多少とも驚く。山崎も例外ではない。
「姉ちゃんお帰り」
今一番言いたかった言葉を口にした。
「はい、ただいま~」
軽いノリだった。つい昨日まで一緒に居たかのように、挨拶は素気ないものだった。しかしうちの家族は大体そうだ。自分も含めてみんなそれぞれにあまり興味を持たない。それでいて成り立っている家族であるため、こういう性格の人間に育つのだろう。
朝からお腹がこんなにも満たされる食事にありつけたのは久々だった。しかし姉が帰ってきたという割には、姉から海外の話をまだ一切聴いていなかった。思い切って山崎は姉に最近の事を訊いてみた。
「姉ちゃんさ、また色々旅行してきたんでしょ? どんな所に行ったか聴かせてよ」
「お? 慎一もお姉ちゃんに興味が湧くようになったかい?」
実を言うと、今気にしているのは姉ではなかった。姉の旅行先、つまり今西宮が居る地域についての話に興味があったのだ。それでも姉は弟の考えている事も知らず、夢中に語りだした。
「まずはこの写真とかどうかな。大体6月くらいの写真だったかなー」
取り出して来たのは、果てしなく続く海の写真。夕方時の写真なのか、海が赤く映っている。遠くにはヨットもあるし、サーフィンをしている人もいる。ここは南国なのだろうか? 姉に訊いてみることにする。
「どこの南国? これ」
「ジャワ島だよ」
山崎にはパッと思いつくだけの知識は無かった。しかし、驚くべきは姉の方だった。
「まあ、行ってみただけだよ。よくわかんなかった」
一体この姉は何の目的で海外へ飛んでいるのだろうか。些か疑問に思いつつも、写真が次の物へと変わる。
今度は見覚えのある時計が映っていた。すごく大きく、何度か姉の撮ってきた写真で見せてもらった事があったからだ。
「これはビッグベン。何度も訪れたくなるのよねー」
「何回目くらいだっけ?」
「うーん……たくさん行ったよ」
とてもアバウトだった。もはや一つの国に留まっていないのも、姉の習慣の一つなのかもしれない。そして3枚目に見せてきた写真がとても印象的だった。
「この時夏だけど結構涼しかったんだよねー。って、つい昨日撮った写真だったわ。あはは」
楽しげに友達と映っている写真だった。現地の人とその場で友達になって、一日を一緒に過ごしたり家に泊まったりしたこともあるそうだが、今回もそのような感じなのだろう。
「普通に声かけて、一緒に写真どうですか? って聴いたんだよ。そしたら相手が偶然ロシア人じゃなくて日本人だったんだよねー」
「へー珍しい事もあるもんだね」
「親子連れだったんだけど、金髪の子がいたからきっとロシア人なのだろうと思ったんだよ。顔立ちもそれっぽかったし。でも日本人だって言うからびっくりして、写真撮って来ちゃった」
山崎はもう一度写真を見なおした。一体何故一度目で気付かなかったのだろうか。紛れもなくそこに一緒に写っていたのは、一昨日まで一緒に遊んでいた西宮家の皆さんだった。口を開けて、とうとう声まで上げて驚いてしまった。
「えええええええ!?」
急に声を上げた物だから、姉は驚く。そして、それよりも山崎が驚いていた。
「一体何? 幽霊でも写ってたの!?」
「これ、俺の友達だよ」
姉は急いで山崎の持っている写真を自分の手元まで持ってきた。そこでじっと顔を見ながら声を出す。
「これ、慎一の友達なの!? うわー何この偶然。ビビるわ」
姉が言ったセリフに対して、突っ込まずにはいられない。
「俺の方がびっくりしたよ!」
しかし、いつも冷静な姉は話を途端に切り替えした。
「こんな可愛い子と友達とは、慎一も中々やりますなぁ」
肘で突いてくる姉の顔はニヤついていた。しかし驚きが隠せなかったのか目は泳いでいた。
「姉ちゃん、その子と何か話した?」
気になったことをズバッと訊く。姉の答えがどうであれ、西宮が居た事は事実だ。話を訊いておこう。
「そうだなー。あの子なんだか少し寂しそうな顔をしていたよ」
「寂しそうな顔?」
「なんか……ロシアを満喫している顔ではなかったね。ロシアと言ったらウォッカ! 酒を飲まずしてロシアは語れないね!!」
「いやいや、西宮は未成年だから」
「あ、そっか」
てへっと頭に手を乗せた。この23歳はいつまでも若々しいままだろうなと弟ながらに姉の事を思った。すぐに姉から話が続く。
「下の子なのかな? あの子はすっごく可愛かったね。ただ、ロシアに来てまでゲームってするものかね?」
「あぁ……あいつはきっとそう言う奴だからな」
「ほほう。妹とも知り合いとな。隅に置けないやつやのぉ」
若いと言った事を撤回しよう。おじさん臭い23歳だと山崎は思った。実際の年齢よりも上なのか下なのか。定かではないが、色々なところへ旅行している分、他の23歳の女性よりも大人びているはずだ。それより、本題がずらされていたことに気付く。
「あいつらの事じゃなくて、あいつらとの会話を聴きたいんだよ!」
「あーそういうことね。えーっと……今日から2週間ロシアで過ごすって言ってた。あとは……えーっと……うん、あんまり覚えてないわ。ごめん」
この弟にして、この姉であるというわけか。興味のない事はすぐに忘れて、興味のあることだけに集中してしまう。自分と似ていることに対してのため息が、山崎の中から出た。
「はぁ……」
「そんなリアクション取らなくてもいいでしょー!」
その後も姉の思い出を散々と訊かされ、時間が過ぎて行った。楽しい海外旅行だった事はよく身に染みて分かった。そこで弟として、家族として聴いておきたい事を訊いた。
「次の旅行のプランとか決めてるの?」
「んー? まだ全然決めてないよ。今行きたい所は特にないし、長い間またこの家で過ごすよ」
少し安心した。たった一人の姉、危険な目に遭ってほしく無いために海外へ行く事はあまり好ましくは思っていなかった。久しぶりに一緒にいる時間が出来て、嬉しかった。
「なに? 私がいなくて寂しかったの? 寂しかったら遠慮はいらない! 私の胸に飛び込んできなさい!」
自分の胸を見せつけるかのように大きく腕を開いた。しかしそれに答えたら弟として、高校生として何かが違うと思ったため、避けた。
夜も更け、一人で寝る。今日は姉とたくさん喋って疲れた。久しぶりの姉との会話に山崎は単純に嬉しかったのだ。
「夏休み、まだ始まったばっかりなんだよな……」
夏休みに入ってからという物の、何かしらのイベントがあったためとても忙しい夏休みを送っている。高校生になってから忙しくなったし、友達との時間も増えた。家に遊びに行ったり、プールで泳いだり、流しそうめんしたり、買い物に行ったり。
充実した時間というのは過ぎるのがあっという間だなと改めて思った。
眠りに就こうとした途端、静かにドアが開くのが確認できた。こっそりとカメラを持って侵入してきた姉を凝視する。
「あ、おやすみー」
そのまま部屋を立ち去る姉に、疑問を抱いた。その日はとても寝苦しい夜となった。




