第32話 『友情』
躑躅森、円町、松川はレーンの中で泳いでいる。小島はスマホを男子更衣室へ置きに行っている。山崎、姫路、西宮はプールの中から一人の女子に視点を置いている。神宮は顔を赤らめて、パーカーのフードを被り始めた。
「よし神宮。泳ぎの練習しようか」
山崎がフードを被ってもじもじしている女子に対してこう言った。すると神宮が被ったばかりのフードを取り、声を上げる。
「泳ぐ!? 泳がなきゃいけないってのか!」
「目の前にプールがある上に、水着姿にまでなっているのに、泳がないなんて損だ」
「まあ……そうだけど……」
必死に説得し、神宮をプールへと誘う山崎。山崎は神宮が弱っている姿が見たいと言うのが目的だった。
「パーカー置いてきて」
「……本気で言ってるのか」
「置いてきて」
山崎はこの時ばかりは神宮に負けないSっぷりを出していた。渋々神宮がパーカーをプールサイドに置いてきた。するとわかった事がある。神宮のスクール水着にも名札が貼ってあったのだ。パーカーを着ていた理由は、泳ぎたくないだけでは無かったらしい。神宮が足を水につけ、ゆっくりとプールの中へと入ってくる。
西宮が神宮に声を掛けた。
「向こうまで50メートルです。どこまで泳げるか、一度試してみましょうか?」
神宮の顔の雲行きが怪しくなった。そして、神宮が前置きをするように言った。
「全然泳げなくても笑うなよ!」
そう言うと、神宮は水に顔を付けて前に進もうと手と脚を伸ばした。体は浮いている、そして手足も充分に伸びている。そしてじたばたと手足が動いている。しかしその場から全然進まなかった。しばらくして顔を上げて、西宮を見てからこう言った。
「どのぐらい泳げた!?」
「3メートルぐらいですかね……」
神宮はかなりの“金づち”だった。そしてその結果を聴いた神宮は水の中を歩き、プールサイドへと向かおうとした。山崎が神宮の手を掴み、引き戻した。
「泳ぐ練習した方がいいぞ。いつか泳がなきゃいけない時が来るかもしれない。その時のために練習しておかないといけないだろ!?」
神宮の顔がどんどんと暗くなっていく。その顔を見た山崎は少し罪悪感を抱いた。悪かったなと思いつつも、言葉にしたことは事実である。そして、山崎は泳ぎのコツを少しだけ教えた。
「手で水を掻きわけるようにするんだ。そうしたらどんどん進むようになる。脚も動かすだけじゃなく、水を蹴るように動かすんだ」
「でも、全然進まないし……」
神宮は山崎の顔を見ないで話していた。しかし山崎はめげずにこう言った。
「進むイメージが出来ていないから進まないんだろ! 気持ちよく泳いでいる自分を想像しながら泳げば、絶対上手くいくはずだ!」
励ましの言葉を貰った神宮の顔は少し晴れていた。そしてやる気を出したのか、もう一度泳ぐ体制を取った。
「水を掻きわけるように……蹴るように……イメージして……」
独り言を呟いた後、水に顔を付けて泳ぎ始めた。するとたったの一分だけ、しかも言葉でしかアドバイスしていないのにもかかわらず、神宮は前へ前へと泳いで行った。急激な進歩に、西宮も姫路も、そして山崎も驚いていた。
息継ぎの仕方を教えていなかったため、10秒ほど経ったらすぐに顔を上げて声を上げた。
「何メートルくらい泳げた!?」
神宮はとっくに10メートル程先へ進んでいた。神宮本人もここまで泳げるようになった事に驚いており、西宮が後ろの方にいるのを確認し戻ってきた。すると、驚きを口にしたのだった。
「私、10メートル近く進んでなかったか?」
「はい。後は息継ぎの仕方だけ覚えたら問題ないですね」
ここまで呑み込みが速いのに、今まで何故泳げなかったのか不思議に思った山崎が神宮に質問した。
「今までなんで泳げなかったんだ?」
神宮の表情は少し曇った。そして重々しく口を開く。
「……人に教えてもらったことなくて。先生は勉強ができる私に対して冷たい態度を取っていたし、友達はいなかったし……」
山崎はこの時初めて神宮の特質に気付いた。神宮は教えてもらったことは何でもできるタイプだろう。授業を一度聞いてしまえば、テストでもできてしまう。逆に教えてもらったことのない事は何もできない。その事に気付いた山崎は、さっそく息継ぎの仕方も教えることにした。
「神宮、息継ぎはこうやって水面から出した手を同じ方向に顔を向けるんだ。で、次に手が水面に行く前に息を吸うんだよ。この時水を吸わないように注意するんだ」
「わかった。やってみる」
そう言うと、神宮のやる気は元よりも上がっており、すぐに水面に顔を付けた。姫路と西宮が見守る中、神宮は泳ぎ始めた。水をしっかりと掻き分け、水をしっかりと蹴り、フォームは完璧に近づいていた。そして息継ぎもしっかりと出来ている。完璧なクロールを泳いでいた神宮を、山崎は追いかけるように泳いだ。神宮は止まることなく50メートル泳ぎ切ったのだった。追いついた山崎が神宮に声を掛けた。
「やったな神宮! 50メートル泳ぎ切ったんだぞ!」
さっきまでの神宮の弱っている姿が見たいと思っていた山崎は、何処かへ行ってしまったようだった。純粋に神宮を応援している山崎に変わったのだった。神宮も喜びを言葉に表す。
「私、泳げるようになったんだ!」
「これで一つ弱点が克服できたな」
山崎の言葉を聴いた神宮は、山崎の方を見つめた。山崎は少しドキッとした。いつもとは違う神宮に見つめられていると感じたからだ。神宮は口を開け、こう言った。
「ありがとう」
神宮は純粋にお礼を言った。純粋な感謝は心にぐさっと突きささる。神宮に素直なお礼を言われたのは、多分初めてだからだ。山崎は、自分の顔が少し熱くなるのを感じた。すると神宮もそれに気付いたのか、お茶を濁すように言葉を紡いだ。
「べ、別にそんなに感謝してないからな!」
その言葉はすぐに嘘だと思ったが、今はその言葉のままに受け取った。そうしなければ、山崎の心がどうにかなりそうだったからだ。山崎も言葉を返した。
「大したことした訳じゃないから、感謝なんていらないけども!」
山崎の言葉も大嘘だった。本心は感謝に対して嬉しい限りだったが、素直になれなかった。この会話に、隣のレーンから松川がちょっかいを掛けてきた。
「二人とも、素直になりなよー」
二人に対して直撃した言葉は、まさにその通りだった。しかし神宮が必死に反論した。
「ほんとに感謝なんてしてないんだからな!」
そう言うと、神宮は一人で泳いで行った。山崎は取り残され、松川はそんな山崎を見てにやりと笑った。
「なんだよ」
「別に」
松川もまた、レーン内を泳いで行った。山崎はプールサイドへ上がり、プール全体を見渡した。円町と躑躅森はずっと競うように泳いでいた。何故犬掻きで泳いでいるのかは分からないが、若干円町がリードしているように見えた。神宮と松川はしばらくして西宮と合流しており、姫路はこちらへ泳いできた。小島はスマホを置いて戻ってきており、人のいない第三レーンに入ろうとしていた。山崎は、思い返していた。
「ここにいる全員、俺が立ち上げた部活のメンバーなんだよな……」
部活動を立ち上げたのは俺で、きっかけは姫路。初めて部活をした時は五人しかいなかった。そして今ではそこに3人加わり、8人で活動をしている。中学の頃、ここまで長い時間一緒にいる友達は居なかった。部活で一緒に遊び、夏休みにこうして遊んでいることに幸せを感じる。神宮からの感謝を貰って思い返した山崎は、こちら側まで泳いできた姫路に話しかける。
「姫路、ありがとな」
「なんだよ今更」
「お前のおかげでここまでやってこれたんだ。感謝くらいしてもいいだろ?」
「何言ってんだよ山崎」
山崎はここで反論されるとは思っていなかった。そして山崎は姫路の言葉に不意を突かれたようだった。
「俺が言いだした事かもしれないが、今頑張ってるのは誰だ? お前がここまで引っ張り上げてきた事、自覚してないのか?」
「俺がここまで……?」
「そうだよ。姫路諒平がここまで引っ張った訳じゃない。山崎慎一、お前がここまで引っ張ってきたんだ。自分自身に感謝してもいいんじゃないのか」
言われるまで気付かなかった。姫路が言いだした事で、ここまで発展してきたのだから当然姫路のおかげだとばかり思っていた。それは山崎が思っていたことであり、姫路が思っていたことではない。山崎は姫路にもう一度声を掛けた。
「今のこの生活、輝いてるか?」
「もちろん、お前のおかげで高校生活が輝いてるぞ」
本当にいい友人を持ったと山崎は思った。




