第30話 『水の音』
神宮ともみじは、宿題をしている人間達の後ろでゲームを楽しんでいた。もみじが好きなのは格闘ゲームで、神宮もちょうどやったことのあるゲームだった。時々声を上げながらも、神宮は楽しそうにゲームをやっていた。もみじも対戦相手が見つかり、嬉しい気分だったのだろう。しかし、小島はそのゲームが少々気になっていた。小島がチラチラとテレビ画面を見ていたのは、前回滅多打ちにされたからなのだろう。
着々と宿題を片付け、昼食時の時間になった。西宮が手首を見て時間を確認しようとした。しかし、SCウォッチははめていない。そこで、小島に声を掛けた。
「そういえば小島君、SCウォッチのアップデートは終わりましたか?」
「ああ、そうだったな。ちょっと待っててくれ」
小島が自分の持ってきたバッグの中身を確認し始める。そして、中から出てきたのはみんなの分のSCウォッチだった。
「すっかり忘れてたよ。じゃあ自分の分取っていって」
山崎はこの時、嫌な予感がしたのだった。そういえば自分のSCウォッチに目印とか付けてなかったようなと思いだしていた。しかし、他のみんながしっかり者だったため、それぞれ画面の裏側に何やら目印を付けていたらしい。各々自分の分を探し終え、自分の腕にはめなおした。そして西宮が時間を確認するなり、「昼食の用意をさせますね」と言い、客間を出て行った。一体どんな食事が出てくるのだろうかと期待した。
SCウォッチは全員分回収されたと思ったが、何故か二つだけ余ってしまった。山崎はその二つを観察するように見たが、違いがわからない。そして、宿題をしている人間は全て自分のSCウォッチを付けていたのだ。すると、小島が山崎に声を掛けた。
「どっちが山崎ので、どっちが神宮のだ?」
もう片方のSCウォッチは神宮の物だったらしい。一体どちらが神宮の物で、どちらが山崎の物なのか。その区別は付けられるものが無かった。しかし、円町がとある方法を思いつき、山崎に提案した。
「匂いで区別しましょう!」
余りにも斬新な提案だったため、山崎はすぐに反応できなかった。しかし、発言した本人は俄然やる気だった。山崎が反論を述べる。
「そんなに嗅覚のいい人間っているのか?」
「嗅覚って実は鍛える事ができるそうですよ」
円町から意外な言葉を聴いた。そして言葉を続けた。
「昔テレビで見たんですけど、人間の嗅覚は鍛えれば人の違いが区別できるほどに成長するらしいです。なので、私が挑戦してみます!」
すると円町が、ゲームに熱中している神宮に近づいて行った。それに気付いた神宮は、もみじに声を掛けゲームを中断した。そして神宮が円町を見上げ、尋ねた。
「どうした? 何か用事か?」
「匂いを嗅がせてください」
円町が直球の言葉を投げた。神宮が少し動揺していて、何を言っているのか理解する時間も無しに、円町が神宮の服の匂いを嗅ぎ始めた。神宮の動揺は強くなり、声に上げて慌てていた。
「え、えええぇぇ……」
神宮は宿題をしている者たちの方を見る。しかし、宿題をしている者たちも神宮を見ていた。匂いを嗅いでいる人間と、嗅がれている人間と、嗅がれている人間に注目する人間。一つの部屋が一瞬、混沌の空気に包まれた。20秒ほど匂いを嗅いだ円町は、少し距離を置いて神宮に言った。
「匂い、覚えました!」
「わけがわからん!」
神宮は円町の言葉に咄嗟に反応したが、円町は聞く耳も持たずにソファーに戻ってきた。そして、二つのSCウォッチを両手で持ち、匂いを嗅ぎ始めたと思ったらすぐに答えを言った。
「こっちが神宮さんのSCウォッチです」
右手に持っていたSCウォッチを前に伸ばし、みんなに見せつける。宿題をしていた人の手は止まり、一斉に「おおー」と言い感心した。そして、その右手に持っていたSCウォッチをテーブルに戻し、左手に持っていたSCウォッチを山崎に渡した。
「はい、こっちのSCウォッチが山崎君の物です」
「ありがとう」
山崎は円町のこういう力に驚いていた。体育祭の時もそうだったのだが、円町は何かに集中すると驚異的な能力を持つ事が出来るらしい。今回の嗅覚もきっと集中した結果なのだろう。そこで、山崎は疑問に思った事を口にした。
「テストの時も集中してるのか? 今回も前回も700点だっただろ?」
「はい。体育祭の時よりは集中しなくて済むんですが、かなり体力を使ってしまいます。テストの次の日が休みになる学校で、本当に助かりました」
「だよな。便利なのか不便なのか、俺にはわからないよ」
「多分便利だと思いますよ」
円町は笑顔で対応していた。しかし最後に言葉を発した後、少しだけ表情が曇った。そして思わぬ人の名前を口にした。
「渡辺さんはどうして700点取れたんでしょうか?」
今まであまり考えてこなかったが、渡辺もオール100点という化け物的数字を叩きだしていたのだった。よく知らない人物なので、下手なことは言えない。山崎は言葉を選んで円町に返答した。
「渡辺も何か秘策でも持ってるんじゃないのか?」
「秘策……ですか」
「まあ、よくわからないんだけど」
「今度会った時に聴いてみましょう」
山崎はこの時、そうだなと答えるつもりだった。しかし姫路がこの会話に食い込んできて、山崎の代わりに円町に答えたのだ。
「今度って、大体一ヶ月後くらいじゃないか?」
「あ……そういえば夏休み入ったんでした!」
円町には夏休みの自覚が無かったらしい。そんな会話をしていると、神宮が戻ってきた。そして、神宮が皆に伝わるような大きめの声を上げた。
「今日の昼食は、1階の食堂で流しそうめんをするそうです」
山崎は一瞬、理解が出来なかった。それは普通の家では聞き慣れない部屋の名前と、屋内で体験するような物ではない食事についての理解だった。松川が立ち上がり、その言葉に反応する。
「流しそうめん!? やったー!! 私そうめん好きなんだよねー!」
そしてもう一人、立ち上がり声を上げた人がいた。
「夏と言えばそうめんだよな!」
躑躅森も喜んでいたようだ。西宮が二人を見て微笑み、もう一度大きい声で言った。
「準備はもうできているので、1階に移動しましょうか」
神宮ともみじがゲームを中断し、いち早く西宮の元へ向かった。宿題組もペンを置き、立ち上がる。
客間を出て、階段を下りていく。玄関から見て左側、階段を降りて右側にその食堂はあった。食堂に入ると、縦横4メートル程の四角い謎の装置が置いてあるのがはっきりと目に映った。そして、奥には西宮のお父さんが仁王立ちしていた。お父さんが声を上げた。
「娘が友達を連れてくるって言ったから、昨日作ったんだ!」
装置を簡単に説明すると、半円状の筒に水が半分ほど張られており、天井から出ているホースのような物から水が出ている。そしてお父さんの所が終着点になっており、ざるを通し床へ水が流れていくようになっていた。お父さんが声を上げた後、奥の方で何やら装置の電源を入れたのだ。水が左回りに流れ始めると、お父さんは大量のそうめんを見せびらかして言った。
「そう、これは流しそうめん機だ!!」
そう言うと、執事らしき人が何処からともなく現れ、麺つゆの入ったお椀と箸を渡した。お椀と箸を受け取り、その装置を囲うように9人が立った。お父さんに一番近く、そうめんを真っ先に受け取る位置に立っていたのはもみじだった。その隣に西宮、松川と続く。曲がった位置、つまりお父さんとは反対側に円町と神宮と山崎が立ち、小島、姫路、躑躅森が後に続いた。
「じゃあ流すぞ!」
一番張り切っていたのは西宮のお父さんだった。お父さんがそうめんを流し始めると、早速もみじが箸でそうめんを掬う。つゆを付け、音を立てながらそうめんをすすった。もぐもぐと味わうように食べ、呑みこんだ後自然に言葉が出たようだ。
「おいしい」
あまりもみじの声を聴いた事はなかったが、やはり女の子らしい可愛い声だった。その第一声を聴いた父は、またもや声を上げた。
「よし、どんどん流して行くから覚悟してけ!」
そうめんをどんどん流して行った。掴めずに通過していった麺は、次の人がキャッチしその人が食べているうちに次の人の所へ回る。そうして大量のそうめんがどんどんと流れていった。躑躅森や姫路は順番的に全然回ってこなかった。女子達がおいしいおいしいと言いながらそうめんを食べている姿を見ながら、羨ましそうに待っていた。しかしじきに女子達の食事が終わり始めると、今度はたくさん流れてくるそうめんを一生懸命掬って食べなければならなくなり、大変な思いをした。そんな姿を女子達は楽しんで見ていたが、男子は必死に流れてくるそうめんを頬張っていたのだった。お父さんも満足げな顔を浮かべており、非常に楽しそうだった。
楽しい昼食を終え、客間に戻る。お腹も満たされ、宿題も捗った。陽が落ち始めるころまでやり、宿題が大方片付いた所で西宮が声を掛ける。
「では、今日はここまでにしましょう」
その言葉にみんなが同意し、帰宅の準備を進めた。そして、帰り際にさらっと重要な事を西宮が口にした。
「明日は、またうちに集まってプールにでも入りましょう」
山崎はこの時、またもや聞き慣れない言葉を聴いた気がした。松川が聞き直すように西宮に確認した。
「さくらの家、プールまであるの!?」
西宮は笑顔で答えた。
「はい。ちょっとしたものですが、地下にプールがあります」
「ちょっとしたものって……プールはちょっとするものじゃないでしょ」
松川が正確なツッコミを入れた。その返答に西宮は首をかしげていたが、育ってきた家なので無理もないだろう。躑躅森がここで答えた。
「潮凪にはプールないからな。久しぶりに泳ぎたいと思ってたところなんだ!」
姫路も躑躅森の言葉には同意した。
「そうだな。うちの高校で唯一水泳部が無いのは、プールが無いからだったな」
みんなが賛成の意見を述べており、西宮は喜んでいた。
「では、明日もうちに来てくださいね」
約束を交わし、西宮の家を後にした




