1.床に臥した魔王
魔界とは、魔術を司る者のみが住まう世界である。
無から有を紡ぎ、あたかも神の御業のごとき現象を操る存在を、人々はいつの頃からか「魔族」と呼ぶようになった。彼らは魔術を巧みに織り成し、時には生活の糧とし、時には誰かの願いを叶え、また時には自らの悪意を完うするために、その力を振るってきた。
やがて魔族と人間は互いを敵視し、幾度となく血を血で洗う大戦を繰り返すようになった。
過去二度にわたり、人々が住まう王国と激しい戦火を交えてきた魔王バルザス。長年にわたって魔界を統べ、扇動し続けたその絶対的な存在が、先月、突如として床に伏した。魔王の時代が、今まさに終わりを迎えようとしている。
その悲報は、魔界全土に暗い波紋を広げた。魔族たちは混乱し、戦慄がゆっくりと、しかし確実に、この世界を包み込み始めていた。
この知らせは、魔王を長年支えてきた四天王の一人、〈雷鳴〉ガルマイドの耳にも届いていた。
現在、ガルマイドは魔王城から北西八十キロメートルの地、コーネリア領に駐在している。バルザスの容体が思わしくないことを知らされたのは、つい先週のことであった。
――コーネリア領・ガルマイド邸
執務室のテーブルを挟み、二人の魔族が向かい合っていた。
「アレン。バルザス様の容体は、その後どうだ」
ガルマイドが、重い声で側近のアレンに問う。
「依然として、回復の目処は立っておりません。事実、魔王様は日に日に衰弱されていらっしゃるとの報告を、王都の侍女たちから受けております」
「……事態は深刻だな」
ガルマイドは短く息をつき、すぐに決断を下した。
「わかった。至急、王都へ戻る。クロム卿に転移術の手配をしていただくよう、私の方から伝えておく」
「いつ頃、お戻りになりますか」
アレンが日程帳を確認しながら伺う。
「本日、宵の刻には戻る。今取り組んでいる作業以外はすべて中断し、まずは私とお前で魔王城へ向かう。残りの者には、順次王都へ向かうよう指示してくれ」
「かしこまりました。この後の、ファミール将軍との情報交換が終わり次第、取り急ぎ準備いたします」
アレンは一礼し、静かに執務室を後にした。
扉が閉まる音が消えると、ガルマイドは椅子から立ち上がり、窓の外をじっと見つめた。
「……虫の知らせとは、正にこのことを言うのだな」
視線の先には、本来なら魔王城があるはずの方角がある。だが今は、暗雲が重く垂れ込め、一帯を覆い尽くしている。それはまるで、ガルマイドの胸中に渦巻く不安そのものを、外の世界に映し出しているかのようであった。




