【奥様、哀れだそうです】
さて、勇者から聞いた話はこうだった。
魔王ファルメスと戦ったのは本当。けれど死闘を繰り広げたのではなく、互いの力試しとして。
魔王は情も慈悲もない存在ではなく、あくまで魔族の王というだけ。魔獣群は率いていなかった。
「えっ、じゃあ魔獣って何なんだ……」
「私たち人間と野生動物みたいなものだよ。国王陛下がそのへんの熊とか野犬を率いてたらおかしいでしょ?」
なるほど、とジノが腑に落ちたように頷く。ということは、魔獣に襲われた村を魔王のせいにするのは、そもそもお門違いだったというわけか。
「し、心臓は……?」
「もらったんだ~。『これがあれば人間どもも納得するだろう』って」
「もらったってお前……」
そんな手土産みたいな……?とジノが眉根を寄せる。もう、話の規模がおかしい。理解できそうで、いまひとつ理解できない次元の話を聞かされている。
「陛下にあげたのは偽物ね。さすがにあの心臓になにかあったら、ファルメスも困るみたいだから」
「お、おう……」
「あ、でも心臓三つあるらしいよ!すごいよね♡」
「お、おう……?」
そりゃすごいが、もうなにがすごいのかわからない。あといつの間にか、いつものように抱きかかえられて寝る体勢になっているのも、わからない。こいつ、いつの間に。
「だ、誰が知ってんだよ、魔王のこと……」
「ジノと、勇者パーティーのみんなかな?この邸の使用人たちは知らない♡」
「うん、教えちゃダメだぞ!?」
これは……今度勇者と、情報漏洩のリスクについて話し合わなければ……と、ジノが拳を固く握った。
ついで、――はた、と動きを止める。抱きしめられた腕の中、手を伸ばしてぎゅっと胸倉を掴みあげ、ずいと額を突きつけた。
「……なぁ」
「あっ♡な、なにジノッ♡♡」
「魔王倒したのが嘘だってんなら、他の武勇伝も、嘘だったんか?」
ぱち、と、翠色の瞳が、ジノを見とめて瞬きをひとつ。月の光が寝室を差し、魔王の霧は、もうどこにもない。
リックはそれには答えず、ジノを抱えたままに起き上がり、ベッドの上に腰を落ち着けた。――ばさり、寝間着の上衣を脱ぐ。
「なッ、おい――」
「ファルメスのこと以外は、嘘じゃないよ」
ぐるりとジノに背を向けて、リックはそれだけを言った。何が――と反論しかけて、ジノの視線がその背に釘付けになる。
――古傷だ。抉ったような傷、穿ったような傷、切り傷も、乱暴に縫っただけのような跡も。
共に風呂に入ったときには、気づかなかった。……というよりも、こいつ、腹側に傷が少ないんだな、と、今……気づいた。
「……お、う……」
「これはね、銀砂竜の。ほら、砂漠のね」
穿ったような傷の一つを指さして、リックが言う。まるで、楽しい思い出を語るような口調。
「こっちが魔獣の群れに襲われてた村を守ったときの奴で~、こっちは確か、西大陸の谷に巣食ってた地竜と戦った時の奴だったかなぁ……?」
――ああ、知ってる、と、ジノの手がその背に伸びた。それはほぼ無意識で、触れたことにすら気づかなかった。
これまでに集めた情報の中の勇者と、目の前の傷は、重なる。確かに。
「……なんで、背中ばっかり……」
「んん?♡」
――ハッ、と気づいてジノが手を引っ込めるよりも前に、がばっと身を翻したリックが、そのままジノに抱きついてきた。勢い余ってベッドに倒れ込めば、ジノからは押しつぶされたような声。
「うッ!ぐっ……お、お前……」
「みーんな”こう”やって、守ったからかな♡」
「は、あ……?」
ジノが思わず見上げれば、こちらを見下ろす眼差しは、どこまでも笑顔で、どこまでも真剣なきらきらした目だった。妙な説得力に、頭を抱えたくなる思い。恐らく、本当なのだろう。
「……そ、かよ」
「うん♡だからジノのことも守ってあげるね♡」
いや一番危険なのお前だが……?ジノが勇者を睨みつける。背に回された手が、ぎゅっと抱き込むように強くなる。
鼻先が触れる距離。さっきまで、布団の中で寒い寒いと震えていたのが嘘のようだ。……っていうか押し倒されてない……?
「……ジノ、あったかい……♡」
「んなことより、服着ろお前」
「えッいる!?」
「いるわ!!」
ええ……と情けなく溶けていった勇者の声を最後に、再び静かになった寝室。ジノが押し返せば、リックは大人しく、隣にばたりと倒れこんだ。
それでもジノを抱き寄せる腕は緩まず、ぬるい吐息と、近すぎる笑みと、暖かい腕。その中で……ジノは、布団を被って目を閉じた。
救世の勇者。助けられた街も、人も数多あって、それこそ国も、こいつが救ったとされている。
そのうちの何人が、……誰がこいつの背中の傷を知ってんだろうな、と、思う。
腕の中に収まりながら、撫でられる髪の感触を、もう止める気力もなかった。――リックの服は、結局ベッドの端でごちゃっとなっていた。
――ところでこちら、魔王城――。
……ファルメスは、主寝室で頭を抱えていた。
近くの引き出しから、何やら桃色の手紙を取り出す。
――ファルメスへ
結婚します!!!
相手は、いつでも私のことを考えてくれてて、私のことを何でも知ってる年上のお兄さん♡
すっごいすっごい世界で一番可愛いから、いつかファルメスにも会わせてあげるね XD XD XD
あ、今度奥さん連れて遊びに行くから!!
リックより――
「……はぁ……」
勇者との激戦から、早三年。人間界では、魔王は勇者に倒されたということになっている。……それは、いい。心臓の一つを渡して、それで誤魔化せと勇者に進言をしたのは自分。
それから今まで全くの平和で、魔王城に人間が攻めてくることも、魔族領に侵攻されることもなくなった。それも恐らく、あの勇者の進言によるもの。
頼りに、頼りになるのだ……。頼りになる友が、つい先日、こうして送ってきた……なんとも言えない手紙。
――まさか、勇者の理想通りの人間がいるだなんて……。
だからこそ、あれは、あの勇者は絶対に、愛が重い。あやつに捕まってしまうとは……なんと……なんと”哀れな”……。
「ファルメス、どうしたの……?……リックのところに呼ばれたんじゃ……?」
妻が、ベッドから手を伸ばしてくる。
その手を取って、ファルメスは重い身体をベッドに沈めた。心臓を使っての転移魔法は、別になにもしんどくはない。
だがまさか、医者代わりに呼ばれるなどと、誰が予想できただろうか。戦友の妻との”初めまして”が風邪の治療だなんて。まったくあの勇者ときたら、と、……愛しい妻を抱き寄せた。
「…………」
式にもよばれてないのになぁ、と、ファルメスがひとつ、ため息。
いじけてなどいない。けれど魔王は、どことなくしゅんとして眠りについた。
* * * * *
「リック様、奥さま、よろしいでしょうか」
「んん……?」
――コンコン、と控えめに寝室の扉がノックされる音を聞いて、ぴく、とジノの眉が振れた。アキアの声だ。
ジノが返事をするよりも先に、リックが起き上がり、欠伸混じりにそちらへ声を返す。
「んあ……?うん、いいよ~」
「失礼いたします、奥さま、お加減は……」
かちゃり、と静かに扉が開いて、水の入った桶とタオルを手に、アキアが寝室に一歩。
ベッドの上、半裸のリックを見て――静かに踵を返す。なお笑顔。
「まぁ、これは失礼いたしました……」
「え……」
思わず顔を上げたジノが、アキアを見て、その視線の先の上裸の男を見て、もう一度アキアを見て、全てを察する。
「ちっちがう違う違うアキア違う!!」
「うふふ、いいんですよお元気なことが一番ですので」
「その”お元気”はなんか違う意味に聞こえるからやめて!?」
「えー♡違う意味ってどんな意味なんだいジノ♡」
「おめぇは黙ってろ!!」
――勇者邸、朝から壮絶である。
体調不良を晒してしまったことも恥ずかしいし、風邪が瞬く間に治ったことについても……少々のっぴきならない事情で口外できない。しかもこの状況で、ミルヴァならともかくアキア。……いや、ミルヴァも黙って頷きそう……。ジノは、がっちりと頭を抱えていた。
「でもですねリック様、病み上がりの奥さまにご無理はなさいませんよう」
「うん、わかってる♡」
「わかってねぇ……!!」
ジノの悲痛な叫びを最後に、奥様体調不良の件は幕を閉じるのだが……。
余談として、この日の昼食にドマから鯛のまるごと炭火焼きが供され、「なんもめでてぇことねぇよ!!」とジノがドマに突っかかっていた話だけを、付け加えておく。
なお、ドマはいつもの通り、「あっはっはっは!」といたずらっぽく笑っていた。
――【奥様、哀れだそうです】




