〈治外の民〉来襲。ブラッドは私達を守るため、すべての咎を負おうとするのです。
ブクマ、評価、お読みいただいている皆さま、感謝です!!
極北の地へようこそ。
基本コメディーですが、今回はちょっぴりだけシリアス要素が入ります。
ひょんなことからはじまった不毛すぎるハイドランジア最強決定戦。
「やるな!! 期待以上だぞ。バレンタイン卿」
そう叫ぶと、お父様が白馬を駆り、宙に舞いあがった。
「ふむ、楽しませてくれたお礼だ。人馬一体の妙技、見せてやろう!!」
哄笑とともに棍を旋回する。
もちろん馬は手放し運転だ。
そして、滞空時間が長い!! どうなってんの?
ヘリコプターですか。あんたは。
いや、もうどこからツッコめばいいのやら。
「ヘリコプター!? ボクの知らない言葉がまた……」
セラフィが青ざめてうずくまり、ぶつぶつ呟く。
その目はうつろで、すっかり壁とおしゃべりする人状態だ。
根がまじめな人はこれだから……。
あのさ、セラフィ。外伝なんだからもっと気楽にいこうよ。
なお、お母様が貴婦人のハンカチがわりに渡した獣頭つき毛皮マント。
あれはすでにお父様から離れ、お母様に出戻りした。
なんでかって?
お母様のミニスカートのお尻の部分、じつは大きく布地が裂けてたんだよね。魔犬ガルムとの死闘で、お母様も気づかないうちに破れてたんだ。で、うまくマントで隠れていたのが丸出しになったわけ。真後ろにいた私の目には、お母様の白く眩しい肌色がとびこんできた。もはやこれはメルヴィルの伝統衣装の腿丸出しどころではない。お尻丸出しだ。目撃者の全員が命の危機にさらされかねない。
「オアツトオッ!!」
スカーレットちゃん印の見せられないよマーク発動!!
がんばれ、私!! とべ!! 私!!
私は2メートルの決死の空中遊泳ののち、お母様のお尻にしがみついて、我が身をもって裂けめをガードした。
ふう、死ぬ気になれば、新生児でも空を飛べるもんなのね、もしかして私、ハイドランジア赤ちゃん界のジャンプ記録タイトルホルダーになっちゃったかも。自分で自分を褒めてあげるべく、私は勝利のvサインをつくろうとしたが、片手掴まりしたとたん、首がかくんっと後ろに折れかかり、あわてて中断した。これだから首がすわってない赤子ボディは……。
だが、私の奮闘むなしく、ときはすでに遅かった。
魔王がこの場に降臨あそばされていた。
「盗み見たな!! おまえたち!! 僕のコーネリアの柔肌を!! 秘密の谷間を!! 目を閉じても瞼を透かして見たな。そっぽを向いても心で見たな。よし、皆殺しだ!! ふしゅおおおおっ!!」
いわずと知れた妻ラブお父様だ。
私の決死の努力は水泡と化した。
貧乳のお母様とて、胸ではなくお尻に谷間はできる。
谷間の番人は、火を噴くようなまなざしであたりを睥睨し、蒸気のごとき呼気を吐きながら、愛用の棍をぎりぎりと握りしめた。
私のファインプレーがかえって仇になり、みんなはお尻を目撃しなかった。だから、誰も怒りの理由がわからず、きょとんと棒立ちしている。だが、謎マントに憑りつかれ、テンションがリミットオーバーしている理不尽お父様に、そんな理屈はとおらない。縦横無尽に棍をふるい、無抵抗のみんなをなぎ倒す気満々だ。
「だ、れ、に、し、よ、う、か、な。よし、おまえらからだ!!」
恐怖の指さし歌の結果、
不運にも棍が止まったのは、オランジュ商会の面々だった。
「くらえ!! 赤塵旋風!!」
い、いきなり必殺技ぶちかます気ですか!?
しかたない!! 困ったときのブラッド頼みよ!!
私はばっと背後を振り向いたが、唖然とした。そこには見慣れたメイド姿はなく、文字が書かれたプラカードが一本突き立てられていた。
「どっちが勝つかは……正直、オレにもわからない」
あんにゃろう!!
コピー台詞だけおいてまた何処かでさぼってやがる!!
小説だと字だけだからわからないと思って!!
「ぬ、濡れ衣です!! 彼らが見とれていたのは、メアリーさんです!! あいつらは、お尻派ではなく、おっぱい病末期なんです!! 女の人を見るときは、顔と性格が1で、おっぱいが9。ボクは……あいつらの最低の性癖を誰よりよく知っている!!」
セラフィが悲痛な声で、必死に押しとどめなければ、殺戮ショーがはじまったろう。
おー、さすが。今のお父様のいかれた台詞だけで、なにが起きたか認識したんだ。
それにしても、最低だな、オランジュ商会。
お父様に虐殺されてしまえばよかったのに。
「あら、いけない」
押し問答するお父様とセラフィ、それにお尻にはりついている私を見て、お母様もようやくご自分の現状に気づいた。
「隠してくれてたのね、スカーレット。ありがとう」
赤くなってあわてて手招きをすると、毛皮のマントはずるりとお父様から離れ、ふわりと舞いあがるとお母様の背に戻って来た。
ひいいいっ!? 無数の触手みたいな感触が、ぞわぞわと私の背中を這ってったよ!! この毛皮、裏側どうなってんの!?
「む? 僕は今まで何を?」
お父様が不思議そうに頭をふっている。
まるで憑き物が落ちたような反応だ。
お母様!? このマント、いま動きましたよね!!
お父様がおかしくなったことといい、絶対なんかやばいヤツですよね!?
「うふふ、風の悪戯かしら」
絶対うそだああああっ!!
風でうごめいて這い上がる毛皮なんてあるもんかあっ!!
「でも、どうしても知りたければ、あなたがメルヴィルの後継者になって……」
あの、お母様、声をひそめての笑顔が怖いです。
「あら、不思議。ちょうどここに契約書が……」
わかってます。
はやく引退してその破廉恥な伝統衣装から解放されたいんですね。
はい、すみません。もう詮索しません。
どうか一生現役でいてください。
まっくろなオーラを放つ羊皮紙をとりだしかけたお母様から離れ、私はそそくさと我が馬がわりのブラッドのもとに戻った。今はプラカードしかないが、ヤツがいるとしておく。文字だけだから読者の皆様にはわかるまい。裏技を使えるのはブラッドたけではないのだ。
だが、きっぱりと真理の追求を断念した私と違い、セラフィは身悶えせんばかりだった。
「風なんか吹いてなかったぞ!? なんだ、今の毛皮のありえない動きは……!!」
あ、こいつ風が読めるんだったっけ。
「とうっ!!」
髪の毛をかきむしって苦悩するセラフィを置き去りに、ふたたび愛馬と空に駆けあがったお父様。戦闘再開だ。目がさめるようなまっかな軍服の肩の金のモールがぎらりと光った。剣呑に赤い目を煌めかせ、美形がおそろしい笑みを浮かべて襲いかかってくる凄まじさよ。謎マントが分離しても、ちっとも凶悪さが変わらないんですけど……。
こんなの英雄じゃなくて魔王です。
なんで社交界の女性たちは、こんな人にきゃあきゃあと嬌声あげて夢中になるかな? 悲鳴ならわかるけどさ。いくら見た目が貴公子でも、中身は奇行子よ。頭のなか切っても切ってもお母様ラブしか出てこない金太郎飴な零点公爵です。あ、今の零はラブとラブゲームをかけてるの。
「金太郎飴!? ラブゲーム!? ボ、ボクは何もしらない。メルヴィルの伝統衣装の正体も……。なにが天才だ。ボクなんて井のなかの蛙だ。コップのなかのミジンコだ」
セラフィ、落ち着いて。
今はこの不毛な戦いを止めるのが先よ。
いまこそ、あんたの交渉術が……。
駄目か、立ち直るのに時間かかるな。
「オアアアアあっ!!」
私はセラフィをあっさり見捨て、唯一の希望のお母様に停戦をお願いしたが、お母様は、はあっとため息をついてお父様に見惚れていた。おーい、聞こえてます?
目の前で手をふってみたが反応なし。こっちもか。駄目だ、こりゃ。
完全に恋する乙女? モードにはいっちゃってる。
お願いだから、これ以上ラブな雰囲気を盛り上げて、何処かにしけこまないでください。今、屋敷は跡形もなくふっとんでいます。私の弟か妹の起源が野原なんてかわいそうです。
「こちらこそ感服いたしましたぞ!! さすがは紅の公爵殿。メアリー殿の名誉のため、某も全力をぶつけさせていただきますぞ」
私の憂慮をふっとばすように、マッツオも朗らかに大笑いしながら、鉄球をふりまわし、お父様を迎え撃つ。
その姿まさに威風堂々。気は優しくて力持ちそのものだ。
「マッツオ様ほどの方が私のために……」
彼をひそかに慕うメアリーが切ない恋心に身をくねらせ、ぎゅっと胸をおさえる。私ははらはらした。衣服のうえからでもわかる盛りあがりがさらに圧迫され、ボタンの継ぎ目がみしみしと悲鳴をあげて吹っ飛びかけたからだ。オランジュ商会のみんなががぶりつくように身をのりだす。この変態どもが……。流れ鉄球で押し潰されればいいのに。
このままでは母乳大噴火の危機だ。
メアリー、それは私の成長の源よ。無駄に爆散させないでね。
「ふっ!!」
「ぬおりゃああああっ!!」
お父様とマッツオの戦いは熾烈をきわめた。
それは、まさに武士達の宴だった。
棍と鉄球が火花をあげて交錯する。
「鉄球から伝わってくるぞ!! バレンタイン卿の魂とあくなき鍛錬が!!」
「一撃一撃に肝が冷えますぞ!! しかも、まだ奥の手を隠していますな!?」
言葉もなく何故わかるんだろう。
飲みニュケーションならぬ、武器ニュケーションだ。
大地が穿たれ、木がなぎ倒され、残った壁が吹っ飛んでいく。
戦いに夢中になるあまり、まわりへの影響はガン無視である。
ラグナロクですか、これは……。
ただでさえ爆発炎上してむちゃくちゃな公爵邸の敷地が、さらに目もあてられない荒廃状態に。
「こんな戦い、世界を股にかけても、お目にかかれねえ。公爵様!! そこだ!! ぶちかませええ!!」
「隊長、負けるな!! これぞ、まさに武のきわみ。惚れ惚れする」
賭けと応援に熱狂してるオランジュ商会と王家親衛隊のみんな。
オランジュなんか、さっきそのお父様に殺されかけたのに、よく平気で応援できるよ
さすが海の男達。肝がすわっているというか、神経が図太いというか。
彼らは魔犬対策のお酒をしこたまきこしめして機嫌よく酒盛りしていた。
むかつく。
こっちは赤ちゃんボディで大好きなお酒も飲めないのに。
それにしても収集つかないカオスっぷりだ。
お母様とメアリーも、可憐な乙女の祈りポーズを取り、頬を染めて戦いに夢中だし……。
冷静なのはこの場で私だけか。
盛りあがってる宴会場でひとりだけさめてるって辛いわ。
ヒロインは孤独な星を背負うさだめなのね。
ま、これほどの男達が自分の名誉のために戦ってくれるんだから、見惚れるのも仕方ないか。崇拝を捧げてくれる騎士なんて、いくつになっても女性の憧れだし。胸ときめいちゃうよね。でもさ、その胸の争いが、戦いの発端なんだよね。
前言撤回。胸しさ…いや、むなしさにもほどがある。こんなことで、英雄と国最強の騎士が張りあうな。
……だいたいこの作品、無駄に経産婦のヒロインムーブばっかりくるのよ。
ぴちぴち新生児の私なんて汚れ役ばっか回ってくるのに。
「108回」での成人描写ではやたらめったら殺されまくるしさ。
エッチ18禁はなくても、残虐18禁ばかりじゃない。
正ヒロインの私としては、待遇改善を強く要求したい。
私はため息をつき、風を轟轟ときり、当たるものをなぎ倒すマッツオの鉄球をにらんだ。
なんかぶるんぶるんと激しく揺れ、私の人生を圧迫する別のイメージが重なる。
そう、私のヒロインの座を常に脅かす憎むべきもの、巨胸だ。
メアリーは大好きだけど、巨乳は私の敵なのだ。
私の宿敵アリサからして巨乳だ。
奴らは、「肩がこる」とか「男の人の視線が嫌」とか「邪魔でしかたない」とか、贅沢な悩みを口癖とする。アリサなんて私の頭に、豊胸をのっけてひとやすみするのが挨拶がわりだった……。持たざる者をもっと労わってよね。私なんてメルヴィル家の呪われた遺伝子のせいで、不毛の大平原に追いやられるのが約束されているのに。ねえ、どうして、世のなかは、こんなに不公平と理不尽に満ちているの?
それにしても、よくこんなでっかい鉄球を鋳造できたもんだ。成人男性両手いっぱい伸ばしての一抱えぐらいある。さすがにアリサの胸もこんなに大きくない。当たったらミンチ必至。馬も鎧もぺしゃんこだ。付属の鎖のじゃらじゃら音を遠く聞いただけで、敵は失禁ものだ。防ぎようがないもの。これ、城門だって壊せるよね。もう攻城兵器だよ。対人としてはオーバーキルにもほどがある。もし、魔犬ガルム戦にこの鉄球が間に合っていたら、たぶんお父様の到着前に決着はついていた。
「すっげぇなあ。象でも倒せそう」
鉄塊が鎖をつけてびゅんびゅん宙を飛ぶ大迫力に、ブラッドは単純に目をきらきらさせて見入っている。いつの間にか帰って来たんだと振り向くと、やっぱり身代わりプラカードが立っているだけだった。きっとどこかで盗み食いでもしてるんだろう。
いっぽう立ち直りかけたセラフィは、またなんか隅っこで頭を抱えて悩みだした。
「この差し渡しから計算するに、鉄球は16トン!? さらに鎖の重さまで加算すると……。そんなものがどうやったら振り回されて宙に浮くんだ!?」
わあい、今さらだね。
でもね。お悩みお仲間のセラフィくん。
長い人生、ときには真面目に考えることをあえて捨てるのも真理なの。
あなたの道は私が通った道。
先達としてアドバイスしてあげる。
だいじょうぶ、たかがアフリカ象の二倍強の重さよ。十倍以上の重さの鯨が海を泳ぐんだから、この鉄球が空を飛ぶくらい不思議はないって。浮力も揚力もそう違いはない。そう思いこむの。信じるものは救われる。
「ドヤアオっ!!」
私はセラフィを元気づけるため肩を叩き、くいくいっと親指で宙を指さした。
ここはひとつ頼れるおねえさんが、悩める少年を優しく導いてあげよう。
痛みを忘れるにはより強い痛みを与えるといいという。
ほら、空をごらんなさい。あそこにお父様というもっと非現実的な存在がいるから。
ショック療法よ。あれを見て、悩むのなんてバカらしいと思う境地に至るの。
「うむ、これは一撃くらえば終わるな。正念場だぞ。とべ!! ウラヌス!!」
空中でお父様は愛馬を激励した。翼もないのに、なんで馬で空中を自在に動けるのか。今、ジグザク軌跡を描いたよね?
迫る鉄球をひらりと見切ると、びゅうんっと唸りをあげて飛来する鎖のうえを、かかっと蹄の音も高らかに駆け降りてくる。蹄鉄と鎖がぶつかりあい火花が散る。わあー、きれい。うんうん、相手の武器の上に乗るのは、バトルものの王道だよね。
「そんな馬鹿な……!! どうやって馬が、宙に浮いている鎖のうえを走るんだ!?」
あ、しまった。よけいセラフィを悩ませちゃったか。
きっと足が沈む前に次の足を踏み出してるとかなんだよ。
まあ、なにごとも慣れよ。慣れ。
いつもみたく、海ではどんな不思議なことも起きる、と決まり文句をつぶやいて、心の危機をのりこえるの。ここは陸だけど。
生きることは、理不尽に耐えること。そして、おのれの弱さとの戦よ。
私だって、知識チートで無双予定が、なぜか武勇無双の奴らにとり囲まれて優位性を失い、しかもバトルシーンばっかり突入するから、しかたなくツッコミに適応して生き延びてるの。人は悲しいことにどんな異常な環境にも慣れるものなのだ。タイトル詐欺と言われても気にしない。強い者が勝者じゃない。生き残った者が勝者なのよ。
ちょっと強がっちゃった。私だって本音のとこは、「さすがスカーレットさま!!」とか周囲にちやほやされたいんだけどね。
「あれ、でも、メアリーさんが『さすがお嬢様』ってスカチビのことしょっちゅう褒めてるじゃん」
ブラッドが小首を傾げわって入ってきた。
うっさい、女装メイド。その可愛らしい仕草をやめろ。
さっきまで台詞のコピペ芸ばっかしてさぼってたくせに、急に実体化しやがって。
ヒロイン職務不履行の私へのあてつけか。
スカートひらひらさせていい気になるなよ。使用済みオムツごと口につっこんで黙らすぞ。
コミカライズされているとき、原作者の要求どおり、水からあがったシーンでピンクの乳首トーン貼られてしまえば、ピンチクボーイとして一生笑いものにしてやったのに。
あのさ。メアリーはね、私が寝返りしても、お乳を飲んだ後げっぷしても褒めてくれるの。私は見た目は赤ちゃん、でも、中身は享年28歳。なのに、おむつ替えのとき、「まあ、お嬢様。なんて立派なう○こ!! すごい!! がんばりましたね」って涙ぐんで排泄行為を絶賛される情けなさがわかる!?
まこと、生きるとはつらいこと。そして耐えることなり。
私は唇をへの字に曲げ拳を握りしめた。
だが、さすがの忍耐のひとの私も、そのあとの驚愕展開は予想していなかった。
「むっ!?」
「なにごと!?」
突然、白煙が噴出し、お父様とマッツオの戦いを中断させた。
「オアアアアッ!!」
みんな、退避して!!
私は絶叫した。地下水脈にまだロマリアの焔の余熱がくすぶっていて、水蒸気爆発を起こしたのかと思ったのだ。地下のガスに引火でもすれば、大災害を引き起こしかねない。
「……スカチビ、違う!!」
いきなりの出来事に、みんなが右往左往するなか、ブラッドは悲愴なまでに蒼白になった。
なにか不吉な予感に私が問おうとする間もなく、
「メアリーさん!! スカチビを頼む!!」
いきなりバレーボールのトスよろしく私をメアリーに放り投げた。
メアリーの胸のクッションにより私は無傷だったが、ブラッドは飄然としていても慎重だ。こんな乱暴な扱いをするなんてただ事じゃない。
「オアアアオオッ!?」
ちょっと、ブラッド。訳ぐらい……!!
だが、振り向いたブラッドの寂しそうな笑顔に、私は何も言えなくなった。
「ごめんな。もう、ここにはいられない。オレのせいで迷惑はかけられないから」
その言葉で、私の「108回」の記憶のなかから、稲妻のように呼び覚まされた光景があった。
この爆発的に広がる煙幕は、ブラッドの出身の〈治外の民〉から奇襲を受けたときの光景と同じだ。たぶんロマリアの焔に類する技術なのだろう。
閉鎖的で鉄の掟を重んじる彼らは、裏切り者を決して許さない。
たとえ長の息子であろうとも。
そして、ブラッドは、魔犬ガルムから私達を守るため、禁忌のロマリアの焔を使った……!!
来たんだ!! 〈治外の民〉の刺客たちが!!
掟を破ったブラッドを始末するために!!
「あばよ、スカーレット。色々からかったけど、おまえならきっと誰よりも素敵な女の子になれるよ。幸せにな」
ブラッドはくるりと背を向け、煙幕のなかに走り去った。
「オレはここだ!! ここにいるぞ!!」
声を限りにそう叫びながら。
〈治外の民〉の刺客を私達から遠ざける気なんだ……!!
私は彼からもらった頭のリボンを握りしめて叫んだ。
いっちゃやだ!!
あなたがいなくなったら、誰がこのリボンを綺麗に結んでくれるの!?
誰が、私がいま流してる涙を止めてくれるの!?
あなたは私の大切な……!!
「安心なさい。スカーレット。この母は、娘の涙を止められないほど、不甲斐なくはありませんよ」
「ふむ、さすがコーネリア。僕の言おうとした台詞を先に言われてしまったな」
「我らに気配を悟らせず接近するとは、さすがは伝説の〈治外の民〉。相手にとって不足なし。腕が鳴るわ」
お母様が弓をかまえ、お父様が棍を持ち直し、マッツオが鉄球の鎖をじゃらりと鳴らした。
酔っぱらっていたはずの王家親衛隊は全員騎乗し、陣形を組んでいた。
セラフィの指示のもと、オランジュ商会のみんなが、荷車を次々に移動し、簡易陣地を構築する。
頼れる大人達が、涙ぐんでいる私を勇気づけるように微笑みかけてくれていた。その思いやりに胸がいっぱいに詰まった。
「ここには今、ハイドランジアの最強兵力が結集しています。たとえ〈治外の民〉だろうと、おそれることなどありません。さあ、スカーレットさん号令を!! さっさとブラッドを連れ戻して、水臭い事をするなってぶん殴ってやりましょう!!」
セラフィが私の乱れたリボンを優しく手直ししながら語りかけてきた。
「やっぱり、どうもボクではうまく結べないようです。ブラッドじゃなきゃ」
困ったように首をふる。
器用なセラフィに出来ないはずがないのに。
……ありがとう、セラフィ。
「オア!! オア!! オオオアアッ!! (エイエイオー!!)」
私はうなずき、拳をつきあげて、高らかに開戦を宣言した。
ブラッド奪還作戦の開始よ!!
うおおおおっとみんなが応じ、鬨の声をあげるかと思ったが、みんな戸惑ったように私を見ていた。
「……ご令嬢はなんと?」
マッツオがひそひそと問いかけた。
しまったあ!! ブラッドがいないから、赤ちゃん語が伝わらないんだ!!
どうしよう。
だが、お母様がほほえむと、すっと前に進み出た。
「まかせて。私には娘の言っていることがわかります」
自信に満ちたその顔に、子育てをする資格があるのかと悩んでいた苦悩は、もう微塵もない。
私は感動で胸を震わせた。
そうよ、私とお母様は手を取り合って、苦難をのりこえてきたの!!
その絆はどんな母娘にだって負けはしない。
母の愛はどんなときだって奇跡をおこすの。
「……スカーレットは、『敵は皆殺し。手抜きは情けにあらず。敵への侮辱なり』そう言っています」
……はい?
自信たっぷりに語りだすお母様に、私の目は点になった。
なんですか!? そのとんでもない誤訳は。
それ、たしか戦闘民族メルヴィル家の家訓ですよね!?
私、エイエイオーって気合入れただけなんですけど!?
「そして、こうも言いました。『戦いに万策あれど、先手必勝にまさるものなし』と!!」
熱弁しないでください!!
それも暗殺を生業にしたメルヴィルの家訓ですよね!?
みんなも、うんうんと頷かないで!!
私、そんな戦闘狂じゃないです!!
あの、お母様、聞いてます!?
今そんなことをしたら、交渉の余地があっても、ぜんぶ決裂してしまいますよ!!
私には頑固な〈治外の民〉をも動かせる秘策が……。
だが、私のアウアウ抗議を、お母様は激励と受け取ったようだ。
「まかせて、スカーレット。あなたの期待に全身全霊で応えます。……気配、掴んだ!! いきます!! 蛇行!!」
火に油をそそぐ結果となった。
弓弦の音が高らかに響く。
蛇のようにくねる軌跡で矢が閃き飛ぶ。お母様の得意技、障害物を回避する蛇行だ!! もともとは人混みのなかのターゲットのみを射抜くため編み出された技だ。盾や人垣で身を守ろうとしても、側面にまわりこんで襲いかかってくる矢の恐怖は、狙われたものにしかわかるまい。
〈治外の民〉は樹上に隠れるのが上手だが、お母様の矢なら……!!
「うわあああっ!?」
悲鳴があがった。ブラッドの……。
えええっ!? なんで!?
「……その前に、格好つけて娘を泣かした不埒者を少し懲らしめてあげなきゃね。どうせ男の意地とかを見せようとしたんでしょうけど。……彼のスカートの股間の真下を射抜きました。くだらないプライドも少しは縮んだかしら。戦友をもっと頼ることを覚えなさい」
お母様、こわすぎです!!
プライドでなく、絶対に別のものが縮んだと思います。
見てください!! 王家親衛隊とオランジュ商会のみんなが内股になって冷や汗かいてます!!
「さすがはコーネリアだ。僕のやりたかったことの先を越されたな」
マッツオもセラフィも顔色が優れないなか、お父様だけが喜色満面で大絶賛していた。
そして、お母様とふたり、美しくもおそろしい表情で笑い合った。
場の雰囲気が凍りついた。
敵にまわすと怖く、味方にしたらもっと怖い。
もう魔界の帝王と女帝にしか見えません。
私は、やっぱり、このふたりはお似合いの夫婦だという戦慄の事実を、あらためて認識させられたのだった。
お読みいただきありがとうございました!!
「108回殺された悪役令嬢」小説版上下巻。
コミックス全4巻。
そして英訳版コミックス1巻発売中です。