第二話
神父様たちが唱える聖句。その内容は大きく三つに分けることができます。
一つ目は神様が残したと言われる「謳い」。聖句の初めに書かれているものです。
遠い国から私は発った
幾多の国をこの目に収め
数多の悲劇を本に綴った
綴りし本は身の丈より厚く
刻まれし言の葉の全てを私は識る
悲劇を私は見たくない
旅に疲れた私は願う
一時の寄る辺がほしいと――
神様が自分自身の想いを吐露したとされる「謳い」はしかし、学者の方たちの間で解釈が分かれるもののようです。
とある学者は苦労してこの世を作った後に、神様の親友が語った言葉だと言い、
また別の学者は、これは神様の言葉ではなく、神様が出会った人の嘆きの言葉を綴ったものだと言います。
この「謳い」は短すぎ、しかも具体的なことは何一つ書いていないので、どうとでも読み取れるのようです。しかし神様以外の誰かが語ったものだという意見が大半を占めるようです。
神様が自分自身の人生を謳ったものだという意見もあります。ちなみにこの意見は神父様のもので、少数派の意見なのだそうです。
「謳い」は人間臭くて、世界を作った神様らしくない。
一つの世界を作れるほどの力を持った神様が思うような言葉には見えないからです。
だから私もずっとこの「謳い」は慈悲深い神様が、出会った旅人の言葉を書いたものだと思っていました。
確かなのは「謳い」は聖句のかかれた原典の表紙の裏に書かれてあり、聖句を受けとった初代教皇様は、この「謳い」の言葉と共に聖句を受け取ったということ。
誰が謳ったものかは分かりませんが、神様が大事にした言葉であることに違いはありません。
「謳い」の話が長くなってしまいました。聖句の内容の二つ目は「思索」。神様が私たち人間のあるべき姿を書いたものです。
“例え国を違えてしまっても、友情は永遠だ”という言葉も、この「思索」から来ています。人として大事なこと、破ってはならないことを、「思索」では語っているのです。そして神様自身の手で書かれた「思索」は、実は読み物としても面白かったりします。
機械、と呼ばれる物が生活の中に根付いていたり、魔法と呼ばれる“才能”に似たものが人々の中に備わっていたり。あるいはエルフやドワーフという人ならざる亜人いたり。
突飛でありながら妙に現実的な話から神様は大事なことを「思索」しているのです。
最後の三つ目は「言行録」。これは神様が書かれたものではなく、神様が世界を作り、初代教皇や後の枢機卿の方々と旅をされた記録を、共に旅をした教皇や枢機卿がまとめたものです。
神様が書いたものではないから「言行録」は聖句の外典だと言う人もいます。しかし神様のすばらしさを他の視点から書いたものはこの「言行録」以外になく、神様を知る手がかりとして、「言行録」もまた聖句の一つとされています。
*
さて、マキュリ・ヴァンシュミットはスラム生まれのスラム育ち。ゴミだめで生まれて暴力と盗みで生きてきた少女です。彼女は八歳の時に孤児院に拾われました。
今も昔もヴァンシュミット孤児院は人手不足のお金不足。八歳の子どもを入れる余裕はありません。しかし孤児院はマキュリを受け入れた。
それはマキュリがとある“才能”を有していたからです。
*** ***
*** ***
ずっと親友であろうという誓いから一年と半年。季節は夏。私たちは十二才になりました。
「今日もいい天気だ」
「そうですね」
孤児院の敷地の中にある畑の手入れを終えて、私とマキュリは空を見上げました。空には輝く太陽があり、雲一つない青空が広がっています。
私たちの住む北国は冬の寒さの厳しい反面、夏の暑さはそれほどでもありません。小さな畑の手入れをしても、額にうっすらと汗をかくくらいです。
視線を横に向けると、隣の畑を耕していた子どもたちと目が合いました。十才になったアイルとガマル。九才のネイビーです。彼らは私の隣にいるマキュリに目線が向くと、怯えた様子で畑からそそくさと出て行ってしまいました。
「三人とも」
「いいんだよ」
もうマキュリが来てから三年以上が経つと言うのに、彼らはずっとマキュリのことを恐れています。気が弱いのか、それともスラムから来たばかりで剣呑な目をしていたマキュリの印象が強いのか。
いい加減、マキュリの人となりは分かったはずなのですから、距離を詰めてくれてもいいと思うのです。
「あたしは結局“忌み子”ってことだ」
ですが、マキュリは違う考えを持っているようでした。マキュリは手にしていた鍬を地面に突き刺すと、一言呟きました。
「“来い”」
いつもと声音が違うマキュリの声につられるように、マキュリの手からポコポコとマキュリの髪の色と同じ銀色の液体がこぼれてきました。それは宙を漂い、マキュリとそばにいる私を守るように、カーテンのように広がりました。
「“水銀の才能”……聖句によるとこの才能を持つ奴は“悪魔”って呼ばれていて、神様を殺そうとしたらしいじゃん」
マキュリの暗い声は水銀に反射して、重なったようにして聞こえました。
“才能”。それは私たち人間に稀に与えられる特異な力のことです。単なる才能とは全く別のもので、“才能”を持つ人は、他の人には真似のできないことを実現することができます。
“炎の才能”を持つ人は自在に炎を生み出し、そこにある炎を操り、
“言葉の才能”を持つ人は呟くだけで人を操ることができるそうです。
“才能”は持っている人なら大体三才の頃までには覚醒し、五才くらいになると安定して使いこなせるようになるそうです。それ以上の齢でも覚醒することはあるそうですが、そうした人は稀。覚醒しても暴走するか、制御しきれずに死んでしまうことがほとんどだそうです。
そんな“才能”ですが、大抵の人は覚醒した時点で成功が約束されると言われていて、“才能”を手に入れた稀有な人間は騎士として国が大事に育ててくれるそうです。貧民でも貴族の養子になって、豊かな生活を送ることができるのだとか。
しかし“才能”ある人にも例外があります。それが“水銀の才能”。水銀を生み出して操る力を与える才能です。
きっと戦えば強いのでしょう。しかし“水銀の才能”は忌むべきもの。遠ざけるものとされています。
理由は大きく二つ。まず一つ目に金属でありながら水銀は液体であること。これは神様の作りだした自然の摂理に反することです。水銀自体が強い毒性を持つこともあって、水銀に進んで触れようとする人はいません。
そして二つ目の理由が特に大きい。“邪悪な意志を持つ者が邪悪な力を持てば、最悪な結果しか生まない”。これは聖句の「思索」にある一節です。神様が“悪魔”と呼ばれる怪物と対峙して、“悪魔”を滅ぼした話ですが、話の中で“悪魔”は水銀を使って神様と戦いました。
その水銀は特別製で、神様も苦しんだそうですが、かろうじて“悪魔”を撃退することができた。しかしその対価に一つの国が水銀の毒によって滅んでしまったそうです。
悪を戒めるために、そのお話は子どものお伽噺としてでも伝えられていて、水銀の恐ろしさは誰もが知るところになりました。そういう背景があるからこそ、“水銀の才能”をもつマキュリは“忌み子”と呼ばれ、“悪魔”と恐れられることになったのです。
「実際、水銀は危険だよ。スラムにいた頃、ネズミに試してみたことがある。この水銀に触れただけで、ネズミはみんな死んじまったよ」
「こんなに綺麗なのに」
自嘲するように言ったマキュリ。私はカーテンのように揺れる水銀を眺めました。ゆらゆらと揺れる水銀は太陽の光を反射し、銀色の上に青空を映しています。青空の中に私とマキュリの顔が映りました。
水銀色の髪と褐色肌のマキュリ。金色の髪に真っ白な肌の私。水銀の中に、私の赤い瞳が映りました。二か月前、養子を探しにきていた裕福な商人が私のことを恍惚とした顔で「人形のようだ」と言っていたことを思い出しました。
私の美しいと言われる外見からか、またまた別の理由か。私は特に何も思わなかったけれど、養母さんはその一言を聞いて商人さんを怒って追い出してしまいました。
「この子は巫女見習いになるんだ! あんたみたいな変態野郎にはもったいなさすぎる」
とその時養母さんは言っていましたっけ。ところで、あれから度々妙な視線を感じるのですのよね。マキュリか養母さんに相談した方がいいのでしょうか。
「綺麗か。んでもさ、そう言ってくれるのはほんとレストだけなんだよ?」
マキュリは水銀を体の中に収め、そっと私に寄りかかりました。汗の臭いの中に、ほのかに混じる甘い匂い。私にしか見せないマキュリの弱さ。
「戻りましょう。時間がもったいないです」
「そうだね。後半年しかないもんな」
私とマキュリはきゅっと手を握ったまま、院の中に入って行きました。
*
「それで、レストは神殿に巫女見習いとして入ることでよろしいか?」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
院長室で私は神父様に頭を下げました。隣で養母さんがほっと息をついたのが分かりました。
あれからまた時間が経って、来月私とマキュリは孤児院から出ることになりました。結局アイルたちとマキュリは仲良くなれませんでした。私もマキュリが来るまでは彼らとよく一緒にいたので、少し寂しいです。
「ところでマキュリはどうするのでしょうか。彼女を巫女見習いにすることはできないのですが、レストの友人です。もしよろしければ仕事先を紹介できるかもしれない」
神父様はしかめっ面のまま言いました。神父様はいつも顔をしかめています。顔立ちは整っているので、もっと笑ったほうがいいと思うのですけど。
「いえ、大丈夫ですわ。マキュリはたくましい子ですから、自分で兵士に志願して町の警備の一人になれるようです」
答えたのは養母さんです。そう、孤児院の子どもたちは養母さんから勧められる職業につくことがほとんどなのですけれど、マキュリは自分の力で兵士になることを決めて、しかもなってしまいました。来月からマキュリは兵士です。
私とマキュリは来月からも同じ町。しかし今までのようにずっと一緒というわけにはいかないのでしょう。兵士と巫女見習いが出会う機会など、滅多にないのです。
「そうですか。彼女のことを知った時、どうなることかと不安でしたが良かった。院長やレスト。あなたたちがいたからこそ、マキュリはあそこまで真っ直ぐになれた」
“水銀の才能”を持つマキュリをスラムで見つけたのは神父様です。“水銀の才能”をもつ人間は恐れられ、忌み嫌われる。しかし大事なのはその後です。
“悪魔”と恐れ遠ざけるか、それとも邪悪な心を持たぬように導くか。大多数が前者を選ぶ中、神父様は後者を選んだのです。そしてマキュリの面倒を見ると言ったのが養母さん。
神父様が忙しい時間の合間を縫って、毎日聖句を語りに来てくれたのも、孤児院にマキュリがいたからです。
「二人がいなくなると、孤児院も寂しくなりますね」
養母さんが寂しそうに笑いました。
「かもしれません。私も新たに巫女見習いを一人迎え入れるのです。今までのように孤児院に何度も足を踏み入れることはできなくなるでしょう」
町の大きな神殿といえど、巫女見習いを一人迎え入れるのは楽なことではありません。私は聖句の内容を覚えているからまだましですが、神殿のしきたりや儀式の仕方など、他にも覚えなければならないことはたくさんあります。そして神父様は私の教育係を担当するそうです。
孤児院出の子どもに対して、大人たちの目は厳しい。だから私は速く一人前にならないといけないのです。
「これからもよろしくお願いします」
最後に私はもう一度、神父様に頭を下げました。
*
その夜、私は一人礼拝堂で祈りを捧げていました。礼拝堂の空気は秋の夜の冷たさに満たされて、そっぽを向かれているような気持ちになります。月灯りに照らされた本を象った銅像が、青白く輝いているのも理由になっているのかもしれません。
月の光を映す銅像にぼんやりと眺めながら、頭に思い浮かべるのは私のこれから。そしてマキュリのこと。
祈りを捧げるつもりで来てみても、私の心は雑念で一杯でした。
私と違って“才能”をもつマキュリ。もしその才能が“水銀の才能”でなかったなら、マキュリは私と出会うこともなかったでしょう。軍人学校に入って、戦争のために戦う訓練をしていたはずです。
軍人学校は“才能”を持つ人間やその従者。そして貴族の子息が入る学校です。北国は今戦争中で、強い人を求めていて、だから身も心も強いマキュリなら軍人学校でもやっていけたはずなのです。
そういえば、この町にも軍人学校の生徒が来ているという話を神父様がしていたような気がします。今神殿に泊まって、神様の教えを受けている最中なのだとか。
「同じ町にいても、もう会うのは難しいのですよね」
それを思うと気持ちが沈んでしまいます。性格も生い立ちも全く違う私たちでしたが、不思議と気が合いました。まるで運命のように私たちは出会い、親友になった。
「神様。どうして私たちは別れなければならないのですか?」
冷たい月灯りを映す銅像に問いかけます。もちろん、銅像は何も答えてくれません。本は語らないのです。ただ綴るだけ。何かを得ようとするならば、私自身が一歩を踏み出して、ページをめくらないといけないのです。
“例え国を違えてしまっても、友情は永遠だ”。別れを前にして、私は不安に駆られていました。私とマキュリの、永遠の友情は保てるのか。そんな子どもっぽい不安に。
しかしこれから起こる出来事はそんな悩みとは関係なく、私を大きな流れに巻き込んでいくのです。
ガタン、と礼拝堂の扉が開く音がしました。誰か来たのでしょうか。いえ、それにしてはやけに荒っぽい。
「え?」
祈りを止めて振り返ると、そこにいたのは大きな体に顏を隠した三人の男。うち一人は筋肉ではなく、脂肪で包まれていました。太った男は私を見るとニヤリと笑ったように感じました。
「そいつだ。捕まえろ」
私が声を上げるまでもなく、二人の男が私を押さえこみ、口に布をつめこみました。
「んんーー! んっ! んん!?」
「黙ってろ」
男の一人が、抵抗する私に拳を振るいました。顔を殴られて目の前が真っ白になりました。痛い。暴力など、これまで振るわれたことはなかったのに。殴られたところが熱くなって、初めての恐怖で体が動かせなくなりました。
「おい何やってる。顔に傷をつけるな」
「へへ。すいやせん。でも女はこうするのが一番手っ取り早いんで」
太った男が男に棘のある言葉をかけました。男はそれにヘラヘラ笑って答えます。
「ちっ! まぁいい。気づかれる前に逃げるぞ。偶然こいつが一人になってくれて助かった」
男は私を大きな麻袋に入れると、そのまま持ち上げてしまいました。逃げられない。怖くて体を震わせる私。布越しで気づきませんでしたが、太った男の声には聞き覚えがありました。
「人形みたいなこのガキを、どうしてやろうかなぁ」
ねっとりと絡みつくような声。あぁと思いました。
あの人だ。私を人形みたいだと言って、養子にしようとした商人。
私は商人にさらわれました。恐怖が私を包み込んで、ふつと意識を失ってしまいました。
第二話 突然の出来事




