第三話
あっけなく誘拐された私はどこかの部屋に放り込まれました。
当時の私はまだ無力な子ども。目が覚めたあとも、誘拐された事実を認めきれずにいました。隠れ家に連れてこられた時点で口から布を出され、目隠しすらされなかった私はしかし、意識を取り戻しても手足を縛られたまま、ポカンとしていました。
「ようやくお目覚めか」
「へへっ。あんたも災難だったな」
目を覚まして呆然としていたのはほんの数秒か、数分だったはずです。でも意識を失っていたのはどれくらいなのでしょうか。私のいる部屋はガラクタの多い、小さな倉庫のような部屋で、ランタンが部屋を照らしていました。
誘拐犯の一人が話しかけてきました。
つぎはぎだらけのズボンに、裾が黒ずんだシャツ。秋の夜は冷えるのに、彼らは薄着です。太った男だけが仕立てのいいコートを着ていたからなおさら、二人の貧相な服装が目立ちます。
貧相な服装は私も同じです。薄いワンピース一枚は、今の気候には響きます。
「さい、なん」
「そうさ。あの変態商人がどうするつもりかは知らねぇが。もう二度とあの孤児院には戻れねぇ。あんたの未来は真っ暗だ。いや、ピンクって言った方がいいのか? ははっ」
「しゃべりすぎだオットー」
見下すようにしゃべる男――オットーさんはもう一人の、陰鬱な雰囲気の男に目を向けました。
「いいだろ。どうせ助けなんかこねぇよ。孤児院の子どもだぞ? 家族もねぇ。明るい未来も“才能”もねぇ奴なんて、誰も構ってはくれねぇのさ。違うかよラミー」
「そうだな」
どうやらおしゃべりな男の人がオットー、陰鬱な人がラミーというようです。オットーさんはラミーさんから視線を切ると、再び私に目を向け、顔を近づけてきました。
オットーさんの体から、ほのかにドブの臭いがしました。
「しっかし、なんであんなしけた孤児院にこんな一級品のガキがいたのかねぇ。見ろよこの髪。痩せてっけど、手入れすりゃすんげぇサラサラになんぞ。それに絹みてぇにきれぇな肌!」
オットーさんがべたべたと私の頬を撫でました。背筋から脳天まで這い上がるように怖気が駆け上がっていきました。
「おーおーそんなにおびえちゃって。ルビーみたいな赤い瞳が震えちゃってるよ。はー。ほんと見れば見るほどきれーなガキだねぇ。将来は娼婦かい? どうせ上町の娼館に売られて、貴族相手に媚びた顔で股を開くんだろうな。ちっ! そう考えたら腹が立ってきた」
「手は出すなよ。それにお前は絹もルビーも見たことねぇだろうが」
「いいだろ言うくらいなら。あと誰が手を出すかよ。俺はガキに興味はねぇんだ。五年後、十年後ならおいしくいただくがね」
二人が何を言っているのか、私には何となく理解できました。娼婦。股を開く。孤児院から出た女の子の半分は娼館に引き取られます。そして自分の純潔を対価にわずかばかりのお金を得る。
マキュリが言うには私は見た目がいいので、娼婦としても価値が高いとかなんとか。
スラム育ちのマキュリはそういう知識に詳しいです。でも養母さんは私を娼婦として売らなかった。
私にはマキュリがいて、養母さんがいて、神父様がいて、孤児院の皆がいた。養母さんだって聖人ではありません。孤児院を出ていった女の子の多くは娼婦になったも、私は薄々気づいていました。しかしそれはあくまで最後の手段で、養母さんはそれ以外の道をずっと探そうとしていました。
絶望的な状況の中、私は色んな人の顔を思い浮かべました。私は恵まれていた。貧しくても心が温かな人たちに囲まれていたんです。それを理解した、その時です。
チリ、と私の頭を何かが撫でました。そして風もないのに髪が舞い上がり、一瞬淡い光を放ちました。
「え……」
オットーさんもラミーさんもお互いの会話に夢中になっていて気づいていません。私のこの奇妙な感覚もまたすぐに消えてしまいました。
「……お前は幸せそうな顔をしているな」
不意にラミーさんが私に話しかけてきました。
「幸せ、ですか?」
「そうだ。お前さ。誰かが助けに来てくれるとか思っているのか?」
ラミーさんの声はオットーさんのそれよりもずっと暗く、足先から恐怖が昇ってくるようでした。オットーさんは後ろでやれやれと肩をすくめています。
「また始まったよラミーの妬み癖」
「羨ましいなお前。俺には、俺たちには助けてくれるやつなんていなかった。くそみたいなあの場所で生まれて、今日まで生きていくのがどれだけ大変だったと思う? お前みたいに、孤児院でぬくぬく育ったお前と俺は全然違う。死ねよ。そうでなきゃ死ぬ以上の苦しみを味わえ。クソ、クソ……クソが」
カチカチと、気づけば私はラミーさんを前に歯を鳴らしていました。あの商人よりも、オットーさんよりもラミーさんの方が怖い。
ラミーさんの底なし沼みたいな妬みに、飲みこまれてしまいそうで。
「一応言っとくけど殺すなよ。どうせこいつは死ぬ以上の苦しみを味わうことになるんだから。そうでなきゃ心が壊れて愉しめるか。ま、壊れちまった方が気持ちは楽かね」
誰だって、嫌なことからは目を背けたいもんだ。オットーさんの言葉が冷たい部屋に響いていきました。
*
「あなたたちは何者なの?」
「あん?」
ラミーさんは私から顔を背けると、近くの椅子に腰かけてぶつぶつと呟き出しました。そちらからは目を逸らし、私はオットーさんに向き合います。
「それを知ってどうなるってんだよ。お前の運命は変わんねぇよ」
「スラムの方……ですか?」
聞くと、オットーさんは不愉快極まりないという顔でにらみつけてきました。
「うっせぇな。殺すぞ」
当たっていたようです。どうしてでしょう。怖くてしょうがないのに。怖くて怖くてどうしようもないのに。
私の口は止まってくれない。
「そうなんですね」
「だったら何だってんだよ」
「どうしてこんなことをするんですか?」
「はぁ?」
オットーさんは私の質問に眉を顰めた後、ポケットの中から三枚の銅貨を取り出しました。
「こいつのためだよ」
「お金、ですか?」
端の曲がった三枚の銅貨。私が内職で作る小さなブローチが丁度それくらいでしょうか。でも、まさか。
「前金でこんだけ。あのクソ商人がお前を売り飛ばすか自分で使うかしてもう三枚。スラム育ちのクズなんざ、この程度の価値しかねぇんだよ」
オットーさんは三枚の銅貨を大事そうに強く握りしめました。そして忌々しそうに私を見ます。その目はラミーさんと同じ妬みの色を宿していました。
「これっぽちの金でもスラムじゃ大金だ。できれば使いにくい銅貨より、鉄貨の方がよかったがね。これで俺らは一月は暮らせる。なぁ知ってたかガキ」
「かはっ」
オットーさんは私の首を掴みあげ、ギリギリと絞め始めました。持ちあげられて宙づりになった私は真正面からオットーさんと向き合うことになりました。体格はよくても痩せこけた顔。黄ばんだ歯に目は濁っています。
最底辺の人間、それはオットーさんのような人のことを言うのでしょう。
「それこそ貴族サマやあのクソ商人にとってみれば孤児院に入ってる時点で負け犬確定みたいなもんかもしれねぇがな。俺らスラム育ちにすりゃすんげぇ勝ち組なんだ。なにせ、祈ってちょっと働くだけで飯が食えて、温かいベッドで眠れるんだろう? なんだそりゃ天国か? なら俺らのいるところは地獄か? 神様なんてもんがいるなら、どうして俺らを救ってくれぇんだ? 神様ってのは誰でも救ってはくれねぇのか? なぁ教えてくれよ。孤児院のクソガキどもは毎日毎日ありがたい聖句の内容を聞いてんだろ?」
「そ……れは」
息が苦しい。私の全身が呼吸を求めています。しかしオットーさんは首が折れてしまうのではないかというほど強く絞めてきます。
「なんで神様は俺らを救ってくれねぇ。なんで神様は俺たちにこんな苦しみを与える。なぁなんでだ。なんでだよ。答えろよ……答えろっつってんだろうが!!」
私は地面に叩きつけられました。肺に残っていたわずかな息が全て吐き出されます。思わず私は息を大きく吸い、むせてしまいました。その様子すらオットーさんは憎たらし気ににらみつけていました。
「俺らには何もねぇ。金も家も着る服も食いもんも希望も何もかも。ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな。俺らが一体何をしたって言うんだ。俺らが一体どんな罪をおかしたってんだ。ただスラムに生まれただけだ。そうだろ? そのくせあのクソ悪魔は孤児院に行きやがる……あぁそうだ」
妬み。その一色に染め上げられたオットーさんは愉しいことを思いついたと、ギラギラと目を輝かせました。
「お前のとこにマキュリってガキはいるか?」
いきなりマキュリの名前が出てきて、私はついオットーさんから目を反らしてしまいました。それを返答と見たのでしょう。オットーさんはニタリと笑いました。
オットーさんの笑いは醜悪で、マキュリや養母さんの笑みとは全く違う。私の心に冷たい、黒いものが入り込んでくる。それが何より恐ろしくて。
「ふぅん。あの悪魔。まだ生きてやがったのか。なぁ、あいつがスラムでどんなことをしてたか知ってるか? 勝ち組のお前に、負け組だったあいつがどんなキタネェことして生き延びてきたか教えてやろうか?」
あいつはな――もう限界でした。ええ、限界だったのです。今まで浴びたこともない妬みと憎悪。私個人にではない、神様が作りだした世界やマキュリに対する負の情念に私は耐えられそうになかった。
だから、
「やめてください」
「あん?」
「これ以上、何も」
私は、
「何も」
私の頭に走る閃光。それは一つの形を為して収束していきました。今までもずっと私の中にあって、でもそれは形を持たずに満ちているだけでした。
満ちているのが当たり前なのだから、それを使おうとは思わない。あって当たり前のものを、おかしいとは思わない。特にそれが他の人には見えないものならばなおさらです。
「言わないで」
私の髪が風も吹いていないのに揺れました。私の体から淡い光が発せられる。その光はどんどん強くなって、いつしか私は全身から強い光を放っていました。
「なんだ、なんだよそれ」
オットーさんは目を見開いて私を見ていました。薄暗い部屋は真昼のように明るくなり、外がにわかに騒がしくなりました。
構わず、私はオットーさんをキッと見ます。
「マキュリの、私の親友の悪口を言わないで。神様を、馬鹿にしないで」
全身から放たれていた光が消えていきます。しかしそれは私のこの力が消えたということではありません。
溢れ出るばかりだった力を制御したのです。
「“来て”」
この力が一体何なのか。私は自然とマキュリの真似をしました。手足を縛っていた布は光にふれてちぎれました。自由になった右手を前にかざして唱える。私の手にたなびく光の弓が現れました。
大きさは私の身の丈くらい。ゆらゆらとした光がぼんやりとした弓の形を形成し、空いた左手にこれまた光が寄り集まったような矢が現れました。
「まさか“才能”……? ふざ、ふざけんな、ふざっけんなぁ!! なんだよ! なんでなんだよ!! 答えろよ! どうして……」
私は導かれるように矢を弓に番えました。右手をピンと伸ばして、左手でギリギリと弦を引く。矢尻の先はオットーさんに向けられていました。矢尻がまばゆい光に包まれる。光が限界まで達した時、あふれ出る光は全て矢の中に収束して、私は矢を放ちました。
左手で構えた矢を離した瞬間、反動のようなものはありませんでした。初めて“才能”を使った感動も、力を使った倦怠感もない。矢を放つことで起こる結果に怯える気持ちもない。
今も昔も変わらない。何もない。からっぽでした。私の心は何もなくて、でも、放たれた矢が何ももたらさないわけがないのです。
放たれた矢は真っ直ぐに飛んでいき、棒立ちのオットーさんに迫りました。矢はオットーさんに触れる直前膨れ上がり、弾けました。
「あ……神様」
最後にオットーさんは呟いて、そのまま光に呑まれました。光はオットーさんを飲みこんで、収縮して、消えて、後には何も残りませんでした。光の矢も、オットーさんも、です。
オットーという存在は、この世界から塵一つ残さず消え去ったのです。
オットーさんは最後に何を言おうとしたのでしょうか。もう分かりません。だってオットーさんは私が殺してしまったのですから。
初めて人を殺した罪悪感すら、私は感じることはありませんでした。それが異常であるとすら、思えない。
人一人を消して、私は残ったもう一人、ラミーさんを見ました。棒立ちだったオットーさんとは違って、ラミーさんは手にハンマーを持っていました。
「てめぇ……オットーをどこにやりやがった」
ラミーさんは暗い怒りを湛えて、ハンマーを私に向けました。私はゆっくりとした動作で左手を何か握る形にして、矢を作り出しました。
不思議です。私の目は私自身を捉えていました。目の前にラミーさんがいる。でも私の真下に私とラミーさんがいるんです。世界を俯瞰で眺める。それも私の“才能”でした。
俯瞰で見る視界は、私の目で見る視界よりも鮮明で、目には見えないものまで見えました。ラミーさんから黒い渦のようなものが巻いて出ていて、それはラミーさんが持っているハンマーから伸びて、私の頭に向かっているのです。
私も、全身から真っ白な光を発していて、それがラミーさんの全身を覆い潰そうとしています。
人の意志、と呼ぶべきものでしょうか。相手が誰を狙っているのか、どこを狙っているのか。それが手に取るように分かりました。どんな感情を持っているのかも分かりました。私は矢を番えて構える。その瞬間、ラミーさんを取り巻く私の光は私が狙った先。ラミーさんの心臓に向けられました。心臓を中心に、ラミーさんの全身を光が包み込んでいます。
「今まで隠していたのか。それで……俺たちを笑ってたのか」
「違います」
怨念のこもった声を私は否定します。私は今まで自分が“才能”を持っているだなんて知らなかったし、あっても戦えるとは思っていなかった。
「この……クズが」
ラミーさんは私に襲い掛かりました。その動きを私はとても稚拙に感じました。おかしな話ではあるのです。私は今まで人をはたいたことすらなかったのですよ? なのにラミーさんの動きを稚拙と感じ、対応できるだけの動きができる。
狙いが見え見えのラミーさんの一撃を、私は弓を構えた姿勢のままヒラリと身を反らすことでかわしました。そして至近距離で矢をラミーさんにつきつける。
「この……」
矢を放とうとした時です。私たちのいた部屋の扉が開き、外から二人の人間が入ってきました。
「レスト無事……」
一人は褐色の肌に銀髪が特徴的な少女。私の親友マキュリでした。しかしもう一人は分かりません。
「これは」
藍色の髪が印象的な顔立ちの整った男の子。私と同年代で、とても綺麗な服を着ていました。彼は部屋の中で繰り広げられている光景を見て絶句していました。
「レスト……とラミー?」
マキュリの口からラミーさんの名前がこぼれました。あぁ、二人は知り合いだった。漠然と考えて、そのまま矢を放ちました。
ゼロ距離で射られた矢はラミーさんの頭の中に吸いこまれて、ラミーさんは目を大きく見開きました。
「ぁ……マ」
そしてラミーさんの口が、目が、耳が光り出したかと思うと体を膨れさせて、パッと光ったかと思うと風船がしぼむように姿を消しました。
消えたのではない。私が殺したのだと、私自身が理解して。私の手にあった光の弓がほどけて消えました。
ぐらりと世界が傾きました。いいえ、私の体が傾きました。倒れる私を見たマキュリは急いで駆け寄り、私を抱きとめました。
暗くなる視界の中、私の目はマキュリを映していました。マキュリは私を抱きとめながらも私を見ていない。見ていたのはさっきまでラミーさんがいた場所でした。
「ラミー……あんたは」
気を失う直前、マキュリの言葉が耳に残りました。
第三話 “才能” 終わり




