不可能の証明 第16話
三人は白虎のカケラで移動をした。
そこはオブシディアンにある、魔力の墓場。
草一つ生えない砂地にある、岩ばかりの場所だった。
「ばぁばたち連れて来るから、少し待ってて」
そう言って、ウィリアムとギルバートを残し、タリアは姿を消した。
「副団長……あんたも、魔女を知ってるんだよな?」
「ああ。まだ数ヶ月の付き合いだが」
「あんたから見て、どんなやつだ? 初めてあった時、どう思った?」
「そう、だな……」
ギルバートはタリアの話を聞き、魔女への感情が少しだけ変わったようだった。
憎しみだけじゃない感情も生まれたからこそ、自ら会ってみたいと言った。
けれど、ずっと憎み続けてきた魔女と会う前に、タリアではなくウィリアムがどう思ったのかを聞いておきたいのだろう。
タリアを利用するためにそばにいたのではないか。タリアは騙されているだけなのではないか。そんな可能性も考えて、ウィリアムに確認をしておきたいのだろう。
そう思ったウィリアムは、素直に答えることにした。
「初めてあった時は、ほぼ前情報もなく子供達の存在と魔女と男と生活している事実を突きつけられて、混乱してるときに平手を食らった」
「はぁ?」
「驚くだろ? 初対面だぞ? 女一人に子供を産んで育てさせるとは、男として恥ずかしくないのか! 今更現れおって! って怒鳴られた。だけどそれで、このひとはタリアを本当に大切に想ってるんだって分かった」
「……」
「タリアは魔女を、憎めない人、愛情深い人だと言ってた。その通りだと思ったよ。だけど、タリアにしたことは許せない。今でも、赤く染まった浴室に倒れているタリアを鮮明に思い出す。あんなにもタリアを追い込んだのは魔女だ。でも、タリアと子供達を大切に守ってくれたのも魔女なんだ。そのことを知ってからずっと、複雑だ」
「あんたも、どうしていいか分かんないのか」
「私は、タリアが決断したことに従うと決めた。魔女とのケリをどうつけるのか、口を出す立つ場にないからな。でも、お前は……」
少し離れた場所にタリアが到着し、ウィリアムとギルバートの話は中断となった。
「ごめん、遅くなって! ばぁばが着替えるとか言い出して……って、ばぁば? そこにいると二人から見えないんだから降りて!」
何もない場所にタリアが手を延ばし、その姿が消えた。
すぐにタリアが姿を現し、その手の先にはじぃじとばぁばの腕が掴まれている。
白虎のカケラで移動してきて、二人は乗ったままだったのでタリアが引っ張り降ろしたのだ。
「……ったのか」
「ばぁば?」
「生きておった……のう! じぃじ!」
「ええ。間違いなく、あの時の少年かと」
タリアはギルバートの生存を二人に明かさなかった。
だから二人はギルバートの姿を見て驚いていたのだ。
「実は、オリヴァーさんも生きてるんだよ?」
「……そうか……そうか……生きててくれたんだな……そなたから全てを奪わずに済んでおったのだなっ」
ばぁばはその場で崩れ落ちるように泣き始め、それにじぃじが寄り添う。
「そなたと暮らすようになってから、あの日を後悔せん日はなかった。しかしあれが間違いだったとも思えず……」
タリアも初めて耳にする、ばぁばはの、魔女の後悔だった。
魔女もタリアとともにいることで、魔女のために、魔女の願いを叶えようとしてくれるタリアにしたことを後悔し、苦悩をしていたのだ。
「エステル……ここは前にも」
「うん。また試して欲しくて、来てもらったの。これが正解か、まだわからなくて」
「そうか……姫、行きましょう」
じぃじに促され、ばぁばは立ち上がった。まだ泣き止んではいないが、深く頷いて歩き出す。
タリアが先導し、入り組んだ岩の間を縫うように進む。
人が一人、やっと通れるほどの洞窟の入り口の前を囲むように、入り口前にいるタリアとばぁばを見守るように、それぞれが止まった。
「また、ここで試すんじゃな?」
「うん」
ばぁばが入り口に手を延ばす。
その手は、途中阻まられることなく洞窟内へと入った。
「おっ、今回は入れそうじゃ……しかし、なんで……」
以前は結界のようなものが魔女にだけ働いて入ることが叶わなかった場所に、魔女は入ることができた。
入れたことに、タリアは心底安心する。
「多分、ばぁばの気持ちが変わったからだと思う。この世界に対して、憎しみ以外の思いを抱くようになったからじゃないかと」
「……確かに、それは間違いない。そなたに、ヘレンとリュカに出会えたのだから。しかし、それだけでここに入れるようになったのか」
「たぶん、ね」
「ふむ。理由などどうでもよいな。これでやっと……」
「待って!」
洞窟内に一歩踏み込もうとしたばぁばの腕を掴み、タリアは引き止めていた。
「あのね、ばぁば……ここで、ばぁばは死ねるかもしれない。だけど、もっと時間が欲しいの」
引き止められるとは思っていなかったのか、ばぁばは驚いて振り返り、タリアを見つめた。
「ばぁばが普通に年を取って、おばあちゃんになってから静かに死ねる方法を探したいの。その時間が欲しい」
「普通に、年を……それができれば、すごいのぉ」
「でしょう? そうなったらみんなで、これからも楽しく暮らせる。だからお願い。時間を」
ばぁばはにっこりと微笑み、タリアの頬を撫でる。
「……きっと、そなたならその方法を見つけてくれるのであろうな」
「うん! 絶対に見つけてみせる!」
「でも、ダメじゃ」
「なんで!」
「今でなければ、ダメなんじゃ」
「なん、でよ……」
微笑むばぁばの目からは涙が溢れ出していた。
「エステル……我はそなたにしたことを忘れたくない。そなたが我の元に来た日を、子供たちが生まれた日を……ともに過ごした日々を、失いたくない。今を逃せば、それが一つ、一つと我の中から消えてしまう。それがとても恐ろしい」
魔女の記憶は五年しか持たず、五年以上経過した記憶は無くなってしまう。
タリアに絶望を与えた日を忘れれば、タリアにしたことへの後悔も苦悩も消えるだろう。
魔女はそれが嫌だった。
「それなら、せめてあと半年……待ってよ」
魔女は首を振る。
「生きていれば、何が起こるかわからん。もし、そなたや子供たちに何かあったら、二度とここに入ることが叶わなくなる」
タリアにしたことの記憶があるだろう、残り半年。
その間に何事もなく平穏に暮らせる可能性はある。
しかしタリアや子供たちに何かが起こり、死んでしまうような事態になる可能性だってある。
そうなれば魔女はますます世界を呪い、この世界から解放される機会を逃すだろう。
「それに、もう少ししたら子供たちも我の特異さに気づく。それは……考えたくもないほどに、なによりも恐ろしいのだ」
魔女が普通に年を取り、老衰で死ねる方法をタリアは見つけられるかもしれない。
その方法を見つけられるまで何年かかるかわからない。
その間にも子供たちは成長し、物事を深く理解できるようになっていく。
魔女はこれまでも、年を取らないことで沢山の人から奇異な目を向けられてきた。
そんな目を溺愛する子供たちにまで向けられてしまったらーー
「私の可愛いエステル……どうか、今ここで、解放されることを許しておくれ」
ばぁばがタリアを抱きしめる。
「そなたには辛い思いをさせてばかりで申し訳ないが、どうか……」
泣き出したタリアを優しく包みこむその腕は震えていた。
タリアの口からばぁばを引き止める言葉は出てこない。
ばぁばは毎日を幸せに生きていた。
だからこそ、その幸せが一つでも欠けてしまうことを恐れている。
そんなばぁばを引き止めるための言葉など、出てくるはずもなかった。
名残惜しむように体を離した二人は、泣きじゃくりながらも笑みを交わす。
「ウィル、時計持ってる?」
「ああ」
「二時間経つ前に、教えて」
「わかった」
タリアはばぁばの手を取り、洞窟の中に踏み込む。
振り返ったばぁばは、じぃじを見て微笑んだ。
「じぃじ、これまで苦労をかけたな。もう、自由に生きてよい。我のためではなく、自分のために生きるんじゃ」
そして二人は、洞窟へと入っていく。
岩の隙間にできた空洞を進むと、急に光の溢れる空間に出る。
光を放つ乳白色の水晶の大きな塊が無数に地中から飛び出していた。
「これが原石か。美しいのぉ」
タリアのしているネックレスに散りばめられた水晶。そのネックレスでばぁばの魔力は少し減り、減った魔力を補えるまで眠っていたことがある。
魔力の墓場でなら、原石のある場所でなら、ネックレスの比にならないほど、魔女の命を保てなくなるほど、魔力が減少するのではないか。
前回もそんな予測の元、魔力の墓場の入り口に来ていた。
「ごめんね。もうばぁばの魔力が視えないから、ここに来て効果が出てるのかもわからないんだけど」
「気にするな。我にもそなたの魔力は視えぬ。おあいこじゃ」
魔女はそっと、水晶に触れる。
「ふむ。魔力の流れが変わった。確かに吸い取られて……」
「ばぁば!」
急に、ばぁばがその場に座り込んだ。
「心配ない。体に力が入らなくなっただけ……このまま触れていれば、きっと……」
「髪が、白く……」
水晶に触れただけ。それだけでもばぁばは体に力が入らなくなり、髪が白くなり始めていた。
ばぁばは魔力によってその体を維持していたものと思われる。
その魔力が減ることで、体の維持ができなくなりつつあるようだ。
「タリア……」
ウィリアムの声に、もう二時間が経過したのかと驚いて振り返ったタリアは、短く悲鳴をあげた。
「じぃじ……なんで……」
顔面蒼白のじぃじがウィリアムとギルバートに支えられて入ってきたのだ。
そのわき腹には、オリヴァーの紋章の入った短刀が突き刺さっていた。
「なんで……それ、ギル、が……?」
「タリア、じぃじはこのままでどれくらいもつ?」
「え? どのくらいって……」
じぃじは痛みに耐えながらも自力でタリアの前に進む。
「エステル、俺はあとどれくらい生きていられるか、教えてくれ」
「私、じぃじに治癒魔法使えないし……薬酒も、間に合うかどうか……」
「間に合わなくていい。これでいいんだ。俺も、お前たちの仇……姫が死ぬのに、俺だけが生きるなど……」
短刀はじぃじの脇に刺さったまま。刀鍛冶のルーが作ったその短刀はどんな剣よりも薄く、折れない。
細い傷からは少量の出血しかしていないようだが、内部では確実に出血が起きている。
「短刀は抜かないで……たぶん、二十分か、三十分か……」
「そうか」
「痛くて、苦しくて……でも、意識は残ったままで……ずっと痛くて苦しいと思う」
「それでいい。ネックレスを、貸してくれるか」
タリアはネックレスを外し、じぃじに渡す。
「ごめん。じぃじのことまで考えてなかった」
「いいさ。お前には本当に感謝してる。俺には姫のそばにいることしかできなかった。救いたくても……お前たちはすぐに出ろ。一緒に死ぬことはない」
動けない、動きたくないタリアの肩をじぃじが掴む。
「行け……」
タリアをウィリアムに押しつけるように押し出し、じぃじはその場に膝をついた。
「ありがとうございました。タリアと、子供たちを守ってくれて」
ウィリアムはタリアを連れ、足早に外へと向かう。
残っていたギルバートは、じぃじを支え、ばぁばの横に座らせる。
「悪いな。最後の最後まで」
「……いや。タリアが世話になったし。短刀の回収ついでに、一緒の墓に入れるくらいはしてやるよ」
そう言い残し、ギルバートも急いで立ち去った。
「馬鹿じゃのぉ、じぃじは」
「……なんとでも言ってください。なにを言っても今更ですが」
「そのようじゃな」
洞窟内に、雄叫びのような、悲鳴のような声が響く。
「辛いのぉー。あの子の泣き声が、ここはよく響く」
「そうですね」
洞窟の外に出たのか、タリアの泣き声がひっきりなしに聞こえていた。
「ほれ、見よ……指先から朽ち果て始めた……本当にもうすぐ、終わりが来るんじゃな……」
ばぁばの指先は黒く変色し、水分が抜けやせ細り始めていた。
「まさか、我がこんなにも穏やかに死ねるとは思わんかった。全て、あの子のおかげじゃ」
「そうですね」
「それに……ふふっ、少年だったあの男もエステルと同じ、お人好しじゃ」
「ええ。本当に」
「のぅ、じぃじ……最後に名を教えてはくれんか」
「オーガスト。貴女につけていただきました」
「……そうか。すまぬ、自分で名付けておきながら」
「いえ。俺は貴女のそばに居られるだけで十分でしたから」
そう言って、オーガストは地面に指で何かを書いた。
「それは……まさか……」
「前の世界での俺の名です。何度も名乗りましたが、聞き取っては貰えなかった理由を、随分前にエステルが教えてくれました」
「そんな……そなた戦死して、この世界に来たと言うのかっ」
「はい。姫を救うために、この世界に生まれ直したのだと思いました。俺には救えませんでしたが」
「そんなことはない。我を救うには、オーガスト、そなたの力も必要じゃ……」
※ ※
ウィリアムに洞窟から連れ出されたタリアは、洞窟から出るなり膝から崩れ落ち、その場に座り込んで泣きじゃくっていた。
地面に額を擦り付け、その拳を何度も地面に叩きつけながら。
いつまでそうしていたか。
ウィリアムに抱き起こされて、その胸を借りてまた泣く。
今日、ここにばぁばを連れてきたのは、洞窟に入れるようになっていることを確かめるだけのつもりでいた。
洞窟に入れたのならきっと、一番厄介な魔女の魔力を奪うことが叶い、ばぁばの望みを叶えることができる。
それを確認した上で、もういつでも願いは叶うのだから焦る必要はなく、期限を設けて世界を滅ぼすと脅さなくてもいいのだと理解してもらい、期限の延長をお願いしたかった。
しかしタリアの願いは届かず、ばぁばはすぐに解放されることを望んだ。
魔女に協力を申し出た日から、自分がいつか魔女を殺すのだと覚悟していた。
魔女を殺す方法を模索しながら、魔女をばぁばとして大切に思うようになり、いつまでもこうして一緒に過ごすことができたらどんなに幸せかと考えるようになっていた。
洞窟に入れるようになっているかもしれない。そんな考えに至った時、タリアは改めて、ばぁばの死を考えた。
この洞窟に連れてくるのは最後の手段にしたい。
そう思ったのは、ほかに手段を思いつかなかったからということもある。
それよりも強く、ばぁばと共に歩む道を探したいと思ったからだ。
今すぐに解放されたい理由を理解できてしまったタリアは、ばぁばを引き止めることができなかった。
せめてもう半年、試すことをせずにいたのなら、今日、ばぁばを失うことはなかった。
今日、試すことに決めたのはタリア自身で、その決定を後悔している。
そしてばぁばを失った後のじぃじのことまで頭になかったことも、タリアを後悔させていた。
誰よりもばぁばと長い時間を過ごし、ばぁばのためならなんでもするじぃじが、ばぁばのいなくなった世界でなにを思って生きるのか。
そこまで考えることができなかった。
「ウィル……じぃじに、なにがあったの?」
ウィリアムは岩に腰掛け、片膝にタリアを載せて抱きしめたまま、タリアとばぁばが洞窟に入ってから起こったことを話した。
自由に生きろ。自分のために生きろ。
そう言われ、ばぁばに置いていかれたじぃじはしばらく立ちすくんでいた。
そこにギルバートが勝負を挑んだのだ。
「私には、止めることが出来なかった。仇を倒すために強くなりたいと願っていたギルの気持ちはよくわかるし、タリアがばぁばとのけりをつけたように、ギルにもそれが必要なんだと思ったから」
オリヴァー邸での事件において、オリヴァーはほかに護るべきものができ、事件の真相を自ら暴き、仇を討ちに行くような危険は冒せなくなっていた。
それをしようとしていたのはタリアとギルバート。
タリアは魔女の願いを叶えること、それが仇を討つことと同じ意味を持っていたために、魔女と同じ目的を持って過ごしてきた。
ギルバートは強くなって、大切な人たちの命を奪った男を討ちたいという強い意志を持って過ごしてきた。
「じぃじはギルの思いを汲み、勝負を受けた。本当に、僅差だったよ。二人とも本当に強かった。ただ少し差が出たのは、じぃじが実戦から離れてた。ただそれくらいだろう」
この四年半、強くなりたいと強い意志を持って過ごしてきたギルバートに比べ、じぃじはとても穏やかな日々を過ごしていた。
朝はみんなが起きだす前に朝食を作り、みんなで食べ、食料の調達に行き、昼食を作る。
タリアがしている掃除や洗濯の手伝いをし、子供たちと遊び、夕食を作り、みんなで食べる。
そんな生活を繰り返していた。
「タリアにも、私にも出来ないことを、ギルはやってくれた。だからギルを責めないでくれ」
じぃじは、ばぁばの望みが叶うことを願っていた。
けれど本心は、ばぁばに死んで欲しくなかった。タリアはそれを知っている。
本当は自分の手でばぁばを救いたかったのだろう。
けれどただそばにいることしかできず、自分だけが年を取る。
このままでは自分だけが死に、ばぁばはまた、終わりの見えない時の中を彷徨うことになる。
ばぁばには生きて欲しい。しかしこの世界に一人残すのは怖い。
共に死ねたらどんなにいいか。
ばぁばを救うことも出来ず、ばぁばを一人この世界に残すのは怖い。
それでもばぁばの願いが成就するなら、一緒に死ぬことが出来たらどんなにいいか。
そう考えていたに違いない。
そんな中でタリアがばぁばをこの世界から解放し、ばぁばの願いは成就するとなった。
自由に生きろ。自分のために生きろ。そう言われてしまった。
その言葉はじぃじにとっての呪縛と同意だっただろう。
ばぁばの言葉を全て聞き入れてきたじぃじにとって、ばぁばを追って死ぬなと言われているのと同じ。
共に死ねたらどんなにいいか。
そんな願いも打ち砕かれてしまった。
「ギルは二人のことをタリアから聞いて、憎しみ以外の感情を抱いたことに戸惑っていた。今ここで、仇を討つ気はなかったのかもしれない。だけどあえて勝負を挑んだのは、じぃじのためだ」
タリアにはじぃじの望みを叶えることなどできなかっただろう。
ばぁばと同様、じぃじも大切なのだから。
ウィリアムも、タリアと子供たちを大切に守ってくれていたじぃじの望みを叶えることなどできなかった。
けれどギルバートがじぃじの望みを叶えてくれた。
致命傷を負わせ、死にゆくばぁばのそばにいる理由を与えた。
洞窟の入り口付近の岩に寄りかかって座っていたギルバートがウィリアムの元へやってきた。
「魔女の魔力が完全に消えた。中の様子を見てくる」
気がつけば随分と時間が経っていたようで、三人は揃って洞窟の中の様子を見に行くことにした。
洞窟の中では、折り重なるように息絶えている二人がいた。
じぃじに渡したネックレスは無造作に地面に落ち、じぃじに刺さっていたはずの短刀はばぁばの胸に深く刺さっている。
ばぁばの手足は先端から黒く、ミイラ化していた。
「なんでこんなに状況が変化してんだ?」
ギルバートの疑問に、タリアは状況を観察し、目を閉じた。
「多分……ばぁばの魔力が減って自己治癒も出来なくなったから……じぃじの意識があるうちに、とどめを……」
ばぁばの体は膨大な魔力で維持されていた。
その魔力が水晶で吸い出され、体の末端から機能しなくなっていったと思われる。
腐敗よりも早く急激に水分が抜けていき、最終的には全身にミイラ化が起こったのかもしれない。
けれどミイラ化が始まったことで自己治癒はないと判断し、ナイフ一つで死ねる状態にあると確信したのだろう。
そしてじぃじの脇腹にあったギルバートの短刀で、ばぁばの胸を貫いた。
「最後の最後、ばぁばを救ったのはじぃじってことだな」
「っ、そうだねっ」
じぃじのしたことに「とどめ」という言葉は相応しくない。
ウィリアムの言葉に同意しながら、タリアはまた泣いた。
それから、二人を洞窟から連れ出し、二人の亡骸は死の森の湖畔に埋葬した。
死の森にギルバートがいると魔獣が寄ってきてしまうため、ギルバートは先にオリヴァー邸へと送り、タリアとウィリアムで埋葬をした。
その後、誰もいなくなった家へと入り、タリアは隅々まで家の中を見て回った。
建設途中で放棄されたと思われる、石造りの大きな建物。
玄関ホールは吹き抜けの広い空間になっていて、その中央で存在感を発している半透明の黒のような、いぶし銀にも見える巨大な龍脈。
奥にはいくつかの部屋があり、タリアが来た当初はキッチンとダイニング、じぃじとばぁばの部屋以外は使われておらず、家具は最低限しかなかった。
それが今は、タリアと子供たちが生活しやすいよう、家具が増え、絵本やおもちゃが増え、住みやすい環境が整っている。
いつの間にか住み慣れた家になっていた。
けれど主人のいなくなったその家は、もうタリアの知っている家ではなくなってしまったように静かで寒々としている。
「タリア……これ……」
ばぁばの部屋に入ると、ウィリアムは迷わずにベッド脇のテーブルに向かった。
そこに置かれていたのは、以前、タリアがばぁばに渡したネックレスの予備と、『スティグマータの乙女』が持っていた指輪の入ったケースだった。
「最後に、じぃじが言ってたんだ。これをタリアに任せたいって」
指輪のケースには三つの指輪が収まっていた。
この世界に来たばぁばに与えられた玄武のカケラ。
そしてばぁばが殺した二人の『スティグマータの乙女』に与えられていた、朱雀のカケラと青龍のカケラだ。
「四つ、揃っちゃった……」
「帰ろう。みんなのところに」
「うん……ウィル、最後まで一緒にいてくれてありがとう」
「……最後じゃないだろ。これからもずっと一緒にいるんだから」
「ふっ……そうだけど」
二人が死の森を後にした時には夕暮れ近くになっていた。
オリヴァー邸へと到着すると、朝にはなかった馬車が数台、敷地内に停まっていた。
ワイバーンの馬車まであるので、何事かと思いながらも邸の中に入る。
「まぁ、タリア様! おかえりまさいませ!」
二人を出迎えたのは、栗色の髪のサラと同じ顔立ちの少女だった。
「え……サラ?」
「はい!」
「その髪、どうしたの?」
「もうっ、タリア様がくれたんじゃないですかっ」
「え? あ、使ってくれたんだ」
「サラ、お前また抜け出して……」
驚くタリアの横で、ウィリアムは手で目元を覆い、深いため息をついた。
サラは、タリアに貰った髪で早速カツラを作っていた。
通常、人毛のカツラは一年ほどで色が抜け、傷みが激しくなって使えなくなる。
そこでサラは、使う時以外を龍脈を使った保存箱で保管し、大切に扱っていた。
そして銀髪の女王として世間に姿を見せ、栗色のカツラで変装し、度々城を抜け出していた。
「でも、どうしてここに? 私がここに来るってわかってたの?」
「はい。カミールが教えてくれました」
三人の話す声に、奥の部屋からカミールが出てきていた。
「カミール! お前か! サラを連れ出したの!」
「だって、ギルに会いたいって言ってたし、それにこれがあったから」
そう言ってカミールがポケットから取り出したのは、見覚えのある二つの小瓶だった。
「なっ! それはっ」
「そう、魔女の血の入ってた小瓶。これの中身に変化があったからさー。魔女がいなくなったのかな? って。それを確かめるために、二人の行動を予測して、全て終わったらまずはオリヴァーさんに報告に来るだろうって思ってきてみたらヘレンとリュカがいたし、待ってれば会えると思って」
「え……中身に変化って、魔女の血が残ってたってことですか?」
「あーー、使ったと思ってた? こんな危ないもん、使うわけないじゃん!」
カミールが所持していた魔女の血の入った小瓶は、オブシディアンの古城でファーガズ公爵とその息子ジャミールのしたことを暴くため、朝食のワインに混ぜて全て使い切ったとタリアは思っていた。
しかしそれはカミールの虚言だったようで、古城地下で入手した空き瓶を見せただけ。魔女の血の入った本物の小瓶は変わらずカミールが所持していた。
「この中身は黒い粉みたいになって、蓋を開けた途端、消えちゃった」
「へ、へー、そうでしたか」
カミールから事情を聞いていると、階段を降りるけたたましい足音が聞こえ、その場にいた全員の視線が階段に集まっていた。
「ターリーアーー!」
降りてきたのはルドルフだった。
「魔女を倒すんなら先に言えよ! ケントが突然ぶっ倒れて、ホントにびっくりしたんだからな!」
「は? ケントさん、大丈夫なんですか!」
「ナターシャさんに診て貰って、もうすっかり元気だ!」
「それは、なによりです……すみませんでした。こんなに、色々起こるとは思ってなくて」
何年も魔女の血だけを飲み続けていたケントは、救い出して以降、普通の食生活に戻っていた。
血を抜かれることもなくなったので徐々に健康を取り戻し、回復系魔法を使うことはできなくなっていた。
そのほかにも髪の根元が元の髪色になってきたため、白髪部分を全て切った。
もう魔女の血の影響はないと思っていたのだが、体内にはまだ影響が残っていて、魔女が死んだことでその効力が切れ、その衝撃で気を失っていたらしい。
「ま、ケントも何事もなかったみたいに元気だし」
ルドルフがタリアの肩を叩く。
「この分だと、どっかに保管されてる魔女の血も全部消えたんじゃないかな」
もう片方の肩を、カミールが叩く。
「これでタリア様とギルバート様を苦しめていた全てが終わったんですよね」
タリアの正面で、サラが微笑む。
「おーい、そろそろ飯ができるぞー! って、タリア、帰ってたか」
ダイニングから出てきたオリヴァーが、優しい笑みを携え、タリアに近づく。
集まっていた面々は飯だ、飯だと言ってダイニングへと入っていく。
「ギルから全部聞いた。色々思うことはあるだろうが、今日のところは宴会に付き合え」
「宴会って」
「なんだかんだと人が集まっちまったからな。無理強いはしないが」
タリアと魔女の関わりを深く知らない人たちは、タリアが魔女を倒したことを喜んでくれている。
けれどタリアがどんな思いで魔女を倒したのか。どんな思いで帰ってきたのか。それを知っている人たちは素直に喜ぶことはできない。
「いいんじゃないか。宴会……願いを叶えたタリアが笑ってる方が、二人も安心するし、喜ぶと思う」
「ウィル……うん、そうだね」
「よし、そうと決まれば……飯ができる前から、腹を空かせたチビたちがキッチンに張り付いてんだ。早く何か食わせないと」
「あー、それはマズイですね。うちの子たち、ご飯が絡むと喚いて手がつけられなくて」
「うちもだ。ホント、ちびっこいのがいるとしんみりもしてられないな。ウィルもこれから大変だぞー。チビたちに振り回されて。可愛いだけじゃないからな?」
三人揃ってダイニングへと入ると、サラがオリヴァーに飛びついた。
「オリヴァー様! 聞いてください!」
「お? どうした?」
「ギルバート様が聖騎士になってくれるって!」
「おお! そうか! 早速日程を決めないと」
「ええ! その日のうちに私たちの婚約発表もしようと思うんです!」
「ん? 婚約? 私たちって……」
「ギルバート様と私です! ギルバート様が聖騎士になったら、女性たちが放って置かなくなるでしょう? その前に婚約発表を」
サラの言葉に理解が追いつかないオリヴァー。
タリアの隣で呆然と立ち尽くしているウィリアム。
事情を知っていたカミールは腹を抱えて大笑い。
自分のことを話したがらないギルバートが、サラとの結婚の約束の話をオリヴァーにしていたとは思えなかったが、サラもウィリアムに話していなかったことを察し、タリアも吹き出し、笑い始めた。
「ウィルもオリヴァーさんも、突っ立ってないで席に。早く食べましょう! お腹すきました!」
戸惑うウィリアムとオリヴァーを引っ張り、席に座らせる。
「かーさま! もう食べていい?」
「えー、お帰りが先でしょう」
「あ! かーさま、おかえり!」
「おかえりー!」
「ただいま! よし! じゃ、食べよう! せーのっ」
「いただきまーす!」
サラの爆弾発言で幕を上げた宴会は、子供たちを眠らせて深夜まで続いた。
龍の愛し子 ー 聖痕の乙女と魔女 ー 完結
年内での完結を、と終盤かなり駆け足になった気がしてなりませんが、書きたいことは全て書ききったのではないかと……思いたい。
今後、番外編やスピンオフ等を予定しているので、最終話更新とともにサブタイトルをつけました。
長い話になりましたが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
2018.12.31 月城 忍




