不可能の証明 第15話
アニキトスが独立宣言をしてから二ヶ月も経たないうちに、アクアリウスは奪還され、アニキトスは消滅した。
首謀者のチャニングは人型真珠と化し、倒された。
アクアリウスの地下で籠城を試みたラザラスは、隠し通路でオリヴァー率いる兵と外から侵入を試みたラズの兵に挟み込まれ、「不老不死となった私を倒せるものなどいない」と言って自らナイフで首を切って絶命。
ラザラスと行動を共にしていた兵士の話では、ラザラスは持っていた秘薬の全てを一気に飲み干し、みるみるうちに髪の色が抜けて白髪になっていったと証言した。
大量の人型魔獣を相手にしていた四国の連合軍の被害は考えていたよりも随分と少なかった。
それは戦いが長期化しなかったことが大きく影響いている。
それに加え、怪我をした者はすぐにクオーツ軍の衛生兵が対処。軽度の怪我の場合には薬酒と塗り薬を与え、重症者はすぐに後方に引かせて治療を施していたため、人型魔獣との戦闘中に死亡した兵士以外の死亡者がいなかったのだ。
アクアリウスの市民街が完全に無事だったとはいえ、アクアリウスを任されていた貴族は全滅に近く、治安維持と政治環境の立て直しが急務となっていた。
そんな中、アクアリウスの王城で数日間にわたって今後についての国王達での話し合いが行われた。
不戦条約を交わしたことで、民衆は混乱すると思われる。
長きにわたり、血で血を洗う戦いを続けてきたのだ。それは仕方ないし、解決には時間がかかる。
そして以前から各国で問題になっていた国民の流出についての話し合いも行われた。
特に、ルーヴィとラズから逃げ出す国民が多い。
その受け皿となってきたのはクオーツが主だった。
クオーツは亡命者の受け入れをしてきたが、数が多すぎて元々クオーツの出身者の仕事がなくなりつつある。
戦争がなくなり、兵士の雇用が減ることになればますます、仕事がなくなってしまうことになる。
そして各国の合意により、五年間は移住を禁止とし、その間にそれぞれの国で全ての国民を把握することとなった。
その後の移住は自由にする。
その五年間の間に出身の国政が良くなれば、亡命者も戻ろうという気が起きるかもしれないし、流出も最小限に抑えられる。
そのための国政の見直しを。国民にとって住みやすい国づくりを考え直すことに決まる。
曖昧な国境線は、その曖昧な中にある街や村に住む人々が、どの国に属したいか希望を聞き、それを叶え、その村や町から隣国の一番近い村や町の中間地点を繋ぎ、国境とする。
国境が曖昧な地域に属している人たちは、それそれの国のやり方を知ってるだろうし、住んでいる人に決めてもらうのが国同士の論争をしなくて済むからだ。
国境近くは龍脈から離れていて草木も生えない場所が多い為、領土の取り合いにはならないで済んだ。
クオーツは三国から薬酒と塗り薬についての情報を求められた。
アニキトスとの戦いにおいてその効果を実感してのことだったし、特にルーヴィの女王は病気でずっと伏せていたにも関わらず、クオーツからの使者が持ち込んだ薬酒を飲み始めてから会合に出席出来るほどに回復していた。
また、対人型魔獣の道具についての情報も欲しがった。
しかしクオーツは情報を渡すつもりがなく、欲しい人には適正価格で販売をするという姿勢を崩さなかった。
四国の国王の話し合いが終わると、アクアリウスは本格的な復興に入った。
ルーヴィが率先してアクアリウス復興への尽力をした。事の発端がルーヴィ出身者であったことから、その償いも兼ねてのことだった。
しかし長年の敵対関係あったルーヴィとラズだ。アクアリウスの住民からの反発もあった。
そこで、共闘したルーヴィとラズの兵を復興の中心とし、そこにクオーツとオブシディアンも協力することにする。
アクアリウスはラズの龍脈都市ではあるが、四国の旗を掲げ、平和の象徴の街にするため、中層部と最上部の貴族が使っていた区画以外も復興の対象とした。
そして王が帰還した各国では不戦条約の締結と、アニキトスを破り完全に勝利したこと、人型魔獣の脅威が消えたことを祝う祭りが行われることになった。
人型魔獣に関しては自然発生する恐れもあるが、クオーツから道具を買い取り、大きな街、小さな村問わず世界中に配られる運びとなった。
そんな中、タリアはサラと共にクオーツの王都レオへと戻ったウィリアムと合流し、まずは旅行を。
サラと子供達を合わせるという約束も果たす。
サラにもしものことがあった場合、現在はウィリアムが王位継承権一位で、その子供のヘレンとリュカが二位と三位を持っているので、タリア達は暫く王宮内で暮らすことになる。
サラに子供が生まれればその子供が王位継承権一位となるので、それ以降は王宮に縛られる必要はないとのことだった。
ウィリアムとタリアは、ウィリアムの休暇中、子供達を連れて死の森と新居を行き来し、新しい環境に子供達を慣れさせながら、穏やかな日々を過ごしていた。
そして、ウィリアムの休暇が残り一日となった夜。
「ばぁば……明日、一緒に行って欲しい場所があるの」
夕食を終え、そろそろ子供達を寝かしつけようとする頃、タリアは切り出した。
「そうか……」
魔女は全てを悟ったように優しく微笑む。
明日、子供達はオリヴァーに預けることになっていた。
タリアは魔女の願いを叶えるための準備を整えていたのだ。
しかし考えている方法が確実に魔女の願いを叶えられるものかはまだ分からない。
魔女の設けた期限まで半年残ってはいるが、その方法が失敗に終わった場合、別の方法を探さなくてはいけない可能性も考慮して、半年残したタイミングで行動を起こすことにした。
また、タリアは期限の延長、もしくは期限を無くして欲しいという希望も持っている。
願いを叶える為の方法を見せることで、魔女に安心感を与えた上で、延長をお願いしようという考えもあってのことだった。
その夜は、六人でベッドに入った。
「ばぁば……」
リュカがベッドに転がり、ばぁばに両手を延ばす。
「なんじゃ? ちゃんと言葉にせんと分からんぞ?」
「……ぎゅってして」
「仕方ないのー」
「なにそれ! リュカ、ばぁばにはそんな甘えかたするの?」
リュカに覆いかぶさるようにばぁばが抱きつく。
「ばぁば、ながいー」
そう言いながらもリュカは嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。
「じぃじもぎゅってしてあげる!」
ヘレンはヘレンで寝転んだままじぃじを引き寄せて抱きついていた。
(明日もし、ばぁばが心変わりしてくれなければ……)
こんな光景はもう二度と見られなくなる。
そう思ってしまい、それを払拭するようにタリアはベッドに潜り込んだ。
その日はじぃじとばぁばが真ん中で、じぃじとウィリアムがヘレンを挟み、ばぁばとタリアがリュカを挟むような配置となった。
「ふふっ、狭いけどあったかいねー」
そうヘレンが言えば、じぃじとウィリアムが「そうだな」と答える。
「ばぁば、なにかお話し、して」
「そうじゃのぉー……」
リュカにせがまれ、子供達が眠るまで、ばぁばが話す。
むかしむかし、あるところに、龍神の姫と呼ばれる娘がおりました。
その娘は十七歳の誕生日に、龍神と呼ばれる神様と結婚する決まりになっていました。
その娘は龍神と結婚するので、幼い頃から龍神に相応しい相手になれるよう、たくさん勉強をして、龍神が好きな舞を毎日練習していました。
しかし、その娘には他に好きな男がいました。
いつもその娘の世話をしてくれる男でした。
娘は龍神と結婚をしたくなかったのです。
けれど、その娘が龍神と結婚をしなければ、龍神は怒り、全ての人を殺してしまうと言われていました。
好きな男も殺されてしまいます。だからその娘は、龍神と結婚するしかなかったのです。
ある時、娘が好きだった男は戦争へと行ってしまいました。
そして暫くして、その男が死んでしまったという知らせを聞いた娘はとても悲しみました。
何日も、何日も泣き続けました。
それからまた暫くして、娘は十七歳の誕生日を迎えました。
花嫁衣装に着替え、みんなが誕生日のお祝いをしてくれました。
龍神との結婚の祝いをしてくれました。
けれど娘は、ちっとも嬉しくありませんでした。
お祝いの最中、娘はとても眠くなって、寝てしまいました。
眼が覚めると真っ暗でした。
また眠くなって寝て、起きると真っ暗。
それを何度も繰り返し、どれくらい真っ暗な中にいたのかも分からなくなっていました。
ある時、目を覚ますと、小さな光が見えました。
そしてやっと、知らない場所にいると気がついたのです。
その世界には光るものしかありませんでした。
人の形をした光の塊がたくさん集まってきて、娘に声をかけましたが、娘は何を言われているのか全くわかりません。
娘は一生懸命、言葉を覚えました。
少しずつ言葉を教えてもらううちに、人の塊をした光の塊の中に、とても優しい人がいました。
その人と仲良くなるうちに、娘の目には、その人だけが光の塊ではなく、ただの人に見えるようになっていきました。
娘はその人に恋をしていました。
そして娘は、その人と結婚したのでした。
めでたし、めでたし。
「ばぁば、その続きは?」
「……子供達が寝てしまったのに?」
「その続き、とっても気になるんだけど」
「まぁ、実際には玄武のカケラが通訳をしてくれて言葉を覚えたんじゃが」
「へー、カケラは移動手段だけじゃなかったんだ」
「だが、不便だったぞ? ねこちゃんのように実体化はできんでのぉ。相手が何を言っているのかは教えてくれても、我の言葉を伝えることはしてくれないし」
「それは、確かに不便ね。それで、結婚したその後は?」
「続きは、エステルならば自力で知ることになるのだろうな」
その物語を聞きながら、間違いなくばぁばの物語だとタリアは思っていた。
しかしその続きは、日記に記されている。その日記をタリアが持ち出していることも知っているので、ばぁばはその続きを話そうとはしなかった。
「……意地悪だなー」
「ふふっ……この先は、寝物語にするには、ちと残酷すぎる。エステル、魔獣達に演奏を頼めるか」
「……わかった。ばぁばはまだここにいる?」
「ああ。この子達が起きるまで」
物語の続きを話して貰えそうにないと判断し、タリアは静かにベッドを抜け出した。
子供達の寝顔を見ながら過ごしたいのだと、タリアはウィリアムと一緒に部屋を出る。
そして楽器を持って外に出て、いつものように湖のほとりにある岩に腰をおろした。
タリアはいつものようにアルフーを奏でる。
月の明かりが反射する水面をぼんやりと眺めながら。
「ばぁばの願いを叶える方法、先に聞いておいてもいいか?」
ウィリアムの問いかけに、タリアは一瞬、演奏の手を止めそうになった。
「……明日になれば分かりますよ?」
「そうだろうが……タリアはそれを確実な方法だと思ってるんだろ? どんな方法なのか気になる」
「……ただ、魔力の墓場に連れて行くだけですよ」
「それ、前に失敗したって言ってなかったか?」
タリアは薄く微笑み、目を伏せる。演奏は完全に止まっていた。
「ばぁばが、魔力の墓場に拒絶された原因を考えてみたんです。洞窟に入れない原因は何か」
この世界の魔力は龍脈と呼ばれる巨大な水晶から放出され、植物に取り込まれ、人間や動物の体に取り込まれ、消費され、最終的には魔力の墓場へと向かう。
魔力の墓場に集められた魔力は地中にある龍脈へと流れ、そこで力を蓄えながら地上に出ている龍脈から放出されている。
この世界の魔力は循環しているのだ。
「ばぁばは、その循環から拒絶されているとも取れる。その原因は何か。それはばぁばが、この世界の全てを嫌い、憎んでいるからじゃないかって思ったんです。それにばぁばは何百年も死ねないって異常な状況にあって、それはつまり、この世界の理からも拒絶された存在になっているってことなんじゃないかと」
この世界に受け入れられない限り、ばぁばの願いは叶わないのかもしれない。
では、世界を受け入れるとはどういうことなのか。
それを考えてばぁばと生活しているしているうちに、タリアは気づいた。
ばぁばがこの世界を受け入れることができたら、世界もばぁばを受け入れてくれるのではないかと。
「それに、なぜ五年間しか記憶が保てないのか。頭の中に記憶しておける限界があるから? でも本当にこの世界の理から拒絶されているんだとしたら、不老不死のばぁばが生きた屍みたいになってしまっても構わなかったはず。きっと、あえて自分で物事を考えられるようになってる。ならその理由は? って考えてたら、この世界は、ばぁばに受け入れてもらえる日を待っているんじゃないかな? って思えたんです」
タリアの仮説が正しいのであれば、ばぁばがこの世界を全否定しなくなった時、この世界に受け入れてもらえるということになる。
魔力の墓場にも入れるようになり、ばぁばの魔力は地中へと還る。
魔獣や人型魔獣が魔力の墓場の水晶で魔力を奪われ生き絶えるのだ。
魔力の墓場に入ることが叶えば、きっとばぁばも解放される。
タリアはそう考えていた。
タリアが死の森に始めて足を踏み入れ、ばぁばと共に過ごし、子供達が生まれ、一緒に育て、その成長を見ながら、ばぁばは確実に変わった。
その変化を見ながら、ばぁばがこの世界を受け入れられたら解放されるのかもしれないとタリアは気づき、その思いを強くしながらこれまでの日々を過ごしてきた。
だからこそ、ばぁばと共に過ごす時間を大切にし、ばぁばも、タリアも、子供達も楽しみながら、この世界のいろんな場所に行った。
この世界への憎しみが完全に消えるとは思えない。
ばぁばが覚えていられるのはここ五年間の記憶と、前の世界での記憶、そしてこの世界に来て魔女となるまでの記憶だった。
日常は五年間で忘れてしまうというのに、前の世界での記憶と、魔女になるまでの記憶が残っているということは、前の世界の記憶を持つ転生者と同じように、その記憶だけは脳ではないどこか。魂のような実態のない何かに記憶されていると思われる。
その記憶は色褪せる事がなく、忘れる事が出来ない記憶となる。
この世界を憎むきっかけとなったことを忘れることはないので、憎しみが完全に消えるということもない。
だからタリアは旅行を提案した。
いろんな場所に行き、いろんなものを見て、この世界を楽しむ事が出来たのならーー
この世界に対する思いが憎しみだけではなくなったらーー
そんな願いも込めて。
「……明日は、洞窟に入れるかどうか。それを試しに行くんだな」
「うん。当てが外れないといいんだけど」
「そう、だな……ばぁばにはまだ話してないんだろ?」
「うん。明日、一緒に行きたい場所があるって行っただけでわかったみたいだけど」
タリアは深くため息を吐き出し、天を仰ぐ。
「明日になって欲しくないなー」
「怖い、か」
「怖いよ。だって、今夜が、ばぁばと過ごす最後の夜かもしれない」
「それは、期限を延ばして貰えなかった場合、だろ? 期限までまだ少しあるんだ。今夜が最後とは限らない」
「そうだといいなー。せめてあと半年……」
「それか明日、タリアの仮説が全否定されるか」
「ちょ、それは本当にヤバい! ほかに何の手立ても思いつかなかったのにあと半年でほかの手段を見つけるとか、ホントに考えたくない!」
ウィリアムの言葉に、タリアは岩から飛び降りていた。
「あーー、どうしよっ。別の手を考えなきゃいけないことになっちゃったら!」
「……悪い、余計なこと言った」
さっきまで、ばぁばと過ごす最後の夜かもしれないと不安になっていたタリアが、ウィリアムの一言で今度はばぁばの願いを叶えるための別の方法を探さなくてはいけない可能性を考え不安になっている。
ばぁばが日々を本当に楽しそうに、幸せそうに過ごしているからこそ、この状態ならば魔力の墓場に入ることが出来ると自信を積み重ねる日々でもあったというのに。
「だめだ……不安しかない。一から考え直す!」
「一からって」
「どんな外傷でも死ねないんだから、まずは魔力をどうにかしないといけない。うん、それは間違ってない。ネックレスで少し魔力を減らせたし、原石がいっぱいあるところならもっと魔力を減らせるわけで……」
「ちょ、考え直すのは明日の結果次第でいいんじゃ」
「明日まで待つの無理! こんな状態じゃ絶対寝れないし、考えたくなくても考えちゃうし!」
「落ち着けっ! だから開き直って一から考え直すのか?」
「〜〜っ、だめだ! 考えがまとまらなそうだから紙に書く!」
家の中へと駆け込んだタリアは紙とペンを持ち出し、テーブルにかぶりつくように考えを書き出していった。
その様子にウィリアムは、タリアは考えを口に出して整理するタイプではなく、文字にする事で考えを整理するタイプだったか。と初めて知った。
しかも、切羽詰まっている時にだけ見る事が出来る光景なのだろうとも思う。
その夜、タリアが眠ることはなかった。
それに付き合って、ウィリアムも眠ることはなかった。
朝が来て、じぃじが朝食の準備を始めた。
美味しそうな匂いがし始めた頃、ばぁばが子供達を起こし、顔を洗いに向かわせる。
その間にタリアは子供達の着替えを用意しーー
いつもならばお腹を空かせて目覚めた子供達は、早くじぃじのご飯が食べたいと言って着替えを拒んで食卓へと急ぐのを留めて着替えをさせるのだが、その朝は違った。
顔を洗っても、子供達はばぁばから離れようとせず、着替えを手伝うのもタリアではなくばぁばでなければ嫌だと言って聞かず。
やっと着替えさせて食事が始まったものの、いつもならどんなにこぼしても自分で食べると言い張って後片付けが大変だというのに、自ら食事に手を出すことなく、ばぁばが食べさせてくれない限り口を開けなかった。
「やっと魔のイヤイヤ期が終わって安心してたのに」
数ヶ月前まで、子供達は何に対しても「いや!」と言う時期があった。
魔の二歳と呼ばれる時期だ。
その頃と少し似ている状況に、タリアは困り果てていた。
「こんなに小さくても、何かは察してるんだろ」
そんなじぃじの言葉に、いつもよりも我儘な子供達に何もいう気が起きなくなってしまったタリアは、子供達のしたいようにさせることにした。
察している何か。
タリアはばぁばを説得するつもりで計画を立てているが、ばぁばはまだそれを知らない。
だからばぁばは「これで子供達と過ごすのは最後」という気持ちで接している。
そんなばぁばの気持ちを察して、子供達はばぁばにべったりなのだと思うと、無理に急かすような真似はできるはずがなかった。
子供達の朝食が終わると、タリアとウィリアムは攫うように子供たちを抱き上げ、白虎のカケラに乗る。
「お? やっと来たか。ヘレン、リュカ、待ってたぞー」
「あ、おっきいじぃじ!」
「おっきいじぃじ!」
オリヴァー邸の玄関前に移動すると、外にオリヴァーがいた。
予定していた時間から一時間も遅くなっていたので、心配して待っていてくれたようだ。
「オリヴァーさん、すみません。子供たちの準備がなかなか進まなくて」
「チビがいて、時間通りに準備ができないのは仕方ないだろ」
「おっきいじぃじ、だっこぐるぐるしてー!」
「してー!」
「おー、よしよし。来い!」
ヘレンとリュカはオリヴァーに飛びつき、そのまま両脇に抱えられ、その場で回るオリヴァーに甲高い声を上げている。
タリアがオリヴァーと四年ぶりの再会を果たした直後から、タリアは子供たちを連れてよく遊びに来ていた。
「さー、中に入ろう。ナターシャとエイミーもお待ちかねだ」
子供たちはオリヴァーをおっきいじぃじと呼んで懐いていたし、何より、オリヴァーとナターシャの間にエイミーという女の子が生まれており、ヘレンとリュカとは半年違い。二人にとって初めて同年代の子供と遊ぶ機会ができたからだ。
「みんな、いらっしゃい。あ、走ったら危ないわよー」
出迎えてくれてナターシャとエミリー。
その姿を見たヘレンとリュカは走り出し、エミリーに突進。エミリーを挟んで手を繋ぎ、いつもの場所へと駆け出す。
オリヴァーの家にはナターシャがいるので、基本的に来客は拒んでいる。そのため、応接室はエミリーのためのおもちゃで溢れており、そこで子供たちは延々と遊んでいられた。
「オリヴァーさん、今日、ギルは?」
アニキトスとの戦いからクオーツ軍へと合流したギルバートは、サラの帰還とともにクオーツの王都レオへと帰って来ていた。
そこでナターシャや村人たちと再会を果たし、この屋敷を拠点とするようになった。
オリヴァーとナターシャが前の世界で結婚の約束をしていたとか、ギルバートが前の世界の二人の間に出来た子供だったとか、全ての事情もギルバートに明かしたのだが。
ギルバートを一番驚かせたのは妹エミリーの存在だった。
「部屋にいるよ。不貞腐れて」
「なにかあったんですか?」
「もう、あいつがなにをしたいんだかさっぱり分からん! せっかく聖騎士になれるっていうのに、旅に出るから断るとか」
ギルバートは四年半前、聖騎士養成学校の生徒だった時にクオーツを去っているが、アニキトスでの功績が認められ、正式に聖騎士に叙任されることとなった。
それに伴い、王城で叙勲の儀式が行われるのだが、その日程を決め、ギルバート用の鎧を作ったり準備を始めようという話になった。
するとギルバートは、まだやることが残っているので聖騎士にはなれない。旅に出ると言い出した。
オリヴァーが事情を聞いても話そうとしないし、旅に出るといって聞かないし、困ったオリヴァーはギルバートから短刀と朱雀を取り上げたのだ。
それでギルバートは不貞腐れて部屋に籠っているのだとか。
(まだやることが残ってる、か……)
事情を知ったタリアは、ギルバートの旅の理由に心当たりがあった。
ギルバートは魔女と、その連れの男を探していたのだ。自分にしかわからない、気配を頼りに。
四年半前、クオーツを出ようとするギルバートをカミールが用心棒として引き抜いた。
その際、「魔女に関わっていて、一番危険な仕事を回してくれるなら」という条件をカミールに出していたことをタリアは知っている。
それに加え、チャニングに短刀と朱雀を取り上げられた経緯も、ルーヴィの王都リーブラのコロシアムに選手として潜入していた際、ギルバートはオリヴァー邸での事件の際に感じたことのある嫌な魔力を感じたからだった。
そしてギルバートは出場者の立ち入ることのできない場所に侵入。そこでチャニングに見つかり、拘束され、荷物の全てを没収された。
嫌な魔力を感じた人物があの時の女と男であるか確かめたい。そんな思いがあって、ギルバートはチャニングのそばに留まっていたのだ。
だから、魔女を探しに行きたいのだとタリアにはわかった。
「オリヴァーさん、ギルの件は、私に任せてくれませんか?」
「それは構わないが」
「今日、ギルも借りていきますね。それと、短刀と朱雀は返してあげて大丈夫です」
「……じゃ、任せてみるか」
ギルバートは旅の目的をオリヴァーには話していない。
その目的を察したタリアも、その内容をオリヴァーには話せなかった。
オリヴァーに話せるとしたら、全てにカタがついた時。
そう思っていたので、タリアもこれまで魔女の世話になっていたことをオリヴァーには話していなかった。
オリヴァーからギルバートの短刀と朱雀を預かり、ウィリアムに持って貰い、タリアとウィリアムはギルバートの部屋に向かう。
「ウィル……私がばぁばを説得している間、ギルに事情の説明を頼めますか?」
「会わせるのか?」
「うん。そうしないと、ギルは旅に出てしまう。あの森にたどり着けたとしても、ばぁばには近づけないでしょう?」
「……私は、反対だ」
ギルバートが魔女を探す旅に出ても、死の森に入ることは出来ない。
玄武のカケラを持つ魔女はどこにでも移動が出来てしまうし、ギルバートが魔女と合間見えるのは難しく、旅が無駄に終わることも考えられるのでタリアはギルバートと魔女を会わせようと思った。
そうすればギルバートが旅に出る理由はなくなり、クオーツに残って聖騎士になるのもいいだろう。そうなればオリヴァーもナターシャも安心する。
ギルバートをばぁばと会わせることが最善だと思ったタリアは、ウィリアムの反対にとても驚いた。
「私だって最初は驚いたし、信じられなかった。だけどばぁばと話し、タリアが本当に世話になったのも知った。何よりタリアがばぁばを大切に想っている。だから受けれることができた。だが、ギルはどうだ?」
ウィリアムは四年半前にギルバートがクオーツを発つ際に言っていたことの少しをタリアに話した。
仇を討つため、それは自分にしかできないとギルバートは言っていた。
仇を討つのはタリアのためでもあった。それはタリアに戦う力がないことをよく理解しているからだ。
タリアが行っても返り討ちに遭うのが目に見えているからだ。
仇を討つのは自分のためでもあったのだろう。目の前で家族を殺され、男と対峙し生死を彷徨うほどの大怪我を負ったギルバートは自分の弱さを思い知らされた。
「四年半も、魔女と男を殺すために強くなり、二人を探していたんだ。多分、私ほど簡単に受け入れられない。タリアは特殊なんだよ」
大切な人たちを殺した仇に同情し、協力し、共に暮らし、じぃじ、ばぁばと呼び大切に想っているタリア。
それは『クレメントの手記』で予めばぁばの境遇を知り、直接話したから同情もできた。憎めないと思った。
けれどギルバートは違う。
目の前でジェームズ一家三人と、リアムとユーゴの妻子四人を殺された。守ることも出来ず。
男の強さを目の当たりにし、無力に打ちひしがれ、その男を倒せるほど強くなりたいと思いながら四年半を過ごしてきたはず。
仇に同情し、助けたいと願いタリアを、裏切りだと感じてもおかしくはない。
「ギルがどう思うのか、実際のところはその場になってみないとわからない。だけど、会わせるのなら覚悟をしておいたほうがいい」
「覚悟?」
「また、大切な人の誰かが欠けるかもしれないという覚悟だ」
「欠けるなんて、そんな……」
「ギルにばぁばを殺すことはできない。だが、じぃじは違う。二人が戦うことになれば、どちらかが……」
※ ※
「タリア、来てたのか。副団長も」
「話したいことがあるの。入っても?」
ギルバートの部屋へとやってきたタリアとウィリアムは中へと入れてもらい、ギルバートがどんな思いでいるのかを聞き、その上でじぃじとばぁばについて話すかを決めることにした。
「オレも話したいことあったんだ」
タリアとウィリアムはベッドに座るように言われ、ギルバートは窓辺に寄りかかる。
「ギルが?」
「もう一人のスティグマータの乙女。探さなきゃって思ってたんだけど、ロルフさんが見つけたって」
「探す気、だったんだ」
「うん。村が襲われた日さ、一度逃げたけど村にオレだけ戻って、村長に言われてたんだよ。二人を逃せって。誰にも利用されない安全な場所に保護しないといけないって」
『スティグマータの乙女』を保護するために作られたその村は国境の近くにあり、洞窟は青龍の守るラズ地方に属してはいたが戦国時代の中でその土地の権利はラズ、オブシディアンで取り合っていた。
村が人型魔獣に襲われた当時はオブシディアンに属しており、今はラズに属している。
そうした中で、ラズはその村の存在を知って黙認していた。
しかしオブシディアンに攻め込まれたことで、黙認していられない状況になってしまった。
もしその村で『スティグマータの乙女』が保護されているとオブシディアンに知られれば、確実に奪われる。
その前にラズで保護したいと何度も申し出ていたのだが、村長はそれを断り続けていた。
当時、ナターシャは洞窟の外では長時間の生活ができなかったし、もう一人の『スティグマータの乙女』は眠りの中にいる。
移動できる状況ではなかったからだ。
だからラズは強攻策に出た。オブシディアンに属している村を襲えば、宣戦布告と同じになる。
だから人型魔獣を使い、村を襲わせている隙に『スティグマータの乙女』を保護しようとしたのだ。
「ちょっと待って? ラズにも人工的に人型魔獣を生み出す技術を持ってたってこと?」
「それはわからないけど、都合よく人型魔獣に村を襲わせるなんてできないだろうからって、ロルフさんが」
ギルバートはナターシャから、もう一人の『スティグマータの乙女』の居場所をルドルフが知っていると教えられ、全ての事情を聞き、ギルバートが知っていることも話していた。
その際、ラズも人工的に人型魔獣を生み出せる可能性をタリアにも話した方がいいと助言を貰っていたようだ。
「ラズの件については追い追い、だな」
ウィリアムの言葉に、タリアは頷いた。
オブシディアンでもルーヴィでも、魔女の血を使った研究が行われていたのだ。ラズも研究していたと言われても疑問はない。
「ギル……旅に出たいって?」
「……オリヴァーに聞いたのか」
「うん。魔女と、その連れの男を探しに行きたいんでしょ?」
「それ、オリヴァーには」
「言ってない」
「そう、か……」
「ギルは……二人を探して、どうしたいの?」
「どうって……殺すよ」
「憎い、から?」
「当たり前だろ? 何言ってんだよ」
「うん……ごめん……」
「ごめんってなんだよ。タリア、お前だって憎いだろ? リアムもユーゴもみんな、あいつらに殺されて」
タリアは俯き、顔を上げることができなくなっていた。
そんなタリアの様子に、ギルバートはタリアに飛びつき、肩を掴む。
「タリアは憎くないのかよ! リアムもユーゴもあんなにお前をっ……カーラだって……あんなにお前のこと大好きだった奴らが殺されたってのに、お前はっ!」
「みんながいなくなったことは悲しいし、何もできなかった自分が悔しくてたまらないよ! でも……」
「でも、なんだよ!」
「ギル、少し落ち着け。タリアはこれまでの四年半を、お前に話すためにここにいるんだ」
タリアが魔女とその連れの男を憎んでいない。それを知り、ギルバートが激怒した。
ウィリアムの言った通り、受け入れてもらうのは難しいのだろう。
タリアは中途半端な『スティグマータの乙女』だという特殊な存在だったからこそ、魔女の境遇を理解することができた。
しかし、タリア以外の存在に魔女の境遇を同情するほど理解するのは、難しい。
そのことをギルバートに激怒されて、タリアは初めて痛感していた。
タリアは話す。これまでの全てを。
『クレメントの手記』に登場する魔女と思われるアンという女性のこと。
カミールの誘いでオブシディアンに入り、ノーヴァで働くようになったこと。
魔女と話し、アンと同一人物だったこと。
前の世界で生贄にされてこの世界に来て、家族を殺され、この世界を呪った人だということ。
そして死ねないまま五百年以上の時を過ごし、この世界からの解放を望み、『スティグマータの乙女』になら殺してもらえると思っていたこと。
その二人が失敗したことで、タリアに殺してもらおうと、タリアを覚醒させるために大切な人を殺したこと。
オリヴァー邸での事件の後、オリヴァーとギルバートの生存を知らなかったタリアは自害を試み、失敗。どんな深傷を負っても死ねないと知り絶望したこと。
一歩間違えば魔女と同じように、何百年もこんな世界に縛られていたかもしれない。そう思うと魔女に同情をしてしまっていた。
けれどどう考えてもタリアに魔女を殺すことなど不可能としか思えず、もっと魔女を知り、別の方法を考えるため、魔女のそばにいることに決めたこと。
そんな時に妊娠を知り、協力を申し出てくれた魔女と、これまで暮らしてきたこと。
魔女がいてくれたから、ヘレンとリュカを育てて来れたこと。
話し終えると、ギルバートはその場に座り込んで頭を抱えた。
「……正直、何をどう理解していいのか分かんねー」
「混乱しても仕方ないと思う。でも事実で……これから、ばぁばを……魔女の願いを叶える方法を試しに行くの」
「……魔女を殺せるかもしれないってことか?」
「それが私にできる、私のせいで殺された、みんなへの償いだと……でも、もうばぁばも大切な家族なの。できることなら一緒に年をとって、思い出を積み重ねながら、一緒に生きたい」
泣いてなるものか。タリアは必至に涙を堪えながらもギルバートを見つめていた。
そんなタリアの肩を、ウィリアムが抱く。
「タリアにとって魔女は仇だ。でも、あの事件から五年間という期限を与えられて、魔女を殺さなければ世界が滅ぶ。そんな問題も一人で抱えてきた。魔女と共に過ごしていたから、魔女の望みを叶える方法を見つけられたんだ。魔女を憎めないタリアを責めないでやってくれないか」
「……魔女に、会ってみたい。殺す為じゃなく……なんて言ったらいいかわからないけど、知っておかなきゃいけない気がする」
第15話 完




