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恋する淫魔と大剣使いの傭兵  作者: 上原のあ
四章 サキュバスであるということ
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四章 三 道のり

少し短いですがきりがいいので。

 夜中の道を一人で行くのは、ほとんどしたことがない。そもそも一人で町や村の外に行った経験自体ほぼなかった。徒歩に限れば、これが初めてだ。

 この時間は、魔獣が活性化するという。一人で出歩くのは危険とわかっていて、――ちょっと高くても、結界石でも持ってきたらよかった、と後悔する。


 幸いにして、町の周辺はきちんと討伐もなされて魔獣の気配はないようだった。もうそろそろ初夏の気配が漂ってきていたけれど、いまだ夜になると少し肌寒い。


 風通しのいい草原の中を、一人、歩く。ぼんやりと行く道の中、かつて一度だけ、一人でこうして村や町の外を行ったときのことを思い出す。




 ――二年前。シェスティは成体となって城から出ていく時に、一人で町を出た。


 貞操概念について同胞と考えが合わず、馬鹿にされることの多かったシェスティは、あまり同胞のいるところに行きたくなかった。だから、自分のことを知る者にうっかり遭遇したりすることのないように、なけなしの――女王から付与される、独り立ちのための最低限の魔力を、ほとんど遠くへ向かうことのために使った。


 そうして降り立ったのが、テンベルク付近にある村だった。


 村では非常によくしてもらった。性欲旺盛な若い男性が少ない、ほとんど高齢の男女で構成されたところだったのも幸いした。


 とても、かわいがってもらっていた。といっても、できることはそう多くなかった。当時は回復薬の作り方も知らなくて、本当に農業の手伝いをできる限りで少しするだけで。

 それでも邪魔者扱いされることはなかった。きっと皆、自分の子供たちが村を出て行って、誰か代わりに可愛がりたかったのだろう。


 そんな村に、吟遊詩人が訪れた。村の者たちは数少ない娯楽なのだと、こぞって唄を聴きに行った。シェスティも連れられて、その唄に耳を傾けた。


 吟じられたのは、いつかどこかの、古い恋物語。


 政略結婚のためだけに産まれて、どこにも逃げてゆかぬよう囚われた姫。塔の一番上の階、小さな四角い窓で切り取られた空だけが、彼女の世界だった。


 彼女は決められた結婚を、人生を、すべてを嘆く。


 彼女につけられていたのは、一人の老侍女と、若い護衛の騎士だけだった。騎士は本来外を護っていて、姫とは出会わぬはずだったのだが、ある時二人は窓を通して、遠く離れていたというのに、その視線を交わした。――それだけで二人は、恋に落ちた。


 騎士はその人生すべてを投げうって、彼女を連れて城を出る。何も知らない彼女に、大きな空を、大地を、世界を、そして、――愛を。騎士は彼女にすべてを与えた。


 国にいられなくなった二人は、何も持たないただの旅人になってしまったけれど、それでも、豊かな大地は二人を祝福した――。




 ある時村は魔獣に襲われた。思えば今の魔獣被害は、あの時からはじまっていたのだ。あるいはあれが最初だったか。


 村の人々が、シェスティを隠した。シェスティに魔力があれば、あの魔獣たちから村の人々を救えたはずだった。――けれど、できなかった。


 怯えながら、押し込めるように入れられた衣装箪笥の奥、折り重なる悲鳴と魔獣の鳴き声から逃げるように、必死になって耳を塞いだ。


 ――そうして、どのくらい経ったのか。気が付けばあたりから物音は消えていた。


 シェスティがそろそろと外に出た頃には、魔獣も、――人も、誰もいなくなっていた。ただただ、死体が積み重なっていた。つい少し前まで、シェスティに笑いかけてくれていたはずの目は、もう、何も見ていない。


 泣きながら、住民たちの血を舐めた。死んだ後の血では、サキュバスであるシェスティの魔力は殆ど回復しない。それでも――花の精力を吸うよりは、ずっと効率的だった。どうにか一人で、どこかに辿り着くまで――生き残るための術が、必要だった。


 彼らを埋葬しなくてはならないのに、シェスティ一人にとてもできる気がしなかった。誰か手伝ってくれる者を、見つけなくてはならなかった。


 ――そうして茫然とした気持ちのまま村から出て、魔獣に襲われてしまったのだが、誰かが助けてくれた。旅をしていた、傭兵だろうか。記憶が曖昧で、その顔は思い出せない。


 その誰かがテンベルクまで連れて行ってくれたのだ。気が付いたら、モニカの家にいた。村人たちの埋葬は済んだと、彼女は言っていた。




 ――よく、考えていた。あの時、シェスティがあそこにいたから、村は襲われたのではないかと。


 私は。ヒトのふりをしようとする私は。――ここにいては、いけない存在なのではないかと。


 優しい人たちに囲まれて。そのことを必死に忘れようとして。それでも時折、あの血の味を思い出す。シェスティは吸血鬼ではないから、それは決して美味なものではなくて、ただ、――ただ、鉄の香りと味が、鼻に染みついて離れない。


 あなたのせいじゃないよ、と人は言う。本当に。――ほんとうに、そうなのだろうか。


 領域を犯した自分に対する報復だったのではないかという不安が、ずっとシェスティに付きまとっていた。




 自分の分の旅の荷物はすべて持ってきていた。食材は残らないように調理しきってきた。作り置きをして、彼が、食事に困らないようにしておいた。


 『もし今日のうちに帰らなかったら、もう戻れなくなるようなことが起こったのだと思います。その場合、契約は破棄なさってください。出せる限りの報酬を置いておきます。足りなければギルドを通して請求をしてください。勝手なことで申し訳ありません』――そう手紙をしたためて、金と共にリビングに置いておいた。


 説得を諦めるつもりはない。まだ、旅を続けていたかった。けれどもしそれが通らなかったら、――その時はつまり、自分はもう、綺麗なままであの人の前に立てないということだ。中途半端に期待したりしてしまった分、余計にそれがつらかった。


 ――綺麗なままいたいというのは、あくまでシェスティのわがままだ。だから、覚悟を決めなくてはならなかった。


 わがままが通らないなら、あの人のことは諦めて、潔く望まない行為も受け入れよう。そうして――あのときの清算を、この手でつけるのもいいのだろう。


 けれど、それは仕方ないからやるのだ。一番いいのは、女王を――母を説得して、どうにか町へ戻ること。それを第一目標にしなくてはならない。


 ――脳裏で声がする。冷たい自分の声。


 私は、戻ってはいけない。今いる場所はいてはいけないところ。逃げ帰るなんて、してはいけない。

 いるべき場所に、あるべき姿で戻らなくてはならない。そうして、罪を――償わなくては、ならない。


 償いを、すべきなのだ――

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