四章 四 女王の説得
しばらく歩いて、町の光は遠く霞んできた。
町の近くは、傭兵たちがまめに討伐を行っている成果なのか魔獣が出てくることはなかった。しかし流石にかなりの距離を歩いてきてしまった。この辺りからは流石に、魔獣に遭遇することもあるだろうか――と不安に思い始めたところで、頭上から声がかかった。
「シェスティ!」
見上げれば、エーレリアが飛んできていた。
「やーっと見つけた!」
「エーレリア? どうして……」
「アナタがその辺で行き倒れてないかと思って。やっぱり、魔力すっからかんのまま来たのね? 徒歩なんて、夜のサキュバスには似合わないわよ?」
彼女はシェスティに合わせて高度を下げてくれた。
「もう女王、着いてるわよ。良かった、ちゃんと来てて」
「ちゃんと待ってらっしゃるの?」
まだ夜の鐘は鳴っていないはずだ。けれど女王は少しせっかちなところがある。少しの遅れも許してはもらえなかっただろう。
エーレリアは苦笑しながらシェスティの隣に並ぶ。
「うん。でも、もう少し遅かったら、入れ違いで町に行っちゃってたかもしれないわ」
「……よかった、間に合って……」
「……アナタも大変ねえ。随分な特別扱いで」
聞けば、シェスティ以外にもほんの一握り、恋をして複数のひとと交わることを良しとせず、人族の伴侶と共に人族のふりをして生活している者もいるらしい。
「あの子たちは別に呼ばれても来てないし、引きずり出されもしてないみたい」
「……私も放っておいてくれたらいいのに……」
シェスティは全く望んでもいないのに、特別扱いされているのだった。
「……次期女王は、私以外にしてくれたら困らないのにな」
「それは――無理でしょうねえ」
彼女はシェスティの体をてっぺんからつま先まで眺めまわす。
「アナタは――アナタにとっては不本意でしょうけど、逸材だもの」
「……うん」
同い年の者にそう言われて、気が重い。まあ、諦めなさいって、とエーレリアに背中を叩かれる。
「説得するつもりはあるの?」
「うん。どうにか納得してくれるといいのだけど……どうかなあ」
せっかくノルベールに協力してもらったはいいものの、あの日言ったように、うまくいく希望はあまりない。
足取りは重い。それでも、シェスティは行かなくてはいけなかった。
森の入り口にようやくたどり着くと、そこには女王が一人でふわふわと漂っていた。
「女王、お久しぶりです」
そうシェスティが言うと、女王がにこりと笑う。
「シェスティ、久しぶり――思った通り、全然元気じゃなさそうねっ!」
けらけらと彼女は笑った。ちょっとむっとする。確かに魔力量は少ないけれど、生きていくぶんにはなんとかなるものなのだ。
(……もっとトゲトゲしたこと、言われるかと思ったけど……)
カラっとした態度に、余裕のある笑み。あっけらかんとした物言いは、記憶にあるものと変わらない。
喧嘩別れのような形で飛び出したのが最後だったから、険悪な会話にならないか緊張していたのだが、杞憂だったらしい。
「それじゃ――一緒に帰りましょうか。飛ぶのはわたくしが手助けしてあげるから――」
そして驚くほど無神経で、話を聞く気がない。シェスティは慌てて首を振った。血が滲むほど強く、手を握る。
「あっ、あの!」
「うん?」
シェスティへ手を差し伸べようとしてくれていた女王が、少しだけ動きを止める。
「い、いや、です――」
どうにか声を振り絞り、面と向かって拒絶する。
(ここで……ちゃんと話をしておかないと、この先もっと強引に色々させられる……!)
ぷるぷると手が震えた。自分の不安から耳を背けるように。必死に立って女王を見据える。
女王はほんの少し眉尻を下げて、「もう」と首を振る。
「わがままを言わないの。――あなたはわたくしの娘、次期女王。フェルトシュテルンのサキュバスで、わたくしの次に魔力があるのは、あなたなの。あなただってわかっているでしょう」
「それは――」
――そう、そう。わかっている。シェスティだって、そのくらい。
シェスティが次期女王と言われていたのは、別に現女王の娘だから、という理由では決してない。それだけなら自分のような倫理観の破綻した出来損ないは、すぐに捨て置かれたはずだった。
けれどシェスティは、現存魔力はともかくとして、その器は莫大な量を有していた。女王から魔力を受けとって育っていた幼い頃から、すでにそれはわかりきっていた。出来損ないであることを差し引いたとしても、彼女の魔力総量は明らかに大抵のサキュバスよりも格上だ。
――それゆえに、次代の女王はシェスティだと言われたのだ。
いくら笑われようとも、馬鹿にされようとも、その女王の決定が覆らないのは、埋めようもない才能の差がそこにあったから。
女王は、そんな力が持ち腐れになっていることが不満なのだ。わかっていた。ああしてシェスティを嗜めようとするのも、ある意味で親心であることも。シェスティにそんな器がなければ、こんなにとやかく言われることはなかったに違いない。
「それに、今回は、ベルグシュタットのコたちが、わたくし亡き後もフェルトシュテルンにちょっかいをかける気を起こさないようにするために、あなたの力を示すいい機会なのよ。
直接おしおきできる名分ごと向こうからもらえる、なんて滅多にないのよ。これを逃すわけにはいかないわ」
「……はい、それは……わかっています」
女王の言うように、この報復はある種の政治的な意味を孕んでいた。できれば他地方のサキュバスたちに対して、有利に出たいと思ったとしても、大義名分がなくてはやり返されるどころか人族を巻き込んでの討伐戦を仕掛けられても文句は言えない。
けれど、こんな――不必要な領域侵犯などという、おあつらえ向きの名分がきたのだ。この機会に徹底的に殴っておく。そして次期女王の代まで含め、しばらく自分たちの『遊び場』を誰にも邪魔されぬ安泰なものとしたい。
そうするためには、次代と決められているシェスティ自身がその力を見せる必要がある。
「……何、何が不満なの? もしかして、やっぱり魔力の回復の仕方が不服なの?」
黙りこくったシェスティに対し、女王がため息交じりにそう問うてくる。
「そうです。私は、やっぱり、その……誰とでもいいとは思えません」
何度も何度も、伝えてきたことだった。女王は理解不能だ、という表情を一切取り繕わない。
「強情ねぇ。死にかけたら考えも変わるかと思ったのだけど。そんな瀕死スレスレの状態でも変わらないのなら、筋金入りの色狂いだわ……」
どうして私の子がこんなになっちゃうのかしら、と首を傾げられる。人族の親子よりも魔族は類似性が希薄らしいと聞いたことはあるし、シェスティもそんなものだとは思っているが、女王はなかなか納得がいかないらしい。
「……ねえ、シェスティ。あなた、なんだっけ? 好きな人とだったら、魔力回復してもいいの?」
「……ま、まあ……」
突然そう問われて、少し悩みながらも肯定する。魔力回復と称されるのは、相手のことを食べ物か何かだとしか思っていないようで抵抗を感じないではないけれど、それだけで否定するものでもない。
「なら、相手を一人に絞っていいって言われたら、次期女王をやるのもおしおきに行くのも、そっちは別にやれるのかしら」
「……え」
聞かれてみて、はじめて考えた。抵抗しているのは、魔力がないせいで乱交部屋に無理矢理連れていかれる未来が明らかなせいだ。
基本的にサキュバスであることを捨てたいとすら時折思うシェスティとしては、そもそもサキュバス同士の抗争というものに巻き込まれたくない。けれど、今回については、シェスティ自身まったく無関係なことではなさそうなので例外だ。今回でベルグシュタットのサキュバスたちが大人しくなってくれるなら、今後しばらくは巻き込まれず済むだろう。
嫌なのはその魔力回復手段の部分であって、そこが嫌なやり方でないならば、戦ったりすることについて、今回は別に抵抗はない。魔力回復の問題さえ解決するならいっそ積極的に向かったかもしれない。
……次期女王をやるのは依然として嫌だが。
「……次期女王は嫌ですけど、おしおきは、別に……」
次期女王については今すぐという話ではない。母はたいへん元気いっぱいで衰えを感じさせない。向こう数百年はまだ遊ぶだろうから、その間に他の、シェスティよりもっと強くて適性のあるサキュバスが生まれるだろう。そちらの説得は時間をかけて行えばいい。そう考えれば、今、急ぎ否定すべき要素は回復の仕方だ。
悩み悩み、シェスティは首肯する。
「じゃあ――そうねえ」
女王はふぅ、とため息をついた。そうして次に口を開いた時には、――妖艶なまでの笑みを浮かべている。知らず、背筋にぞわりとしたものが走った。
「相手が――あの男なら、構わないのかしら?」
言いながら彼女は、シェスティに向かって指をさす。――いや、違う。その指先はシェスティではなく、その後ろへ向けられていた。
「――シェスティ!」
――静かな低い声が、耳を打つ。
(……え?)
どうしてここに。そんな言葉も出てこなくて。振り返らなくてもわかった。ここにいるはずのない人。
草を踏みしめる音がする。ほんの少しだけ上がった息遣いが聞こえる。走って、きたのだろうか。
「ねえ、シェスティ?」
女王が、クスクスと笑う。




