三章 十 『騎士』
夜始めの鐘が鳴って少しした頃、ゼルギウスは帰ってきた。どうにか間に合った、と安心しながら、シェスティは彼を迎える。
「お帰りなさい、今日はシチューを作ったんですよ。少し煮込み時間が足りないかもしれませんが、それなりには――」
と。その顔を見て。言葉が中途で途切れる。
彼はシェスティを見下ろして。眉間にしわを寄せていた。
「あの、何か――」
言いかけて、その瞳がシェスティの顔を見ているのではないことに気が付く。その視線は、じっと一点を見つめていた。胸元――ペンダントを。
「それは?」
ぽつり、とこぼれるような言葉だった。
「あ、えっと……昼間、ノルベールさんとお会いして。えっと。綺麗だなと思って見ていたら、買っていただいてしまって……」
咄嗟に言った言葉は、半分嘘で半分本当だ。ノルベールのことは言わなければよかったのに、言ってしまった。自分で買った――とか、もっとちゃんと嘘をついたらよかった、と咄嗟に後悔する。どうしてか、わからないけれど。
「……そうか。あいつが……」
そう言って、ほんの少しゼルギウスは考え込んでいるようだった。
「あの、えっと、そう、高くないものでしたので……自分で買うのは浪費かなと思って悩んでいただけで……」
何に言い訳しているのだろう――という気分になりながら弁解する。ゼルギウスはまたしばらく無表情に沈黙していたが、やがてため息をついた。
「……家の中では、つけないほうがいい」
「え――と、そう、ですか?」
「…………家事の間に傷がつくかもしれない」
「あ……確かに。そうですね。外しておきます」
言われて納得し、ペンダントを外して部屋に置いてきた。家の中であればゼルギウスしかいないので、つけておく必要もあまりない。流石に外に出るときには付けることになるが。
「食事にするか。……着替えたらすぐ食べよう」
戻ってきたシェスティに、ゼルギウスはほんの少し笑いかけた。普段通りの硬質な声だったけれど、どことなく――さっきよりも柔らかいような気がする。
あるいは、逆で。さっきだけ、どこか硬かったのかもしれない。
「あ、はいっ! すぐご準備しますね」
彼の言葉に笑顔を返して、閉じておいた鍋の蓋をあけて。皿を片手に軽くシチューをかき混ぜながら。
まだ壊れていない日々に、安心している自分を自覚する。
食事をとりながら、「そういえば」と少し気になっていたことを切り出した。
「ノルベールさんとゼルギウスさんって、どういったお知り合いなんですか?」
ゼルギウスは手を止めて、少しシェスティの顔を伺った――ように見えた。しかしすぐに、探るような視線は止んだ。気のせいだったのだろうか、そう思っているうちに、ゼルギウスは「そうだな」と語り始める。
「ノルベールはフェルバックの伯爵家の産まれだ」
突然なんだか違う世界の話が始まってしまったような気がして、少し驚く。
「エルフさんですもんね。でも、貴族の方……でしたか」
確かに振る舞いの優雅さは、貴族らしいものだったので、腑に落ちる話だ。
フェルバックはエルフの王家を中心とした貴族制の国だ。外国を拠点にしているならば自由に動ける平民なのだろうか、と思っていたが、違ったらしい。
「ああ。まあ、と言っても三男坊だが。
俺の父がその伯爵家――サロート家に仕える騎士だった。と言っても平民の出の、雇われだ。剣の腕を見込まれて、住み込みで護衛をやっていた。父に剣の手ほどきを受ける合間に、ノルベールの遊び相手として付き合わされていた」
「幼馴染だったんですね」
「ああ。あいつは魔術に長けていたが、俺を全く魔術で打ち負かせないので何度も突っかかられてな」
無駄だと言っても聞かずに魔術をぶつけ続けた末、仲良くなった――もとい、ノルベールが折れたのだという。
「あいつはかなり凄まじい魔術の才能があった。研究熱心だったし、俺を打ち負かそうとして相当努力を積んだと聞いている。俺の体質も、あいつにずいぶん調べられた。
しかし貴族という身分ではいまいちそれを活かしきれなくてな。跡取りとなる可能性はなかったが、それでも家にいると貴族の責務というのに巻き込まれる。それで、あいつが十三の頃に出奔した」
ゼルギウスが言うには、真夜中に家出同然で出て行こうとするのを、ゼルギウスの父に見つけられたらしい。そこでせめて護衛は連れていけと嗜め、本人が護衛につくのかと思いきや、寝ていたゼルギウスが叩き起こされて、何が何やらわからないうちにまとめて追い出されてしまったのだという。
「以来、護衛と主人として二人で旅をしていた。フェルバックでは何をするにもやりづらいのは分かりきっていたから、ティアラントに来た。数年間は共にいたのだが、ノルベールは別に護衛がいなくても問題ないということがわかった。むしろ研究にあたっては一人のほうがやりやすいと感じていたらしい。俺にもやりたいことがあったんでな、そのまま別れた」
……なんとも――護衛として出たわりには、てきとうな話であるが、当人達が納得しているのだから問題ないのだろう。……おそらく。
「それで、あんなに仲良さげだったんですね」
「そうだな。ノルベールは、今はこちらで魔道具師として一定の地位も得たこともあり、実家からも旅をすることについてある程度の理解を得た、と聞いている」
「そうだったんですか……」
シェスティは数度頷いた。
マイペースで、魔術師然としたエルフのノルベールと、魔術とはかけ離れたゼルギウスと。どこで知り合ったのかいまいち予想がつかなかったのだが、そういう経緯だったのかと納得した。
「あの、本筋とはズレてしまうと思うのですが、質問していいでしょうか」
「なんだ?」
「今仰っていたゼルギウスさんのしたいことというのは、もうできたのですか?」
話の中で気になったことを問うと、ゼルギウスは少し硬直した。そうして、目を逸らされる。どこか珍しい姿に見えた。
「……いや」
どうやら微妙に言いにくいことだったらしい。突っ込んだことを聞いてしまって申し訳ないと謝ると、彼は首を横に振った。
「大したことじゃない。――その。よく馬鹿にされることだというだけだ」
「?」
思わず、首を傾げる。ゼルギウスは少し言い淀み、悩んだ後、意を決したように口を開いた。
「父に、憧れていた」
そうして出てきた言葉は、そうおかしなことでもないようで、しかし文脈としてはなんだかおかしい。
「えっと……?」
思わず問い返すと、ゼルギウスは語りだした。
「父は――サロート家に仕えてはいたが、正確には土地づきの騎士ではない」
「……?」
首を傾げ、意味を咀嚼しようとしたシェスティに、ゼルギウスは「そうか、あまり一般に知られていることではないのかもな」と呟いた。
「ティアラントとフェルバックでは多少事情が違うが、基本的に騎士というのは、土地を護るものだ」
この国、ティアラントでは騎士というと、基本的には各地方を治める役所の一機関に所属する者を指す。これに対してフェルバックでは、騎士というと土地を有する貴族に仕える者になる。
どちらにしても、その剣はその土地を迫害する者に対して向けられる。騎士になるためには、国ごとに決められた試験に受かる必要がある。
こういった騎士のことを指して、『土地づきの騎士』と言っているようだ。
「ただ、騎士、というのはもう一種類あるんだ。これは、個人に忠誠を誓うもので、個人づきの騎士と呼んで区別する。
たった一人の命令を絶対として、その一人を護る。こちらの『騎士』になるためには試験はいらないが、忠誠を誓う相手に〔騎士の誓い〕をしなくてはならない。
……物語に描かれる『騎士』は、土地づきのものと個人づきのものを混同している節があるようだな」
〔騎士の誓い〕は口約束ではなく、魔術的な契約だ。精神的にも、非常に緊密である必要がある。どちらかの片想いでは魔術が成立しない。
二人以上の者相手に誓いを立てることはできない。ただ、立ててしまえば、互いの危機を知ることができたり、魔力をある程度受け渡すことができる〈ライン〉が成立するなどの利点がある。
まあ、それは副次的効果のおまけのようなもので、基本的には強固な結びつきを見せつけるために結ぶらしい。
「俺の父は、サロート伯爵夫人づきの侍女――俺の母に対し、〔騎士の誓い〕を結んでいた。母がサロート家に仕えていたから、父もサロート家にいて、伯爵家の護衛をしていた」
非常に仲睦まじい夫婦だったのだという。曰く、父のほうの一目惚れで、何度も通い詰めた末に結ばれたらしい。そして、誓いを結んだ。
「剣の手ほどきを受けながら、父によく、言われていた。護るべきものがあったほうが強くなれる、と。お前も誰かを――できれば生涯にわたって、たった一人の、それも女性を護る『騎士』となるといいと」
女性を、と指定したのは、単なる惚気だったとは思うが、とゼルギウスは苦笑しながらも話を続ける。
「実際、父はおそろしく強かった。魔術にも長けていたが、魔術無しでも、俺はいまだ、父に太刀打ちできないように思う」
ゼルギウスはそこまで言うと、コップに手を付けて、水を飲んだ。そうして一息ついてから、また口を開く。
「幼少の頃から何度も言われていたから、俺も『騎士』というものになりたいと思っていた。
父は旅をしている中で、サロート家で侍女をしていた母と出会ったのだという。それで俺も、旅をしていたら、そうして護りたい人に出会えるのかもしれないと思った」
それが旅の目的だ、と彼は締めくくった。
「な、なんだか……」
ゼルギウスは後悔するように、眉間にしわを寄せている。
確かに人によっては夢見がちだと取るかもしれない。馬鹿にされることもあっただろう、けれど。
「す、素敵ですね……! お父様も、ゼルギウスさんも、ほんとうに……」
シェスティはどきどきと胸が高鳴ってしまっていた。落ち着けるように指先をこすりあわせる。
――まるで素敵な恋物語みたい……!
「そう、だろうか。……実際のところ、俺は結局そう言いながら、別に女性……どころか他人と深く関わることもなく、ただ漫然と剣の腕ばかり磨いていただけだ。旅に出てからそれなりに年もとって、それなりの腕にはなったが、父の言うような相手には――」
彼はそこで言葉を切った。そうして難しい顔をする。
下りた沈黙の中、内心黄色い声で盛り上がっていたシェスティもふっと気が付いた。
(……ゼルギウスさんがもし、この旅のうちにそんな人と出会ったら……)
突きつけられた現実に、高鳴っていたはずの胸が今度はちくりと痛む。それが自分でないことだって、わかっている。
初めて会ったとき、彼の態度にも瞳にも、何の温度もなかった。だからこそ、シェスティは彼に憧れを抱いた。
(わかってたことだった)
——このひとが私のことを好きになってくれることなんて、本当に少ない確率で。
大きな期待はしない、そう覚悟してたつもりだったじゃない。
シェスティは笑顔を作った。
「でも、いずれ素敵な人と出会ったときに、剣の腕が不十分では護り切れないじゃないですか。
けど、ゼルギウスさんは、たくさんいた魔獣だって、簡単に倒してしまいます。護衛をして頂いていて、命の危険を感じたことはありません。きっと誰かのための騎士になられても、きちんとその方を護り切れると、思います。
だから……今まで、そうして剣の腕を磨かれてきたことは、決して無駄ではなかったと思います」
そう素直に言うと、ゼルギウスはシェスティの目を見て、ほんの少し目を見開いてから――柔らかく笑んだ。
「そう、か。ありがとう。馬鹿にされるばかりで、そう褒められたことはあまりなかったな」
「そんな、馬鹿になんてしません! 私――私、いつかゼルギウスさんがそんな素敵な方に出会えるよう、応援しています」
ああ、でも、旅の途中に見つけてしまったら、少し困ってしまうかもしれないですね、とおどけたように笑ってみせて。胸の痛みを、気にしないようにつとめた。
「いや、そうなっても貴女のことを優先しよう」
それでも単純なもので、微笑みを返されると、少し頬が熱くなる。誤魔化そうとして慌てて口を開く。
「で、でも、少し羨ましいです」
「何がだろうか」
そう問い返されて、少し回りきっていない頭のままで言葉を続ける。
「ゼルギウスさんに、誓いを立てていただける方が」
そう言って。言ってしまった後で。
(こ――これ、今言うと、告白みたいじゃないっ――!?)
そう気が付いたけれど後の祭りだ。ゼルギウスは少し驚いたような表情をしてこちらを見ている。
「あっ……あのっ、わ、私、その、物語の――騎士様に、憧れていてっ……! なんだか、ゼルギウスさんが騎士になるって、すごくしっくりきて……それだけで、変な意味はなくって……!」
思わず手をぶんぶんと振りながら弁解する。するとゼルギウスは苦笑して、
「変な意味はないのはわかっている、ありがとう」
と返してきた。それはそれで、少し複雑だけれど。
ゼルギウスは話を続ける。
「それに、俺は騎士にはなれない。――さっき言ったように、〔騎士の誓い〕は魔術的な契約だ。……俺は魔術が使えないから、その誓いを立てることができない」
口約束ならできるんだがな、と彼は嘆息する。それ以上のことはできない。
「ノルベールには、『魔術が使えないのに誓いを立てる相手を探して旅をするのはちょっと夢見がちがすぎるんじゃないか』と言われた。……そうなのかもしれないな」
自嘲気味に彼は笑う。あまりこういった表情は見たことがなかった。それで少しだけ、気になってしまって。
「……いえ、そんなこと、ありません」
真面目な顔で、シェスティは語りかける。
「だって、ゼルギウスさんはそれでも、できることをされてきたんですから。諦めることなんて、ないと思います。きっと口約束でもいいって人はいます」
だって、私がそうだもの――とは言わないけれど。
「きっと、諦めなかったら、出会えます。だから……」
少し呆けたような顔をする彼のことを、真っ直ぐに見つめて、笑う。
「そんな風に、自分で自分の憧れを、汚してしまわないでください」
――ああ。今日の心は本当に、上がったり下がったり忙しい。
本当に。サキュバスは、他者の心を操る生き物なのだから、もっと落ち着いていなくちゃいけないのに。
(私だったら、口約束でも全く構わないのに)
などと思うのを、口から出してしまわないようにして。
「そう、か」
ゼルギウスはしばらく、黙っていた。それから、
「……ありがとう」
そう微笑んで、食事を再開した。
その後食事が終わるまで、シェスティは何も言えないでいた。




