深夜放送
芦沢はキンブル、坂部と別れ、そのまま瑞穂のいるI高原に向かった。瑞穂と約束をした時間はとうに過ぎていたが、途中「ユニティ」に連絡を入れて、瑞穂に帰らず自分を待っていてくれるよう頼んでおいたのだ。
芦沢にとって瑞穂と会ことは、総理に面会することより数倍の緊張と、裏腹な期待、そして喜びに満ち溢れていたていた。
「私の母はドイツにいたのですよ。私もドイツ産まれなのです」
ペンション「ユニティ」のオーナー大川誠一は50歳になったばかりと聞くが、瑞穂には、それより少し年配に見えた。
「1926年くらいのお生まれ・・・・ということですね」
「そう、昭和2年ですね・・・・・父も母もドイツのある機関で働いていました。その頃は世界も比較的安定していたのです」
「ある機関?」
「そうなのです。日本とドイツの国民性は、実に良く似ています。よく言えば自国至上主義、悪意に取れば・・・・・ご存知のように他国を排除する、ナチスのような組織を作り、国民も皆それに従います」
「私には良くわかりませんが・・・・確かに私も、ドイツのカメラがしっくりくるのでローライなんかを使っていますものね」
「私は3国同盟で日本とドイツ、イタリアが同盟国になった頃に母と帰国しましたが、そのときドイツには100や200の大きな飛行船や、翼の無い飛行機、それに核爆弾など、世界にとっては脅威になる恐ろしい軍事目的の兵器が、当時の世界の予想をはるかに上回る規模で用意されていたんですよ」
「その飛行船は日本にも来たのですか?!」
「1920年代に来ています。そのときは・・・・・・」
「どんな目的で??」
「アメリカに核爆弾を投下する目的で来ていたという話を、父から聞きました」
「1920年代にドイツは核爆弾を持っていたのですか?!でもなぜアメリカに落とさなかったのでしょう?」
「アメリカは1929年にニューヨーク株価の大暴落を起こし、ドイツが叩くまでもなく、自らが国家存亡の危機を迎えていたからです」
「では、そのときアメリカがドイツに奇襲されていたら、今頃アメリカは・・・・・」
「まず今頃は、アメリカなど消滅していて、日本はいまだ軍の支配下にあり、我々も国民服など着ていたでしょうね」
「まあ、嫌ですわ。日本が戦争に負けて良かった」
「そう思われますか?」
「ええ、もちろん・・・・・大川さんは、そうお思いになりませんの?」
「わかりません。しかし、今後30年・・・日本は徐々に行き詰まるように思います。それは・・・もう手に入れるものが無いからです」
「買えないものが無いほどですものね・・・・・確かですわ」
「太平洋戦争のときに、ドイツのラジオの深夜放送を傍受したアメリカは、ドイツ国内で毎晩行われているオーケストラの生演奏に、その国勢が衰えていないことを感じ、ドイツには攻撃を仕掛けず、そのしわ寄せが日本に及んだ、ということの顛末です。しかし・・・・その生演奏、実はドイツが世界に先駆けて開発したテープレコーダーに吹き込まれた、レコードとは天と地ほど差のあるクリアーな音質の演奏であったことを、アメリカは想像すらできなかったのです。敗戦国でありながらドイツではカメラのライカ、車ならワーゲン・・・・と、世界のどんな先進国よりも安価で、壊れにくい傑作を、いまだに販売しています。しかし、日本には、そのようなものがありません。皆物真似です。物真似が終わったときに、日本の存在理由が終わるのですよ」
大川の顔は憂いに満ちていた。それが瑞穂の心に複雑な思いの風を吹き込んだ。。
芦沢はおよそ2時間後、ペンションに到着すると大川に、瑞穂と自分の部屋を取るよう頼んだ。
「あいにく・・・・本日は満室で、一部屋しかご都合できそうにないのですが・・・」
ペンションの駐車場には芦沢のクルマ以外は一台のセダンしか止まっていなかった。
「忙しいのですか?」
「これから来られるお客様が・・・・」
「そうですか。弱ったな」
「ご一緒・・・・というわけにも参りませんよね?」
大川が瑞穂に聞いた。
「そ、そりゃマズイでしょう・・・」
芦沢が冷静さを失って提案を打ち消しにかかったが、
「私は・・・私はご一緒で構わないかもしれません・・・変ね、この言い方・・・ハハ」
瑞穂は案外落ち着いていた。
「芦沢さんはいかがですか?」
大川が聞いた。
女性が構わない、というのに対し、男としてそれを拒むなどありえない。
「私もいい・・・・かもしれません」
大川は笑いをこらえながら、
「では・・・そのようにお願いできれば私としても助かります、恐れ入ります」
そのように礼を言った。
しかし、それはもちろん大川の粋な計らいで、客室はガラガラであった。
瑞穂はその夜、芦沢とベッドを共にしたが、そこに緊張はなく安心と、そして幸福の漂う静かな夜に二人は包まれていた。
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