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ヒンデンブル  作者: 中矢良一
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海行かば


 瑞穂の操舵するモーターボートは、夕日を背にしてさすがに高級ボートである、水面を勢いよく切って進んでいるはずなのに、まったくそれを感じさせない滑らかな乗り心地で、目的地にはものの15~6分で到着した。

 S裏の港には、漁船が何艘も停泊していた。

 その一角には木島の知り合いの漁師が経営する海産物店が、大きな店を出していた。瑞穂も顔見知りである。下船すると瑞穂は芦沢を伴い、その店で鯵の干物の真空パックとみかん色をした瓶詰めのウニを一瓶、それにイカ徳利を買った。

「あまり深酒はいけませんわよ」

 芦沢にそれら全てを渡して、瑞穂はその店の2件隣に建つ、洒落た洋風レストランに向かってスキップのような、そうでないような・・・しかし胸弾ます少女のように走っていった。芦沢もその後をゆっくり歩いてついていった。


(ARTANIS)アルタニス


 店の看板にはそのように書いてあった。

 夕刻ではあったが、比較的暖かい初春の一日であったため冷え込みはなく、2人は店の外にある30畳ほどの白一色のウッドデッキに席をとり、水色に塗装された直径一メートルほどの木製丸テーブル備え付けの、ゆったりとした肘掛け椅子に向かい合って座った。


「いらっしゃいませ・・・・・」

 フランス料理であるのかイタリア料理であるのかはともかく、その出で立ちは、まさしくシェフ。清潔そうな真っ白い調理服、それと腰の辺りに巻かれた少し黄ばんだ前掛が、そのキャリアの深さを物語っていた。

「お勧めで・・・・・・」

 瑞穂が言った。

「そちら様も??」

 シェフが聞いた。

「ああ・・・同じものを。ところで、ARTANISとはどういう意味ですか?」

「はあ・・・・・・お聴きの曲はご存知でしょうか?」

 芦沢は屋外スピーカーから流れる男性歌手の(Day by day)をもちろん知らぬはずはなかった。彼はその歌手の大ファンでもあったからだ。

「ああ!!なるほど、SINATRAフランク・シナトラですね!アルファベットを逆に・・・・・」

「その通り、さすがにお嬢様のお連れ様でいらっしゃいますね」

シェフは笑顔で会釈をすると、厨房へ戻って行った。

 フランク・シナトラ(FRANK SINATRA)・・・・アメリカの大スターである。

 終戦を12歳で迎えた芦沢、その父親は海軍の士官で、残念ながら戦死したのであるが、芦沢本人は、アメリカ嫌いではなく、むしろアメリカ占領下の日本で、ジャズを始め西洋文化の目覚しい発展振りに傾倒し、西洋志向の青春時代をすごしてきた。

 その中に欠かせない存在としてシナトラがいた。


「海行かば・・・・・という歌をご存知ですか?」

 芦沢が瑞穂に聞いた。

「いいえ」

「海の上で戦死しますとね、その亡骸は海に流すのですよ。そのときに戦友が亡き友を送りながら歌う歌なのです」

「悲しいお歌ですね」

「父もそうしてこの広い海のどこかに葬られています。海に生きた男にとってはそれが本望なのでしょう」

「・・・・・・・・・・」

「あ、いや失礼・・・・そんな話しではない・・・つまりですね、このシナトラ・・・・」

 芦沢は瑞穂の潤んだ瞳を見て言葉に詰まり、そして自分も切なさでいっぱいになってしまった。

 カサゴのパイ皮包みにエビや野菜のゼリー寄せ、冷たいポテトのスープが品良く並べられ、無言で海を見詰めていた瑞穂の

「まあ、美味しそう!!」

 という一声で、そのいささか重苦しい2人の間の空気が一掃された。

「もう悲しい時代は終わりましたわね」

「私もそう思いますよ。泣いてくださってありがとう」

「私、泣いてなどおりません。泣いたことなど一度もありませんもの」

「それは無理です。おギャーと泣いて生まれてくるのですよ、人間は皆・・・」

「私はニャーといって産まれましたの・・・」

「なるほど、子猫ちゃんというわけですね、今でも・・・」

「そう、30の子猫・・・化け猫かしら・・・あらいやだわ、そんなの」

 瑞穂はおもむろにハンドバッグからコンパクトを出して、顔をなおした。

 芦沢は、このとき、瑞穂を強烈に欲しいと思った。


 食事が終わる頃、一人の漁師が瑞穂と芦沢のテーブルにやってきた。

「お嬢さん今晩は。お客様ですか?」

 と、芦沢に照れの入った笑顔で会釈した。ほぼ芦沢と同年輩に見えるが、その顔色はさすがに真っ黒に日焼けしていた。

「ええ、父のお客様といったほうが、よろしいかしら・・・・・」

 なんとなくその漁師に対する遠慮がちな言葉で、芦沢はこの漁師が瑞穂に好意を抱いているのではないかと思った。それを察した瑞穂が、差し障りのないように呟いた一言であるような気がした。

「少々お聞きしてもかまいませんか?」

 芦沢が漁師に向かって言った。

「ああ、いいよ・・・俺は田上清。ご覧の通り漁師で土産物屋の息子で」

「私は芦沢啓二です。家具屋をやっています。宜しくお願いします。それで、お聞きしたいことなのですが・・・・・・」

「うんうん、何だね?」

「もしも、もしもですよ、この沿岸に飛行機の類が墜落したら、このあたりの漁師さんはすぐに救援に向かいますか?」

「そりゃ、あんた・・・・当たり前だよ。知らん顔してるやつがいたら村八分になっちまう」

「そうよね~せいさんは特にね」

瑞穂がくすっと笑った。

「またそれですかあ??参っちゃうな~」

「芦沢さん、この清さんはね、セスナのライセンスも持っているのよ」

「ほう!それはすごいですね!」

「でね、操縦中にあの辺に・・・・・・」

 と瑞穂は指差し

「着水しちゃったの・・・・・みんなに救出された第一号・・・・・」

「ン?、ンッ・・・というわけだ。だから俺は親の葬式があっても、その救援が先ですわい」

「なるほど・・・・貴重な経験をなさいましたな~。例えば50人の乗員がその飛行機の類に乗っていたとしますね、それでも助けは可能ですか?」

「あんた、漁船の数見てみなよ。50なんてものの数の内にゃ、入らないよ」

「可能ですね?」

「もちろんだ!・・・しかし、この上を米軍以外に飛行機が飛ぶのかね?」

「かもしれません。飛行機ではないかもしれませんが・・・・・」

「なんか知らんが・・・危ねえ話には首突っ込まねえように、お嬢さん頼んます」

「もちろんです。この話は・・・・このS浦にも発展をもたらしますよ、絶対に・・・」

「そうかい・・・・・・お前さんを信じるよ・・・じゃ、俺はこのあたりで・・」


 田上清は、肩を怒らせ気味に帰って行った。


「いい人よ彼・・・・」

 瑞穂は一言そう言って、運ばれてきたコーヒーに口をつけた。


             *


 飛行船は木島邸への帰途にあった。

「この船が限界ですか?、やはり・・・・・」

 木島はキンブルに聞いた。この乗船定員では採算が取れそうにないと思ったからだ。

「ノー!・・・大丈夫。しかし、大型化には条件が付きます」

「どんな条件ですか?」

「I沢駐屯地への寄港です。乗客を乗せてI沢駐屯地に一時寄港していただきます」

「何のためにですか?かえって機密保持の観点からは、まずいのでは??」

「いいえ、ある物を運ぶのに利用します」

「ある物?」

「今はご存じにならぬ方がよいでしょう。現在でも時たま寄港の際には・・・YS港での反対運動など、茶番です。」

「君・・・・それはひょっとして・・・・・」

キンブルは無言のまま、両手で爆発の仕草をしてみせた。


・・・・・・・・・・・次回に続く


「ヒンデンブル ・・・ 第21話(日本・・・神風)」へ


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