第1話 いいね0。様子見だな。
「三百万」
向かいに座る男が、もう一度言った。
聞き間違いではなかったらしい。
薄暗い店内。
壁には見たこともない獣の頭蓋骨が並び、天井から吊るされた青白いランプが、俺たちの間に置かれた一本の剣を照らしている。
鞘には金。
柄には赤い宝石。
刀身には読めない文字。
どう見ても高そうだった。
というか、たぶん高い。
ものすごく高い。
「……三百万、ねえ」
俺は腕を組んだ。
男の眉が動く。
「不満か?」
「いや」
不満ではない。
問題はそこじゃない。
俺はテーブルの下でスマホを開いた。
圏外。
当然だ。
ここに来てから一度だってアンテナが立ったことはない。
だが――
画面の右下には、いつもの丸いアイコンが浮いていた。
俺は小声で話しかける。
「どう思う?」
数秒。
画面に文字が現れた。
《比較対象がありません。》
「だよな」
《同一商品の取引履歴も確認できません。》
「だよなぁ」
向かいの男が怪訝そうにこちらを見る。
「先ほどから何をしている?」
「気にしないでくれ。こっちの話だ」
再びスマホを見る。
「三百万だってよ」
《判断材料が不足しています。》
「王国の至宝らしい」
《出品履歴は?》
「ない」
《販売履歴は?》
「ない」
《購入希望者は?》
「目の前に一人」
少し間が空いた。
そして表示された。
《いいね0。様子見だな。》
吹き出しそうになった。
「お前な……」
「何がおかしい!」
男が立ち上がった。
腰の剣に手をかける。
こいつ、話し合いの最中に普通に武器触るんだよな。
この世界では珍しくない。
俺も最初の頃はいちいちビビっていた。
今はもう慣れた。
たぶん慣れちゃいけないことにも、かなり慣れた。
「悪かった。で、三百万ってのは何の三百万だ?」
「当然、金貨だ」
やっぱり。
俺はため息をついた。
円じゃねえのかよ。
「金貨三百万枚?」
「そうだ」
「……重くない?」
「そこか?」
そこだろ。
金貨一枚の重さを仮に十グラムとして――
いや、やめよう。
計算するだけ無駄だ。
この世界の人間は時々、物流という概念を忘れる。
スマホを見る。
《約30トンです。》
「計算すんな」
《聞かれると思って。》
「聞いてねえ」
男が再び眉をひそめる。
「先ほどから、その黒い板と何を話している?」
「相棒」
「魔道具か?」
「似たようなもんだ」
《雑な説明ですね。》
うるさい。
俺は画面を伏せた。
そして剣を見る。
これを手に入れるまで、三週間かかった。
途中で二回死にかけた。
一回は巨大な鳥。
もう一回は値下げ交渉。
後者の方が面倒だった。
出品者――というか、この剣を持っていた爺さんは最初、金貨五百枚と言った。
俺が三百を提示したら怒った。
「四百だ」
爺さんが返してきた。
断った。
「……三百五十」
それも断った。
翌日。
爺さんの方から三百でいいと言ってきた。
商売とは、そういうものだ。
欲しい顔をした方が負ける。
もっとも、その翌日に爺さんが、
「やっぱり四百」
と言い出した時は、さすがに帰ろうかと思ったが。
最終的な仕入れ値。
金貨三百二十枚。
そして今。
提示額。
金貨三百万枚。
単純計算なら九千倍以上。
笑いが止まらない案件――
ではない。
こういう時ほど疑う。
うますぎる話には、だいたい何かある。
俺は男を見る。
「なんでそんなに出す?」
「それが必要だからだ」
「答えになってない」
「貴様には関係ない」
「じゃあ売らない」
「なに?」
「理由を言えない相手に売るほど困ってない」
本当は困っている。
めちゃくちゃ困っている。
向こうの世界では、昨日カードを買いすぎた。
今月の請求額は見なかったことにしている。
だが、ここでそれを顔に出したら負けだ。
商売とはハッタリである。
たぶん。
男が黙った。
俺も黙る。
スマホも黙っている。
珍しい。
三十秒。
一分。
やがて男がゆっくり椅子に座った。
「……この剣は、鍵だ」
「鍵?」
「ああ」
「何を開ける」
男は答えない。
代わりに、店の入口へ視線を向けた。
その瞬間だった。
――ドン。
扉が吹き飛んだ。
「伏せろ!」
男が叫ぶ。
俺は反射的にテーブルの下へ潜った。
剣が床に落ちる。
スマホも落とした。
「おい!」
拾おうと手を伸ばす。
その画面に、見たことのない表示が出ていた。
《警告》
《未登録商品の市場接続を確認。》
「……は?」
《価格情報を取得します。》
待て。
そんな機能、知らない。
そもそも――
こいつは、この世界の商品価格なんて分からないはずだ。
《取引履歴:1件》
心臓が止まりそうになった。
ある。
この剣の取引履歴が。
画面をタップする。
購入日時。
表示なし。
購入者。
表示なし。
販売者。
表示なし。
価格。
――金貨三百万枚。
俺はゆっくり顔を上げた。
目の前の男を見る。
「……お前」
男の顔から、血の気が引いていた。
「なんで、もう売れたことになってる?」
返事はない。
代わりにスマホが震えた。
もう一行。
《取引完了まで残り――》
数字が表示される。
00:09:59
十秒ほど、誰も動かなかった。
そして相棒が、いつもの調子で表示した。
《残り10分です。購入しますか?》
「いや」
俺は剣を拾った。
「まず逃げるぞ」
店の奥から、何かが壁を突き破った。
今日もどうやら、
出品どころではないらしい。




