第1章:3.4 荒廃した村落の覗き見と足音
背後にいた玥映嵐は、闕恆遠の身体が一瞬わずかに強張ったのを敏感に察知したようだった。
名門一族の令嬢として育った玥映嵐は、商業交渉において天性の鋭い嗅覚を備えている。彼女は即座によどみない足取りで半歩前に進み出ると、闕恆遠の斜め脇に並び立ち、冷淡で気品に満ちた声音で口を開いた。
「亭主、」
「商いとは信義をもって行うものよ」
「私たちは難に遭った身とはいえ、」
「世間知らずの愚か者ではないわ」
「土くれと石、茅で塗り固めただけの田舎の粗末な小宿で、」
「最上階の屋根裏部屋には暖炉もなければ柔らかな長椅子もない」
「通りすがりの旅人なら、せいぜい二、三銅銭も出せば一泊できるはずよ」
「開口一番に銅貨1枚を要求するだなんて、」
「このサン・ミ村の土地を、」
「王都よりも値打ちがあると思い違いをしているのではないかしら」
玥映嵐の言葉遣いと立ち振る舞いはどこまでも端整で優雅であり、その一言一言に誰も無視できない威厳が満ちていた。老ジョンは完全に気圧されてしまっていた。
老ジョンは引きつった笑いを二度ほど漏らし、慌てて額に滲んだ冷汗を拭った。
「こ、こちらの奥方様は実にお目が高い……」
「お目が高いんで……」
「で、では……」
「こういたしましょう!」
「お二方のただならぬご気品に免じやして、」
「最上階の屋根裏部屋は、」
「一泊10鉄貨で手を打ちやす!」
「こればかりは正真正銘の底値でさあ!」
「これ以上はびた一文まかりやせん!」
――10鉄貨。
その数字を耳にした瞬間、闕恆遠の胸に凄まじい安堵が押し寄せ、心の中で密かに冷汗を拭った。
まさに、彼の最後の手持ち残高と寸分違わず一致していたのだ。
「分かった」
闕恆遠は表情を微塵も崩さずに頷いた。
彼はローブのゆったりとした袖口の中へと手を差し入れ、何かを探り出す素振りを装いながら、指先でスマホの画面にある『出金:10鉄貨』を手早くタップした。
――ブゥン、と微かな空間の震えが袖の中で閃いた。
縁が擦り切れ、くすんだ青銅の錆を帯びた薄い金属片が、闕恆遠の手のひらの中に忽然と実体化した。
闕恆遠は平然とした面持ちで手を引き抜くと――チャリン、と澄んだ音を立てて、その青銅の破片をカウンターの天板へと弾き置いた。
「宿代だ」
老ジョンは飛びつくようにその金属片を鷲掴みにし、袖でゴシゴシと擦ると、そのまま口に放り込んで前歯で力任せに噛み締めた。
それが紛れもない本物の良質な銅であると確かめると、亭主の顔にはこれでもかと皺を寄せた卑屈な笑みが浮かび上がった。
カウンターの奥から錆びついた大きな鉄の鍵を慌てて引っ張り出すと、恭しく両手で差し出してきた。
「へへっ、まいどあり!」
「旦那、鍵をどうぞ!」
「階段はフロアの一番奥にございやす」
「三階まで上がって、突き当たりがその部屋でさあ!」
「何かご入り用のものがございやしたら……」
「いつでもお呼びくだせえ!」
闕恆遠は冷たい鉄の鍵を受け取ると、大広間にいる下心に満ちた客たちには目もくれず、背を向けて四人の少女たちを庇いながら、奥にある薄暗い木製階段へと足早に向かった。
軋んだ悲鳴を上げる古い踏み板を踏みしめ、五人は一筋に上へと登り詰めていった。
三階の突き当たりにある、カビの浮いた薄っぺらな木戸を押し開け、滑り込むように中に入って重い鉄のかんぬきを降ろした瞬間――ようやく世界から喧騒が消え去り、静寂が戻ってきた。
部屋は息が詰まるほどに狭小だった。
床の上に敷かれた黄ばんだ干し草とざらついた粗筵、そして隙間風がヒューヒューと吹き抜ける破損のひどい木枠の小窓を除けば、家具の類など何一つ置かれていない。
「ふぅ……っ」
伊凝雪は全身の力が抜けたように扉の背板に身を預け、激しく胸を上下させながら、胸元を撫で下ろして深く息を吐き出した。
「怖かったぁ……」
「さっきの一階、」
「あの男たちの目、まるで私たちを生きたまま丸呑みにしようとしてるみたいだったよぉ!」
「恆遠、」
「映嵐さん、」
「さっきの二人、本当にすっごく格好よかったわ!」
千慕羽は白く細長い指先を伸ばし、埃と草屑にまみれたざらつく粗筵を少しばかり嫌そうにつまんでみせると、美しい眉をひそめた。
「今夜……」
「私たち五人、本当にこんなところで身を寄せ合って寝るの?」
「この筵、どう見ても三人寝転がるのが限界よ……」
悦清禾は窓辺へと歩み寄り、清らかな瞳で西へと傾き始めた夕陽を見つめた。
その声は落ち着いていたが、かすかな切迫感を帯びていた。
「これが今の私たちに勝ち取れる最善の条件よ」
「けれど、あの銅の破片を使い切ったことで、」
「私たちのスマホの口座残高は……」
「完全にゼロになってしまったわ」
悦清禾は振り返り、薄暗い部屋の光の中で闕恆遠と視線を交錯させた。
「闕恆遠、」
「もし明日の夜が明けるまでに新しいお金を稼ぎ出せなければ、」
「私たちはこの粗末な屋根裏部屋を追い出されるだけでなく、」
「飢えを凌ぐための硬い黒パンの一片すら買えなくなるわ」
狭苦しい屋根裏部屋の中へ、壊れた窓の隙間から夕陽の最後の残照が差し込み、斑な土壁の上に五人の影を長く、重々しく引き伸ばしていた。
野蛮と未知が渦巻くこの寒村に、間もなく夜の帳が降りようとしていた。




