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救った少女に嫌われた

「お姉さま、どうして助けてくれなかったの?」


その言葉を聞いたとき、リディアは何も言えなかった。


七歳の春だった。

庭の石段から転げ落ちた妹のエミリアは、膝から血を流して泣いていた。

屋敷の使用人たちは慌てて駆け寄ったが、リディアには分かっていた。


自分なら治せる。

右手をかざせばいい。

幼い頃から、リディアには不思議な魔力があった。

淡い銀色の光が手のひらからこぼれ落ちる。

その光に包まれれば、傷は消える。

母に教えてもらった魔法だった。


「リディア。あなたの魔法は、人を助けるためにあるのよ」


母はいつもそう言っていた。

だから、その日も。

リディアは妹の前にしゃがみ込んだ。


「エミリア。痛い?」


「いたい……」


「すぐ治すからね」


幼い指先から、銀色の光がこぼれる。

血が止まった。

裂けていた皮膚がゆっくりと閉じていく。

エミリアは泣き止んだ。


「……もう、痛くない」


リディアは嬉しかった。

助けられた。

母の言っていた通り、自分の魔法で誰かを笑顔にできた。


けれど、その日の夕方。

エミリアはリディアを見るなり、顔を歪めた。


「嫌い」


「……え?」


「お姉さまなんて、大嫌い」


理由は分からなかった。

何度尋ねても、エミリアは答えてくれなかった。

翌日から、妹はリディアを避けるようになった。


その一週間後。

庭で転んだ使用人の息子を治した。

その少年も、翌日にはリディアを見るだけで顔をしかめるようになった。


さらに一月後。

高熱を出した母を治した。

母は助かった。

けれど、目を覚ました母が最初に口にした言葉は、


「どうして、あなたがここにいるの?」


だった。


それが始まりだった。

人を助けるたびに、嫌われる。

最初は偶然だと思った。

次は自分の態度が悪いのだと思った。


けれど、十人。

二十人。

三十人。

助けた人間が、誰一人として例外なく自分を嫌うようになっていくにつれ、リディアにも理解できた。

魔法の代償なのだ。

人を救うほど、その人から向けられる好意が削られていく。


魔術師に調べてもらった結果、その性質は正式に確認された。

治癒魔法。

結界魔法。

浄化魔法。

リディアが使える魔法には、すべて同じ代償があった。


――他者からの好意。


だからリディアは、魔法を使わなくなった。

十歳の頃には、屋敷の中でもほとんど口を開かなくなった。

十三歳になる頃には、社交界で「冷たい令嬢」と呼ばれていた。

十六歳になった今では。


「人を助けないアストレア公爵令嬢」


それが、彼女の評判だった。

そして、それでいいと思っていた。

嫌われるくらいなら。

誰かに手を伸ばさなければいい。

誰かのために魔法を使わなければいい。

そうすれば、少なくともこれ以上傷つくことはない。


その考えが変わったのは、王都で開かれた春の夜会の日だった。

大広間には、煌びやかな衣装をまとった貴族たちが集まっていた。

リディアは壁際に立ち、手にしたグラスを眺めていた。


「ねえ、あの方が噂の……」


「そう。アストレア公爵令嬢」


「魔法を使うと、人に嫌われるんでしょう?」


「だったら、あまり近づかないほうがいいわね」


聞こえてくる声には慣れていた。

リディアは何も聞かなかったことにする。

そのときだった。


広間の中央で、ざわめきが起きた。

一人の令嬢が倒れたのだ。


「きゃあ!」


「誰か、医師を!」


「呼吸が浅い!」


周囲が一気に騒がしくなる。

リディアは反射的にそちらを見た。

倒れた令嬢の胸元に、小さな赤い魔力の痕が見える。


毒ではない。

魔力暴走による呼吸障害。

このままでは危険だった。


リディアの指が、わずかに動いた。

助けられる。

魔法を使えば。

けれど。


その瞬間、昔の記憶がよみがえった。

――嫌い。

――あなたなんていなければよかった。

――どうして助けたのよ。

妹の声。

母の声。

かつて助けた人たちの顔。

リディアは手を握り込んだ。


「……私には、何もできない」


そう呟いた。

その直後。


「どいてください」


低い声が響いた。

人垣を割って、一人の男が現れた。


黒い髪。

細身の長身。

王宮魔術師団の紋章をつけた濃紺の外套。

エドガー・ヴァレンタイン。

若くして王宮魔術師団の副団長を務める男だった。

彼は倒れた令嬢を一目見ると、眉を寄せた。


「魔力が肺に入り込んでいる」


「治せるのですか?」


「僕一人では難しい」


そう言って、エドガーは周囲を見渡した。

そして。

なぜかリディアと目が合った。


「……あなた」


リディアは視線を逸らした。


「私には無理です」


「まだ何も聞いていませんが」


「治癒魔法を使えば、私はその人に嫌われます」


一瞬。

エドガーは黙った。

周囲から小さな笑い声が漏れる。


「やっぱり噂通りだ」


「人を助けることすらできないなんて」


その言葉が胸に刺さる。

分かっている。

自分がそういう人間になったことくらい。

けれど。

エドガーだけは笑わなかった。


「嫌われることが怖いんですか?」


「……違います」


リディアは答えた。


「私が魔法を使ったせいで、その人が私を嫌う。それが分かっているのに、助けるのが怖いんです」


エドガーはしばらく彼女を見ていた。

やがて、静かに言った。


「なら、僕が手伝います」


「え?」


「あなたが魔法を使ってください。僕が魔力を制御する」


「でも……」


「死ぬより嫌われるほうがいいでしょう」


「……」


その言葉に、リディアは倒れている令嬢を見る。

胸が小さく上下している。

苦しそうだった。

助けたい。

その気持ちは、まだ消えていなかった。

ただ、怖かった。


「……分かりました」


リディアは令嬢の前にしゃがむ。

手を伸ばす。

銀色の光が指先から溢れた。

エドガーの魔力が重なり、暴走した魔力を押さえ込む。

そして。

令嬢の呼吸が、ゆっくりと戻った。


「息をした!」


「助かった!」


歓声が上がる。

リディアは安堵して立ち上がった。

けれど。

その瞬間だった。

エドガーが、彼女の手首を掴んだ。


「どうしました?」


「魔力が、逆流した」


「え?」


リディアの魔力が彼の腕を伝っている。

けれど。

普通なら、魔法を受けた相手の中に残るはずの魔力が、なぜか彼の中で奇妙な動きをしていた。

エドガーは目を細める。


「おかしいな」


「何が?」


「あなたの魔法を受けたのは、今が初めてです」


「……そうでしょうね」


「なのに」


彼は、ほんの少し笑った。


「あなたに対して、嫌な感情がまったく湧いてこない」


リディアは息を止めた。

それだけなら、まだ偶然だと思えた。

けれど。

エドガーは続けた。


「むしろ――」


彼は自分でも不思議そうに、リディアを見つめる。


「もっと、あなたのことを知りたくなりました」


リディアの胸が、大きく跳ねた。

そんなことを言われたのは。

生まれて初めてだった。


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