第56話「信念の対峙」第三部
湿った森の奥深くで二人きり。西宮は顔の赤みを隠そうと無駄な抵抗を続けていた。
もし竜斗がその紅潮に気づいたとしても、彼の論理なら「体温と冷たい雨との寒暖差のせいだ」と確実に結論づけるだろう。
二人は深い沈黙に沈んでいた。切り落とされた枝を道の脇へ放り投げる作業だけに、ただひたすら意識を集中させていた。
作業を終え、濁った雨の下で一息つく。厚い葉の天蓋が雨粒を砕いていたが、残った太く冷たい水滴が二人のレインコートに激しく打ち付けていた。
バチバチッ!
竜斗は、宮村が去っていった道をじっと見つめ、彼女の帰りを待っていた。木々の隙間からは、崩落現場の痛々しい光景がまだ視界に入ってくる。
一方、西宮は地面を凝視していた。顔が熱く煮えたぎり、隣の彼の方を向くことも、同じ景色を眺めることもできずにいた。
ドクンッ、ドクンッ
心臓が激しく打ち鳴り、肋骨に痛いほどの衝撃を走らせる。
(どうして?)
彼女は、ゴクリと息を呑んだ。
その瞬間、竜斗が体を反転させ、フェンスで囲まれたエリアの内側へと歩き出した。西宮の青い瞳が、彼の動きを追う。
「この木の傘なら、雨の大部分を防げます……ここで待つ方が賢明ですよ、先輩」
「あっ!」彼の無気力な視線と交わり、彼女は驚きの声を上げた。「は、はい……っ」
彼女は距離を縮めた。二人は境界のフェンスから数メートルの場所にある、堂々たる大樹の太い枝葉の下に身を寄せた。
竜斗の注意を奪い、あの古い幹の領域へと彼を踏み込ませた本当の理由は、その『景色』だった。
荘厳な風景が彼らの前に広がっている。日本アルプスに縮こまるように抱かれた街、深い深緑の松の海に覆われた急斜面、そして、残酷なまでに真っ二つに折れた、古く見捨てられた鉄道橋。
「本当に……綺麗な景色ですね……」竜斗が呟いた。
すぐに西宮も彼と並んだ。慎重な距離を保ちながら。親密に見えるほど近くなく、かといって他人に見えるほど遠くもない距離。
「本当ね……」
ザワザワ……
葉に砕ける雨粒が優しいざわめきを作っていた。その音は二人の声を包み込みながらも決してかき消さず、一つ一つの水滴が落ちる音を完璧な鮮明さで響かせていた。
目の前の灰色の景色は、遠くの街を濃い霧が飲み込んでいく様子を映し出していた。灰色と茶色、そして濡れた緑の広がりの中で、内気で怯えたような顔の赤みが、その風景と強烈なコントラストを描いている。
「三浦くん……」
「はい?」
「あのね……私……」彼女の声は低かった。体の前で手を神経質にこすり合わせながら、戸惑う視線は街に釘付けにされていた。「……好きな……男の子がいるの……」
「どうして、僕にそれを?」
カァァァッ!
その言葉を聞いて、彼女の顔が爆発したように赤く染まった。声は喉の奥で死に絶え、狂ったような速度で打つ心臓のせいで胸が痛む。呼吸が詰まった。
それでも、彼を直視することはできなかった。
「……つまり、僕は恋愛相談に乗るには、最も不適格な人間だと言いたいんです」
「あっ……」胸の締め付けが徐々に和らぎ、安堵が彼女の体を包み込んだ。それと同時に、ほんのわずかな失望の痛みが混じる。「……うん……実は……月島くんとの会話、聞いちゃって……。彼女がいるって言ってたから……だから……三浦くんはそういう経験があると思って、アドバイスが欲しかったの……」
竜斗は無言のまま、橋へ向けた揺るぎない視線を外さなかった。
「よく分かりません」数秒の静寂の後、彼は口を開いた。「恋愛関係なんて、一度も興味を持ったことがなかった。つい数週間前まで、僕に彼女ができるなんて想像すらできなかった」
西宮は驚きに目を丸くした。頬の赤みはまだ引かず、やはり彼を見つめることはできない。
「正直に言うと、僕が彼女にふさわしい人間なのかどうかすら分かりません。『クラスの静かで変な奴』……学校の内外を問わず、友達もいない。初めて僕に話しかけてくれた女の子に恋をしてしまった……哀れなくらいです。僕には、彼女への感情を正当化できるような、あるいは彼女が僕を好きになるような特別なところなんて何もないんです」
彼は視線を落とし、自らの掌を見つめた。
「毎日自問しています……僕が彼女に見合っているのかと。自分の感情すら正しく理解できていない……恋をするという意味すらずっと知らなかった。いや、今この瞬間でさえ、僕が恋をしているのかどうか、分からないんです……」
だが、少女は街を見つめ続けていた。
「すみません」彼は突然そう言った。「こういうことに関して、僕は全く役に立ちません、先輩……」
「ううん、いいの……」彼女は穏やかな微笑みを浮かべて答えた。「三浦くんが私に心を開いてくれて、嬉しいから」
「申し訳ないです……」
彼女は再び微笑んだ。目に見えて安心したように。
(私だけじゃないんだ……自分の感情を理解するのに苦しんでいるのは……)
「大丈夫……それを聞けただけで、すごく助かったから」
「とてもそうは思えませんが……」
今度は、彼女から低く短い笑い声が漏れた。
その間も、一度も彼の顔を見ることはなかった。二人はそこにとどまり、景色を眺めていた。青い瞳は街の光を反射し、茶色い瞳は橋の廃墟を映している。
「どうしてここは立ち入り禁止になっているんですか?」
「たぶん、崖のせいだと思うけど」
「その理屈なら、他の崖だって全部フェンスで囲まれてなきゃおかしいわよ、三浦くん」
「確かに……」
降り続く雨の中、二人はあの木の下で雨宿りをしていた。ただ、見つめながら。
「待たせちゃってごめんねー!」背後から、女性隊員の声が響いた。「あっ!二人ともこんなとこにいたんだ!隠れて何してるのー?」宮村は、イタズラっぽい笑顔を浮かべて尋ねた。
「宮村さん。なぜここは隔離されているんですか?」竜斗は単刀直入に尋ねた。
「えっ?」宮村は不意を突かれて反応した。少年の声の響きは氷のように冷たく、彼女が慣れ親しんでいたものをはるかに超える冷徹さに満ちていた。「えっとね……実は……」宮村はゴクリと息を呑むと、姿勢を正し、少し暗く厳粛なトーンを作った。「ここは警備隊によって閉鎖されたの。たくさんの人が、ここで自殺しようとやって来てたから」
竜斗の唇が微かに開いた。
西宮は目を丸くする。しかし、彼女の視線は遠くの都市に固定されたままだった。
「何十人もの人が、まさにこの場所で自分の人生を諦めちゃったの。だから、警備隊がこの周辺を封鎖したってわけ」
「それは……深く悲しいことですね……」西宮がぽつりと呟いた。
「……僕には理解できない」竜斗が突然宣言した。その唐突な言葉に、宮村は後ろから彼を見つめたが、背を向けた少年の表情を読み取ることはできなかった。「どうして、人は自分の人生をそんなに簡単に放棄できるんです?それも、あれほど多くの責任を背負っているにもかかわらず」
「多くの場合ね……」宮村はためらいがちに口を開いた。「ほとんどのケースでは、その責任という圧倒的な重みこそが、人々を諦めへと追い詰めてしまうのよ、三浦くん……」
(どうして?)
彼の手が、強く握りしめられた。ギュッ。
(なぜ、自分の存在に依存しているすべての人々を見捨てられるんだ?人間は、そこまで利己的になれるものなのか?)
明るく愛らしい笑顔を浮かべる妹、咲の姿が記憶をよぎった。
(僕には理解できない……)
続いて、自分に向けて微笑む真琴の眩しい姿が具現化する。
(……『諦めることが一番簡単な道だ』と人は言うけれど……)
最後に賢進の顔が浮かんだ。その顔に刻まれた絶対的な疲労にもかかわらず、あの揺るぎない温かい笑顔を浮かべている。
「三浦くん?」宮村が、心配そうな声をかけた。
その瞬間、ついに西宮が彼の方へと顔を向けた。
彼女の思考はまだ先ほどの会話に浸っていた。自分の感情について思いを巡らせ、彼の声のトーンが、あの冷徹な彼にしてはどれほど穏やかで、甘さに近いものであったかを思い出していた。
しかし、彼女は完全に間違っていた。
彼女の青い瞳が、ショックで大きく見開かれた。
竜斗の顔は、冷たさと距離感、そして純粋な無関心の仮面を被っていたのだ。彼の目は絶対的な虚無へと沈み込み、いかなる意志も理性も欠落していた。
(諦めるという選択肢は、僕には存在しない……決して屈しない……僕には、諦めるという贅沢は許されていないんだ)
最後にもう一つの記憶が、彼の脳裏を切り裂いた。
母親の姿。
息絶え、動かなくなった脆弱な体が床に倒れている。彼の方へ真っ直ぐに伸ばされた右腕。それは、最後の絶望的な哀願のジェスチャーだった。
ザァァァァァッ!!
嵐の音が三倍の音量に膨れ上がり、彼の耳の奥を激しく打ち据えるように感じられた。
(僕は本当に……)
「……理解できない」




