5 決裂 -2-
コーヒーを受け取ろうとした時、ヤツは鼻をひくつかせた。
「違う匂いがする。何ソレ、アンタ何飲んでるの?」
「これか。ホットミルクだ。あー、ちょっと胃の調子が悪くてだな」
苦いから苦手だ、とは言いにくくて誤魔化す。すると、ヤツの眉間にギュッとしわが寄った。
「僕もそれがいい。そっちに替えてよ」
「え? ダメだ、ひとり分しかないんだから」
俺はあわてて、ホットミルクを後ろに回す。これは譲れん。今はとても、コーヒーなんか飲めない。
「ズルい。僕もそっちがいい! ねえ、そっちにしてよ」
「しつこいな。ダメだと言ってるだろう」
「そっちがいいんだってば。ひどい、見せつけるだけ見せつけて渡してくれないなんて、捕虜虐待だ」
ウルセエな、コイツは!
「分かった。もういい、飲め。好きにしろ」
俺は諦めてホットミルクのカップを譲った。どっちかが大人にならんとこの状況はどうしようもない。そしてコイツの中に『大人になる』という選択肢がありそうにない。それも同年代の男としてどうかと思うが。
まあ、そういうわけで仕方ないから俺が大人になった。
飲み物なしでフレンチトーストはキツイが……。昨日作った麦茶の残りがペットボトルに入れて部屋にあるから、それでも飲むか。
ミルクを一口飲んでヤツは、
「マズイ」
と渋い顔をした。
「何コレ。甘くない。ただ温めただけじゃないか」
「温めてあるからホットミルクで間違ってない。要らないなら返せ、俺が飲む」
手を伸ばすと、
「飲むよ。飲むけどさ」
両手でカップを抱え込む。
「甘くないホットミルクなんて、間違ってる」
「うるせえな。フレンチトーストが甘いのに、その上甘いものなんか飲めるか。お前が朝から甘いものなんか食えないって言ったんだぞ」
「そうだけどさ」
ホットミルクを不味そうにすする。
「ホットミルクは甘くなきゃダメだ」
なんかこだわりがあるのか。とことん面倒くさそうだな、コイツ。男ならシャキッとしろと言いたい。
その後はしばらく黙って食べる。
と言っても、アイツはほとんどホットミルクを飲んでるだけで。フレンチトーストの方は、切り刻んだりはしているものの、ほとんど口を付けてない。
食わないんなら切らなきゃいいのに。みじん切りにするような勢いでトーストを解体している。
初めは、一枚だけじゃ食った気がしないし食わないならよこせ、って言うつもりだったんだが。それを見ているうちにそんな気も失せた。もう食い物じゃないよ、あれ。
「ねえ」
ヤツが言った。
「何だ」
「何しに来たのさ」
「何しにって」
俺はヤツの顔を見る。
ヤツはだらしなく投げ出した脚の上にフレンチトーストの皿を置いて、何だか妙にマジメな顔でこっちを見ている。
「飯を持ってきたんだろ」
「そうだけど。そうじゃなくてさ」
茶色の柔らかそうな髪が頬にかかっているのが気になるようで、指に巻きつけて引っ張る。神経質な仕草だ。
「ゴハンを持って来るだけなら、置いてそのまま行けばいい」
ツボタは俺から微妙に目をそらして、そう言う。
「何でそんなとこにいて、アンタもゴハン食べてるの。そんなに、僕が珍しい?」
「珍しいって」
俺は、きょとんとしてコイツを見る。ホント、時々何言ってるか分からんな、コイツ。
「ひとりで飯を食ったって、辛気くさいだろう。そうじゃなくても、そんなところに閉じ込められているんだし」
「アンタたちが閉じ込めてるんだけどね」
外人っぽい仕草でヤツは肩をすくめる。なるほど、帰国子女だな。
「俺たちが、じゃない。先生の一存だ。俺は反対している」
「同じだよ」
うん、まあ。そう言われると反論の仕様がないんだが。
「実は、今、俺もちょっと先生と顔を突き合わせては食事しにくくてな」
本音を言ったら、ため息が出た。
「お前もヒマだろうと思ったし。迷惑か」
ヤツは、ますます神経質な姿で髪を引っ張った。
「だけどさ、だって。アンタ昨日、僕に人を殺したかって聞いた」
「あ」
俺はドキッとして、ヤツの顔を見なおす。ツボタは俺と目を合わさない。ただ、自分の髪をやたらに引っ張っている。
「日本じゃ、武器を所持することも禁止されてるし、徴兵もないんだろ。人を殺したことのある奴なんて犯罪者だけなんだろ」
だんだん早口になる。
「だから……。僕が、珍しいとか、怖いとか、気持ち悪いとか」
だんだん声が小さくなる。
顔が下を向いて、長めの前髪がバサリと落ちて、俺からはヤツの顔が見えなくなった。
気にしてたのか。
昨日の俺は、先生に下天一統流は教えられないと拒絶されて。そのことで頭がいっぱいで。先生にスカウトされたコイツに嫉妬して。何も考えずにあんなことを聞いてしまったけれど。
コイツにとって、あの質問はどんな意味があったんだろう。
ほんの子供の時にさらわれて、自分の意志じゃなく武器を持たされたコイツにとって。人を殺すっていうのは、どんな意味があったんだろう?
「悪い。無神経だったし、失礼だった」
俺は黙って頭を下げた。
「傷付けたなら、謝る」
ツボタは顔を上げない。




