3 ヤツとの差 -5-
「でもさ、僕だまされたんだよ」
急にヤツは顔を上げ、白い頬を紅潮させてしゃべり始める。
「ついて来てみればさ。ジムみたいなところに連れていかれて、腹筋しろだの逆立ちで歩けだの、家の周りを走れだの、そんなことばっかり。おまけに家の中は気持ち悪い人形と写真ばっかりだし。だからバカバカしくなって帰ろうとしてたんだ。そしたら、アンタが邪魔なところに突っ立ってるから」
俺の腹に膝蹴りを食らわせた、と。
コイツの論理、おかしい。
「だからって、人形を壊すことはないだろうが。あれにいくらかかってると思ってるんだ」
「知らないよ、そんなこと。腹立ってたんだ。アンタは壊したくならないの? 何でだよ」
だから。何でだよ、って壊したい前提で話されても。まあ、俺だって気味悪いとは思っているが。
「慣れた」
簡潔に言うと、ヤツは目を丸くする。
「僕にはムリだね」
「やってもみないうちからムリって言うな」
つい言い返してしまう。
それから。やっぱり先生がコイツに下天一統流を教えようとしていたってことが分かって、ちょっと悔しくなって。
「何が不満なんだか」
と呟いた。
「何がって。不満だらけだよ」
口先をとがらせて言い返される。その表情がムカつくので、俺は目をそらす。
「先生の弟子には、なりたくてもなれるものではないんだぞ。俺も、この十年ずっと頼んでいるが、未だに許してもらえないんだ」
「え? それは、諦めるべきところだろ?」
うわ。今コイツ、サラッととんでもないこと言いやがった!
「諦めない。俺は、諦めたくないんだ」
俺は顔を上げ、ヤツのキレイな顔を正面から見る。
「ずっと夢だったんだ。俺は、先生の弟子になりたいんだ」
今でも。どんなに断られても。
「……なあ」
俺には下天一統流を教えられない、と道場で言った先生の声が頭の中をこだまして。
俺はつい、こんなことを口にした。
「お前は、人を殺したことはあるのか?」
空気が凍った。
ハッとする。自分は今。何を言ってしまったのだろう。
「ある、って言ったら?」
今までとは違う、冷たい声がそう言った。
小窓の向こうで、ヤツは。俺から顔を背けていた。
その後は、何を言ってもヤツは返事をせず。
ドアの向こうのカレー皿は、食べかけのまま床に放置された。