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イくか来るか




「……」


一つのことが、ずっと脳内を駆け巡っている。それは年が終わり過ぎた、という事実にでもなければ、だらつきすぎて身体に残る倦怠感による運動の不足についてということでもない。


ある日の出来事だ。正確には、言われた内容のこと。


「…〜〜ッ…」



昔から案ずるよりも産むが易し、を地で行くような性格だった。そういった性根を、男らしい、さばさばとしていると評されることが多かったが、その実そうではない。ただ単に、考えることが怖いだけ。

そうだ、初めはそうだった。


考えるよりも先に、何かをしてしまった方が楽だった。そう過ごすうちに評価が付随しただけだ。誤解による評価がそれはそれで嬉しくて継続させた、というのはあるが、つまるところ今はそういう話ではなく。


それこそ、そんな風に、自分を男らしいと評価してくれている人物の、『ある言葉』に惑わされてしまって仕方がないのだ。


あの日の翌日以降に会うこと自体はむしろ楽だった。逢えさえすればいつも通りに話せるような気がしたし、やる事もやって、楽しく共に過ごすことができたのだから。



「…うし」


だからつまり、この懊悩も、逢いに行けば楽になるのだ。

そう自分の中で囁く声は、それ以外の理由が…懊悩をする主たる要員の気持ちが、理由づけているだけなのではないか?そう思って尚。彼女は軽やかに外出の準備をする。

ならばこそ、一石二鳥だ、と開き直って。


『よお』


『今からおまえん家行くな』



『えっ!?』


カイリは、その返信のメッセージを無視してそのままポケットにケータイをしまう。外に出て、歩きながらの操作は危ないから。


とうに向かい歩き始めている彼女の足取りは、軽い。きっと、その顔を見た人の十人の内の九人は思うだろう。


あいつは何を、浮かれているのだろう、と。





……



ぴん、ぽーん。

前までは容赦無く、前触れなく扉を開けていたカイにぃがインターホンを押すようになったのは唯一許された慈悲のようで、ちょっとだけ開いた距離のようでもある。


「ま、待って!もう少し!1分だけっ!」


ともかくとして、シオンはそれのおかげでなんとか部屋の中の準備を完了できた。そうして、ぜえぜえと改めて扉のドアノブを捻る。

否、捻ろうと、して。



「おっ…と」


ジャスト、1分経った後にドアを勝手に開けた海莉のその顔と対面をする。心の準備ができていない状態で飛び込んできた彼女の顔は、ひゅっと、息を呑むに足る衝撃で。


「なんだ、出迎えに来てくれたのかよ。……お前、顔赤くないか?まさかまた風邪ぶり返したんじゃねえだろうな」


「い、いやいや。

そんなんじゃないよ。ほんと」


「本当か?」


ずい、と距離を近づけ、冷たい掌が汐音の額を触る。そうして、それに動きを止めた次の瞬間には、手が冷たくてわかんねえや、と額と額が当たる。


近い、近いその距離。

否応なしに瞳孔に思い人の姿が焼きつく。

その細長い目、短い黒髪からする女物の整髪剤の匂い、唯一性別を分かりやすく判別させてくれるような、ぱちりとしたまつ毛。



「…まあ、確かに熱はなさそうだけど。でもまだちょっと、前より熱いぞ?体調には気をつけろよなお前」


「……え…あ、う、うん」



「うお、さらに赤っ…さてはお前…」


どきり、と揶揄うような表情をされて胸が弾む。意識をしているのか、などと言われたら正にその通りすぎて、何も言い返す言葉がない、と危惧して。


「酒飲んだか?流石に駄目だぞ、三ヶ日とはいえ昼から酒は。一人暮らしでそれは駄目人間まっしぐらだぞ」


「……」


だがそんな事は言われず。代わりに来たその的外れの心配と半笑いに、鼻息を鳴らして顔を逸らして答える。


「ふん、飲んでないったら」


「ほんとかぁ?」


そうして、部屋の中に招く。

まあ、別にそれでやる事は大して無いのだが。

ただなんだろう。

何をやるわけでもなく、動きが、ぎこちなくなる。




……



あははっ、というような上品な笑いではない。げらげら、というほど大仰な笑いではない。その中間のような笑い声が、TVから流れてくるバラエティを見て、カイリの口から何度か発せられていた。


一つの炬燵の中にふた揃いの脚。

向かい合っての脚は、時たまぶつかることがあれど片方の遠慮がちな引きもありそう触れる事は無かった。


ただテレビ番組を流し、特に会話などをするというわけでもなくそれぞれが笑い合うだけの空間が、そこに展開されている。ただそこにあるべきはずの寛ぎ、というものが、家主であるシオンにだけはまったく無い。


ばく、ばく、ばく。つい先まではそのような、走ってきたかのような鼓動の早なりが支配していたが、だんだんと心臓もそれに疲れてしまったかのように鳴りを潜めて、代わりに今、彼を支配しているのは、もう少しナイーブな感情。


と、言ってもそう大層なものではない。怒り、と言えばそう。悲しみ、と言えばまあそう。だけれどどちらでもあるが、二つともにその深度や含有量は大したものでは無い。これはなんと言ったらいいか、と悩んでいると。


「うはははっ!

今のめっちゃ面白くなかったかシオ…

どうしたんだよ、そんな顔して」


「…別に」


「…なーに拗ねてんだよ。構ってもらえなくて寂しい、なんてたまじゃないだろ?」


拗ねる。そう一言で言ってくれてスッキリした。そうだ、自分は拗ねているのだ、と汐音は得心がいった。いつもこの人は、そうやってすぐに自分に答えをくれる。


では、何に拗ねているのか。

寂しいというわけでは、ない。どちらかというと、あの日以来、『カイにぃ』とどう対応したらいいのかというのは自分でもわかってないから、無いものとして扱ってくれるのはありがたいまであった。

では今の自分はなんだ。


その感情の正体の答え合わせだけは、自分でやる必要があった。



「………その、…なんていうかさ。わかってるんだ。こうなってるのは僕の勝手だし。ていうか自分でも思うよ!めんどくさい奴だなって!でも、でもさ!どうしても思っちゃうだろ!」



それは、今日のメッセージを見た時から少しずつ、少しずつ累積してたもやつき。すぐに家に来るんだ、ということ。その後、当然のように手を、額を額に当てて。中に入ってからもただくつろいで。

これではまるで、と。



「……なんだよ。

意識してるのは、僕だけかよ。って…」



ああ、情けない。

みっともなくて、かっこ悪い。どんな顔を僕はしてるだろう。どんなほどに顔が赤くなってるだろう。そう、思いながらもただ汐音は顔も見れないまま、そのままうずくまってしまう。


返事はない。

失望させてしまったろうか。粘着質的な、そんな面倒臭い感情を向けたことが明らかになって、引かれただろうか。

そういう怖さもあって暫くは顔を上げられなかったが、ようやくちらり、と顔を見る勇気だけ生まれて、そうする。



そこには、片手で顔を覆う海莉の姿。

手のひらと指の隙間からは、困ったような、どうしたものかという表情と。少し、少しの赤色が見え溢れていた。


それを見て、ほっとした。



「……なんだカイにぃも同じか。

無理してただけかー。僕ぁほっとしたよ」


「はぁ!?無理なんてしてねえよ!

さっきまでは素だっつの!ただ…」


『誰に好かれなくても構わない。ただ一人以外には、そうなってほしいと思う事もない』。

先の言葉のせいで海莉はそんな風に言われたことを、思い出す。先まで、家で一人で懊悩していた時に彼女をずっと苦しめていた言葉。

逢って行動をしてれば忘れられたというのに、『弟分』がそんなことを言うから、今もまた思い出してしまった言葉だった。


そしてそれを呼び水に、どんどんと思い出す。

その、柔肌の感覚まで。


「……なんだ。色々、思い出しちまって…

ああっ、クッソ!ムカつくその顔!

そのニヤつき今すぐやめやがれシオン!」


「えへへ、形勢逆転だね。ふん、さっきまでの僕の思いをちょっとは味わってみればいいってーんだ」


「うるせえぞお前!いいのかそんなイキっておいて。私はお前の一番の弱み握ってるんだからな!」



弱み。弱みとはどれのことだろう。

思い当たる節が多すぎてわからない。惚れた弱み、という一番大きいものに付随するその他色々さまざまではあるが。

そんな、浮かれ切った思考のそのままに口を出す。



「………ごめん、何のこと?いや、煽りとかじゃなくて本当にどれかわからなくて…」


「はっ、惚けるんじゃねえよっ!」



「私で、どう…捨てたくせに!」


「げほっッ!」


…流石に、肝心な部分こそは大声で口にする勇気が無かったようで、小声ではあったが。何のことを言っていたかは目の前の汐音にははっきりと聞こえ。先に食べていた餅のそれすら逆流してきてしまいそうなほどの、動揺と咳き込みをした。


そう言ってから、流石になんてことを言ったんだ、と勝ち誇った顔のままから茹だった蛸のように顔をゆっくり赤らめ。

海莉はしおしおと崩れ落ちた。




……



壮絶なダブルノックアウトをかますことになったその日は、三ヶ日。それに至るまでは、どのような経路だったか。


話は、数日前。12月の31日から、1月の1日に差し掛かるその時の二人の様子に巻き戻る……


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