ゼノンとヤーコブ
「やぁ、おはよう」
学院の廊下を歩いていたヤーコブは、物陰から急に腕を引っ張られ、物陰に連れ込まれた。驚いて声を出そうとしたヤーコブの口を手で塞いで、挨拶をしてきたのがゼノンである。
ゼノンだと分かって、ヤーコブが落ち着いたのをみて、ゼノンはヤーコブの口から手を離す。
「殿下、おはようございます。僕にご用でしょうか?」
「うーん、やっぱり可愛いな」
顎に指を当て、腕を組んだポーズでゼノンがヤーコブを観察する。
「気づいてないと思ってました」
ヤーコブがゼノンから一歩下がると、ゼノンが一歩詰める。
チェリシラと違って、王子に反抗などできないヤーコブである。
視線だけ落として、身動きができずに固まっている。
「最初はわからなかったけど、声でわかった。そう思ってみると、君にしか見えなかった。
なんたって、僕達は一緒に火だるまの馬車に飛び込んだ仲だからね」
ゼノンは、両手をあげ、おどける。
たしかに、それまで接点などなかったが、ジェネヴィーブとチェリシラを助けようとして、馬車に飛び込み、意識を失くしていた二人を救護室まで協力して運んだのだ。
治療も、ゼノンとヤーコブが並んで受けた。
「君の顔に火傷の痕が残らないでよかった」
昨日は言えなかったから、とゼノンはそっとヤーコブの頬に手を添える。
ヤーコブは抵抗もせず、されるがままになっているが、視線をゼノンに向ける。
「殿下こそ、大事なお身体。回復されたようで安心いたしました」
「ありがとう。こっちに来て。ここでは声を聞かれるかもしれない」
ゼノンはヤーコブの頬から手を離すと、ヤーコブを促して、そこにあった空き部屋に入った。
パタン、と後ろ手に扉を閉めると、ゼノンはヤーコブに向き合う。
「どうして、ドレス姿で? すごく似合っていたけど?」
直球で尋ねてくるゼノンに、ごまかしても仕方ない、とヤーコブは正直に答える。
「あの姿の方が警戒されないし、ジェネヴィーブ様とチェリシラ様をお守りするのに、常に側に居られるからです」
そう言うヤーコブの手を取り、袖をまくる。
「この腕じゃ、剣を扱うよりは、諜報の方が向いているね」
ゼノンが、ヤーコブの細い腕を掴む。
「剣を訓練してます」
ゼノンを振り払う事もできず、ヤーコブは自信なげに言うが、自分でも筋肉が付きにくいと思っている。
「イヤだったら振り払えばいいのに」
ゼノンは、掴んだヤーコブの腕を少し持ち上げて、ヤーコブに見せる。
「火だるまの馬車に飛び込んだ度胸は、どうしたの?」
「あの時は夢中だったから」
ゼノンから許可がでているのに、ヤーコブはゼノンを振り払わないが、少し頬が染まっている。
「あー、もう。どうしてそんなに可愛いの。男なのにさ」
ヤーコブの腕を持っていない方の手で、ゼノンは頭をかく。
「殿下っていい人ですね」
ニコッ、とヤーコブが笑うと、ゼノンは片手で顔を覆った。
「僕、教室で使い走りでした。クラスカーストの最下位で、皆から無視されるのが恐くって、悪い事だとわかっていたのに、何も言えなかった。
男爵家の次男なんて、とか、僕は暗いから嫌われる、とか、逃げることばかり考えてました。
編入してきたチェリシラ様は、一人でも屈したりしなくって、羨ましいと思ったんです。
自分のしている事が恥ずかしくって、変えたいと思って勇気をだしたんです。
それで、今は護衛としてお側にいれるのが嬉しいんです。
だから、僕が女装して、ジェネヴィーブ様とチェリシラ様が楽しそうにしてくれるから、嬉しい」
はにかんだヤーコブが、へへ、と笑う。
ゼノンは掴んだ手を離すと、ヤーコブの頭をガシガシッと強くなでる。
「あんまり無理はすんなよ」
行くか、と歩くゼノンの後ろを、ヤーコブが従う。