アレンの告白
アレンにとってリーリアは、ただの“形だけの婚約者”などではなかった。
それを自覚したのは、今から10年ほど前。
それまでの彼の認識が大きく変わったのは、伯爵から話を聞いた時だった。
幼い頃から、リーリアはアレンと話をする時、いつも少し緊張しているようだった。しかし、妃教育の賜物か、彼女は常に礼儀正しく、上品に微笑む、年齢の割に大人びた少女だった。
今思えば、アレンはその他人行儀な態度も、少し寂しかったのかもしれない。しかし、自分の立場を考えると、彼女がいつも気を張っているのも仕方がないし、そういうものなのだろうと、そう思っていた。だから、アレン自身も、その適度な距離感を壊さぬよう、気を付けていた。
そんな自分に、ある日伯爵は言ったのだ。
「殿下の婚約者は、どうも稀有な存在のようでして……このままでは、殿下の元から居なくなるということも、十分あり得るかと」
ふざけるな、と彼は思った。
少年だったアレンは、この時初めて、暗く激しい独占欲を抱いた。伯爵は、自分を憎悪のこもった目で睨みつけてくるアレンに言った。
そうならないよう、誰かに見つかる前に力を隠してしまえば良い。自分はその手助けができる、と。
それからは、リーリアに内緒で計画を練った。実行するのは、彼女の六歳の誕生会。第一の試練はまず、時間差で効き目が現れる睡眠薬をリーリアに飲ませる事だった。
お祝いのパーティーはビュッフェスタイルだったため不安はあったが彼女はどうやら好物の白ぶどうのジュースが大変気に入ったようで、何杯も飲んでいた。だからアレンが気を利かせたフリをして代わりに取ってきてあげると言っても、特に怪しまれなかった。
その次は、リーリアのそばを常に離れないメイドを遠ざける必要があった。これは、伯爵の次男がメイドに道案内を頼むなどして、上手くやってくれた。その後は、伯爵がリーリアを魔法で完全に眠らせて、リーリアに気付いてしまったメイドも眠らせた。そうしてようやく、アレンはリーリアの前に姿を現し、彼女の魔法を封印することが出来たのだった。
アレンは自分のことを“尽くすべき相手”として見てくれているリーリアに、自分の計画を何としても悟られないよう、十分注意を払った。だが、自分の大切な人に封印をかけるのは、自分以外では許せなかった。
そのような考えから生まれた計画は、無事、完璧に終了したのである。メイドがやってきた事は不覚だったが、その場にアレンはいなかったから、きっと犯人は伯爵だと思い込んでくれただろう。
そうして、純真で真面目なリーリアはアレンを疑いもせず、自分には魔力があっても、何故だか上手く使うことが出来ないと結論づけてくれた。
大きくなってからもずっと、リーリアとアレンの関係は発展することもなければ、悪化することもなかった。アレンが“愛してる”と言えば、何も分かっていない顔で、“ありがとうございます”と微笑むリーリア。
だが、アレンは気に止めなかった。彼はある意味で、とても臆病になっていたのだ。だから、自分の想いを知って欲しいという願いは心の底に封じ込めた。それよりもむしろ、恋というものを彼女が知った時、彼女がアレンを愛してはいないという事を、自覚して離れてしまうのが恐ろしかった。
そうやって、リーリアを無垢なまま、何年も見えない鳥籠に閉じ込めていたはずなのに。
破魔の力の持ち主が、穏やかな日々を一変させた。
ある日の舞踏会で、アレンが一人になったところを見計らい、男爵令嬢は話しかけてきた。
「私、破魔の力を持っているので、呪いや封印を解くの、得意なんです。それで……つかぬ事をお聞きするんですけど、あそこで殿下を待っている方、凄く頑丈な封印をかけられている気がするのですが、気のせいですか?」
その時アレンを襲った衝撃と言ったら、並大抵のものではなかった。破魔の力とかいう聞いた事もない力の持ち主が、いきなりリーリアに封印がかけられていることを見破ったのだから。
それから、アレンは、ミシェルの要求を飲むしかなかった。彼女はアレンと将来結婚すること、そして結婚するまでは、恋人同士のように振る舞うことを要求してきた。アレンは言った。
「良いだろう。では君には今後リーリアの封印を解かないと誓ってもらおう。彼女にだけは絶対に手を出すな」
それからは、当たり前のようにミシェルが王宮に入り浸り、浮気の噂が流れるのもあっという間だった。
アレンは既にリーリアにも噂が回っているだろうと考え、自分の隣でピンクブラウンの髪を揺らして笑う彼女をどうにかしなければ、と焦っていた。
しかし幸運なことに、彼は伯爵の助言を得ながら、とびっきりの妙案を思いついたのだ。リーリアの信頼を取り戻しつつ、彼女を脅かす者を一掃する手段を。
ミシェルには、お互いの信頼を高めるためと言って、アレンから条件の追加を申し出た。姿も形も見せないが、国において大きな権威を持つ魔導会。「それの正体を暴き、消滅させる事を二人で成し遂げたなら、自分はミシェルと結婚するだけでなく、リーリアを側妃にする事もしない」と言うと、ミシェルは嬉々として頷いた。
次に、破魔の力を消す方法。最初はミシェルを嵌めて国外追放する、なんて事も考えたが、それではまだぬるい。アレンは、ミシェルの力を奪うことを決心した。だが、他人の魔力を奪うには、相手よりも強い力を持つ必要がある。最初、彼は貴族が集まる機会や、街にお忍びで出かけた時に、バレない程度に少しずつ力を集めていた。しかし、それでは時間がかかりすぎると分かり、伯爵の協力を得て、魔力を持つ一般人を金で買収し、破魔の力を上回るほどの、強大な力を得る事に成功した。
そして、先ほどの茶番劇に至る。ついに今夜、アレンはミシェルと魔導会という弊害を、どちらも排除できるところまで来たという訳だ。
アレンは止まることなく話し切ると、不満そうにため息をついた。
「……あとは、何も危険がなくなった状態で、僕がリーリアの封印を解く。そうしたら、“君を守る”と言った僕の言葉を、君は信じてくれる。そして、僕は君のヒーローになれたはずなんだ。……なのに、彼らが余計な事をしてくれたおかげで、全てが台無しだ。本当、最悪の気分だよ」
毒つくアレンを、ラウドは冷めた目で睨み付けた。
「……お前、相当狂ってるぜ。王太子だったら__いや、大切な女を囲うためなら、何をしても許されるとでも思ってんのか?」
「黙れ。リーリアが僕にとってどんなに大事なものか知りもしないで、部外者が口を挟まないでくれ」
アレンはそう吐き捨てると、リーリアの目を見つめた。
「………ねえ、リーリア。これで分かってもらえた?僕は本当に浮気なんてしていないし、君の事しか見ていない。本当に、君が大切なんだ」
彼はそのままリーリアに歩み寄って、物語の王子様のように、リーリアに向かって手を差し伸べた。
「改めて言うよ、リーリア。……僕の愛しい人。僕は、君がいなくちゃ生きていけないくらいに、君を心から愛してる。そしてこれからも、君だけを愛し尽くせる自信がある。だから、僕と結婚してくれ」
ラウドは目の前で行われたプロポーズに、胸がざわついた。そんな男の求婚に応じるな、と言いたい気持ちをぐっと堪えて、黙っていた。これは、リーリアが選ぶべき問題なのだ。
しかしリーリアは、ドレスの胸元をぎゅっと掴んだまま、微動だにしない。
リーリアは、アレンの口から語られた内容に、今もまだ頭がついて行かなかった。
(……わたくしは、何も知らなかった。何も気付いていなかったんだわ。そのせいで、ここまで拗れた関係になって、しかも、多くの人を巻き込んでしまうなんて……!)
リーリアの頭を占めていたのは、恐怖だった。
アレンの、自分のためなら何でもする、という言葉に胸を高鳴らせる事など、到底出来そうにない。アレンはもはや、自分の知っているアレンではない、誰か別の人のようだ。
こんな追い詰められるような形でのプロポーズは、リーリアにとっては脅迫と同じだ。
返事をせず、小さく震えているリーリアに、アレンは微笑んだ。
「ごめん、びっくりさせちゃったね。でも、大丈夫だよ。もし君が僕を愛していない事を引け目に感じているのなら、そんな事は気にしなくて良い。君が望むなら、結婚しても、今まで通りの関係でいよう。君はただ、僕のそばに居てくれれば良いから」
「…………っ、アレン様……」
「それに実は、君が僕と結婚してくれるなら、彼らを釈放しても良いとすら思っているんだよ」
その言葉に、リーリアは思わずラウドの方を見る。彼は、強い眼差しでリーリアを見つめていた。
彼と視線がぶつかって、自分の意思を殺そうとしていたリーリアの頭の中に、“お前はそれで良いのか?”とラウドの声が響いてくるような気がした。
リーリアは深呼吸をして、心を決めた。
「……アレン、様」
「うん?」
「アレン様が、わたくしを愛して下さっていることは、十分に理解致しました。先ほどのプロポーズも、本当に、わたくしには勿体ないお言葉だと思っております。ですがわたくしは、そのプロポーズをお受けする事は、出来ません」
「…………………どうして?」
「……ミシェル嬢は、確かにアレン様を脅迫したのかもしれません。ですが、だからといって、彼女を陥れ、無理やり力を奪い、挙げ句の果てに牢獄に入れるというのは、正しい事ではありません。あなたが王太子ならば、尚更です。そして、そんなあなたを、この先隣でお支えする事は、わたくしには出来ません。どうか、お許し下さい」
リーリアは、震えながらも、アレンの視線を真っ向から受け止め、一度も彼から目を離さなかった。
アレンは訳が分からない、という顔をした。
「……でも、君にデメリットはないはずだ。むしろ、良い事だらけだろう?君の味方の魔導会は釈放されるし、公爵家と王家の結びつきは一層強くなり、君の家の将来も明るい。何が、そんなに気に食わないの?」
リーリアは分かってもらえない歯痒さを感じながらも、必死で言葉を重ねた。
「わたくしは、損得で判断しているわけではございません。計算で動いているのではなく、わたくしは、わたくしが持つ正義を裏切る事は出来ないのです」
アレンはリーリアが本気で拒んでいるということが分かり、目を見開いた。
彼は黙って俯いた。
「……よく分かったよ」
その言葉に、リーリアが少しだけ安堵した瞬間、アレンは口角を歪めた。
「まさか、家の話を持ち出してもなお、君が僕に意見してくるとは思わなかったな。両者の合意の上、穏便に事を進めたかったんだけど、仕方がないね」
アレンの冷え冷えとした眼差しが、リーリアへと向けられる。ラウドは思わず叫んだ。
「………っ、てめえ、何するつもりだ!」
「ねえ、リーリア。僕の一番大切なものは、君だ。では、君の一番大事なものは何かな?君にとって、正義よりも大切なものがあるだろう?」
アレンの言葉に、リーリアは背筋が凍りついた。
「……アレン様!?まさか、マリアに……!?」
「さすがの君も、愛しの妹を持ち出されれば、断れないよね。……レイゼント、入っておいで」
リーリアは絶望した顔で、勢いよく扉の方を振り返った。
しかし、扉が開く気配はない。アレンは苛立った声をあげた。
「聞こえないのか?レイゼント。僕は今、入れと言っているんだ」
その言葉に、ドアノブがゆっくりと動き、扉が静かに開かれる。
「……っな!?」
アレンは大きく目を見開いた。
扉の先に立っていたのは、マリアを抱き抱えたマリーだった。そして、彼女が立っている場所の下には、縄の切れ端と、廊下にかかっていたはずの絵画、そして、意識のないレイゼントがいた。
マリーは震える声で叫んだ。
「……お嬢様!マリアお嬢様は、無事に救出致しました!ですから、落ち着いて下さい!マリアお嬢様を人質にとるようなクソ野郎に屈しては駄目です!」




